「家を出るって…そんな勝手が許されると思っているの!?」
「勝手も何も、お母さんは大人だよ?私も瑤太も小さい子じゃないんだし」
「そもそも『縁切り』って言われた時点で、自分達が縁を切られるだけの事をしてきたんだって、少しは自分を顧みろよ」
「顧みないのが毒親や毒家族たる所以だけどね」
「祖母ちゃん。あんた、自分を優しくて上品な奥様だって思ってるみたいだけど、優しさや上品さの欠片も無いぜ」

わなわなと震える瓊子だが、彼女と瑤太は抜群のコンビネーションで反撃する。

「第一、お母さんは祖母さんにとって『うちの子』じゃないんでしょ?『何をしても反撃してこない都合のいい相手』と思っているなら、お母さんに対して失礼極まりないし、そんな風に思っている相手と一つ屋根の下になんて、とてもじゃないけどお母さんを置いてなんていられない。『うちの子』であるお気に入りの上の娘と仲良く暮らせばいいじゃない」
「瑠子!あんたはどう思っているの!」
「そうよ!今までの恩を忘れて、私やお祖母ちゃんを捨てるって言うの!?」
「お母さん。聞いちゃ駄目だ」
「罪悪感を持たせる事を言ってくるのも、DVの常套手段だよ。お母さん」

矛先を向けられた母に、双子はそれぞれ声をかけた。
瑠子は目を閉じ、大きく深呼吸をする。目を三角にして怒る母と姉を、正面から見据えた。

「私は今まで、お母さんを反面教師にして、この子達を育ててきた。お姉ちゃんと比べられて、一度も褒めてもらった事が無いのが悲しかったから」

双子は母を庇うようにそれぞれ軽く腕を上げ、さりげなく前に出て母の言葉を聞いている。

「確かに育ててはくれたね。でも、私は精神的にネグレクトされていたようなものだった。恩って何?今までずっと私の味方でいてくれたのも、結婚の時も離婚の時も子育ての時に助けてくれたのも、居場所を用意してくれたのも、大お祖母様と大お祖父様だった。お母さん達が何をしてくれたと言うの?ただ全部私を悪者にして責めただけじゃない」

瑠子は怒りに燃える目で、姉を睨み付けた。

「何より、私の娘を傷付けてのうのうとしているお姉ちゃんも、そんなお姉ちゃんを叱りもしなかったお母さんも許さない」
「ねえ。伯母さん」

彼女は「口出してごめんね」と小さく母に断りを入れ、静かに口を開いた。

「私は妊娠の経験も予定もありません。なので…刀隠の人達も知ってるから言いますけど。折角お胎に宿した子が死んでしまった気持ちとか、霊術まで失ってしまったショックだとか、伯父さんとうまくいかなくなってしまった気持ちだとかはわかりません」

客間にただ淡々と彼女の声が響く。

「当時の辛さは筆舌に尽くしがたかったと思います。だけど、それは妹に暴力と言う形でぶつけていい理由にはなりません。ああ。覚えていないとでも思いました?」

顔色が変わった伯母に彼女は問いかけた。そのまま解説口調で、美斗と弓弦に向かって続ける。

「この人、母の事をずっと殴っていたんです。ベルトで。こう、バックルの所が当たるようにして、鞭みたいに。私はたまたまその現場を見てしまいましてね。母を助けようと近付いた所で、バックルがおでこに当たってざっくり。それが、祖母が私を『傷物』と呼ぶようになった全ての真相です。うちの伯母、男だったら完全にただのDV野郎なんですよ」

曾孫の負傷をきっかけに、翠子は下の孫娘が暴力を受けている事に気付いた。璃子を待っていたのは、翠子による激しく厳しい叱責だった。幼子と一つ屋根の下になんて置いてはおけない、屋敷から出て行け、二度と顔を見せるなと面と向かって言う程の翠子の激怒は、翠子の体調に変調を起こした。心臓に過度の負荷がかかってしまったのである。

それが、翠子の死のきっかけだった。

葬儀の忙しさによって、璃子が屋敷から出ていく話は有耶無耶になった。また、瓊子は例にもよって「子供を亡くした璃子の前で、瑠子が子供達と一緒の幸せそうな姿なんて見せるから」と瑠子を悪者にして璃子を擁護し、璃子を諫める事すらしなかった。
彼女が『DV女』と言ったのは、つまり璃子を指しての事だったのだ。このような経緯がありながらも、彼女達一族は同じ敷地の中でずっと暮らしてきたのである。

「ねえ。伯母さん」

彼女は平坦な声で伯母に呼びかけた。

「私は恐ろしく生活に密着した霊術しか使っていませんけど。でも私はもう、霊術を無意識下で使ってしまうような、つまり制御をできない、何もわからない反撃もできない子供ではないんですよ」

伯母を見据える彼女の目付きが変わった。

「咲け。『焼骨牡丹』」

何処から出てきたのか、折り紙人形達が一気に集まってきた。璃子を後ろ手に拘束し、璃子は宙に浮かぶ形になる。続いて複数の折り紙人形が、ベルトを持って璃子の周囲に集った。そして璃子の顔を問わず体を問わず、バックルの所が当たるようにして、ベルトを鞭のように振るい始めた。

「あの時の再現ですよ。伯母さん。こんな風にして、お母さんをぶっていましたよね」

何の感情も交えない声で、彼女は伯母に呼びかけた。
対する璃子はというと、激痛を覚えはしても拘束の力が強くて身じろぎ一つすらできず、また万力の如き力で顎を締め上げられているので悲鳴は上げられず、呻き声しか出ない。

「や、やめなさい!璃子が死んじゃう!」
「死なないよ。こんな程度じゃ。お母さんも、当時ちびっ子だった私も死ななかったんだよ?ああそうそう。割って入ったら、祖母さんも一緒にぶたれる事になるからね?」

瓊子は身を竦ませた。基本、我が身が可愛い瓊子である。如何にお気に入りと言えど、実の娘を庇って身を投げ出すという事はできないらしい。

「伯母さん。痛いでしょ?お母さんもこんな感じで痛かったんですよ。お母さんは悲鳴を上げる事すらできなかったんです。私達に心配をかけたくなかったから。とりあえず、お母さんがやられた分をお返しするようプログラミングしてありますから。これで少しはお母さんの痛みがわかるといいんですよ」
「もういい」

正座した膝の上で行儀よく組まれた手を握り首を横に振ったのは、瑠子だった。彼女は「え?まだこれ途中なんだけど」と言いたげな顔をするが、瑠子は再度首を横に振り「もういい」と言う。

「貴方がお母さんの事を思ってくれたのはわかる。でも、貴方が霊術で人を傷付ける所を見るのは、お母さんは悲しい。何より、どんな仕打ちをされたとしても、許せなくても、お母さんの実のお姉さんだから」

突然の事で必然的に傍観に徹するしかなかった美斗も、同じく彼女の顔を覗き込んで、静かに首を横に振る。瑤太も「お姉ちゃん」と呼びかけた。彼女は母と美斗と弟を見て嘆息した。

「そこまで言うなら」

言った途端、全ての折り紙人形が、手品の如く消えた。支えを失った璃子は、盛大な音を立てて畳の上に落ちた。瓊子が「璃子!」と呼びかけ駆け寄る。とりあえず、意識はあるらしい。

「私に世話をされるのは嫌でしょうから『パナケア・シリーズ』も呼びません。手当ても病院行きも自分でやって下さい。さて、瑤太!打ち合わせ通りに!」
「あいよーっ」
「え?それ私のスマホ?」

唐突に自分のスマートフォンを取り出しロックを解除する息子に、瑠子は訊いた。瑤太は「悪い母ちゃん。お姉ちゃんとの作戦で勝手に持ち出してきた」と、空いている片手で手刀を切る。
因みに、スマートフォンのロックを解除する暗証番号を把握しているのは、瑤太に限った話ではない。この親子3人は「もしもの時の為に」と、互いの暗証番号を教え合っていたのである。

瑤太が母のスマートフォンを操作する前で、『シルキー・シリーズ』は瓊子と璃子のスマートフォンを持ち出していた。2台のスマートフォンに彼女は声をかける。

「やりなさい。『名探偵の手足(ベイカーストリート・チルドレン)』」

途端に2台ともロックが解除され、スマートフォンの画面の中でマスコットめいたアイコンが忙しなく動き回る。

「え?ちょっと、何やってるの!?」
「お母さんと瑤太の連絡先の抹消。瑤太がやっているのは祖母さんと伯母さんのブロックと着信拒否。折角縁を切るからね。そっちからもう二度と、お母さんと瑤太に連絡できないようにしているの」
「…その動いているのは何だ?」

動くに動けない祖母の声に、彼女は淡々と答える。
またスマートフォンの様子が見えていたらしく、怪訝そうな美斗を彼女は軽く降り返った。

「私のサイバー式神です。アイコンだとかを『物』とすれば霊力を込められる事に気付きましたので。私の本業の一つはサイバーディティクティブ。ネット探偵です。『名探偵の手足(ベイカーストリート・チルドレン)』は、業務でも活躍してくれる、いわば電子の海の私兵ですよ」