「うちの孫が『鞘』!?」
「この子が!?」

司家本家は母屋。美斗の向かいに座する瓊子と璃子は、一様に驚きの声を上げた。瑠子と瑤太と共に後ろに並んで座る彼女と美斗の間で、視線が忙しく動く。

家庭事情はどうあれ、物事には順序というものがある。まずは日を改めての挨拶は必要だろうという事で、刀隠家から司家に正式に連絡が入った。
何せ霊術士達の筆頭本家。その次期当主直々の訪問である。主に祖母が大騒ぎした。彼女が『シルキー・シリーズ』を全力で総動員させて屋敷を掃除し整えるよう命じられたのは言うまでもない。

そして美斗訪問の当日。予め同席させるように刀隠家から言われていたので、彼女達親子3人も交えて、美斗を出迎える。客間にて美斗が早速切り出したのが、彼女こそが自分の『鞘』である事だった。

「いやでも、この子は霊術士としては出来損ないですよ!?人型の式神すらまともに作れず術も使えない、おまけに傷物の本当に恥ずかしい孫で…」
「おいこら」

お茶を出した折り紙人形の式神を指し、恥じ入ったように瓊子は言う。
尤も、そこで黙っているような人間ではないのが彼女だが。

「その出来損ないが作った式神に生活全般任せているのは誰さ。つか、当人である私を前に、よくまあそこまで悪口を言えるもんだな祖母さん」
「出来損ないという言葉は聞き捨てならないな。先だってにおいては、誠に立派な人型の式神を披露してくれたが」
「そうだったの?」
「具合が悪くなった人用の特別仕様で人型にした」

こっそりと訊く母に、同じくこっそりと彼女は返した。

「そんなの、あたし聞いてないわよ!第一、人型にできるなら何でそうしないの!次期当主様の前にこんな紙切れなんか出して、あたしがどれだけ恥ずかしいか!」
「趣味じゃないからだよ。何より、祖母さんの見栄の為に式神なんて作りません」

痛くも痒くもないといった様子の孫娘に、瓊子は益々激昂した。

「それでも人型を披露したっていうのは何!?あんた、一体何をやったの!」
「瑤太の大学で不審者及び妖魔除けアイテムの説明会。そこに若君様達も見えてた」

若君様こと美斗の「聞き捨てならない」に一瞬怯みはしたものの、一転して咎め立てするような瓊子の言葉に、彼女は至って涼しい顔で返す。瓊子は呆れたような表情で大きく溜め息をついた。

「あんたはまたそんな下らない物作って…。変な人なんて気を付けていれば寄ってこないでしょ?隙がある方が悪いんじゃないの」

璃子も流石に母に呆れ顔を向けた。瑠子は溜め息と共に首を横に振り、瑤太は「駄目だこりゃ」と言うかのように天を仰ぐ。彼女は「わかってないな」と言い返した。

「時代が違うからの価値観の違いもあるだろうけど。そりゃあ、通学もお出かけも運転手付きの専用の車で、しかもきちんとお付きの姉やもいる状態で送迎だった祖母さんには理解できないよね。どんなに『自衛』してようが、不審者なんて寄ってくるものさ」
「あえて市井に身を置き、弱き者の立場を慮って力を使う姿勢は立派だと思うが」
「え、ええ確かに、そういう所がある孫ではあるんですけど…」

美斗の言葉に一転して同調する祖母に「相変わらずのプロペラ顔負けの掌クルクルぶりだな」と瑤太は呻いた。

「しかし『傷物』とは気になる言葉だな。君の負担にさえならなければ、理由を聞かせてくれないか?」
「額の傷の事を言ってます」
「傷?」

慎重かつ優しい口調で美斗が訊いた途端、璃子は僅かに緊張を走らせた。そんな伯母を尻目に、問われた彼女は剝き出しの額を指して答える。怪訝そうな美斗に彼女は続けた。

「小さい頃、縫うくらいにざっくりいった事がありまして。まあ今は、私の顔面に物凄く接近し『傷がある』と意識した上で注意して凝視して初めて『少し皮膚の色が変わっているかな』と気付く程度の痕ですが。しかし祖母にとっては、傷がまだくっきり残っているように見えているみたいです。なので私を『術もまともに使えない上に傷物の恥ずかしい孫』と。私は恥なんだそうです」
「そうだったのか…。それは大変だったな…」

美斗は彼女を労わる口調で頷いた。

「君は決して、出来損ないでも恥でもない。誇り高い君の姿は、誰よりも凛々しく美しい」

あまりにも率直な言葉に、「まあ」「おお」と彼女以外が感嘆の息をつく中、美斗は立ち上がって瑠子の正面に正座した。

「御母堂様。改めて請います。娘さんをどうか、私の花嫁とする事をお許し願えませんか?」
「それは、またとない…ありがたいお話です」

畳に手をつき深々と頭を下げる美斗に、唐突な敬語と改まった態度に戸惑いつつも、瑠子は答えた。同時に横の娘に視線を向ける。

「ですが…最終的には、この子の意志を尊重したいと思います」
「親の鑑ですね」
「お受けします」

美斗の言葉の余韻に浸る間も無く、彼女は即答した。母の「本当にいいの?」と気遣わし気な眼差しと言葉に迷いなく頷く。

「元々言ってはいたけれど。『刀と鞘』システムが起動する事で、この世と幽世を完全に区切る事ができるからね。それはつまり、お母さんや瑤太が安心して暮らせるようになるって事だから、私は構わないよ。まあ正式に『刀と鞘』としての縁を結ぶ儀式、つまり結婚式?みたいなものの準備には時間がかかるでしょうけど、法的な婚姻だったら、この場で結べるんじゃないですか?」
「――弓弦」
「はい」

それまで上座の美斗の傍らに静かに控えていた人物。最初に『各務』と名乗っていた辺り、桃李の縁者だと思われる――後に父親だとわかった――弓弦と呼びかけられた男性は静かに立ち上がると、鞄から取り出した書類を彼女の前に置いた。美斗の署名等がしっかりとされた、婚姻届である。
続いて筆記具を渡された彼女は、礼を言いつつ署名する。筆記具を受け取り書面を確認した弓弦は頷くと、婚姻届をしっかりと鞄に収めた。

「鞘姫様のご署名、確かに確認しました。万事滞り無きように致します」
「頼んだ」
「『姫』なんて柄じゃないから、何かぞわぞわしますね」

うすら寒そうにぼやいた彼女は祖母と伯母の方を向き、しゅたっと片手を挙げた。

「そういう訳で、祖母さん。伯母さん。我々、今日を限りにこの家を出るから」
「へ?」
「え?」
「勿論だけど、お母さんも瑤太も一緒。もう二度と戻らないし、連絡も受け付けないから。つまり完全に縁切りだから、生活費は2人で何とかしてね。あ。式神達も引き上げるから、これからの家事とかも全部自分達でやって。もし次に会うとしても、せいぜい葬式だよ」
「ちょっとあんた、何言って、」
「もう決めた」

彼女は涼しい顔で告げた。