突然だが、今私の隣に、推しがいる。
何を言っているんだと思うだろう?
……私もそう思う(微笑)。
遡ること十分前、我々三年C組は席替えをした。

五月一日爽やかな朝、薫風吹き渡る今日この頃、私の隣の席に推しがやってきました。

ーーーーーーー
ーーーーー
ーーー

朝、学校に行くと席替えの表が張り出されていた。

(自分の席は……っと、窓側の一番後ろ‼)

運がいい。
この席は一、二年の時によくなったが、遊んでいたり、宿題をしていたりしても先生に全くバレなかったのだ。
そんな席になれたのはちょっと、いやかなり嬉しい。
だから油断していた。
隣の席を確認していなかったことに、彼が来た時に気づいたのだ。
そう。

「あ、隣、七々瀬さんなんだ、よろしく。」

私の推しだ。

ーーーーーーー
ーーーーー
ーーー

三神優都。
謹厳実直、眉目秀麗、品行方正、外見&内面イケメン男子の三種の神器が揃った神。
そう、神。
三種の神器、略して三神。
名前だけで天下取ってる、強すぎワロタ。
君には分かるかい?
神が隣に存在する尊さが。
光が当たっとるわけでもねぇのにペカー光っとるねんで⁉
後光が差しとんのやって‼
作者(水雫月)が好きな某漫画よりも美しく輝いて……は、ない。
うん。
みすたー春園サイコー。
いや、それは置いといて、マジで神降臨しとんやって‼
神様三度見したわ‼
某人が『白って二百色あんねんで。』言ったときより驚いたわ‼
これから一ヶ月これで生活しろっちゅーんか⁉
殺す気なんか‼

「ぁえ、よ、よろしく……?」
「なんで疑問形なのw」
「あ、や、ちょっとびっくりして……」
「なにそれ笑。じゃあ改めて、約二ヶ月よろしくね。」
「う、うん。」

てぇてぇ‼
てぇてぇの権化じゃありませんの⁉
マジ美しすぎますわ‼
マジ尊すぎますわ‼
ここの窓際の席、優秀ですわね⁉
あ~~~も~~~推しが真横にいる生活なんて耐えられない~~~‼
たすけて~、○○えも~ん‼
いや、待てよ?
推しが常に隣にいるということは、つまり……どういうことだ?
……わからん‼
わからん過ぎて頭がこんがらがらがってきた‼
ん?こんがらがらがる?
こんがらがらがらがらがらがら……………
もうほんとに無理ぃ~‼
どうしよどうしよどうしよう~‼
いつも全通して最初の頃は熱狂しながら騒いでいたけど、最近では専ら後方彼氏面してるようなガチのドルオタ、しかも末端も末端のエビフライのしっぽ、とんかつの端、出涸らした茶のような存在のクズが、玲央たそ(Liraのメンバー)のポジ奪って良いんですか~⁉
ダメですよねぇ~⁉
もうどうしよ……同担に消される……

「おーい、七々瀬ー、ちゃんと聞いてるかー?」
「……聞いてるますと思うます。」
「聞いてないな、ちゃんと聞けよー。」
「ふぁい。」

先生がホームルームで何かを話している間、話なんかそっちのけで推しについて考えていたようだ……
気をつけねば……このクラスにも敵(ちょい過激めな同担)は、いる。
むしろ、ほとんどの女子は同士であり、敵である(つまりファン)といっても過言ではない。
唯一違うのが桐生悠(きりゅうひさ)という友人なのだが……

「詩都、アンタまた推しのこと考えてたでしょ。」
「う、うるさい!悠だってそうでしょ!推し兼彼氏のこと考えてたんでしょ‼」
「いいえ〜?ちゃんとセンセの話聞いてましたぁ~、はいざんね~ん。」
「はぁ⁉」

そう、桐生悠の彼氏は、悠の推しなのである。
その名を、早蕨さわらび聖ひじりという。
彼は、私の推しである優都様と玲央たそと一緒に、アイドルグループ『Lira』として活動している、ふんわり系おっとりお坊ちゃんだ。
悠とは幼馴染で、よくいじめられていた聖君を悠が助けたことで仲良くなったらしい。
それから同じ中学校で過ごし、高校に進学する時に聖君の方から告白して付き合うようになったらしい。
……らしい、というか、二人の大恋愛を目の前で拒否権なく見せられてたから、二人のことは一番よく知ってるんですけどね!
非リアへの当てつけとかありえんわ~。
ホントにないわ~、ありえんわ~。

「つか、話聞いてないんだったらさ、今度のスポーツ大会の話も聞いてないんでしょ?」
「は?スポーツ大会?そんなんあるの?」
「ほんとに聞いてないのね……。いい?再来週に校内スポーツ大会があるの。その時に、男子はサッカー、女子はバレーボールをやるの。」

呆れたように溜め息をつきながら、再来週にあるというスポーツ大会について教えてくれる悠、ガチ姐さんだわ~!
ほんと、頼れる姐さん半端ない。
彼氏ともラブラブで可愛いし、あの人の前だったら年相応に可愛くなるから、とっても可愛い(?)

「……って、聞いてんの?」
「すいません、聞いておりませんでした。大変申し訳ないのですがもう一度お聞かせ願えますでしょうか。」
「はぁ、だからぁ~、スポーツ大会でやりたい種目を決めて、先生に報告しなきゃいけないの。なんかやりたいのある?」
「ん~、特にはないかな~。」
「分かった。」

(ま、どっちにしろできないし……ね。)

少し早くなった鼓動を隠すように、柔らかな笑みを浮かべてさらりと逃げる。
学校ではできるだけ自然体で、楽しく過ごしたいから。

一息ついてふと隣を見ると、神々しいオーラをまとった御仁が微笑ましそうに、その整ったお顔でこちらを見ていた。
大事なことだから、もう一度言う。
ほ!ほ!え!ま!し!そ!う!に!こちらを見ていた。
やめてください‼
そんな一回の笑顔につき、諭吉が何人も飛んでいくような美しいご尊顔をこちらに向けないでください‼
並の凡人は死んでしまいますよ‼
それ、有料の顔ですからね‼
………もしかして、もしかしてだけど……料金を欲していらっしゃる?
……いや、可能性はあるな、何しろ凡人には理解が及ばないほど崇高な御方だからな。
……よし!
RPGゲームの最初の村で出会う村人S……いや、主人公が歩いた道から数本裏に入った路地の路傍の石のような存在だが、勇気を出して言わせていただこう……!

「……あの、すいません……今手持ちがなくてですね……料金を支払うことができないのですが……。」
「……君は俺を何だと思ってるの?ていうか、俺の顔なんかに金払わなくていいよ。」
「⁉何をおっしゃいますか‼無料コンテンツだなんて、それこそ頭おかしいですよ‼」
「……そうかな?」

今回ばかりはクラスの女子全員が心を一つにして、赤べこのように頷いていた。
そりゃそうだよね、日本の至宝ともいえるご尊顔に、一銭も払わなくていいなんておかしいと思うもん。

「……とりあえず、先生授業始めていいか?さっきから無視されてるんだけど。」

ガタガタガタッ

次の瞬間、一斉に椅子を蹴る音がした。

「きりーつ、れーい、お願いしまぁ~す。」
「「「お願いしまぁ~す。」」」
「はーい、じゃあ教科書開いてー……」

白々しいほどに間延びした号令に、先生は苦笑しながら授業を始めた。
穏やかに風がそよぐ春とは裏腹に、波乱に満ちた生活が始まるようだ。
とりあえず神様、約二ヶ月、同じ学び舎で推しと机を並べるという、素晴らしい計らいをしてくださってありがとうございます。

ーーーーーーー
ーーーーー
ーーー

時は昼休み、場所は教室

「詩都、アンタ大丈夫?すごい体調悪そうだけど。」
「ダ……ダイジョウブ……ダヨ……」

推しの尊さに心の中で絶叫しながら半日を過ごした私の心は、もうボロボロだ。
お昼ご飯を食べるために隣のクラスからやってきた璃愛も心配そうに見ている。
それもこれもあの子が尊すぎるのがいけないんだよ‼

「詩都ちゃん、今思ってることを素直に口に出してごらん。」
「推しが供給過多過ぎて死にそうあと推しの良さを全世界に広めたいホントに可愛すぎて無理心臓が持たないあ今推定13.7メートル先に推しが……手を振った!?私に向けてるやん無理もう死ぬあごめんなさい尊すぎて心肺停止中ガチで仰げば尊死さよなら語彙力国宝級あこれ辞世の句ね。」
「ゴリゴリの字余りで草。」
「わろしだねぇ〜。」

一息に、常に推しに対して感じている尊さ、一挙一動一投足の美しさと雅さを伝えようとして、容赦のないツッコミを受ける。
私達の会話はいつもこんな感じだ。

「ホントにあの子は何なの?私を殺そうとする組織のメンバー?でもたとえ殺せたとしても死因:尊死、だから絶対かっこよくないと思う。ただ、優都様がかっこよくないのは許せないから、ちょっくら物理的に殺されに行ってきますわ。あ、遺産は全て優都様への貢物にかえといて。」
「大丈夫だ、安心しろ。お前なんかを狙うようなバカな組織はないよ。」
「ホントに詩都ちゃんは推しのことになると見境なくなるねぇ〜」

そんなバカみたいな会話を繰り広げていると、隣でガタッという音がした。
おそるおそる隣りを窺うと、大変お美しい顔面が微笑みを浮かべていらっしゃった。
大変お美しいのだが、だが……っ‼

「……も、もしかして……聞いてらっしゃいました……?」
「うん、バッチリ。おもしろいね、君。」
「ギャァァァアアア‼」
「あははははは!」

拝啓、特に天国にいるわけでもなく、学校に行っている弟よ、お姉ちゃんは死にます。
死因:尊死
今日も世界は平和です。

ーーーーーーー
ーーーーー
ーーー

「はぁ……はぁ……はぁ……」

息が苦しい、心臓の音がとてもうるさく感じる。
でも、学校に行かなければならない。
なぜなら……

「スポーツ大会だお☆‼っげほごほ」
「姉貴、何やってんの?心臓病で叫ぶ奴、いる?」
「こ、ここに……」
「……とりあえずさっさと行きなよ。」
「うん。」

日差しが眩しい。
茹だるような暑さもある。

(今年は例年より暑くなるって誰かが言ってたもんな……)

そして、今日もいつも通り学校に行って(スポーツ大会だけれども)帰ってくるはずだった。
はずだったのだ。

ドサッ

「詩都⁉しっかりして、詩都‼」
「詩都ちゃん⁉」

ーーーーーーー
ーーーーー
ーーー

「七々瀬さん、気づきましたか?」
「あ……れ、ここ……」
「学校で倒れたんですよ、覚えてますか?」
「あ……」

あぁ……あぁ‼
最近は思うように息ができなかったり、不整脈が続いていた。
なぜあそこでちゃんと休んでいなかったんだろう。
なぜ……なぜ……っ‼

「とりあえず、もう激しい運動は禁止です。」
「……はい。」

大事を取って一週間の入院を命じられて、ベッドでふて寝をしていると、ガラリとドアが開いた。
看護師さんだと思ってふて寝を決め込んでいると、こちらを心配する推しボイスが聞こえた。

「大丈夫か?」

とうとう幻聴まで聞こえるようになってしまった。

「大丈夫かって聞いてんの。起きてるだろ、詩都。」
「え?本物?」
「そうだよ、体、大丈夫なの?」
「あ……」

言うか言うまいか迷った。
こんなこと言って迷惑になったら嫌だし、怖い。
でも、優都の不器用な促しに勇気をもらった。

「変なこと考えなくていいんだよ、思ってること全部吐き出してみたら?」
「っわ、私……実は、心臓病なの……余命宣告もされてて……っ!」
「は?おま、そんなんでバレーやったの⁉」
「えへへっ……だって、信じたくない……っもん‼」
「……っ!」

俺は目を瞠った。
彼女が泣きながら笑っていたから。
その美しさに、魅せられたから。

ーーーーーーー
ーーーーー
ーーー

体育祭当日、私はグラウンドのトラックの上にいた。
なんとか頼み込んで、高校最後の体育祭に出させてもらったのだ。
種目は借り物競走。
みんなに内緒で出たから、テントにいる悠と璃愛、優都があんぐりと口を開けている。
してやったり。

―――それでは、学年対抗借り物競争を始めます!
   位置について……よーい、ドン‼

(よし、お題は……っと……ん?)

「好きな人ぉ⁉」

―――おおっと、ここで赤組の七々瀬選手〜『お題:好きな人』を引いてしまうぅ〜。果たしてどうなってしまうのかぁ〜⁉

(お題、好き⁉好きな人いない……好きな人、好き…………あ)

「すいません、推しでも許されますか?」
「好きな人であれば問題ありません。」
「ありがとうございます。」

パニックになった詩都は誰にも止められない。
想像の斜め上を行く、それが詩都クオリティ。
詩都はお題の人を連れてくるために、息を大きく吸って……

―――……推し?七々瀬選手、推しとは一体どういう

「神様っ!!かみさっ、神様!!違う、優都様!!推させていただいてもよろしいでしょうか!?」

叫んだ。
大事なことだからもう一度言うが、叫んだのだ。
心臓に爆弾を抱えた少女が、ドクターストップがかかっている少女が、叫んでしまった。
結果、慌てて飛び出してきた優都に横抱きにされてゴール。
前代未聞の、借り物側が選手を抱えて走るという終わり方。
しかも一位。
実況も呆れて物が言えない。

―――あー……えー、はい。赤組の七々瀬さん……三神君?のゴールです?

「「「……うわあぁぁぁ勝ったあああ‼‼‼」」
「やらかしたね、詩都。」
「詩都ちゃん……ご愁傷さま。」

そのまま詩都は保健室に運ばれていった。
……推しに横抱きで。

「バカ……っ‼心臓病で叫ぶ奴があるか‼」
「あはははは……」

推しに認知されて、言葉を交わすことが出来るという、神様から送られた最初で最後のプレゼント。
とりあえず、今、私は幸せだ。

ーーーーーーー
ーーーーー
ーーー

しかしそんな幸せな日々は長くは続かなかった。

「……今日もいねぇじゃん」
「三神、何か言った?」
「……いや」

隣の席の七々瀬が来なくなって一ヶ月。
流石におかしいと感じ始めていた。
不登校になってる風でもないし、たまにオンラインで授業を受けているらしい。
でも、俺はある生徒に屋上に来るよう、メッセージを送った。

「なあ、桐生」
「うわビックリした。いきなり呼び出さないでよ。で、何の用ですかね、大人気アイドル君?」
「アンタの彼氏と同じ立場だよ、腹黒野郎のカ・ノ・ジョ・さ・ん。」

メンバーの一人である腹黒野郎(※聖です)の彼女である、桐生に話を聞いてみることにした。
詩都と仲が良くて、いつも一緒にいるからだ。

「それで?何の用もなく呼んだわけじゃないんでしょ?」
「あぁ、詩都は?最近見かけないっていうか、来ないじゃん。何かあったの?」
「あぁ……詩都、ね……」

いつも相手の目を見てハキハキと鋭く話す桐生が、珍しく歯切れが悪そうに目を逸らした。
普段とは違う桐生の様子に、悪い予感がした。

「何だよ、桐生が知ってんなら俺だって知ってていいじゃん。まぁいいや、家に行くから。」
「……いないよ。」
「は?」

いない?
家にいないなら、どこにいるんだ?
まさか、まさかまさかまさか!

「……言うなって言われたんだけど、あの子、今入院してて……って、ちょっ!!」

俺は聞き終わらない内に外に走り出した。

ーーーーーーー
ーーーーー
ーーー

今にも雨が降り出しそうな曇天。
私の心も暗く沈んでいる。
検査の結果、入院が必要だと判断されて一ヶ月。
弟と祖父母が何度か見舞いに来てくれただけで、あとは誰とも会っていない。
両親は私が病気になったときから、怪しい宗教にのめりこんだり、壺を買ったりして、どんどんおかしくなっていったから、祖父母に面会を禁止されている。
雨が降り始めた。

(もう、いいかな……)

ーーーーーーー
ーーーーー
ーーー

今にも雨が降りそうな空模様の中、俺は自転車を走らせた。
近辺で一番大きい総合病院へ向かって。
もっと話したい。
もっと構いたい。
もっと一緒にいたい。
もっと、もっと、もっと……!
雨が降り始めた。
なぜか、病気のことを話してくれた時の彼女の泣き笑いの顔を思い出した。
ああそうか、俺は恋をしていたんだ。
しとどに濡れた前髪から雫が落ちた時、すとんと腑に落ちた。

(失いたくない。)

ーーーーーーーーーー

誰にも必要とされてない人生なら

ーーーーーーーーーー

人生で初めて失いたくないと感じた

ーーーーーーーーーー

限界が見えている命なら

ーーーーーーーーーー

限界が見えている命だからこそ

ーーーーーーーーーー

消えてしまいたい

消えさせなんかしない

ーーーーーーーーーー

窓に打ち付ける雨の音でぼんやりとしていた思考の海から我に返る。
四人部屋を一人で使っているので、とても静かで変なことばかり考えてしまう。
ネガティブな考えに自己嫌悪しながらぼーっとしていると、廊下を走る大きな音が聞こえてきた。

(病院内は走っちゃダメでしょう……が……)

ガラリと大きく開けられたドアの向こうに立っているのは、一番ありえない人。
一番会いたくて、一番知られたくなかった人。

「優都……くん?」
「はぁ……はぁ……はぁ、っ詩都‼」
「なん……で、ここに……?だって、言ってない……のに。」
「教えてもらったんだよ、桐生に……っはぁ、はぁ……アイツを責めんなよ。」
「いや……えっと……とりあえず、お茶飲む?」

(何でこうなってるんだろう……)

さっきの話的に悠が教えたっぽいけど、何でここにいるんだろう……今日は学校があるし、しかも今授業中だよね……
お茶を飲んで息が落ち着いたのを見て、私は話しかけた。

「えっと……何でここに?」
「わかんない。」
「……はい?」

こやつ……自分で来たのに、わからんと宣うたぞ……

「何で来たのかわかんない。気づいたら勝手に体が動いてた。」
「……病気ですか?」
「知らん……会わなきゃと思って、いつの間にか自転車飛ばしてた。」
「は、はぁ……いや、何で?」

仕事とか、身内の危機とかなら分かるけど、ただの隣の席のJKが休んだだけだぞ?
一ヶ月休んだけど。

「わかんないけど、来てる内に一つ気づいたことがあって。」
「はい。」


「詩都のことが好き。」


「……は。」
「聖と玲央が言ってた、『理屈じゃなくて、いつの間にか好きになってた』っていうのが初めて理解できた。」
「な……え?」
「ねぇ詩都。絶対に幸せにする、俺の人生もあげるから。だから、詩都の残りの人生全部、俺にちょうだい?」

時が止まった。
断らなければと思うのに、口が勝手に了承しようとしている。
私じゃダメなのに、枷になってしまうのに。

「わ、私……は、心臓に病気があるし、優都くんなんかには釣り合わないし―――」
「そんなの関係ない。俺が隣にいてほしいから、詩都を幸せにしたいから、喜びも悲しみも共有して生きていきたいから、だから、俺の彼女になってください。」

真剣な目でこちらを見ている優都に、心が揺らぐ。
……少しくらい幸せになっても、バチは当たらないかな?
少しだけ、いい夢を見させてください、神様。

「私でよかったら……」
「いいの?自分で言っときながらだけど、俺、面倒くさいよ?」
「……うん、面倒くさくいて。そしたら、私だけを見てくれるでしょ?」
「そうだね、詩都だけを見れる。」

それから優都は毎日お見舞いに来てくれた。
そして、お見舞いの時は必ずと言っていいほど花を持ってきてくれた。
テッセンやスグリ、ホトギトス、ニゲラにタツナミソウ、他にもたくさん。
おかげで少し花に詳しくなった気がする。
いつの間にか私も気まずさがなくなって、優都と、呼び捨てできるようになった。
学校には行けたり行けなかったりだが、勉強は優都に教えてもらいながら頑張った。
大学をどうしようかと迷っていると、せっかくなら行けばいいと弟が言ってくれたので、優都と同じ大学を受験するつもりだ。
優都は優しいから、いつも甘えてしまう。
でも、それでいいと思えるようになった。

ーーーーーーー
ーーーーー
ーーー

「詩都、体調大丈夫?」
「うん、まだいける。」
「無理になったら言って。」
「うん。」

今日は大学の合格発表の日。
優都と一緒に張り出された紙を見に行っている。
最近では体調がいい日のほうが珍しいのだが、今日はいつになく体調がいい。
心配する祖父母と優都の気遣いで、丸くなるほど着込んだので寒さはない。
二人分の白い息が吐き出されてはゆっくりと掻き消えていく。

「あ……」
「雪、とうとう降ってきたな。」

家を出る時に不穏な気配を出していた曇天が、銀華を深々と降らせている。
まるで私の未来を示しているかのようだ。

「そんなことないと思うけど。」
「……声に出てた?」
「うん。でも本当に頑張ってたと思うよ。他の人達より何倍も努力してたの、俺は知ってるから。だから、もっと自信持ってみたら?」
「そう、だね。優都に教えてもらってたからね。自信、持ってみる。」

弱気に折れかけていた心をぐっと起こして張り紙の元へ向かう。
その時、一陣の風が吹いた。
分厚い灰色が流れ、雲間から光が差す。
私たちと張り紙を照らし出す。
温かな光につられるように顔を上げた先には、3150と8739の番号が。

「「あった!!えーと、俺/私の番号は……」」

と、同時に言ってぽかんと顔を見合わせた。
そして、どちらからともなく小さく吹き出し笑いだした。

「優都、何で先に私の番号見つけたの!?」
「詩都だって俺の番号先に見つけたじゃん!」
「だって先に目に入ったんだもん!」
「俺だって、なんか先に目に入ったから!」

また吹き出す。
いつもの日常がこんな風に過ぎていくのなら、こんな人生で良かったと思える日が来るかもしれない。

ひとしきり笑ったあと、いきなり優都が真剣な顔で話しかけてきた。

「詩都、俺さ、合格してたら言おうと思ってたことがあるんだけど。」
「うん?」
「一生大切にするから、ずっと隣にいてほしい。俺と結婚してください。」
「……へ?」

突然のプロポーズに思考が停止する。
けっ……こん?
誰と誰が?
……嘘、まさか。

「私……と?」
「俺には詩都しかいない。」
「っで、でも‼私……ほぼ入院生活になるし、大学もリモートで参加することになるし、私なんかじゃ……」
「なんかじゃない、俺は詩都がいい。詩都じゃなきゃダメなんだ。だから……受け入れてくれる?」
「……っそんなの、断れないよ……っ!不束者ですがよろしくお願いします……!」
「っありがとう‼」

優都が私を抱きしめた時、 私たちを祝福するように柔らかな日差しが降り注いだ。
春の足音が聞こえ始めた三月の終わりの日だった。

ーーーーーーー
ーーーーー
ーーー

あれから私たちは四年間、手を取り合って生活してきた。
そして無事に大学を卒業し、数ヶ月がたった花が咲き乱れる麗らかなある日。

パタパタパタ、ガラッ

「「「お姉さーん‼ご本よんでー‼」」」
「ふふっ、いいけど病院内では静かに、ね?」
「「「はーい‼」」」

私は最近、小児科に入院している子ども達に読み聞かせをしている。
きっかけは、一ヶ月程前に子ども達が第2病棟に迷い込んできたことだった。
自分達がどこにいるのかわからないまま彷徨って、ドアが開いていたから入ってみたら、私のいる病室だったらしい。
そこで仲良くなって、慌てて追いかけてきた看護師さんに預けた次の日から遊びに来るようになった。
とても可愛い子達で、いつも何かお土産を持ってくるのだ。

「はい!お姉さん‼」
「ありがとう、今日のはなぁに?」
「あけてみて‼」

いつもなら中身を言って満足そうに待機している子ども達が、秘密にしてニコニコしているのを不思議に思いながら、もらった箱を開けてみる。
するとそこには……

「……っ‼これ……っいいの?」
「うん!あげる‼」
「ぼくたちが行ってかってきたんだよ‼」

そこには、愛する夫で推しの、優都のツアーグッズがあった。
心臓に負担をかけすぎるとダメだと担当医に言われてから、激しい運動と興奮することを控えるようにしていた。
だから、Liraのツアーにもライブにも行けなかったし、テレビでも見れなかった。
グッズも、Liraは世界的アイドルなので、悠も璃愛も自分の夫のグッズを買うので精一杯、マネージャーさんも中々取り置きができなかったため、優都のグッズは数えるほどしかない。
今回のライブもグッズは望めないだろうと、そう……思っていたのに……

「あ……っあ、りがとう……っ!」
「ううん、おれいはお兄ちゃん言ったほうがいいよ!」
「お兄ちゃん?」

この子達が『お兄ちゃん』と呼ぶ人物に心当たりがなくて首を傾げた時、不意に扉の方から声がした。
何度も聞いて聞き間違えることのない愛しい人の声。

「詩都。」
「優都!」
「「「お兄ちゃん‼」」」
「うん、お兄ちゃんだよ〜。」
「え⁉」

突然のカミングアウトに驚いて優都を見ると、彼は茶目っ気たっぷりに片目を瞑ってみせ、子ども達も優都の真似をして、きゅっと両目を瞑った。
可愛い。
どうやら片目だけ瞑ろうとして失敗したようだ。
どうしよう、うちの旦那と可愛子ちゃんたちがとてつもなく可愛い。
ねぇ、可愛いの暴力でうっかりぽくっと逝っちゃうよ?

「っも〜〜〜可愛い‼優都もみんなもありがとうね、私のためにグッズを買ってきてくれて。」
「「「どういたしまして〜!」」」
「い〜え、こちらこそ。」

聞けば、ライブに来ていた三人をステージから見つけ、終わった直後に変装して売り場に飛び込み、子ども達を呼んで買わせたらしい。
お兄さんのおかげ、の真相が優都とはそういうことかと頷いて、子ども達を褒めるために手を伸ばして頭を撫でていると、小さな3つの頭の横に大きな子供の頭が並んだ。
その様子からうっすらとヤキモチの色が見えて、笑いながら癖のある黒髪を撫でてあげた。
顔を上げた優都はほんのりと耳の先を赤くして目を逸らした。

「妬いた?」
「少しだけね。」
「しょうがないねぇ、じゃあおチビちゃん達、そろそろお部屋にお帰り。」

苦笑しながら子ども達を病室に帰るように促すと、揃って不満そうな声を上げた。

「えー⁉もう⁉」
「ご本よんでもらってなーいー‼」
「やだー‼」
「明日読んであげるからね、今日はお帰り。」

頑張って宥めすかして帰らせると、優都と二人きりになった。
子ども達の姿が見えなくなった頃から、優都は私に抱きついて肩口に顔を埋めている。
拗ねたような気配がしたので、髪を優しく梳いてやる。

「……最近どう?」
「ぼちぼちね、自分じゃどう悪くなってるかわからないから。」
「そっか……グッズ、嬉しい?」
「嬉しいよ。ありがとう、私のために買ってくれて。」
「ううん、当たり前だから。」

多少機嫌を直してくれたようで、首に頬を擦り寄せてくる。
甘えん坊さんは困りますねぇ。

「何かあった?」
「ん……詩都が不便を感じてないかなって。」
「あるとすれば、こんなに愛してくれている旦那さんに何一つ返せないことかな。」
「そんなことない‼」


ガバッと起き上がって訴えてくる姿が愛おしい。


今にも消えそうな姿を繋ぎ止められないのが歯痒い。


もうすぐ消えてしまう命の灯火。


絶対に消したくないのに。


気づくと私は泣いていた。
優都も綺麗な瞳から大粒の涙を零していた。

「何で神様は詩都にこんなことするんだろうな……っ!」
「私ももっと優都と、一緒にいたかった……!」
「一人にしないでよ……詩都、愛してる。」
「わたし、も……っ、愛してる……っ‼」

お互いの存在を確かめるように抱きしめあったあの日、私は残り数日の命だと宣告されていた。

ーーーーーーー
ーーーーー
ーーー

危篤の知らせを受けた時、詩都には酸素マスクがついていた。
終焉の灯火が小さく揺れる。

「詩都‼待って、俺を置いて逝かないで‼詩都がいないと、俺はもうダメなんだ‼だから、だから、帰ってきてよ‼」
「……ゅ、と……」
「詩都‼」
「優都、と過ごした日々は……とっても楽しかった。私の、人生の中で……一番輝いてた……優都との人生は最高の宝物だよ……」
「うん……うん……っ‼」
「優都の、優しさに触れて……私は生きる希望を、持てたの。優都の、おかげで……この世界が……鮮やかに、見えたんだ。本当にありがとう……っ‼」
「……っおれ、俺もっ‼誰も本当の俺を見つけてくれなくて絶望してる時に、詩都のおかげで普通の幸福を、誰かを頼る大切さを、一人の男としてただ一人の愛しい女性を愛することの幸せを知ることができた。俺の方こそありがとう……!」
「私の方こそ、優都に……幸せな思い出を、たくさんもらえて……嬉しかった。ありがとう、優都、愛してるよ……だから……」

私は大丈夫、もう暗闇は怖くない。
だってこの宇宙で広い世界で、君と出会えたから。
小さな小さな存在の、私を見つけてくれてありがとう。

「だからね、優都……っ泣かないで?」
「……ッ詩都‼」


―――またね、来世でもちゃんと私を見つけてね。


あの日恋に落ちたときのような、泣き笑いの顔で微笑んだ君は、言葉では言い表せない程、哀しくて綺麗だった。

ーーーーーーー
ーーーーー
ーーー

あれからしばらくの時が過ぎた。
今日は詩都の一周忌だ。
沈みきった俺の心とは反対に、空は憎らしいほど青く晴れ渡り、紫のリラが揺れている。
悠と聖、璃愛と玲央も参列している。
左手にはそれぞれお揃いの指輪。

「よお。」
「ああ。」

玲央がこちらに気づき、声をかけてくる。
いつもの玲央からは考えられないような真顔で俺を見ている。

「……なんて顔してんだよ、お前は。」
「いや、お前の方こそ……なんでもない。璃愛の消沈っぷりがヤバかったからな。」
「……そうか、詩都と仲良かったもんな。」
「……ああ。」

本当に、お前はなんて顔してるんだ。
ガラでもねぇ辛気臭い顔しやがって。
そう言いたいのに、うまく口が動かない。

(俺もコイツの辛気臭さにあてられたかな。)

無意識のうちに左手の薬指に嵌った指輪を触ってしまう。
詩都が死んでからよくするようになった癖だ。
こうすると、詩都が笑っている気がして。

読経が終わって、献花のために残った人が次々と真っ白な菊を供えていく、不自然に献花台の中心を空けて。
皆が両端から順に純白を連ねていく。
そして最後、悠が白菊を置いたあと、俺は献花台の前に立った。
右手にはビニール袋から取り出した色のある花束。
黄、紫、白……、奇しくも仏花で良いとされる色合いになってしまったが、等身大の想いを詰め込んだ花束。
俺が花束をそっと置いたとき、控えていた僧侶がピクリと眉を動かした。

(ハッ、意味わかんね。花言葉に精通した坊さんって、なんだよ。)

献花台に目を戻し、花束をもう一度目に焼き付けると、彼女の眩しい笑顔が脳裏に蘇る。
ぽろ、と一粒の雫が頬を伝った。

(あれ……何で)

もう泣かないと思っていた。
もう枯れたと思っていた。
もう、もう……
先に献花していた参列者たちが立ち去る中で、俺は一人その場で慟哭していた。
リラの花が散るまで、ずっと。

俺が置いた花束の花は、黄薔薇、スターチス、アンモビウム、黄水仙、ヘムロック。
花言葉は、ーーー◼ーーーーーーーーー、ーーーーーーー◼ー、ーーーー◼ー、ーーーーーー◼ーー、ーーーーーーーーー◼。