悪役令嬢の番犬~かつて悪役令嬢の取り巻きだった私は敵になってでも彼女を救ってみせる~


 どうも、ごきげんよう。状況把握能力ゼロ令嬢マルグリットです。

 フィルミーヌ様の夢を見て起きたと思ったら何故か自分の部屋にいるわたしにビビってます。

 わからない…… 一旦落ち着け、私!
 
 と、とりあえず水を飲もう。喉が渇いた……。
 
 とりあえずベッドから起き上がらないと……、なんか体重くてうまく起き上がれない……。
 
 ベッドから降りようとした私はバランスを崩してベッドから落ちてしまった。
 
「いったあああああああああああああああ」

 私の叫びが聞こえたのか、部屋の外からすごい勢いでこちらに向かってくる足音が聞こえる。
 
 勢いよくドアが開かれる。もう少し丁寧に空けてほしいんだけど、ドア壊れちゃうから。
 
「お嬢さまああああああああああああああああああああああああああ、目が覚められたのですねぇ、よかったああああああ」
 
 うるさっ! 声でかっ! 聞き覚えのあるバカ声の主、私が学園に入る前の私の専属メイドである『ナナ』の声
 
「高熱を出されて丸二日間ずっと寝込まれてたので心配だったのですよぉ。目が覚められてよかったですぅ」

 ナナは半泣き状態で私に飛びついてきた。おい、瀕死の人間に向かってダイブはやめたまえ!
 
 ナナによるダイブによってベッドに押し倒される形になってしまった。
 
 まあ、いいか。身体重いし、しばらくベッドで安静していよう。
 
 それにしても二日? そんなに寝てたんだ? 私…… ん? 違う違う。
 
 それどころじゃない。私は一旦死んだはずなんだ。高熱どころか生きてるのが不思議なくらいの重症だったはず。
 
「ねえ、ナナ。私の事、よく見つけられたわね。どうやってここまで運んできたの?」

 私は率直に疑問をナナに聞いてみる。
 
「どうやって? あの…… お嬢様が倒れられていたのを見つけたので運んできたのですけど……」
 
 え? 何であんな場所で発見できたんだろう…… 人が普段通らないような場所だよ? それに『赤狼の牙』がいたはず。ナナが見つけたときは既に立ち去った後ってこと?
 
「そもそも何であんな場所にいたの?」

 ナナは不思議そうな顔をしてこちらの顔を眺めている。不思議に思ってるのは私だっての!
 
「お嬢様のお姿が見えなかったのでたくさん探しちゃいましたよぉ」

 殿下の言う事が正しいと仮定するのであれば私の追放に関してはとっくにグラヴェロット家に伝わってたはず……。 でもそれを察知したナナが私を探しに来たってこと? 王都から隣国までの道のりを?
 
「そうなのね。助けてくれてありがとう」

「いえいえ、それが私のお仕事ですからぁ」

 ナナは照れつつも嬉しそうにガッツポーズしている。チワワ的可愛さを感じてしまう。
 
「それにしてもぉ、あの…… お嬢…… 様……? 」

 ナナが何か私の方を見て首をかしげている。どうも私に何か疑問を抱いているみたいだ。
 
「どうしたの? ナナ」

「……いえ、やっぱりなんでもありません」

 言い淀むなんてナナらしくないけど、言いたくないなら無理に聞き出そうとは思わないから一旦置いとくとしよう。
 
 それよりナナに確認したいことがあるんだ。
 
「でも勝手に連れて帰ってきてよかったの?あなた、お父様に怒られない?」

「えええええ? 逆ですよぉ、倒れているお嬢様をほったらかしにしようものなら私はクビになっちゃいますよぉ」

 ん? 追放に賛同しておいて? むしろほったらかしにするべきなんじゃないの? それとも表向きは従ってるフリをして実は私を助けてくれた? ということはイザベラとフィルミーヌ様も?

 フィルミーヌ様のあの時の声とイザベラの切り飛ばされた首を思い出して私はベッドの上で吐いてしまった。
 
「お、お嬢様!? すぐに桶と拭くものを持ってきますぅ!」

 私の突然のやらかしに驚いたナナは大きな足音を立てながら部屋から走って出て行った。
 
「情けない……。 守れなかった……。 私だけ……。 生き残ってしまうなんて……。……っ……!」

 私は我慢できずに泣いた。二人が死んでしまったこと、守れなかったこと、自分だけ生き残ってしまった情けなさに、悲しさに、悔しさに、惨めさに、あの時の様々な感情が全て纏めて襲い掛かってくるも、ぶつける先がなかった私はただただ泣くことしかできなかった。
 
「お嬢様……」

 桶と拭くものを持ってきたナナは何も聞かずに掃除をしてくれた。吐瀉物の片付けとシーツを取り替えてくれたナナは神妙な面持ちで私の目を見ながら両手を握り話しかけてくる。
 
「お嬢様が何に悲しんで苦しんでいるのか私にはわかってあげることはできません。世界広しと言えども、ただ一人お嬢様にしか理解できない感情だと思うんです。きっと私が無理に聞いて、話の内容が理解できたとしても当事者ではない私はその感情をわかってあげられないから…… だから私からは話は聞きません。その代わりにハイッ!」

 ナナはそう言うと慈愛の表情で両腕を広げている。

「ナナ?」
 
「そのやり場のない感情を私が受け止めることなら出来ますから! いつでも飛び込んできてください! どうぞ、お嬢様!」

「……っ……ナナァ!」

 その言葉を聞いて私はナナの胸元に飛び込んだ。
 
 私は世界で独りぼっちだと思っていた。追放され、実家に戻ることも許されず、フィルミーヌ様もイザベラも殺されてしまった私にはもう何もないと思っていた。けど、昔と変わらずナナがいてくれた。安心して泣いて、泣いて、散々泣いた後に眠ってしまった。
 
「おやすみなさい、お嬢様」
 あれ、また寝ちゃったんだ。
 
 寝すぎたせいか身体が余計に重く感じる。頭もうまく働かない。私は上半身を起こしてため息をつく。
 
 もう、いい加減現実に目を向けないと。
 
 私があの場所から助けられたという事は少なくとも二人の遺体も一緒に運ばれた可能性があるからナナに確認しないと。
 
 言わなきゃいけないと思いつつも躊躇してしまう。こんな情けない自分が本当に嫌になる。
 
 そうこう悩んでるうちに部屋のドアをノックする音が聞こえる。
 
「どうぞ」

「失礼しまーす。そろそろ起きられるかと思って様子を見に参りましたぁ」

 入ってきたのはナナだった。
 
「あ、ナナ。さっきはごめんね。情けないところ見せちゃって。私はあれからどれくらい寝ちゃったのかなあ?」

「何言ってるんですかぁ、昨日も言いましたけど、何時でも甘えて頂いて構いませんからねぇ。ちなみにお嬢様が寝てから丸一日経過しましたよぉ」

 え?ただでさえ二日寝込んでいたというのにさらに一日寝込んでしまうとは…… 道理で身体も頭も重いわけだ。

 私は決心してナナに確認することにした。
 
「えーっと…… ナナ、私が三日前に倒れていたと思われる場所から二人倒れていたはずなんだけど、その二人は回収してくれたの?」

 ナナはキョトンとした顔でこちらを見ている。ん? 聞き方がまずかったかしら? とはいえ『死体』という単語はあまり使いたくないし。
 
「お嬢様が倒れられていた場所にはお嬢様しかおられませんでしたよ?」

 そんな馬鹿な。ナナより先に回収されたってこと?それぞれの家が?タイミングが良すぎるでしょ?ダメだ、悩んでもわからない。もう率直に聞くしかない!
 
「ナナ、私が死にかけていたあの場所で二人の同級生の死体があったはずなんだけど、私とその二人以外誰かいなかった?」

 他で考えると私が殴り殺した山賊くらいしか思いつかないけど、奴らだけが残されていたとした場合はそれぞれの家の人間が回収しにきたに違いないと思う。
 
 ナナは眉間に皺を寄せて頭を捻っている。”このお嬢様は一体何を口走ってるんですかぁ?”とでも言いたげだ。
 
「え? そんなわけないですよぉ! お屋敷の敷地で死体だなんてあったら大問題ですよぉ! お、お嬢様? 何か変な夢でも見られたのでは?」

 ん?ナナは今何と言った?『お屋敷の敷地』?
 
 なんだろう? 昨日から思っていたが私とナナの話が嚙み合ってない気がする。一度頭から整理する必要があるな。
 
「えーっとね、ナナ。私は倒れる前に学園の卒業パーティーに参加していたの。
 その時殿下から婚約者であるメデリック公爵家のご令嬢が婚約破棄をされる流れになったのね。
 そして、そのご令嬢であるフィルミーヌ様と一緒に私とコンパネーズ伯爵家のイザベラ嬢の三人が国外追放を受けたんだけど。
 隣国である魔導王国パラスゼクルに向かう途中の森の中で山賊たちに襲われて、私は瀕死の重症(?)を負い、二人のご令嬢は…… その…… こ、殺されてしまった……」
 
 私は二人の話をする度にあの光景を思い出して泣きそうになるが、なんとか堪えてナナに一通りの話をしたところ……
 
 ナナは茫然として私の顔を見つめている。それはそうだ、こんな重い話をされて誰が喜ぶというのか。
 
「えっと、その…… よくできたお話ですね? ミステリー作家でも目指されるんですかぁ?」

 今の発言は流石にナナとは言え許せなかった。私が大切な友を二人失ったというのに創作? 言っていいことと悪いことの区別はつけるべきなのに!
 
「ナナ!言っていい事と悪いことの区別はつけなさい。私は身体をこんなズタズタに……」

 私は創作でないことを身をもって教えようとズタズタになったはずの両腕を見せるが……
 
 ズタズタどころか腕にも手にも傷一つついていなかった。おかしい、完全に拳は破壊されていたはずなのに。両腕も前に差し出して改めて確認するが両腕とも無傷だった。
 
 いや、改めて確認した腕はよく見ると随分小さい…… というか幼い?
 
「あ、あのお嬢様? お気を悪くさせてしまったら申し訳ありません。でも、なんか、その、昨日からお嬢様と私の話が嚙み合ってない気がするんですけど……」

 やっぱり……、お互いの話が嚙み合ってない事は理解した。次にお互いの認識を把握するためにナナに私の倒れる前の状況を確認する。
 
「ナナ、私がこの三日間寝込む前の状況を教えてくれない? あなたの知っている範囲でいいから」

「は、はい。お嬢様はいつも通り旦那様の書斎から本を取り出してきてお庭にある木の木陰で読書をされていたのですが、私が目を離したすきに高熱を出して倒れられてしまって、お部屋にお運びしました」

 仮にその話が正しいとするなら……、今ここにいるわたしは?

 私は自分の腕を見てナナの顔を見つめる。
 
 あれ……? ナナってたしか私の二歳年上だったはず。今二十歳のはずだけど、ナナも私に負けじと年を重ねても少女体質だが少女というより幼いがしっくりくる。
 
 自分の心臓の鼓動が高鳴っていくのを感じる。今ここにいる自分こそが夢かもしれないと自分の心と問答する。
 
 そして、決心をしてナナに告げる。
 
「ナナ、鏡を持ってきてくれる?」

「はい、すぐにお持ちしますぅ!」

 おちつけー、おちつけ! わたし! ナナが部屋を離れている間、荒ぶる自分の心臓に手を当てて息を整える。これが全てがはっきりする。

「お持ちしましたぁ!お嬢様!」

 よし、鏡を見るよ!
 
 鏡に映った私は…… あまり変わっていなかった! じゃない、幼い! 完全に幼いよ! 心臓が痛い! 心臓が痛い!
 
「ナナ! 最後にもう一つだけ教えて!」

「はい、お嬢様!どんとこいですぅ!」

 ナナは誇らしげに胸を叩くが、強くたたき過ぎたのかむせていた。何をやってるんだ、君は。
 
「今年の王国歴は?」

 私の認識が正しければ今年の王国歴は1000年のはず!

「王国歴987年ですぅ!」

 じゅ、じゅうさんねんまえ……?

「五歳やないかあああああああああああああああああい!」

「お、お嬢様!?」

 どうも、ごきげんよう。逆年齢詐称疑惑令嬢マルグリットです。
 
 いや、だってしょうがないじゃないですか! ついこの間まで十八歳だと思ってたのに今は五歳ですよ。
 
 夢ならすぐ覚めるでしょと思ってたのに夢の中で夢なんて普通見ませんよね?
 
 よって私はここが現実であると認識せざるを得ない状況になっています。
 
 でも……あの十八歳までの出来事もすべて夢だったというの? あんなハッキリとした夢がある? わからない。
 
 それと夢に出てきたフィルミーヌ様の仰っていた内容はなんだったんろう。あれもただの夢とは思えない。
 
 わたしたちの敵か…… うー、考えれば考えるほど頭がこんがらがってくる~、胃の中も空っぽになってるし頭が働かない。
 
 こういう時は!
 
「ナナ!」

「はい、お嬢様」

「お腹が空いちゃったわ、食事を用意してもらえるかしら?」

「かしこまりました。そろそろお夕飯ですので急ぐ様にお願いしていますねぇ」

「うん、お願い」

「旦那様も奥様もクリストフ様もお嬢様を心配されておりましたよぉ」

 家族三人の事を言われたときに私の心臓は一気に高鳴っていた。お父さま、お母さま、お兄さま……
 
 十八歳になった私の追放に賛同していたとはいえ、夢(疑惑)の中なんだから落ち着け、わたし!
 
「準備が出来ましたらお呼びしますねぇ」

 ナナはそう言うと足早に部屋から出て行った。私は夕飯が出来上がるまで少々今後の事について考えおこうと思い、ベッドに大の字に倒れて天井を見上げていた。
 
 あの内容が夢でなくてこれから起こる現実だとするのであれば、たしか私が八歳の時にグラヴェロット領に『赤狼の牙』が現れるはず。
 
 あの赤服が目と鼻の先いるかもしれないと考えるだけで私は自分を止める自信がない。 奴だけは私が仕留める! 絶対にだ!
 
 最短だと三年か…… あまり時間がないなぁ、夢(まだ疑ってる)の私は十五歳から訓練を初めて十八歳までの三年間でようやく一人前とされるDランク冒険者だったから今から約三年か…… 同じ時間でどれだけ効率よく訓練が出来るかがカギになるかな。
 
 訓練方法は熟知してるから十五歳で訓練始めた当初の私よりかは全然効率は出るとは思う。だけど体の作りが五歳と十五歳と比べちゃうと全然違うから同じ様に三年間訓練してもあの時の私を超えられるのか不安だなあ。
 
 はぁ~、せめて今の身体にあの時の魔力があればなぁ…… そう、あの時はこんな感じで魔力を身体全身に……
 
 ん……? うそ、魔力を感じる? 夢(じゃない説)だった時の五歳の私は身体すら鍛えてないどころか魔力操作なんてもってのほか。自分の魔力を感じることすらできなかったはず。私が魔力の感じ方、操作方法を学んだのは学園に入ってからだし、五歳の私が知っているはずがない。
 
 うん、わかる。魔力の操作が、制御ができる。身体というより魂が覚えている感じ。
 
 ドキドキしてきた。私は沸きあがる衝動を抑えられずに急いでベッドから飛び降りた。そして記憶の通りに身体全身に魔力を流す。あの時と同じように。あの時と同じ感覚で。
 
『魔力展開』

 私は身体全身に魔力を纏ったまま、体を動かしを始めた。
 
 ~五分後~
 
 つ、疲れた……。私は再度ベッドに倒れこむと今分かったことを頭の中で整理し始めた。
 
 まず身体能力は当時の五歳のままだ。本の虫で引きこもり続けたあの時と同じ。
 
 次に魔力。こっちは十八歳の時の私そのものだった。操作に関しても問題ない。魔力量もあの三年間で鍛えた分そのままという感じだ。
 
 気になるのが十八歳の感覚で魔力展開してたら五歳の私の身体能力の方が耐え切れずにひどい筋肉痛に襲われるはず…と思っていた。 なのに平気だった。
 
 でも考え方を変えればこれは大きなアドバンテージだ。身体能力を鍛えるだけで今以上に魔力を注いでも問題ないんだから…… 
 
 あの戦いで身体をズタズタにしたときと同様の魔力量に耐えることだって…… ううん、それ以上だって可能になる。
 
 でもこれでハッキリとしたことがある。
 
 あの時の十八歳の私は夢なんじゃなかったってこと。
 
 そして今の私は『十八歳の記憶を持った五歳児』ではなく『十八歳だった私が五歳児になった』という方が納得いく。
 
 とは言え、全てその言葉で片がつけられるかというとそうでもないんだよね。
 
 もし、さっきの言葉通りだったら体はズタズタになってるはずだし、身体能力が当時のままというのも引っかかる。この辺はまだ謎がありそう……。
 
 うー、わからないことは今考えてもしょうがない! まずはご飯をしっかり食べて、よく寝て、明日から身体を鍛えないと! 十三年後に備えて!
 
 十三年後…… またあの婚約破棄という名の断罪の場が引き起こされる…… か……。
 
 殿下、赤狼の牙、近衛騎士、未来のグラヴェロット子爵家、未来のコンパネーズ伯爵家、未来のメデリック公爵家。
 
 そして…… 他にもいるであろう『わたしたちの敵』か……
 
 敵は大勢、他にもどれだけの敵がいるか今はわからない。
 
 だけど、あんな未来再び起こさせてなるものか! 
 
 フィルミーヌ様もイザベラも私が絶対に救って見せる!
 
 よーし、やったるどー!
 
 私は明日以降からの目標に備えて不謹慎ながらもワクワクしていた。枕を抱えてベッドでゴロゴロしてたら、アホみたいな足音を立てて部屋に向かってくる約一名。一人しか該当しない。そして有無を言わさず開けられたドア。
 
「お嬢様! お夕飯の準備ができましたぁ」

「ナナ、せめてノックくらいしてほしいのだけど」

「あっ、失礼しましたぁ」

 そんな『はわわ、やっちゃった!』みたいな顔してもダメだよ、ナナ。でも可愛いから許しちゃう。
 
 チョロイな私。どうも、チョロ令嬢マルグリットです。
 
「お嬢様? 何をブツブツ言われてるのですか?」

「ごめんね、何でもないわ。行きましょう」

 危ない、危ない。こんな内容ナナに聞かれでもしたら、もう立ち直れない。

 それにしても家族か…… 学園に入ってから三年間会ってなかったから、どうにも久しぶり過ぎて緊張しちゃう。手紙のやり取りはしてたんだけど、実際に会うのでは全然違う。
 
「お嬢様、どうぞ」

 ナナが扉を開けてくれる。この先にいるのだ。いざ、出陣!
 扉をくぐった瞬間の出来事でした。すぐ目の前に人が迫っていたのです。速い、速すぎる!そう思ったのも束の間、とっくに抱き着かれていました。
 
「マルグリットちゃん!すっごい心配したのよ~。倒れたって聞いてから何度か様子見にお部屋に行ったんだけど、いつも寝ているときだったからタイミングが悪かったのね~」

 この声はおかあさま! ていうか、ぐっ、ぐるじい! はっ、はなれでっ!
 
 私はギブアップの意思を示す様にお母さまの腕を二回タップすることでお母さまに理解して頂き解除してもらいました。マジで首にガチ決まりしてました。危なかった。
 
「あら、ごめんなさい。マルグリットちゃんへの愛が大きすぎて、自分を制御できなかったのね~」

 窒息しかけていた私は大きく息を吸い込み、呼吸できることへの感謝、生きていることへの喜びを噛みしめているのです。
 
 さすがにこんな場所で二度目の死を迎えるわけにはいかない。
 
「お母さま、ご心配おかけしました。もう大丈夫です」

 呼吸を整えた私はお母さまに振り返り、改めてお母さまの全体像を確認する。相変わらず、この人は年を取っている感じがしない。
 
 まあ、十三年前に戻っているのだから当然なんだけど。ていうか、十八歳の私そのものなんですけど。
 
「お父さまもお兄さまにもご心配おかけして申し訳ありません。無事に体調が回復いたしました」

「うむ、体調が回復して何よりだ。こっちに来なさい、私が食べさせてあげよう」

 お父さま――サミュエル・グラヴェロット、強面、ひげ面、ガタイよし、娘ラブで元冒険者もやっていたらしい。当時の私はあまり強くなることに興味がなかったため詳しくは聞かなかったけど、今は結構興味あります。

「ちょっ、父上! なりません。それは兄たる僕の役目です」

 お兄さま――クリストフ・グラヴェロット。メガネ、真面目、妹ラブ、頭がいいが運動音痴。母親似。私が学園に入る前のお兄さまは少年体型ではなくちゃんと青年になってました。私とお母さまが特殊なのかもしれない。

 五歳の時は全く気にならなかったけど、十八歳の精神を持っている私からみたらドン引きする会話です。お父さま、お兄さま。
 
「いえ。いい加減、自分で食べられないといけませんからね。令嬢として」

 私はお父さまとお兄さまの発言を突っぱねて、夕飯を一人で食べることにしました。
 
 あー、懐かしい~、やっぱこの味いいわあ。実家の味は最高です。

「「なっ!」」

 そんなあからさまにショックを受けた表情をしないでください。さすがの私も申し訳ないと思っちゃうじゃないですか。

「あらあら、マルグリットちゃん。大人ね~。女の子の方が大人になるの早いものね。五歳にしてこの落ち着き具合はただ者ではないわ~。将来が楽しみね~」

 お母さま、申し訳ありませんが、同一人物が目の前にいるようで正直落ち着かないです!

「まってくれ、アニエス。私はそれ以上に気になっていることがあるんだ。」

「僕も気になっていることがあるんだけど。ねえ、マルグリット」

「はい、なんでしょう?」

「「何時の間にそんなハキハキ喋るようになったんだ?」」

 しまった!ハキハキ令嬢マルグリットを前面に押し出し過ぎましたか。
 
 今の私は中身が十八歳の大人の淑女なんでした。ビクビクおどおどしていたあの頃の私では断じてないのです。
 
 こんな一家団欒な光景を目の当たりするとやっぱり信じられない。
 
 
 
 
 
 
 
 ねえ、お父さま、お母さま、お兄さま、あなたたちは本当に十三年後、私の敵になるのですか?
 
 
 
 
 
 
 
 私は自分でも気づかない内に下唇を噛み、拳を思いっきり握り、掌に爪を立てていた。

「……ット?」

「……リット?」

「マルグリット?」

「ハッ!? すみません、なんでしょう? ちょっと考え事をしてまして」

「大丈夫か? なんか辛そうだったが?」

 お父さまが不安そうにこちらを見てくる。

「病み上がりですからね、でも大丈夫ですよ」

「そうか、あまり無理はするなよ」

「はい、ありがとうございます。お父さま」

 十三年後、前回と同じ状況になったとしても私は間違いなくフィルミーヌ様の側に立つでしょう。
 
 それでも、やっぱり…… 家族とは敵対したくないよ…… 三人にいったい何があったというの? 追い出したくなるほどに私を嫌いになる要因があったとしたらそれは何?
 
 わからない。けど、私は…… フィルミーヌ様も家族もどっちも諦めたくない! 絶対にフィルミーヌ様を救い出し、家族とも和解してみせる!
 
 
◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 食事を終えた私は自分の部屋のベッドに横たわっていた。
 
「うー、食べ過ぎたー。くるじぃー」

 明日からの事を考えると栄養は多い方がいいからね。どうせすぐ消化するんだし。食べ過ぎたせいか、お腹をさすっていたら心配になったのかナナが部屋までついてきてくれた。

「今までとは比べ物にならないくらい召し上がってましたねぇ。お腹の方は大丈夫ですかぁ?お茶を入れようかと思いましたが、やめておきますかぁ?」

「大丈夫だよ。お茶貰ってもいい?」

「はい、少々お待ちください。お食事中に旦那様とクリストフ様も仰ってましたけど、本当にお嬢様は変わられましたねぇ。」

「そう?」

「高熱から目覚められた時から『あれっ?』と思ってたんですよぉ。いつもであれば私にも一線引いている様に感じられていたのが、それが無くなっているように思えたのですぅ」

 うっ、たしかに昔の私は人見知りというか他人と接することに恐怖を感じていた部分があったのは否定しない。

 変わろうと思ったきっかけは、フィルミーヌ様をオーク(?)からお救いしたあの時から。
 
 人間変わろうと思うきっかけは些細なもの。でも、私にとっては大事な…… 大切なきっかけ。だから私はこの思いを大切にしたい。私の一生の宝物。
「お嬢様、朝ですよぉ~」

 普段は私よりナナの方が起床が早いので、私が寝ている最中にカーテンを開けて私を起こしにくるのが日課。
 
 なんだけども、あまりの眩しさに脳が理解しても体が拒絶反応を起こしてしまう。
 
「あっ、あと五分だけだから、カーテン閉めて! じゃないと、灰になっちゃう、灰に~、お願い~」

 私が我儘を言うと大体ナナはほっぺたをぷくーっと膨らませて小言を言ってくるのだが、その光景を見たいと思いつつもあまりの眠さに目が開けられないので脳内で補完することにしよう。
 
「もう~、人間は灰になんてなりません! この三日間寝っぱなしだったんですから、今日は早起きしてください」

 そうだ、私は今日から訓練をしなければならないんだ。しかし、訓練するのに早起きしなければならないのは理由にはならない。私の屁理屈に立ち向かるかね? ナナ君。
 
「むぅ、お嬢様はまた変なこと考えてますね? お嬢様は頭で考えてることが顔に出やすいので言われずとも察しはつきます」

 マルグリットの弱点その一。考えていることが顔に出やすい。フィルミーヌ様にもイザベラにもよく言われていた気がする。イザベラの場合は言葉ではなく表情で問いかけてくる。
 
 それにしてもやるではないか、ナナ君。流石は私の専属メイド。私は観念して起きることにしたが、やっぱり身体が拒絶してしまう。要は目がまだ開かない。
 
「ナナ、ナナ、起きるから腕引っ張って。目がまだ開かないから」

「しょうがないですねぇ、ではいきますよぉ! さん、にぃ、いち、はいっ!」

 腕を伸ばしてナナに掴んで貰ってベッドから降りる私。その勢いのまま、ナナに抱き着いて首筋があるであろう場所に顔を埋めて匂いを嗅ぐ。
 
「ひゃぅ! だっ、だめですよぉ~、嗅いじゃダメです~、お嬢様~」

「よいではないかぁ~、よいではないかぁ~」

「そんな、おじさんみたいな言い方やめてくださぁ~い」

 やっば! めちゃくちゃいい匂いするんだけど? 一生嗅いでいられます、マジで!

「さて、ナナの匂いも満喫したし、朝ご飯を食べに行きましょう」

「満喫しないでくださ~い」


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


「朝ご飯も食べたし、目も覚めたことだし、そろそろ屋敷の裏にある森にでも行こうかな」

 本当は実践感覚を取り戻したいから魔獣が生息する『アリリアス大森林』に行きたいんだけど、まずはこの身体は戦うための下地が全くなってないから、この身体を鍛えなきゃいけない。
 
 屋敷の裏にある森は魔獣が出ないながらも起伏のある坂道やちょっとした崖もあるし、体幹を鍛えるにはもってこいなんだよね。というわけでナナに見つからないうちにさっさと着替えないと。病み上がりで裏の森に行くって言ったら何をいわれるか想像がつくので……。

 私がルンルン気分で部屋で動きやすい服装に着替えている最中に、気を抜き過ぎてお目付け役が忍び寄っていることに気づいていなかったのでした。
 
「よし、着替え終わったし、頑張るぞ~」

 意気揚々と部屋を出るとちょうど”待ってました!”と言わんばかりに私のお目付け役と出くわしてしまったのです。
 
「お嬢様? そんな動きやすそうな服装でどちらに行かれるおつもりですか?」

 い、嫌な予感がする。ナナから妙な圧を感じるんだけど……
 
「い、いいお天気でしょ? 裏の森でも散策しようかなって」

 うっ! ナナが頬を膨らましている。地雷を踏んだかもしれない。
 
「三日前に倒れられたばっかりなのに、体調が良くなったとはいえ、ぶり返したらどうするんですか! お屋敷のお庭でもいいじゃないですか!」

 怒った顔もかわいいよ、ナナ! しかし、私は屈するわけにはいかない。
 
「し、森林浴がいいんだって。心身共にリフレッシュできるから病み上がりにもいいって聞いたよ!」

 ナナが疑いのジト目で私の言葉の真偽を図ろうとしている。ナナ、そんなすぐに主を疑うだなんて私は悲しいよ。
 
「わかりました……。 でも条件があります。ナナもついていきます。これは絶対条件ですぅ」

 やむをえまい。どうにかしてナナを引き離す事を考えないと。
 
「いいよ。ナナが着替えるまで待つから玄関に集合しよう」

「はいですぅ」

 私は玄関まで歩きつつ、対ナナ用の作戦を考えていた。
 
 鬼ごっこだと…… ナナの前で走らないといけないから病み上がりはダメって言われるのが目に見えてるのよね。
 
 かくれんぼなら走らなくても遊べるからナナもきっと納得してくれるはず。
 
 しかし、実態はナナが数を数えている間に魔力展開で一気にぶっちぎっちゃう計画なのよね。
 
 そして、ナナが私を探している間に訓練を行うという…… フフフ、我ながら天才だわ
 
 何かのミステリー書籍で『見た目は子供、頭脳は大人』ってフレーズがあったけどまんま私の事ね!
 
「お嬢様~、お待たせしましたぁ~」

 メイド服じゃないナナも新鮮で可愛いわ。

「じゃあ、行きましょうか。」


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


「んー、森の中は気持ちいいわね~」

「たまにはこういうのもいいですねぇ~」

 木々の匂いなんか落ち着くのよね。ついつい気持ちよくてのびしちゃう。
 
 おっと、いけない。あまりの気持ちよさに本題である『訓練するためにナナをかくれんぼで誤魔化す大作戦』を忘れるところだったわ。
 
 どのタイミングで切り出すとしようかしら。
 
 そういえば、森の真ん中には湖があったわね。休んでるフリをして、その場でさも思いついたかのように『ナナ~、今閃いちゃったんだけど~』的な感じで提案する。
 
 これだ!やっぱり頭脳が大人は一味違うわ~。
 
「ナナ、森の中央にある湖で少し休憩しましょう」
 
「いいですね~、ナナも賛成です。のんびりしましょう」

 森を散策しているときに木漏れ日の中を歩いていくって神秘的な感じがして私はとても好きなのよね~。
 
 ダメ、ダメよ。心動かされてはダメよ、マルグリット。森に入った時から戦いは既に始まっているという事ね。
 
 そうこうしている内に湖についちゃったわ。
 
 あら、結構人がいるのね。のんびりしちゃう前にナナに切り出さないと。
 
「ナナ、せっかくだから遊ばない?」
 
「何をするんですかぁ?」

 ちょっと考えたフリをしてさっきまで練っていた構想をナナにぶつける。
 
「”かくれんぼ”なんてどうかしら?」

「ムッ、お嬢様! 何か企んでませんか? ナナは急にピーンと来たんですけどぉ!」

 やばい、ナナがリスの如く頬を膨らまし始めちゃった。ナナの直感鋭すぎない?
 
「そ、そんなことないわよ。せっかくいい天気だし、この感じだと休んでいる間に寝ちゃいそうだし、勿体なくない?」

「ムー、たしかにまた寝ちゃうのはよくないですね。散々寝てましたし」

 なんか微妙にトゲがあるわね。この三日間ほとんど寝ていてナナの相手が出来なかったから拗ねてるのかしら?
 
 訓練が終わったらたくさん可愛がってあげないと。
 
「じゃあ、ナナが鬼ね。私は隠れてくるから~」

「はいですぅ~」

 よし、いくわよっ
 
『魔力展開』

 私は肉体の限界まで魔力を引き上げ身体強化して一気に木々の間を通り抜けていく。
 
 ここで大切なのはブレーキはかけない事。
 
 猛スピードで木々を避けるための瞬発力、不規則に生えている木を視認して見切る為の判断力。崖を昇り降りする全身運動。
 
 そして、目測を誤ってしまうと……
 
「ハッ、回避しきれない!」

 無理に回避をしようと身体をよじったら、ちょうどお腹に木が激突してしまった。
 
「ッ!!!」

 お、おなかっ、くっ、くるしっ。地獄の苦しみがあああ。
 
 私は昨日の食事どころか内臓が口から飛び出るんじゃないかという衝撃を受けて恐る恐る自分のお腹を確認するが、なんともなかった。魔力展開してなかったら確実に内臓破裂してるわ。
 
 そういえばかつて読んだ書籍の中に『顔はやばいよ、ボディやんな、ボディを!』というフレーズがあったのを思い出したけどボディも相当にキツイです。
 
 出来れば、顔とボディー以外でお願いします。
 
「あ、お嬢様~、ようやく見つけましたよぉ~。あれ? ドロだらけじゃないですかぁ、お嬢様~?」
 
「あ、あー! ナナが来るまで暇だったから土いじりしてたのよね」

 ボディーをやられて悶絶してましたなんて言えるわけがない。ナナはジト目で私の一挙手一投足に不自然な点がないか探りを入れている。逃げ切れるか? ナナの直感は探知魔法よりも鋭いのだ!
 
「ムッ、ムムムッ…… まあ、いいですぅ。危ない事は避けてくださいねぇ」

 ヨシッ! 勝った! ナナの尋問から逃げ切った。
 
 しばらくはこの生活が続く感じかしら。

 どうも、ごきげんよう。自称・裏の森番人令嬢マルグリットです。

 あれから三カ月ほど裏の森で訓練を重ねて、三十分は全力が出せるようになりました。魔力も増えてるし、順調だね。

 顔…… ではなく、ボディーをやられて悶絶する回数も徐々にではありますが、減ってまいりました。
 
 さて、今日は久々のマルグリット的休日。
 
 そう、身体を酷使するばかりが訓練ではありません。ちゃんと身体を休める事も必要なのです。
 
 そして今日は待ちに待ったロマンス小説の新刊が出るので本屋さんに行く予定なのです。
 
「お嬢様~、そろそろお時間ですぅ」

「今行くわ」

 今日はお父さま、お母さまとお兄さまの家族みんなで一緒に本屋にお買い物が出来るのですっごい楽しみにしてました。
 
 玄関まで行くと既にお母さまとお兄さまはまだ…… じゃなくて既にいらっしゃるじゃないのよ~
 
 『自称・家庭内ヒエラルキー最下層(自分調べ)』に位置する私が待たせる立場なんて恐れ多い。
 
「す、す、す、すみません。お待たせしました」

「あらあら、マルグリットちゃん。そんなに急がなくても大丈夫よ~」

「僕たちが早く来ただけだからね」

「馬車の準備が整いました~」

「ありがとう、ナナ」

 馬車に乗るのはあの日以来か……。
 
「あれ?そう言えばお父さまがいらっしゃらないようなのですが?」

「お父さまはお仕事があるからね、一緒には行けないんだ」

「そうなのですね。残念です」

 私のガッカリ感が伝わったのか、お父さまが途轍もない勢いで書斎から出てくるではありませんか。
 
「マルグリットオオオオオオオオオ、パッ、パパを置いていかないでくれえええええ」

 お、おとうさまも落ち着いて。大の男が大声で五歳の娘に抱き着いて泣きわめかないで頂きたいのですけど。
 
 使用人たちが顔では笑ってるけど、口元が引きつってますわよ。もう少し威厳を保ってくださーい。
 
 もしかしたら私の『自称・家庭内ヒエラルキーは最上位(自分調べ・改訂版)』かもしれない。

「お、お土産を買ってきますから、楽しみにしててくださいね。お父さま」

 私たちは泣きわめいているお父さまをその場において馬車に乗り込むことにした。
 
 いい加減、泣きわめくのをやめて書斎にお戻りください。お父さま。
 
 馬車に乗るとどうしてもあの日の事を思い出してしまう……。
 
 フィルミーヌ様、イザベラ……。
 
 いけない、いけない。ずっとこんな気持ちじゃ、救えるかもしれない命がまた救えなくなってしまう。気合を入れるのよ! マルグリット!
 
「フフッ、マルグリットは忙しいね。切なそうな顔をしたり気合入れたような顔つきになったりね。君、本当に変わったんだね。何があったのか聞いてもいいかな?」

 うう、恥ずかしい。お兄さまに見られていたことに気づいてなかった。
 
「あら、お兄さま。乙女の心にずかずか土足で踏み入ろうだなんて、紳士としあるまじき行為ですわ」

 十三年後に死んじゃうかもしれないんですっ、てへぺろ。
 
 なんて言えるわけがない。
 
「そうよ、クリストフ。あなたの好奇心旺盛な所は褒めるべきなのでしょうけど、レディに対する行為としてみれば褒められたものではないわ。あなたはもう少し女性に対する接し方も勉強しないといけないわね。……そうだわ。今度ジョニエ伯爵夫人とのお茶会があるのよ。あなたはそれについてきなさい。あとで夫人にお手紙を出しておくわ」

「なっ! お母さま、お待ちください。僕にはまだ早いと言いますか、まだ心の準備がと言いますか」

「ダメよ。今のマルグリットちゃんとのやり取りでわかりました。あなたがもっと多くのご令嬢と関わる機会を積極的に設けることにしますからね」

「そんなぁ~」

 あら、お兄さま、残念ですわね。私の心を踏み荒らそうとした罰ですわ。精々苦手なご令嬢たちと戯れてくると良いですわ~。ウシシッ。
 
「マルグリットちゃん。あなたもよ。その『ウシシッ』みたいな表情はやめなさい。顔に出過ぎです。あなたもお茶会に連れて行った方がいいのかしら」

 ひえっ。お母さまがチラリとこちらを見てくる。お兄さまを心で笑っていたら、自分が笑えない事態に。私は鍛えないといけないんです。貴族令嬢やってる場合じゃないんですよ。いえ、貴族令嬢なんですけどね。
 
「……マルグリットちゃんはまだ五歳だからもう少し大きくなってからで遅くはないでしょう。でも、どこかのタイミングで必ず連れて行きますからね」

 危ない。とりあえず危機は去った。いや、でもそのうち連れていかれるから去りきってはいないんですけどね。

 っと、そんな会話をしていたら本屋についた模様。
 
 フフフ、私は既に購入予定の本が決まっているのです。売り切れていなければいいのだけど。
 
 
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 本屋の中に入った私はとりあえず大きく息を吸い込む。この本屋独特の香り、たまらない。
 
 これ以上はいけない、本屋でバッドトリップをガンギマリさせてる場合じゃない。目当ての場所に急がないと。

「さて、ロマンス小説の新刊は…… この辺かな…… えーっと…… あ、あったあった、これこれ。『国外追放された令嬢は筋肉特盛マッスル騎士団に溺愛される。~元彼ピが今更戻って恋なんてハイパー土下座タイムを使っていたら、通りすがりの赤い仮面のおじいさんに「判断が遅い!」と平手打ちされていた件~』。あっぶな、残り一冊だったわ。間に合ってよかったわ」

 せっかく本屋に来たのだから他にも良さそうな本がないか物色することにした。本の虫たる私のジャケ買いのセンスを甘く見てはだめ。脳内にビビッと来た作品は満足のいくものばかりよ。
 
「ムムムッ、これだわ!名作の匂い! コホン、『H級冒険者の俺! 頼んでもねえのに助けたメス共(※獣人も王女もエルフも忘れんなよっ!)が片っ端から抱いてくれとせがんでくる。やれやれ、モテたくもねえのにモテちまう俺様はとんだバッドガイだぜ!』」

 う、うーん。間違いなく名作なんでしょうけどタイトルに年齢不相応の文字が……もしかして十五歳未満禁止だったりするのかしら……ゴクリンコ。 お母さまに見せたら鼻の長い赤い仮面を被って『購入は早い!』って平手打ちが飛んできそうだわ。残念だけど自分で稼げるようになってからこっそり買いに来ましょう。
 
 私はウッキウキでお兄さまとお母さまの所へ向かう途中で、普段目に止めることもないはずのコーナーがやたらと気になってふと立ち寄っていた。
 
「なんだろう、ここ。絵本コーナー? どうして私ここが気になったんだろう……」

 私は何故か無性に目を奪ってくる一冊の本を手に取っていた。
 
「これは……『いせかいのおうさまとよにんのわかもの』…… 作者の名前がないわね。なんだろう、中身を確認しようにも封がされてる。魔法印かしら。珍しいわね、普段ならお客が中身が少しわかるように印はしないものだけど」

 魔法印とは報告書や研究成果の様な特定の人間に見せるまで封印をしておくものだけど、本屋の書籍に使われるなんて珍しいわね。購入するまでは見せたくない何かがあるってことかしら。
 
 私の肉体年齢であれば絵本を購入することは不思議ではない事だし、購入してみましょう。
 
 お金を出すのは私ではないしね。ウシシッ。
 
「お母さま、お兄さま、決まりましたわ~」

「どれどれ、マルグリットが絵本だなんて珍しいね。普段なら年に似つかわしくない書籍を選んでくるのに。もう一冊は…… うん、いいや」

 お兄さまって何で恋愛もの苦手なんだろう。こんなにも心が締め付けられ、揺さぶられるというのに。勿体ないわ。やっぱりお母さまと一緒にお茶会に参加してもらって女性のなんたるかを学んでいただきましょう。
 
 そして私はお兄さまを餌にして逃げ続ける! コレだわ! かんっぺきな作戦ね!
 
「あら、マルグリットちゃんの持ってきた本も面白そうね。読み終わったらママにも読ませてね。ちなみにママが買うのはこれ!『H級冒険者の俺! 頼んでもねえのに助けたメス共(※獣人も王女もエルフも忘れんなよっ!)が片っ端から抱いてくれとせがんでくる。やれやれ、モテたくもねえのにモテちまう俺様はとんだバッドガイだぜ!』」

 あっ、それは私がさっき購入候補に入れていた本! くぅー、お母さまに先手を取られるなんて思わなかったわ。でももしかしたら交換可能かもしれないわ。
 
「お、お母さま。もし、よろしければ読み終わった本を交換いたしませんか?」

「そうしてもいいんだけど…… うーん、やっぱりマルグリットちゃんには少し早い内容かしら。大人の情事だもの。もう少し大きくなったら読んでもいいわよ。その代わりに、他のおススメの本をいくつか貸してあげるわ」

 五歳の娘に情事っていうな、せめて恋愛と言って濁せ。こうなったら、お母さまが外出したスキを狙って、読むしかないわぁ。なんて考えていたのも束の間

「マルグリットちゃん、先に言っておきますけど、ママが外出した際に読もうと思っても無駄ですよ。ちゃーんと、マルグリットちゃんが私の本棚から何を持ち出したのか聞いておきますからね」

 超能力者かな? お母さまも人の心を読むのやめてほしいわぁ。
 
「表情に出過ぎだと言ったでしょう。本当に頭はいいのに変な所で間が抜けているのよね」

 間が抜けている? それすなわちマヌケ。 クッ、否定できないことろがまた、悔しい。
 
 というか娘に対して言う言葉ではないと思うのですが、お母さまは本当に笑顔でナイフを突き立ててくるなあ。アイアンハート令嬢マルグリットじゃなかったらショック死してますよ、本当に。
 
「とりあえず購入しましょうか。今手元にあるので全部でいいわよね」

「「はーい」」

「店員さん、これらを頂きたいのだけれども」

「はい、かしこまりました。包みますので少々お待ちください」

 私は絵本の魔法印の事を思い出して店員に尋ねてみた。
 
「すみません、この中にある絵本に魔法印が掛かっているんですけど、何のために掛かっているんでしょうか?」

 店員は絵本を手にすると、表と裏を繰り返し確認して、頭を捻っている。
 
「あれ、なんだろう…… こんな商品あったかな? でも掛かっている魔法印はうちの書店のもので間違いないですし、印は解除しておきますね」

 不穏な単語を口走っていたことを私は聞き逃さなかった。『こんな商品あったかな?』

「店員さんの私物ってわけじゃないんですよね?」

「それはないですね。この魔法印は基本的に店の商品にしか使わないものなんですよ。私も全ての商品を記憶しているわけではありませんし、どこかで取り寄せたのかもしれません」

「そうですか、わかりました」

「包んでしまってもよろしいですか?」

「はい、お願いします」

 目的の本が手に入って絵本の存在を既に半分忘れかけていた私はホクホクしながら帰宅するのだった。

どうも、ごきげんよう。『国外追放された令嬢は筋肉特盛マッスル騎士団に溺愛される。~元彼ピが今更戻って恋なんてハイパー土下座タイムを使っていたら、通りすがりの赤い仮面のおじいさんに「判断が遅い!」と平手打ちされていた件~』が購入出来て満足感一杯の本の虫令嬢マルグリットです。


「ただいま帰りました~」

 私の声に脊髄反射したのか、お父さまが書斎からノンブレーキのまま、私まで一気に突進してくる。スピードを落とすことなく抱き着くという名のダイビングタックルを仕掛けようとしてくるが、危険を察知した私はお父さまを華麗に躱すとお父さまはそのままドアと激突してしまった。
 
「マルグリット、なんでパパの愛を躱すんだい?ドアがバキバキになっちゃったじゃないか」

「お父さま? 今の勢いで突撃されたらドアよりも私の身体がバキバキですわ」

 私の指摘にお父さまは『気づかなかったかも、てへっ!』と言わんばかりな表情をしている。これは絶対、次の時も忘れて同じことやるパターンですわ。
 
 そしてお父さまは無言で私に手のひらを差し出してくる。『わかってるよね?』と言わんばかりだ。
 
「なんですか? その手は?」

「大好きなパパへのお土産は?」

「あっ、すっかり忘れてました!」

 私に抱き着いて泣きわめくお父さま。デジャヴかしら……。
 
「私は買ってきた本を読みますので部屋に戻りますね」

「マルグリット、そろそろ夕飯の時間だよ」

「あっ」


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 夕飯を食べた私は部屋に戻り、早速購入した本を読み耽っていた。

「はぁ~、最高だったわ。特に騎士団の新人と騎士団長が令嬢を巡ってモストマスキュラーによる筋肉の美しさを競い合うシーンは感動ものだわ。あと三十回は往復できるわね」

 そろそろ寝ようかなーと思ってベッドに向かおうとしたら、ベッドに無造作に投げ入れられていた一冊の絵本が目に入っていた。

「そういえばこれも買ったんだったわ。本屋にいたときは鬱陶しい程に存在感出していたのに、部屋に帰ってきた途端に存在感が迷子とか迷惑極まりない書物ね。せっかくだからついでに読んじゃおうかしら。どれどれ」


――――――――――――――――――――

 むかし、むかし、とおいむかし、あるところにひとりのおうさまがすんでいました。
 
 そのばしょは、おうさまいがいにはだれもいないので、おうさまはとてもさみしいおもいをしていました。
 
 おうさまはおもいました。
 
「そうだ。だれかがいるばしょにいってみよう」
 
 ところが、いつまでたってもだれもいるけはいはありません。
 
 そんなあるひ、そらにひびがはいってるばしょをみつけたのです。
 
「これは、なんだろう。ひび? あけられそうだ」

 おうさまはそのひびをおもいっきりたたいて、わってみました。
 
 すると、そのひびにはおおきなあながあいたのです。
 
 おうさまはあなをのぞいてみると、あらふしぎ。
 
 おうさまがすんでいるばしょとはちがうばしょをみつけたのです。
 
 そこは、おうさまがいままですんでいたばしょとはちがって、みずもあり、もりもあり、そらもあおく、せいめいのいぶきをかんじられるばしょだったのです。
 
 おうさまはびっくりしました。
 
「こんなばしょがあったなんてしらなかった」

 おうさまはうれしくなってあたりをみわたしました。
 
 するとうまれてはじめてじぶんいがいのだいいちむらびとをはっけんしたのです。
 
 おうさまははなしかけようとしましたが、どうしたことでしょう?
 
 だいいちむらびとはとつぜんおおきなひめいをあげてにげだしました。
 
 おうさまはとてもこまりました。
 
 だれもおうさまのはなしをきいてくれないのです。
 
 しばらくして、よにんのわかものがおうさまのまえにあらわれました。
 
 おうさまはじぶんをしってもらおうと、じこしょうかいをしようとしました。
 
 ところが、わかもののひとりがおうさまにきりかかったのです。
 
「しんりゃくしゃめ、このせかいのへいわはぼくたちがまもってみせる」
 
 わかもののひとりであるおんなのひとは、とめようとしましたが、もうたたかいははじまってしまっていたのです。
 
 こうなってしまったら、だれにもとめられません。
 
 たたかいはみっかかんつづきました。
 
 おうさまはたいりょくがのこっていません。
 
 おうさまはじぶんのせかいにもどるしかなかったのです。
 
 わかものたちはぶじにしんりゃくしゃをおいはらったのです。
 
 ひとびとはおおよろこびです。みんなわかものたちをいつまでもたたえました。
 
 いつまでも、いつまでも。
 
 めでたし めでたし

――――――――――――――――――――

「は? めでたし…… なわけないでしょおおおおおおおおお。若者も王様の話を聞いてやんなさいよっ! 胸糞悪くなってくるわねっ!」

「お、お嬢様~、どうされましたぁ~?」

 私が大声で不満を爆発させたことが部屋の外まで聞こえていたらしい。ナナが何事かと部屋に入ってきたのだ。
 
「あ、ごめんね。今日買った絵本を読んだんだけど、なーんか納得いかなくて」

「そうなのですね、気持ちをリラックスさせるハーブティーでも飲みますかぁ?」

「ありがとう。お願いするわ」

 私はナナに入れてもらったお茶を飲んで気分を落ち着けてからベッドに潜り込んだ。
 
 


 そして私はその日『夢』を見た。




◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 




 ここはどこだろう? 戦場だろうか? ここから見る限り四対一の戦いが行われているようだ。四人の会話が聞こえてくる。

「お願い! 待って! 私の話を聞いて!」

「待つも何も()()()()ではありませんか」

「いえ、出来過ぎなのよ…… まるで最初から図られていたような」

「いえいえ、未来を見通すからこその予言ではありませんか」

「見通す? 違うわ、予言とはそんな「そこまでだ」」
 
「これ以上何を待つというんだ! 奴は危険だ、ここで倒さねばならない」
 
「そうです。あの侵略者に必要なのは鉄槌のみ!」

「いいから邪魔しないでよ、バケモノと戦えるなんてまずないよ?」
 
「そんなもの必要ない! 彼は話が通じるわ。あなたたちは下がっていて」

「何故、その様な事を言うのだ。あんな化け物はさっさと殺さねばならない。世界の為にも。まさか、君はあの男に……」

「どうしてそういう発想になるのよ! 彼は本当は優しい人のはず。私たちが手を出すまで彼はそんな事していなかった。私たちがこんな事をしてしまったから激怒するのはあたりまえだわ」

「やはり、君はあの男に感化されてしまったようだ。だが安心したまえ。私たち二人だけで決着を着けてみせよう。君の事も守って見せるから下がっていたまえ」

「僕は強い奴と戦えればなんでもいいや。だから邪魔しないでくれる?」

「やめて! 私が前に出て対話する! 戦わないで! どうして私の話を聞いてくれないの?」
 
「「「その必要はない!」」」
 
 彼らの戦いは三日間続いた。女性だけはなんとか対話を試みようと必死になったが、三人の男性と侵略者と言われた方は戦いを続けていた。しかし三日目にとうとう三人の男性は力尽きてしまった。
 
「ゴホッ…… お願い…… 話を……」

 女性の方も力尽きそうになっているが、それでも対話をやめようとしない。侵略者は憎しみの目で女性の事を見ていた。あの目は…… どこかで見たことがある気がするが思い出せない。

「ふざけるなアアアアアアアアアアアアアアアア! 刃を振るってきたのは貴様らの方だ! 俺が何をしたというのだ! 俺は……ただ…… 貴様らだけは絶対に許さない! 絶対にだ! 何千年、何万年経とうとも絶対に貴様らを滅ぼしてくれる! クソッ、力を使いすぎたか。いったん帰るしかないか。傷を癒し、力を蓄えた後にまた来る。特に貴様の力は危険だ。貴様と同質の力を持った奴がいるなら、真っ先に殺してやる!」

 侵略者は最後の言葉を力いっぱい振り絞って女性に対して吐き捨てていた。彼は空間に穴を開けて去っていった。
 
「ごめんなさい…… ヴェル……」

 誰に対しての、何に対しての謝罪なのだろうか? 私には皆目見当がつかない。

 程なくして女性の方も力尽きた。遺体となった四人は白い装束を着た集団が運んで行った。

 女性は男性三人とは別の場所に埋葬されたようだ。どこかの遺跡のように見える。

 人々は命をかけて侵略者を追い払った四人をいつまでも讃えていた。
 
 いつまでも、いつまでも。



 

 これはお互い交わることなく最後を迎えてしまった
 
 
 
 
 
 
 とても悲しい『物語』




◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 




「……様」

「……嬢様」

「……お嬢様、朝ですよー」

「んー、よく寝た~」

「おはようございま…… お、お嬢様。な、何かあったんですか?」

「ん? どうしたの? 特に何もないけど」

「何もなくて人は泣いたりしません」

 自分でも気づいていなかった。まるで号泣していたかのように涙を流していた。

「えっ? 全然気づかなかった。わからない…… けど、何かとても悲しいことがあった気がする」

「……お嬢様?」

 何か夢を見ていたような気がする。内容は全然覚えてないけど。それでも何故だか胸を締め付けるような感覚だけが残ってる……。
 どうも、ごきげんよう。自称・裏の森の主令嬢マルグリットです。
 
 あれからさらに三カ月が経過して累計半年間、裏の森で訓練してました。
 
 魔獣と戦いたい禁断症状が出てきて、手が震えたりしてましたが、違う禁断症状じゃないのかと自分で自分を疑ってしまいます。
 
 いえ、断じてやましい事などございません。
 
 あと半年は耐え忍ぶのよ、ステイ、ステイよっ!、マルグリット!

 身体能力、魔力量的に十八歳当時の私を上回っているのですが、準備に準備を重ねることは悪い事ではありません。慎重派令嬢マルグリットです。
 
 さて、どうやら本日は近くの街『ガルカダ』でお祭りがおこなわれるという事で参加する気満々なのですが、中身が十八歳とはいえ、やはり見た目が子供。もちろん一人で行くつもりはなく、ナナも一緒の予定ではあるのですが、それでも七歳と五歳の二人で行くなんてことは許されません。
 
 というわけでお祭りに行くならと領軍から護衛を出してもらうことになりました。
 
 庭で待っていてほしいとのことだったので、護衛の方が来るまで愛読書である『国外追放された令嬢は筋肉特盛マッスル騎士団に溺愛される。~元彼ピが今更戻って恋なんてハイパー土下座タイムを使っていたら、通りすがりの赤い仮面のおじいさんに「判断が遅い!」と平手打ちされていた件~』を読み耽っていました。
 
「マルグリット様、お待たせいたしました。本日は私が護衛を担当させていただきます」

 私に声をかけてきたのは女性。年の頃は十七歳~十八歳といったところかしら。
 
 若々しさはあるから新人っぽいのだけど、全然表情が崩れない。まるでお人形さんね、真面目な方なのかしら。
 
 細身だからなのか筋肉量は少な目っぽいけど引き締まっている感じがいいわね。どことなくイザベラを思い出させるわ。

「騎士さん、お名前を伺ってもよろしいかしら?」

「はっ、ヘンリエッタと申します」

「よろしくお願いしますね、ヘンリエッタ。私の専属メイドである『ナナ』が馬車の準備をしてるからお待ちいただけるかしら」
 
「承知いたしました」

 この切れ長の目つき、クールな印象、舐められないように男を一切寄せ付けない雰囲気を感じさせるわね。
 
 私は彼女を観察しようと思ったより近づいてしまったためか、彼女は私から目を逸らしてしまった。
 
 あら? 近づかれるのが苦手なのかしら? それとも、もしかして子供は嫌いなのかしら?
 
 ちょっと情報収集してみましょうか。
 
「ヘンリエッタは新人さんなのかしら?」

「はい、今年より採用頂きまして日々訓練に明け暮れております」

 そうよね。新人と言えば少しでも一人前に近づくために一日でも多く訓練に励まなければならないはず。
 
 せっかくの訓練の時間を邪魔するような子供の護衛だなんて普通は嫌がるわよね。特に貴族だもの、我儘が多くて頭を抱えることも少なくはないという印象はあるはず。
 
「お嬢様~、馬車の準備が整いましたぁ~」

 ナナが手を嬉しそうに振りながらこちらに走ってくる。まるで投げた棒を加えて尻尾を振りながら主人に持ってくるワンワン的可愛さがあるわね。あとでナデナデしてあげないと。
 
『ハァハァ、ハァハァ』

 ん? 今の音は何かしら? 私は周りをキョロキョロしてみるも音の出どころはわからなかった。
 
「ナナ、紹介するわ。今日の護衛を担当してくれるヘンリエッタよ」

「ヘンリエッタさん、よろしくおねがいしますぅ~」

「あ、あぁ。護衛は私に任せてほしい」

 人懐っこいナナがヘンリエッタに近づいて挨拶するも彼女はまたもや顔を逸らしてしまった。
 
 うーん、やっぱり子供嫌いなのかしら? 彼女に聞いた方が早いかしら?
 
「ヘンリエッタ、大切な訓練の時間を割いてもらって護衛なんて申し訳ないわ。ヘンリエッタが良ければ護衛の方を変えてもらえるようにお父様にお願いするわ」

「いえ、マルグリット様の護衛は自分が志願いたしましたので、変えて頂く必要はございません」

 え? そうなの? でも顔を見つめるとすぐ目を逸らすからてっきり…… 恥ずかしがり屋さんなのかしら。
 
「わかったわ。それでは、馬車に乗り込みましょうか」

 馬車に向かう途中でまたあの異音が鳴り響いたのを私は聞き逃さなかった。

『スゥ~、ハァ~、スゥ~、ハァ~』

 ん? やっぱり空耳じゃない。 音は先程とは違ってるけど、今度は間違えない。
 
 私は音のする方向に向かって音速、いや光速と言ってもいい速度で顔を向けてみた。
 
 すると、音のする方向にはヘンリエッタの顔があり、彼女は私と同等のスピードで顔を逸らした。
 
 今ヘンリエッタの首から『ゴギッ』って音がしたけど骨は大丈夫かしら?
 
 それにしても私のスピードについてくるなんて、こやつ、やりおる。
 
 それに微妙に頬が赤くないかしら?
 
「ねぇ、ヘンリエッタ。どうして私があなたの方に顔を向けるとあなたは私から顔を逸らすのかしら? 私の事が嫌い?」

「い、い、い、いえ、そそそ、そんなことはございません」

 明らかに動揺しているわ。一気に畳みかけるわよ。追い込み令嬢マルグリットの本領を思い知るがいいわ。
 
「ヘンリエッタ、私の目の前でしゃがみなさい」

「は、はい」

 ヘンリエッタは観念したのか、私の目の前でしゃがみ込むが、息を整えているのか下を向いている。
 
 息を整え終わった彼女がこちらを向いたと同時に私は彼女の頬を両手で抑え込むことにした。
 
「む、むぐっ」

「ダメよ、顔を逸らさないで。こっちをちゃんと見なさい」

 私はこれでもかと言うほど、彼女の顔に自分の顔を近づけて目を合わせようとするが、彼女は耐え切れなくなったのか顔を真っ赤にさせて目線だけが別の方向を向き始めた。
 
 口元もめちゃくちゃ歪んでる。
 
 まさか…… この娘……
 
 ここから先の話はナナに聞かせるわけにはいかない。
 
「ナナ、先に馬車に行っててくれるかしら」

「かしこまりましたぁ~」

 ナナは小動物が如く、小走りで馬車に向かったことを確認して、私は再度ヘンリエッタと向き合うことにした。
 
 ヘンリエッタの目線は走り去っていくナナを捉えている。もう間違いない。
 
「一つ、答えてもらえるかしら。先程、ナナが馬車の準備が終わってこちらに向かって手を振って走って来た時、あなたはどう感じたのかしら?」

 ヘンリエッタは突如、目を見開き、何かに憑りつかれたかの様に口を開きだした。

「ナナ殿の姿はとても愛くるしく手を振ってくる姿は無邪気な子犬の様であの笑顔は国の…… いえ、世界の宝であることは間違いないと認識いたしました。その至宝を守る為に護衛として志願した私は自分で自分を褒めて…… ハッ!」

 心の内をほぼ赤裸々に語っていたヘンリエッタは『やっちまった!』という顔をしてガックリと項垂れていた。
 
 そんなガックリしたところで即バレでしたけど、他者を寄せ付けないクールな女騎士に見せておいてただの真正の幼女好き(ガチロリ)とか詐欺具合も半端じゃないわ。
 
 つまり一回目の異音はナナの姿を見て興奮を抑えきれずに漏らしてしまっていたわけね。
 
 あれ…… ということは二回目の異音の時はたしか私の後ろにいたはず…… まさか…… 私の匂いを……

「ヘンリエッタ、あなた、しばらく私の前を歩きなさい。後ろに立つことは禁止します。あと、ナナを変な目で見たら護衛から外すようお父さまに進言します」

「そ、そんなあ~」

 ガチ凹みしているわね。いや、当たり前でしょう。あなたちょっと怖すぎるわ。危うく見た目に騙されるところでしたわ。
 
「それでは、馬車に行くわよ」

 この様子だと五体満足でガルカダに辿り着けるのか不安だわ。
 どうも、ごきげんよう。ガチロリの餌食令嬢マルグリットです。
 
 とんでもなく色んな意味でヤバイ護衛が出てきて肝を冷やしましたが、本人に釘は刺したのでしばらくは大丈夫でしょう、多分。
 
 それに前回の暴露時の発言内容からナナに手を出すようなことはしないとは思うのだけど、念の為にもう少し監視の目は必要ね。
 
 何かの書籍で読んだけどこの手の輩は大抵『Yes、ロリータ No、タッチ』って言うらしいけど、ヘンリエッタを見ていると、どうにも嘘臭い用語にしか聞こえなくなるわ。
 
 馬車に乗る時にもちろんあの時の事は思い出すんだけど、トラウマの様な事はなく至って心は平穏。人間慣れって怖いわね、本当に。
 
 それにしても眠い…… 朝から準備が必要ってナナに叩き起こされたからだわ。ガルカダまで少し寝ちゃいましょう。
 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


『ハァハァ、ハァハァ』

 うるさっ、せっかく人が気持ちよく寝てるところに変な音立ててんのよっ。
 
『ハァハァ、ハァハァ』

 ん? この音…… 絶望的に嫌な予感がした私は目を閉じたままつい先ほどあった出来事を掘り起こすべく脳みそを緊急WAKE UPさせていた。
 
 ポクポクポク…… チーン。
 
 間違いないわね。あいつ、注意した直後に早速やらかすとかどんだけ欲望に忠実な鳥頭なのかしら。いえ、速攻で発情しないだけまだ鳥の方がまだマシだわ。
 
 私は実態を調査するべく薄目を開けてヘンリエッタの動向を確認することにした。
 
 私とナナを交互に見ながら息を荒くしてるわね。一度で二度美味しいが経験できているためか、馬車に乗る前は隠せていた表情が今は全く隠せていない。
 
 口元!口元がだらしなさすぎる。ちょっ、ヨダレ、ヨダレが落ちそう。わ、わたしにかかっちゃう。
 
 ナ、ナナはどうしてるの? 私は薄目のまま目線をナナが座っていたはずの場所に向けてみた。
 
 ナナは鼻歌を歌いながら馬車で外を眺めている。か、可愛いすぎか?
 
 これ以上、ヘンリエッタの暴挙を見過ごすわけにはいかない。ナナが汚される前に私は今ようやく起きるふりをしてわざと声を出すことにした。
 
「う、う~ん」

 ヘンリエッタは私の声に驚いたのか『ビクッ』と身体を震わせて口元を腕で拭っていた。
 
 おい、騎士とはいえ淑女なんだからハンカチ使え! そういう時だけおっさんみたいな挙動するな。
 
 ナナは私が起きたと思ったのかこちらを振り向いてニコニコしている。守りたい、この笑顔。

「あー、ちょっと寝ちゃったわね。今どの辺りかしら?」

 私はわざとらしく起きたフリをするが、二人とも全く気に留めていない。どうも、演技派令嬢マルグリットです。

「ちょうどいいタイミングで起きられましたね。まもなく目的地に着きますよ」

「お祭りの雰囲気を味わうためにも馬車は預けていきましょう」

「マルグリット様、今日は人も多いため、歩かれるのは危険です」

「あら、その危険を排除する為にあなたがいるのではなくて? 難しい要求をしているつもりはないわ。あなたの護衛としての実力を見せて頂戴」

「はっ、かしこまりました」

 案外チョロイわね。もう少し食いついてくるかと思ったけど、この辺りは新人臭さがある感じね。
 
「メインストリートである大通りに行ってみましょうか。そこに出店が沢山出ていると思うわ」

 私たちは大通りに着くと所狭しと立ち並ぶ出店の数と大勢の参加客に圧倒されていた。

 露店の大きさは店舗によって大小様々で食品販売からアクセサリーだったり魔道具など多種多様という感じだ。
 
 私の目的はもちろん『買い食い』よ! そう、育ち盛り(?)なんだから色んなものを食べて大きく(?)ならないとねっ
 
「そうね、手始めに…… あのお肉の串美味しそうね。あれなんてどうかしら?」

「私はお嬢様の食べたいものがあれば何でも構いませんよ」

 私はとりあえず身近で匂いに釣られた屋台に興味を示すと、ナナもお祭りの雰囲気に当てられたのか楽しそうに賛同してくれる。
 
「ヘンリエッタも同じものでいいかしら?」
 
「わ、私はマルグリット様とナナ殿の毒味…… いえ、食べきれなかったものを責任を持って処分いたします」

 毒味って私たちは王族じゃないんだから…… ん?ナナの分? 違う、ヘンリエッタの言い直した内容は食べきれなかったもの……。
 
 つまり『私たちの食いかけ』が目的か!
 
 くっ、短時間で慣れすぎでしょ貴方。磨きがかかった変態っぷりをどんどん隠さなくなってきたわね。
 
 開き直った変態ほど怖いものはないわ。何とかしないと……
 
 そう考えていた矢先、後ろから誰かにぶつかられてしまった。