悪役令嬢の番犬~かつて悪役令嬢の取り巻きだった私は敵になってでも彼女を救ってみせる~

「急に呼び出してしまってすみません。チェインさん」

「いや、問題ないよ。僕も君と話したい事があったんだ。こちらから呼び出す手間が省けたよ、チェスカ君」

「場所はここで大丈夫ですか? ()()に嗅ぎつけられませんか?」
 
「この店はうちの息が掛かっているから大丈夫だよ。もし何かあれば知らせて貰える」

「そうですか…… 早速ですが、私のお願いから聞いてもらっていいですか?」

「構わないよ。多分僕の話したい人物と同じだろうからね」

 チェスカは顔には出さなかったものの、身体が『ピクッ』と跳ねたようだった。
 
(まさか聖王教会もマルミーヌちゃんの事を探っていた……? いや、彼らなら知っていても可笑しくはないか)

「なら話は早いです。常闇の森のグランドホーン異常個体の討伐した人物についての隠蔽をお願いしたいのです。ギルドに手を回してもらえませんか?」

「フフッ、予想通りの話の内容だね。そりゃそうか、いくら説明しようがあの光景は実際に見たもの以外は信じられないもんね」

 やっぱりあの場にいたのかとチェスカは予測していた。心の中で舌打ちをしているとチェインが話を続けた。
 
「チェスカ君はあの人物についてどこまで知ってる?」

 その程度の情報はそちらで既に掴んでいるだろう? 何故そんなことをわざわざ聞くのかと質問の意図が分からなかったため、乗る事にした。

「名前は恐らく偽名ですが、マルミーヌと名乗っていました。年齢は偽りがなければ六歳のはず。戦闘能力は御覧の通りですよ」

「なるほどね…… もし、あの子の正体を知っていると言ったらどうする?」

 チェスカの心臓が高鳴っていく。それはチェスカが喉から手が出る程欲しい情報だった。
 
 代償についても理解している。『裏の仕事』だ。
 
 だが、二度も命を救ってもらった恩人を自分の手の届く範囲で守る事を決めたチェスカに迷いはなかった。

「教えてください。仕事もやりますから」

 チェインは既にこの答えも予想通り過ぎて笑ってしまったが、その態度にチェスカが苛ついているのが分かったから、拗ねる前に真面目に話をすることにした。
 
「ごめんごめん、仕事は正直に言うと無しでも構わないよ。何しろ、君が彼女と知り合いという事が大きいからね」

 『知り合い』その言葉にチェスカが反応して怒気を帯びた声でチェインに詰め寄る。
 
「私が知り合いだからってあの子を利用する気じゃないでしょうね。いくらチェインさんでも私がそれに従うと思いますか?」

「言い方が悪かったね。例えば今回のグランドホーンの異常個体出現の様なイレギュラーの際に対応できる人間は限られてるからね。
 そういう事態にチェスカ君経由で依頼を掛ける事をお願いしたいのであって、我々聖王教会の仕事をやらせるつもりはないから安心して。
 それに彼女が対応できないって場合も考慮済みで構わないよ。必ず戦えという話をするつもりも一切ない」

「う、うーん…… まあ、それくらいであれば許容範囲ですかね……」

「よし、交渉成立だね。じゃあ、彼女の情報を教えよう。聞いて驚かないでね」

 チェスカは大体予測はつけている。あの言動や佇まいからすると恐らく良い所の商家もしくは貴族とは予測しているが、貴族の娘があんな最前線で戦うってある?
 
 それに父親が元冒険者と言っていたからやっぱり商家なのかなあ等と予測していた。
 
「彼女の本名はマルグリット・グラヴェロット。グラヴェロット領領主の実の娘だよ。年齢は六歳で合ってる」

 チェスカは口をぽっかーんと開けてしばし放心状態になっていた。
 
 その光景にマルグリットと初めて対峙した時の自分が重なって笑っていた。
 
「クク、いい表情だね。僕がマルグリット嬢と初めて対峙した時もきっとそんな表情だったんだろうね」

 チェインが話しかけて、ようやく現実に戻って来たチェスカは目が左右にキョロキョロ動いていて落ち着きが無くなっていた。
 
「え?え?え? 領主の実の娘? 貴族令嬢? いや、だって…… グランドホーンと真正面から殴り合ってたんですよ? そんな事ってあります? それに父親は元冒険者って聞いてたんですが……あれは嘘?」

「いや、合ってるよ。領主のサミュエル・グラヴェロットは若い頃に冒険者やってたからね。まあ、僕もグランドホーンと殴り合ってるのを見て目玉が飛び出そうになったから、その気持ちはわかるよ。僕も司祭様になんて報告するか悩んでるんだよね」

(マルグリットちゃん…… いや、マルミーヌちゃん…… 次会った時にちゃんと態度隠せるか不安だ……)

「あ、そうだ。話は変わるけど、ルーシィ君は元気にしてる?」

「はい、おかげさまで。今日もルーシィに色々疑惑の目を向けられてましたけど、あの子は私が話さない事は聞かないタイプですからね」

「そっか…… じゃあ、やっぱり言ってないんだね。もう一つの仕事の事は」

「言える訳ないでしょう。あの子に心配かける訳にはいかないし、知らなくていいんです…… こんな事は」
 
「そうだね。じゃあ、僕はそろそろ行くよ。司祭様に話もしないといけないし、特にギルドへの話は早急にしないといけないからね。明日の早朝に王都からBランク冒険者パーティが到着するらしいから」

「わかりました。お手数おかけしますが、よろしくお願いします」

「うん、まかせて。チェスカ君はゆっくり飲んでいっていいよ。支払いは僕宛にしてもらうから」

「その言葉、後悔しないでくださいよ」

 チェインが去っていった後にチェスカがいつもの調子に戻り、しこたまお酒を飲んで朝帰りをすることになり、その後ルーシィに説教を食らう事になる。

 どうせ大して飲まないだろうと予測していたチェインは翌日に店から送られてきた請求書見て激しく後悔することになる。
 マルグリットがグランドホーンを討伐した翌日の事
 
 冒険者ギルドでは王都から対グランドホーン異常個体への討伐に向けて王都から送られたパーティが駆けつけていた。
 
 三人の冒険者が冒険者ギルドの入口手前でギルドの建物を懐かしそうに眺めていた。
 
「帰って来たね」

「二年ぶりか」

「マックスはエミリアさんに会いたいだけの理由で討伐の件受けたんでしょ?」
 
 ローブに身を包んだ魔法使いの様な出で立ちの青年に突っ込まれたマックスは満面の笑みで返答する。
 
「フフッ、エミリアさんだけじゃないさ。ギルド全ての女性に会いに来たんだからね」

「会いに来たのは女性じゃなくてグランドホーンだろうが…… こんな話は中でも出来るんだからさっさと入るぞ」

 軽装に双剣を携えた青年が二人のやり取りに口を挟んだ。さっさと中に入りたいようだった。
 
 双剣の青年に押されるように入ると、ギルド内は彼らが居たであろう二年前よりも人が多く、賑わいの様相を見せていた。
 
 マックス達が懐かしそうにギルド内を見ていると、彼らが知らない顔ぶれから見たことがある、顔見知りなどもいるようだった。
 
 顔見知りの冒険者からは『久しぶり』などと言った声を掛けられ懐かしがっていた。戻ってきた理由について尋ねられると、現在グラヴェロット領で問題視されているグランドホーンの異常個体の討伐についてだと話をすると、ギルド内が一気に盛り上がっていた。
 
 どうやら彼らは今か今かと待ち望まれていた存在だったらしい。自分たちでは対処は難しいが対処可能な冒険者が来ると聞いていた、しかもそれがグラヴェロット領出身の冒険者である三人だと知ると盛り上がり方は想定以上だった。
 
 そして、その盛り上がりの原因に気付いた受付嬢エミリアは彼らに気付くと笑顔でお辞儀する。
 
 三人もエミリアに気付くとマックスが満面の笑みでエミリアの元に駆け寄る。
 
「ご無沙汰しております。エミリアさん、二年ぶりですね。相も変わらずお美しい。そろそろ僕の想いを受け取っていただきたいのですが」

「ご無沙汰しております。お待ちしておりました、『漆黒の黒き翼(ミッドナイトダーク)を持つ者達よ』(エンジェルズ)の皆様。私が受け取りたいのは想いではなくグランドホーンの異常個体なのですが?」

 しかしマックスは諦めない。
 
「では、こうしましょう。グランドホーンの異常個体を持ち込んだらデートをして下さい」

 まだまだ諦めようとしないマックスに頭を抱えるエミリア。

「マックスさんとデートしたがる女性は他にも多くいらっしゃるでしょう。私じゃなくてもいいじゃありませんか」

 デートの誘いを諦めないマックスと諦めさせようとするエミリアの一進一退の攻防が行われている中、一人の女性が二階から降りて来た。
 
 その女性の声だけでも相当な威圧があるが、姿を見せるとその威圧が一層に大きくなる。女性はマックスのナンパ行為に口を挟んだ。
 
「貴様、パーティ名だけではなく、中身も相変わらず痛々しいな。王都に行って成長したと思ったが、成長したのは煩悩だけか?」
 
 その声に盛り上がっていたギルド内が一気に静まる。
 
 割り込んだ声の主。ギルドマスターのフェリシア・ニコール・ラングフォードである。
 
 メガネをかけており、髪型はポニーテールで体つきも大きい訳ではない。
 
 パッと見た感じではギルドの事務員かと思われがちだが、彼女が放つ威圧は相当なもので軽い態度を取っていたマックスも周りで盛り上がっていた面子も一声で黙らせるほどだ。
 
 マックスは喉を鳴らし、ゆっくりと口を開く。
 
「ご、ご無沙汰しております。フェリシア様、グランドホーンの異常個体を討伐しに王都より救援に駆けつけました」

「うむ、早速で悪いが『漆黒の黒き翼(ミッドナイトダーク)を持つ者達よ』(エンジェルズ)の面々は応接室に来い。現時点での情報共有を行う」

「「「は、はい」」」

 三人はギルドマスターに連れられて応接室に入ると、ソファに座りゆっくりとフェリシアが口を開く。
 
「来てもらって早々で悪いんだが、グランドホーンの異常個体は既に討伐されてしまったらしい」

「「「え?」」」

 三人は放心状態になっていた。フェリシアがため息を尽きながら話を続ける。
 
「お前たちの言いたいことは分かる。私もこの話は今朝突然聞かされたばかりでな、正直頭が痛い」

「だ、誰が討伐したんですか?」

「詳細は聞かされていないが、聖王教会から連絡があってな。そこには戦いを専門とした特殊部隊がいるらしくて、その連中が討伐したとの事だ」

「討伐されたという証拠はあるんですか?」

 フェリシアは立ち上がり、壁際の棚の上に置かれていた巨大な角を持ってくると、抱えながらソファに座りなおす。

「残念な事に死骸は既に聖王教会に持ち去られていた。その代わりに巨大なグランドホーンの角を渡されたよ。通常の倍以上のサイズだ……間違いないな。恐らくこれと引き換えに余計な事は聞くなという事なのだろうな」

「えっと…… 僕達はどうすればいいんでしょうか?」

 『漆黒の黒き翼(ミッドナイトダーク)を持つ者達よ』(エンジェルズ)がグラヴェロット領に戻ってきた理由はグランドホーンの異常個体を討伐するために戻ってきたはずだった。
 
 その討伐対象が既に討伐済みという事でメンバーは困惑している。それは先程軽率な態度を取っていたマックスとて例外ではない。どうやらフェリシアには苦い思い出があるようだ。

「すまないが、当分の間はグラヴェロット領にいて欲しい。聖王教とは基本的に協力体制を組んではいるが、今回の件では色々と怪しい点があってな。今奴らの全てを信用するわけにもいかん。事を構える気はあまりないが最悪のケースを想定する必要がある」

 フェリシアは聖王教会の今回の件について隠し事をしていることに対して大分苛ついている様だ。
 
 その姿を見た三人は先ほどの勢いはなく借りて来た猫の様にフェリシアの姿を見て委縮しているものの、フェリシアが自分達に謝ってまで頼み事をする光景にただならぬ気配を感じ、グランドホーン以上に危険な何かがあるのだと察して三人はお互いの顔を見合わせ頷いていた。
 
「りょ、了解しました。何かあったら仰ってください。」

「あぁ、すまないな。話は以上だ。退室してもらって構わん」

 『漆黒の黒き翼(ミッドナイトダーク)を持つ者達よ』(エンジェルズ)の三人はフェリシアに頭を下げるとそそくさと応接室を出て行った。

(私の調査では聖王教会の特殊部隊はグラヴェロット領の外にいることがわかっている。ということは倒したのは別の奴だ。聖王教会め…… 一体何を隠してやがる。こちらには全て情報を回すつもりはないって訳か?この代償は高くつくぞ)



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 



 ここはとある国に建てられた宮殿の一室
 
 白を基調とした清潔感を感じられる部屋は時折入ってくるゆっくりとした風に揺られるカーテンから日差しが入り込み、それだけの光が反射されて部屋を明るく照らしている。
 
 その部屋で白いテーブルに置かれている紅茶を飲んでいる少女の姿がある。
 
 少女は部屋の内装と同様の色合いである白のワンピースを着ており風に揺られてブロンドのロングヘアーを靡かせている。
 
 その少女は近くで佇んでいるメイドに話しかけていた。
 
「ねえ、知ってる?」

「いいえ、知りません」
 
「ムッ、なんでそういう冷たい返し方するかな?」

 少女は頬を膨らましながら不満げにメイドに返答する。メイドは表情を一つも変えずに少女をあしらおうとする。

「いつもの事じゃないですか。『何を』を語らずにただ『知ってる?』とだけ言われても知らないとしか言い様がありませんよ」

 毎度の事で飽き飽きですよと言いたげなメイドはわざとらしく『やれやれ』といったジェスチャーをこれでもかというほどに少女に見せつける。

「あなたはいつもそう。私としては『え~、何の話ですか~?私と~っても知りたいですぅ』って可愛く聞いてほしいんだけどなあ」

「絶対にお断りします。というか私がそういう聞き方をしないのはあなたが一番よくご存じのはずでは?」

「はぁ、残念。じゃあ、真面目に話をしよう。エシリドイラル王国のグラヴェロット領で発生したグランドホーンの異常個体の話は聞いているね?」

「はい、部隊長…… 司祭様から一通りの話は伺っております」

「うん、端的に言うとそのグランドホーンが討伐されたらしい」

「その言い方だとまるで『思いもよらない人物』が倒したと言いたい様に聞こえますけど?」

「私の話を先読みするなんて可愛くないぞ」

「別に可愛いと思われなくて結構ですから」

「くぅ…… 続けるよ。報告に上がって来た話だと討伐者は六歳の貴族令嬢だそうだ」

 その言葉に無表情のメイドのこめかみが『ピクッ』と揺れる。

「……六歳……ですか? それ本気で言ってます?」

 そもそも六歳で魔獣と戦うこと自体が論外だろうと言いたげなメイドは少女の話を話半分に聞いているような素振りを見せる。

「フフッ、君が六歳だった頃と比べてどっちが強いかな?」

「さぁ、自分が六歳だった頃の事なんて大して覚えていませんよ」

 メイドは心当たりがあるのだろう。少女から視線を少し逸らして知らん顔を決め込もうとしている。

「そう言う事にしておこうか。報告通りであれば彼女は年齢帯的にも引っ掛かるし、能力的にも申し分無い…… つまり候補にはあがるわけだ。本当は私が行きたいのだけれど止められちゃうからさ、君に直接会いに行って貰う必要があるかもしれないという事を知っておいて欲しい」

「それはいいんですが…… 『年齢帯』とか『候補』って単語がありましたけど、それってたしかヴェルキオラ教が調査していたというリストに関する話ですか?」

「うん、そうだね。その話を聞いた時に『ピンっ』と来たんだよ。そりゃ当然だよねって思ったよ。向こうにもいるんだからさ…… 私と同じ存在がね」

「同じ存在…… という事は私と同じ存在もいるという事ですね」
 
 『同じ存在』その言葉にメイドは敏感に反応する。やっぱりかという思いと面倒だなあという思いが混じり合う様な複雑な表情をしている。

「勿論いるだろうね。そして恐らく…… いや、十中八九次が最後になるからさ、お互い総力戦になるよ」

「最後?」

「そういえば君にはまだ話をしていなかったね。次…… 十二年後に選ばれる聖女がこの()()()()の聖女となるだろうね。だからヴェルキオラ教も形振り構わず候補者を探している。そして、最有力候補に至っては連れ去るか、聖王教側に着く若しくは味方にならないのであれば最悪は…… って奴さ」

 少女は目線を窓の外に移し、これから起こるであろう教会間の争いだけでは済まないだろう世界を巻き込むかもしれない事態にため息を漏らす。

「一人増えて何かそこまで大きく変わる事ってあります?」

 メイドの理解できないと顔を顰めているが、少女は笑顔から突如真面目な顔をしてメイドに諭すように話し出す。

「ある。それだけの事態って事を今は認識しておいて欲しい。だからそのご令嬢の保護が必要になった時に君に動いてもらうかもしれないって事さ」

 メイドからすると少女がこれ程真面目な顔はしばらく見ていなかった為、面倒がっていたメイドも真面目に話を聞き始める。

「であればすぐに動いた方がいいのではありませんか?」

「いや、報告の話では現場にはこちらの部隊と当事者達しかいなかったそうだ。ヴェルキオラ教はいなかったからご令嬢が討伐した事は知らないとの事だ」

「かしこまりました」

 一旦区切りは着けたためか、休憩を称して紅茶の入れ直しをメイドに依頼する。
 
 紅茶を一飲みして大きく伸びをするとテーブルに置かれていた資料を拾い上げて続きの話を始めた。

「次にグランドホーンの異常個体についてなんだが…… どうやら自然発生の個体ではなく人為的に生み出された個体の可能性があるらしい」

「人為的? そんなことが可能なんですか?」

「まだわからない。ただ、解剖の結果…… 通常魔獣に一つしかないはずの魔石が二つあったらしい。更に言うと、二つ目の魔石は明らかに人の手が加えられていた痕跡があったとの事だ。要するに魔道具の様な魔石になっていたとの事だ」

「魔道具? まさか……」

「あぁ、間違いなく魔導王国パラスゼクルが関わっているだろうね。そして彼らの裏にいるのが……」

「ヴェルキオラ教」

「そこに関してはまだ確証はないけど、その可能性は高い…… これから忙しくなるよ」

「はぁ…… その前に有給貰っていいですか?」

「ダーメ、そうしてやりたいのは山々なんだけどね。君の代わりは世界のどこにもいない。分かるね?」

「嫌々ですが、重々承知しております」

「全く君は…… まあいい、では私の唯一無二の守護者たる君に命令を下す。頼んだよ『神聖騎士』(ディバインナイト)シェリー」

 『命令』その言葉にシェリーの顔つきが変わりメイドから騎士に変貌する。彼女は少女の前に跪くと少女に向かって口にする。

「ハッ、聖女ステファニア様」
私はアニエス・グラヴェロット。グラヴェロット子爵夫人であり、マルグリットちゃんのママです。

 マルグリットちゃんの異変に気付いたのは五歳の頃に数日に渡って高熱を出した時の話。
 
 三日三晩、熱に魘されていた際にメイドのナナが飛び込んできて『お嬢様がー』って言いだした時は心臓が爆発するんじゃないかと思ったけど『目を覚ましました』と聞いて腰を抜かして立てなかった記憶があるわ。
 
 目を覚ました後に夕飯を一緒に食べられるくらい回復したと聞いたから食堂で待っていたの。
 
 食堂に入って来たマルグリットちゃんを見た時には自分が抑えられなくなって、ついつい飛びついてしまったわ。
 
 その拍子に私の腕がマルグリットちゃんの首にガチ決まりしちゃって顔色が青紫色に染まっていたのは内緒。
 
 マルグリットちゃんが私の腕をタップしてくれなかったら最悪の事態を引き起こしていたかもしれない……。反省しなさい、アニエス。
 
 マルグリットちゃんの様子が変わったのは食事の時。
 
 普段なら『あ、あの~』とか『そ、その~』とか家族に対しても申し訳なさそうに話すのに随分とハキハキ喋るようになって驚いたわ。
 
 あの後、ナナに様子をそれとなく聞いてみたんだけど、ナナも高熱から目覚めた以降は今の様にハキハキ喋っている事に驚いていた様子だったわ。
 
 それ以降は、本の虫であることに変わりはないのだけれど、今まで以上に外出する様になったの。
 
 今までだったら考えられないから母親である私もびっくり仰天だったわ。
 
 この子、ウチの子よね……? なんてマルグリットちゃんに聞かれでもしたら即家出されそうな疑問が頭をよぎったりしたのだけれど近くで匂いを嗅ぐとやっぱり娘の匂いなのよねぇ……
 
 いや、だって熱から目を覚ましただけで別人の様になっていたのだから。熱のせいで脳みそパッコーンとやられちゃったかしらなんて聞きたくても聞けないけど、いい方に性格が変わったからヨシとしましょう。
 
 ただ、逆にアグレッシブになり過ぎなんじゃないかと思う時もあるの。
 
 しょっちゅう外に出掛けるし、たまに獣臭かったり泥まみれとか…… 本人は隠してるつもりなんでしょうけど、外に着て行った服がボロボロになってそれを隠している事も実は知ってる。
 
 元気なのはいい事なの。でもここまでわんぱくになるなんて思ってもなかったからママは正直複雑な心境。
 
 これがお兄ちゃん…… クリストフだったらまだ許せるのだけれど、あの子は女の子。
 
 貴族令嬢として淑女としてマナーや作法を覚えていかなければならない。
 
 『物には限度』というものがあるって事をそろそろ教えてあげないといけないかしら。
 
 さて、前振りが長引いちゃったけど、そんなわんぱく七歳の娘を持つ私に一枚の手紙が届いたの。
 
 差出人は学園に通っていた時の同級生だったマルガレーテ。
 
 どうやら王都から送られてきたみたいなのだけれど、それを見た時疑問があったわ。
 
 あの子、領にいたんじゃなかったかしら。いつの間に王都に移ったんだろうって。
 
 手紙の内容を見ると、七歳になる娘の事で相談がしたいとの事だったわ。詳しい事は会ってからだそう。あまり大っぴらにしたくない内容なのかしら?
 
 私にも同じ七歳の娘がいるんだもの。これは是非とも力になって上げたいわ。
 
 という訳で、王都にいる友人に会うために旦那様であるサミュエルに相談してみないと。
 
「という訳で、王都にいる学生時代の友人の相談を聞きに会いに行こうと思うの」

「何が『という訳で』なのかは分からないけど、いい事だと思うよ。相手方もアニエスを頼っているんであれば、そういった縁は大切にすべきだと思う。行っておいで」

「ありがとう、アナタ。後で子供達にも伝えておくわ」

 そして、夕飯の時にみんなが揃っていたから、この話をしたの。
 
「ママは明日から王都にいる友人に会いに行ってくるわ」

「「!?」」

 私はその時見逃さなかった。マルグリットちゃんが『お母さま、しばらく家を空けるのね。ウシシ』という喜びの表情を一瞬だけした事に……。
 
「マルグリットちゃん、ママいつも言ってるわよね。淑女たるもの『ウシシ』という表情はやめなさいと」
 
「そ、そんなことありませんわ。お母さまがしばらく家を空けてしまわれるなんてやりたい放…… 寂しい限りです」

「マルグリットちゃん…… ママは書籍に出て来る様な鈍感系主人公とは違うの。『やりたい放題』を八割方言っておきながら訂正したところで気付かない程おマヌケさんではないのよ」

「うう…… 申し訳ございません」

「聞いて頂戴。貴族という生き物は相手に心の内を読まれたりすると一気につけ込んで、食い物にして来る様な連中が多いのよ。あなたはこれからそういった伏魔殿に身を置かなければならなくなるの。特に学園なんて貴族社会の縮図なのよ。社会に出る前から戦いは始まってるの。隠し事が出来ない正直な所はマルグリットちゃんの長所でもあるけど短所でもある。戻り次第教育していくからそのつもりでね」

 明らかにマルグリットちゃんの顔が苦痛な表情に歪んでいくのがわかる。だからその『うぇ~っ』って表情を辞めて欲しいのよね。
 
 たった今、問題点を指摘したばかりなのに直すつもりがないのか本人が気付いていないのか…… かなりの重症だわ…… 
 
「今はこの話はやめておきましょう…… 話を戻すけど、王都にいる友人もママと同じで七歳の娘さんがいらっしゃるそうなの。マルグリットちゃんと同い年ね。その娘さんの事で相談があるらしいのよ」

「私と同じですか…… では、何れ学園で会うかもしれませんね。お名前だけでもお聞きしてよろしいですか?」

「娘さんはクララさんというお名前よ」

 マルグリットちゃんの動きが一瞬止まった。
 
 クララさんの名前に聞き覚えでもあるのかしら?

「あ、あの…… お母様…… 失礼ですが、お会いしに行くご友人のお名前はなんと仰るのでしょうか?」

「マルガレーテよ。今はコンテスティ男爵夫人だったわね」

 マルグリットちゃんがスプーンを口にくわえたまま目をまんまるに見開いて、完全に時が止まってるわ。
 
 と思ったら急に動き出して小声で何か呟いてるわね。
 
「まさか…… 小鹿……?」

「小鹿? クララさんは人間よ」

「い、いえ…… 間違えました。 最近裏の森に住み着いた鹿にクララと名付けてしまったのでそれと間違えまして……」

 我が娘ながら、なんて嘘くさい言い訳してるのかしら。
 
 とは言え、クララさんの事なんて知るわけもないし、無理やり聞き出そうにも答えなさそうだし、一旦は保留にしておきましょう。
 
 王都までは馬車でおよそ一週間。早めに出ないといけないわね。侍女のメリッサに支度をしておいて貰わないと。
 
「メリッサ」

「はい、奥様」

「明日は早朝に出発します。必要な荷物の用意をしておいて頂戴」

「かしこまりました」

 それにしてもこの手紙…… 文面を見る限りは大分深刻な様なのだけれど、クララさんといったい何があったのかしら……。
グラヴェロット領を出て一週間掛けてようやく王都が見えて来たわ。
 
「奥様、まもなく王都に着きますが、直ぐにでもコンテスティ男爵邸宅に向かわれますか?」

 うーん…… それでもいいんだけど、折角久しぶりに王都に来たんだし、ちょっとだけ見回りたいわね。
 
 それにお土産も持って行った方がいいわよね。マルガレーテにも久々に会うのだし。
 
「ねえ、メリッサ。お菓子とかお土産に持っていきたいのだけれど、おススメのお店とかないかしら?」

「それは良いお考えかと思います。付近の方達に最近の王都での流行でも確認してまいります」

 その発言が終わったと同時にメリッサは馬車からいなくなっていた。
 
 相変わらずあの子って動きが素早いわね。あの子ってもしかして馬よりも早いんじゃないかしら……。
 
 なんて考えていたらもう戻って来たわ。凄いなんてものじゃないの。この子はなんでウチにいるんだろうってたまに思うの。
 
 侍女よりも合ってる職業が他に幾らでもあるんじゃないかしら……。
 
「おまたせしました、奥様。王都で人気上昇中のケーキセットにございます」

「ありがとう、メリッサ。ねえ、随分早かったけど、並んでなかったのかしら?」

「行列でしたね。ですので、裏から回ってお願いさせていただきました」

 裏から……? なんで今裏からが当たり前みたいに言ってるのかしら?この子……。
 
 魑魅魍魎渦巻く貴族社会を生き抜いてきた私から見ても謎の生態を持つメリッサ。
 
 そうだわ! 今後マルグリットちゃんに行う淑女教育の一つとしてメリッサの尋常ならざる動きを見せて表情を相手に悟らせない訓練に参加してもらおうかしら。
 
 きっとマルグリットちゃんもメリッサの動きを見たら『ズコーッ』っておったまげるに決まってるわ。楽しみね、ウシシッ。
 
「奥様…… この間お嬢様に注意されていた表情を奥様も一瞬されておりました。ご注意ください」

 いけない。私とした事が…… 娘のこと言えないわね。それにしてもやっぱりメリッサの眼力は凄いわ。これは是非とも協力してもらわないと……。
 
 なんて考えてたらコンテスティ邸宅に到着したわ。
 
「お待ちしておりました、グラヴェロット子爵夫人。奥様が応接間にてお待ちしております」