「ススキ? またハカセにやられたの?」
食堂に降りた雪は、不機嫌を隠さなかった。
研究生仲間にくすくす笑われて、さらに念仏を唱えているような顔になる。
「寝たら……怒られた」
「ススキは寝過ぎだよ。そのくらいじゃないと頭動かないって言うのもわかるけどさ」
雪の頬には真新しい十字傷があった。
チームメイトの青年は、雪に皿を取ってくれる。
各自、生活時間がばらばらな研究所なので、食堂はいつでも開いていた。青年が先に立って、食器をもらうレーンに入る。
「日本に帰るんだろう? ハカセも連れて行くの?」
「うん。だって俺の飼い猫だし」
「残念。ハカセはみんなのアイドルなのに」
「………」
確かに見た目は超可愛いかもしれないけど、声はおっさんだぞ? かなり渋めの。
コトン、と雪が頼んでいない桃のジュースがトレーに置かれた。
「? なに、これ」
「俺からのセンベツ? てやつ?」
「……ありがと」
雪は間もなくこの研究所を去る。
六歳からいるから、十年近くここにいるのだ。
学校以上にここに馴染みのある雪が、馴染めなかった日本の学校に戻る理由は、一年前の来訪者の存在一つだった。
「日本では、何研究するの?」
「うーん? ……なんだろう」
「え? 何かやりたいことあって行くんじゃないの?」
「いや、特にっつーか、気が向いたからっていうか……」
ああ、でも。
「天科サンが言ったこと、やりたいのかなあ?」
青年は、雪を見て五回、瞬いていた。