「よく来てくれました」
両手を広げて歓迎の意を示すのは、この国の王子。
次の王様になることが決定している、第二王子フラムだ。
コントドーフェ王国のお城に招かれたリュンヌは、なんとも言えない微妙な表情でお辞儀をした。
「どうぞ、椅子にかけて下さい。母は、もうすぐまいりますから」
「……ええと、どうもありがとうございます……」
王妃が伏せっていたのは、城に蔓延していた悪い魔法の影響だった。
だから、魔法が解けた今も、完全に影響は取り除かれたのかどうか定期的に確認する……それがリュンヌの仕事だった。
しかし、この王家。会う度にリュンヌを歓迎し、領主の仕事で森を空けられないカルケルの様子を事細かに聞いてくる。
本人に、いっそ手紙を書いて家族に送ってやれとひと月前に言った。
けれど、実は筆無精だったリュンヌの王子様は、わかったと言いつつ未だに一行も書いていない。
(だから、みんなカルケルの事を知りたがるのよ)
特に、兄を尊敬してやまないフラムは、自身も忙しいであろうに合間をぬって兄上がどうしているか聞きに来る。
本当に短くてもいいから、手紙くらい書いてやったらどうかとリュンヌはいつも思う。なにせ、毎回毎回説明するのが面倒なのだ。
「カルケルは、今日もお仕事で忙しそうだったわ。でも、領民の話にもよく耳を傾けてくれるってみんなは、カルケルの事を慕ってるわ」
「そうですか、そうですか……!」
実はこの話、もう五回はしている。
だが、フラムは飽きもせず、前回も聞いたはずの話に満足そうに相槌を打つ。
そして、今にも飛んでいきそうな軽い足取りで仕事に戻るのが恒例だったのだが、今日のフラムは違った。
「貴方には、本当に感謝しております」
唐突に、お礼を言い始めたのだ。
「貴方がいなければ、オレは取り返しの付かない事をしていました。……父も、母も、そして兄上も、みんな傷ついてバラバラになっていたでしょう」
家族と国を思う気持ちに付け入られたフラムは、神妙な面持ちで言う。
あの時の事を思い出して、リュンヌも少しだけしんみりした気持ちになったのだが、フラムが続けて口にした言葉のせいで、その全てが吹き飛んだ。
「貴方は、この国の恩人です……。本当に、ありがとうございます……義姉上!」
「――はぁっ!?」
「おや、どうしました、義姉上?」
思わず裏返った声を出してしまったリュンヌを、フラムが不思議そうに見つめた。
「あねうえって……」
「はい? 義姉上は、義姉上ですよね? なにせ貴方は、この国の恩人であり我ら王家にとっての救い主であり、そのうえ兄上の最愛の方です。なので、オレは感謝と尊敬と親愛の念を込めて、義姉上とお呼びしたまでですが……いけませんでしたか?」
しゅんとした顔で肩を落とすフラム。
ただ、続く言葉はどこかずれていた。
「ふむ……やはり、“我が国と王家の救い人にして兄上とは相思相愛の絆で結ばれた義姉上”……と、きちんと正式にお呼びするべきでした……申し訳ありません」
「違いますから!」
なんだその仰々しく恥ずかしい名称は。
一体誰だ、そんなヘンテコな正式名称を定めたのは。
そんな長ったらしくも仰々しい響きの名前で毎回自分を呼べと言えるほど、リュンヌは自己顕示欲が強くない。
むしろ、人前で呼ばれたら羞恥心で爆発する気がしてならない。
きっと、その後はもう、一歩も森から出られないくらい酷い心の傷を負うだろう。
「……やめて……その呼び方だけはやめて下さい、お願いします……!」
「そうですか……? オレは、貴方の功績と兄上との深い絆を象徴するようなこの呼び名が嫌いではないのですか……」
「………………(好き嫌い以前の問題だわ)」
恐ろしいことに、フラムは本気かつ本心で言っている。からかう等の意図があればまだしも、なのに。
リュンヌは死んだような目で虚空を見つめ、なんとか声を絞り出した。
「……あねうえでお願いします……!」
「なんと……! 義姉上は大変奥ゆかしい方なのですね! 義弟として、いたく感銘を受けました!」
もう何が何だかわからない。
今のどこに感銘を受ける要素があったのかも、奥ゆかしいのかも、さっぱりだ。
ただ、リュンヌは一つ学んだ。
(さすが兄弟。カルケルにそっくり……!)
兄弟揃って、人を羞恥心でのたうち回らせるのだから。――兄と弟では、方向性が違うが。
「これからも、兄上の事をよろしくお願いいたします、義姉上!」
「…………はい」
純粋な笑顔を向けられているのに、なぜだかどっと疲労したリュンヌだった。
――その日の夜、夕食がてらにこんな事があったのだとカルケルに話すと、彼はごほごほとむせた。
「大丈夫?」
「すまない……。なんというか……弟が、本当にすまない!」
「別に謝る事じゃないわ。ちょっとびっくりしたけど」
「あいつは、出来た弟だが……時々思いもよらない方向に……暴走するようなんだ」
それは、思い悩んで魔女につけ込まれた一件を振り返ればよく分る。
ただ、カルケルはなぜか赤い顔で、ごほんごほんと不自然な咳払いを繰り返した。
「だが、今回は……あいつなりに、俺の味方だと示してくれたんだろうな……」
「味方? 今更? だって、二人はもう仲直りしたじゃない」
「いや、それとは別に…………」
「?」
「……俺と君が、ゆくゆくはその……夫婦になる事を、認めていると……そう言っているんだ」
――カルケルは王位継承権を放棄したとはいえ、王家の血が流れている。
呪いから解放された彼ならば、抱き込みたいと思う貴族は大勢いるはずだ。
隣に立つのは、魔女なんかよりも、令嬢の方が相応しいと大多数は思う。
「フラムが君を、公の場で義姉上と呼べば、俺を取り込もうとする連中への牽制になる。……俺と君の仲は、暗黙の了解とされる」
「…………」
「リュンヌ? 聞いているか……?」
「…………は…………」
「は?」
「恥ずかしい……っ!!」
ばっとリュンヌは椅子から転がるように降りると、しゃがみ込んだ。
その豪快なまでの照れ隠しに、カルケルはやれやれと苦笑して椅子から腰を上げ、同じようにしゃがみ込んだ。
「何が恥ずかしいんだ?」
「だ、だって……! だって、ふ、夫婦なんて……! そんな」
「嫌なのか?」
「嫌じゃないけど、まだ早いわ!」
真っ赤なリュンヌの両手を掴むと、カルケルは笑った。
「そうか、“まだ”と言う事は……いずれは、俺とそういう仲になってくれるんだな」
「えっ!? それは……だって……こっ……恋人同士……だもの……」
後半はもごもごと口の中で唱えるような形になってしまったのだが、カルケルは正確にリュンヌの言葉を拾い上げたようで、ますます嬉しそうに笑う。
「では、……君の言う時期が来たら、また改めて言うことにしよう」
「何を……?」
「なんだ、今聞きたいのか?」
カルケルは、リュンヌに内緒話を打ち明けるように、そっと耳打ちした。
「愛しい魔女殿、どうか俺の妻になって下さい」
「――っ!」
リンゴのように真っ赤になったリュンヌの頬に、カルケルの唇が押し当てられる。
「答えを聞ける日を、楽しみにしている」
「~~! あなたって、あなたって……!」
きっと、本当はもうカルケルだって分かっている。
リュンヌの答えは、もう決まっているから――名実ともに未来の王の義姉上になるのは、そう遠くない未来だと。
だってリュンヌの王子様は、甘くて蕩けそうなほど、幸せそうな笑みを浮かべていたのだから――。