全てが片付いてから、事態はめまぐるしく動いた。

「本当にありがとう、貴方は私達家族の恩人だわ」

 まず、心労で倒れていた王妃が回復した。
 病床から起き上がる事が出来た王妃は、リュンヌと顔を合わせる度に手を握り、絶えず感謝の言葉を口にした。

 その目には光るものがあった。――リュンヌの向こうに、大恩ある茨の森の魔女を見ていたのだろう……――もう、彼の魔女がいないことを、王妃もすでに知っていたのだから。

 ともかく、礼を言われる度にリュンヌは、「カルケル自身の力だ」と答えていた。
 だが、当のカルケルが「魔女殿のおかげ」といってはばからないので、王家にはやたらと恩義を感じられる始末。

 ――王妃も、王も、そして弟王子も、カルケルの呪いが解けたことをたいそう喜んだ。もちろん、城仕えの者達や民も。
 誕生日も間近だから、盛大なお祝いをしようと、城は準備に追われている。

 めでたいことは、みんなで分かち合おう。そんな考えで沸く人々。

 灰を降らせないカルケルは、優しく真面目で素敵な王子様だから、たくさんの人がそばを囲む。


 あの一件から数日。
 経過を観察するため滞在していたリュンヌの目にも、彼がどれだけ慕われているかが分かった。

 ――呪いで人を避けていたカルケルは、多分思い込みが過ぎたのだ。

 たしかに立場や肩書きだけで寄りつく者もいただろうが、彼自身を心配する人もいた。カルケルに、そこまで思い至るだけの余裕がなかっただけだ。

(でも、もう大丈夫)
 
 安堵と共に、一抹の寂しさがリュンヌの胸にこみ上げる。

 ――カルケルの呪いは解けた。
 そして、リュンヌが出した交換条件も、彼はきちんとこなしてくれた。

(私、恋をしたわ)

 生真面目で優しい王子様に。
 散々憧れていた恋をした。

(でも、残念。……私は、お姫さまじゃないものね)

 物語の結末は、王子様とお姫様が結ばれて終わる。
 魔女は王子様と結ばれない。
 ――住む世界が、違うから。

 それでも、これはやっぱり一生の宝物だと胸に秘め、リュンヌはカルケルに別れを告げた。人々に囲まれている彼に直接伝える事は出来なかったから、心の中で。
 
 ――そして、カルケル王子、十八歳の誕生祝いの夜。

 盛大なお祝いが開かれているお城を、ひっそりと出ることにした。

(今頃、舞踏会が始まってる頃よね)

 リュンヌも、出てはどうだと進められたが、断った。
 魔女は踊らないと言えば、カルケルはそれ以上食い下がっては来なかった。

 リュンヌの王子様は、変な所で物わかりが良いのだ。――相手の立場を尊重できる人間なのだ。

 そんな彼は、きっとこれから先いろんな人に会う。そして、いろんな人に好かれるだろう。

 呪いから解放された王子様は、魔法に頼る必要がなくなった。だから魔女は、もういらない。

 物思いにふけりながら、長い階段を下りる。

 途中、これが王妃と王が別れたあの階段だと気付き、なんとも言えない気持ちになった。
 王妃は急いで帰り、ガラスの靴を落とした。王は、それを頼りに王妃を探し当てる。

 リュンヌのガラスの靴は、もうない。

(そもそもアレ、呪い付だったからね。あんなの、別にいらないし)

 とぼとぼと、歩く。
 本当は離れたくないくせに、なにかと理由を付ける自分の意気地のなさ……。

 魔法は使えるようになったけれど、これはいかんともしがたいと肩を落とすリュンヌ。

 ――ぐい。

「――!?」

 下を向いて歩いていた彼女は、突然後ろから腕を引かれ、危うく階段を踏み外すところだった。

「ちょっと! 危ないじゃないの! どこの誰よ!」
 
 ちょっぴり切ない気分だったのに、一気に吹き飛んで、けんか腰の口調で怒鳴りつける。
 すると――負けず劣らずの不機嫌な声がかえってきた。

「あぁ、それはすまない。……靴も残さず逃げようとしている魔女殿を見つけたので、つい、な」
「…………」

 よく知っている声だ。
 でも、振り向きたくない。
 
「……どこへ行く気だったんだ?」

 咎めるような声に、答えたくもない。
 けれど、腕を掴む力の強さから、振り払う事も出来なさそうだ。

「――魔女殿……俺が、嫌になったのか?」

 どうしようと悩んでいたリュンヌの耳に届いた声は、不安げに揺れていた。

「俺は……君と俺は、互いに思い合っていると……そう、考えていたのだが……。すまない、俺の独りよがりな考えだったんだろうか……」
「え、ち、ちが……」
「……すまない……、それなら俺は君になんて事を……。調子に乗って、唇まで奪って……俺は、俺は…………」
「違うから! 思ってるのと全然違うから! 恥ずかしい事言いながら落ち込まないで! 私、貴方の事好きなんだから!」

 ぐるっと勢いよく振り向いたリュンヌは、満面の笑みをたたえたカルケルに抱き留められた。

「捕まえた」
「……あれ?」

 声はもの凄く落ち込んでいて、それこそ再会した時のような暗さを伴っていたのに、リュンヌを腕にとらえたカルケルの顔は、上機嫌そのものだ。

「……ねぇ」
「なんだろうか、魔女殿」
「……騙したの?」
「何のことだろう?」

 いけしゃあしゃあと嘘をつく王子に、リュンヌは文句の一つでも言ってやろうと口を開いて――やめた。

 かわりに、普段からは想像もつかない、気弱な質問が口をつく。

「……なんで追いかけてくるのよ」
「君が、俺の目の届く範囲にいなかったからだ」
「……主役の貴方がいない方が問題よ」
「些末な事だな。俺にとっては、君がいない事の方が、大問題だ」

 真っ直ぐ伝えられる言葉に、リュンヌは何も言えない。熱くなった頬を隠すように、うつむく。

 少しの沈黙が流れたあと、カルケルが少しだけ腕に力を込め、口を開いた。

「どうして、黙って去ろうとしたんだ……?」

 問われたリュンヌは、俯いたまま答える。

「……だって、お姫様じゃないから」
「なんだ、それは」
「王子様は、お姫様と結ばれるものでしょう」
「……世の大半の女性は、姫君ではないだろう。母上だって、元は姫などという身分ではない」
「そうじゃないの! 女の子は、誰でもお姫様になれるの!」
「その論法ならば、魔女殿だって該当するだろう」
「私は魔女だからダメ!」

 意味が分からない、とカルケルが嘆息した。

「――私は、もう魔女っていう存在だから、お姫様にはならないの」
「……なぁ、それはもしかして……俺のことが嫌だと遠回しに断っているんだろうか?」
「違うわよ! どうしてそうなるの! 貴方の事が好きだけど、ま、魔女の私じゃ、釣り合わないでしょう……! 私は魔女をやめる気なんてないし、誇りに思ってるけど……魔女と王子様が結ばれるお話なんて、見たことないもの」
「…………」
 
 カルケルは、真面目な顔でしばし沈黙した。
 かとおもえば、リュンヌの頬を両手で挟み込み――深々と嘆息した。

「なんだ、そんな事か……」
「そ、そんな事じゃないわ……!」
「いいや、そんな事だ。……魔女と王子が結ばれたという逸話がないのならば、俺達が作れば良いじゃないか」
「…………え?」
「俺は君を好きで、うぬぼれでなければ……君も俺を思っていてくれているんだろう? ――この先も、一緒にいればいいと言ってくれたじゃないか」

 居場所がないと悩んでいたカルケルだから、言ったのだ。
 呪いが解けた彼には、もう帰る場所がある。
 王子である彼に、相応しい場所が、用意されているのだ。

「王子と魔女は、いつまでも幸せに暮らしました――では、駄目なのか?」

 優しい問いかけに、リュンヌは頷きたくなった。
 
「俺は、それでいいと思っている。……そうであって欲しいと、心から願っている」

 あとは、君の答え次第だと促されたリュンヌは、顔を上げた。
 
「……貴方が自分のお姫様を見つけるより先に、魔女が攫ってもいいの?」

 問いかけに、カルケルは破顔した。
 リュンヌの頬を唇が掠め、囁き声が降ってくる。

「大歓迎だ、俺の魔女殿」

 心から言っていると分かる答えに、リュンヌは堪えきれず涙し、カルケルに自分から抱きついた。