時は遡り、少しだけ前のこと――カルケルだけが連れて行かれた後、リュンヌはガラスの靴を脱ぎ捨てて、もう一度杖を振った。

 カチャリ……。

 鍵の外れる音がして、鉄格子がゆっくりと外側に開いた。

「……出来た……」

 開いた鉄格子を凝視し、リュンヌはかすれた声で呟く。
 初めて、初歩の初歩以外の魔法が成功したのだ。

 けれど、その喜びを分かち合う相手はいない。
 カルケルはどこかへ連れ出され、ランたんは姿を消したままだ。
 でも、大丈夫だとリュンヌは深呼吸する。

「――今、助けに行くからね……!」

 自らを鼓舞するように声に出し、素足で一歩踏み出したリュンヌの後ろで、何かが割れる音がした。
 振り返ると、これまでは、何をやっても傷一つ付かなかったガラスの靴が、粉々に砕けた。

「…………」
『呪いを退けましたね』

 ガラスの靴だった物の破片は、変色し、黒い砂の塊と化した。
 自分を長年縛っていた呪いのなれの果てを、見つめていたリュンヌは、後ろから声をかけられ飛び上がる。

「ひっ……!? ――え、ぁ、……ランたん……!」
『おめでとう』

 どこにいたのだと文句を言おうとしたリュンヌだったが、使い魔から放たれた声が予想外にあたたかかったので、勢いを削がれてしまう。

『いつか恋して花開く娘が、愛を抱くならば、花は枯れずに咲き誇るだろう』
「……なに、それ?」
『むかし、悪辣な呪いに対抗するため、上書きした魔法ですよ』
「貴方が?」
『……さぁ、どうだったでしょうか? ――でも、これで安心しました。貴方は、呪いに負けず、そして自らの殻を打ち破った。……自分のためではなく、誰かのために』

 くるりと、ランたんが意味もなく回る。

『貴方を誇りに思いますよ』

 褒められているのだと分かって、リュンヌは頬を赤くした。ずっと自分のそばにいてくれたランたんに、こうも手放しで褒められると照れくさい。

『これで、私も安心して休むことが出来ます』
「なに、それ。どういうこと?」
『貴方のお守りは、そろそろお役御免だと言う事です。……私の代わりに、貴方のお守りを買って出てくれる方がいますしね』
「お守り? ちょっと、子供扱いしないでよ」

 胸をよぎった一抹の不安を誤魔化すように、リュンヌはわざと怒った声を上げた。

『子供ですよ。……私にとっては、いつまでも……』
「……ランたん、なんだか本当に変よ? どうかしたの?」
『どうもしません。さぁ、おしゃべりはお終いです。手のかかるお子様、杖をしっかり握りなさい。――貴方の王子様を、助けに行くんでしょう?』

 うん、とリュンヌが頷くと、ランたんは先導するようにふわりと先に躍り出た。

『王子がどこにいるか、私が案内します』
「わかるの!?」
『ええ。私が、ただ臆病風に吹かれて逃げ出したとでも思っていたんですか?』
「臆病風っていうか……。ランたん、いつも気まぐれに消えるじゃない」
『心外です。私は、色々頑張っていたのに。……王子の命を狙ってきた刺客がどうなったか、国王に確かめに行ったり、王妃の様子を見に行ったり……。茨の森の魔女には、くれぐれも頼むと言われていますからね』

 そして、あちこち見て回った結果を、ランたんは口にした。

『どうやら、悪い魔法が城全体に蔓延しているようですね』
「それって……! もしかして、私達を捕まえた人達が、カルケルの事を王子様だって分からなかったのも?」
『はい。王と王妃は、茨の森の魔女がかけた善い魔法が残っています。……ですが、王が城内の不自然さに気付かない時点で、影響は皆無とは言えません。王妃は寝込んでいますしね』
「じゃあ、王様達も元に戻さないと」

 もしかしたら、カルケルは家族にすら忘れられるかも知れない。
 最悪の事態を考え、リュンヌが神妙な顔で呟くと、ランたんはあっけらかんとした口調で言った。

『あ、そっちは大丈夫です。私が対処しておきましたから』
「……ねぇ、ランたん。貴方、絶対ただの使い魔じゃないわよね? ……一体、何者なの?」
『そんな怖い顔はやめなさい。もどらなくなりますよ』
「誤魔化さないで」
『誤魔化していません。……対処といっても、特別な事はなにも。貴方にもおなじみの、頭突きで一発でしたから』

 それが誤魔化しでなければ、なんなのだ。
 不満に思ったが、ここで問い詰めている場合でもない。

「後で、洗いざらい吐かせてやるわ。正直に答えないと、今度こそカボチャスープにしちゃうからね」
『まぁ、怖い』

 定番の憎まれ口を叩けば、……そんな事はあるはずがないのに……リュンヌの目には、カボチャお化けが笑ったように見えた。

『私は、ランたん。貴方の事を大好きな、カボチャお化けですよ』
「またそうやって誤魔化す! カルケルを助けたら、覚えてなさいよ!」
『本当に、大好きですよ。――ほら、急いで急いで』

 優しい声から一転、ランたんは裸足で歩くリュンヌを急かし始める。
 
「わかってるわよ!」

 言いながら、リュンヌは階段を駆け上がった。
 そして――賑わいとはほど遠い、無人を疑うほどひっそりとした城内に、絶句した。

「……なんか、変じゃない……?」

 幼い頃……茨の森の魔女に連れられて、足を運んでいた頃は、もっと人がいて、明るい雰囲気だった気がする。

 しかし、記憶とは正反対の光景が、牢から抜け出してきたリュンヌの目に映る。
 誰にも見つからないのは、好都合だ。騒ぎを起こさずして、カルケルを探せる。
 だが、王城でこの有様は、異常だ。

「……ランたん……」
『言ったはずです、悪い魔法が蔓延していると。目当ての物を手に入れた野茨は、もう取り繕うことすらやめたのでしょう』
「物って……」
『カルケル王子に決まっています』

 言われた言葉に、リュンヌは眉をつり上げる。

「カルケルは、物じゃない……!」
『ええ、貴方にとっては。……けれど、野茨にとってはどうでしょうか? 人の価値観では、彼女の考えを推し量る事はできません』
「……。カルケルは、あの人の……野茨の魔女の所にいるのね?」
『はい』
「場所は、わかる?」
『もちろん』

 リュンヌは、一度だけ強く唇を噛んだ。
 そして、意を決して開く。

「お願い、ランたん。私をそこへ、連れて行って」
『――もちろんです、うちの魔女さん』

 人気のない城をランたんと進む。
 前を行くランたんには迷いがない。

 程なくして、大仰な装飾が施された部屋の前に到着した。耳を澄ませば、中から話し声が聞こえてくる。

 カルケルの声と、知らない人の声。
 だが、とても和やかな雰囲気とは思えない。
 会話の流れから、相手がカルケルの弟だという事が分かったが――。

(今って、さすがに出て行ったらマズイわよね……?)
(……そうですね。弟君が、王子の言葉で正気に返る可能性があるのならば……)

 扉に張り付いて、ひそひそ話を交わす魔女とカボチャお化けというのは、傍から見れば不審だろう。

 人がいないこの場でしか出来ない事だ。
 とりあえず、状況を見守ろう――そう決めたのに、新たな声がまとまりかけていた兄弟の場を乱した。