城へ行く。
そう決めて、茨の森を出立したリュンヌ達。数時間後、リュンヌとカルケルは――牢にいた。
「……なんでこうなるのかしら……」
森を出てすぐに、待ち構えていた兵士達に拘束され、リュンヌ達は城まで連行された。
移動の手間が省けたと笑えないのは、そのまま牢屋に放り込まれたからだ。
――ランたんは、兵士達が殺到してきた時点で姿を消したまま、一度も現れない。
かび臭い牢屋で、外套を剥ぎ取られたカルケルの周りには、いくつか小高い灰の山が出来ていた。
「……カルケルの外套を持って行くなんて……あれが何なのか知っていたとしか思えないわ」
「――そうだな。彼らは、脇目も振らず、外套をむしり取り、灰が降るのを確認していた」
この男で間違いないか?
そう言ってカルケルの外套を引っぺがした兵士達からは、王子に対する敬意が一切感じられなかった。
そして、もう一つ。
「……私から、杖を取り上げなかったわ」
魔法使いを捕まえる上で重要なのは、杖の有無だ。杖が無ければ、魔法は上手く働かなくなるので脅威にならない。
リュンヌは、肩書きはどうあれ、魔法使いには違いないのだから、杖を所持しているか調べ、取り上げるのが普通だ。
けれど、拘束までしたくせに、兵士達は身体検査は行わなかった。
――まるで、リュンヌがろくな魔法も使えない“半人前以下”である事を知っているように。
「……ねぇ、カルケル、やっぱり変よ」
牢の中で、リュンヌはこそっとカルケルに耳打ちした。
「みんな、貴方の事を“知らない人”みたいな目で見ていたわ……」
「……俺は確かに引きこもりだったが……、それでも一切他者と関わらずに生活するの、は不可能な身の上だ。……俺達を捕らえた兵士達の中にも、知った顔が何人かいた。だが……」
全員、無反応だった――カルケルが、沈んだ表情で呟く。
「……あの魔女が、ここにいるのは間違いないと思う」
「――……」
「貴方のお母さんの義姉さん達と同じ、……よくない魔法が働いてる」
城の中に潜り込み、徐々に魔法の範囲を広げている。
「……度が過ぎた嫌がらせだな」
「人の心に働きかける魔法っていうのは、魔法使いの分野じゃないの。――それはもう、精霊達の領域だよ。“人は人の領分を超えてはいけない、誰かを踏みにじるような悪い魔法には報いがある”……これが、魔法使いが最初に教えられる心得だもの」
善には善の、悪には悪の報いが返ってくる。
古くから言い伝えられている言葉だが、魔法使い達は、それをただの迷信だと笑ったりしない。
事実と受け止めているからこそ、粛々と日々研鑽に励む。
けれど、野茨の魔女は、先達が決して超えてはいけないと定めた境界線を、笑って易々と踏みにじった。
魔法使い達が守ってきた、ありとあらゆる心得を、自分の心が向くままに目茶苦茶にしてしまった。
――それでもいまだに、気が収まらないとわめいているのは、きっと……“待っている”からだ。
「とにかく、なんとかして牢屋を出ないと……! あぁ、もう! こんな時にランたんはどこに行ったのよ! あのバカみたいに固い頭で、頭突きでもすれば一発でしょうに!」
「……いや、魔女殿、さすがのランたんでも、鉄格子を破壊するのは無理だと思うぞ」
仮に出来たとしたら、俺達の頭はとうの昔に粉々だ。
真面目な顔で、冗談めいた事を口にするカルケルに、リュンヌはちょっと驚いてしまった。
「……カルケルが、冗談を言ってる……」
「……あの……、魔女殿? ……そんな、幼子が初めてつかまり立ちした時のような、感動的な視線を向けるのはやめてくれないか……?」
「うわ~……カルケルも冗談を言えるようになったんだ」
感嘆の声を上げたリュンヌ。
率直な言葉に、照れたように頬をかいていたカルケルが、吹き出した。
「君は……妙なところに食いつく子だな」
「え? 妙じゃないわよ。失礼ね。真面目を具現化したような貴方が、小粋な冗談を口にしたから感動しただけじゃない。……ほら、全然妙じゃないわ」
「……小粋な冗談、だと……? ……小粋、だったか?」
軽口を叩いた自覚はあるカルケルだったが、そんなに上手いことを言った覚えは無いぞと首をかしげた。
「こ、小粋だったのよ!」
ムキになってリュンヌが言い返せば、カルケルからじっと凝視される。
「な、なによ?」
「君の笑いのツボは、どこか変わっているな」
でも――と、続けられた言葉に、言い返そうとしていたリュンヌは閉口する。
「俺は、君のそういう所も、好きだ」
ちょっと冗談を言うくらいがなんだ。
この王子様は、実は全く変わっていない。
生真面目で、優しくて――臆面無く恥ずかしい言葉を吐く彼は、有り得ないほどの天然
で……。
「魔女殿? 頭を抱えてどうしたんだ? 頭痛か?」
「……貴方って」
「うん?」
「ほんとうに、どこまでいっても、素敵な王子様なのね」
ぱちぱちと目をしばたいたカルケルは「ほめているのか?」と呟いた。
「もちろんよ」
リュンヌが答えると、彼は照れくさそうな笑顔を浮かべた。
「……そうか。――うん、そうか」
当たり前のように、二人の手が重なる。
伝わってくる温もりを感じると、リュンヌはまだ大丈夫だと気力がわいてくる。
二人一緒なら、まだやれる。
――けれども、そんな決意をあざ笑うように、牢に足音が響いた。
がちゃがちゃとした、金属同士がぶつかるような音。
身を固くしたリュンヌの手を、大丈夫だというようにカルケルがしっかりと握りしめてくれる。
大丈夫。
心の中で、その言葉を繰り返したリュンヌだったが――。
「罪人、出ろ」
彼女の目の前で、カルケルだけが牢の外に連れ出された。
それも、無理矢理引きずり出すような手荒な方法で。
「カルケル……!」
悲鳴じみた声で呼びかけたリュンヌに、カルケルは安心させるように笑顔で応えたが――体勢が整うのも待たず、兵士達は彼を引きずって牢の外へと出て行った。
途中、怒鳴り声と人を殴るような嫌な音が聞こえたのは、空耳では無い。
一人きりになった牢の中で、リュンヌはがたがた震えた。
(ど、どうしよう……)
勢いでここまで来たけれど、実際自分は役立たずだ。
――カルケルは連れて行かれてしまったし、自分は今一人きり。
怖い、と思った。
(でも……)
乱暴に連れ出されたカルケルは、リュンヌに向かって笑ってくれた。
安心させるように、怯えさせないように。
けれど、姿が見えなくなった後で聞こえた怒鳴り声は「さっさと歩け!」「罪人め!」という、カルケルを罵るもので、最後に聞こえ鈍い音は――きっと、カルケルが兵士達の誰かに殴られたのだ。
(カルケルの方が、もっと怖くて、痛いんだから……!)
それでも、リュンヌのために笑って、抵抗もせず連れ出された。
優しい優しい――リュンヌにとっての王子様。
幼い頃、自分を助けてくれた彼。手を引いて、連れ出してくれた彼。
与えられるばかりで、自分は何も出来ない。
リュンヌの中にある、後ろめたさ。それを突きつけるように、ガラスの靴が耳障りな音を立てる。
ほら見たことか。
お前は満足に魔法も使えない、見習い以下の才能無し。
森でグズグズしているのがお似合いだ。
「……っ……」
自分を馬鹿にする声。過去に散々聞いたものが、耳の奥でよみがえる。
いつまでだっても魔法が使えない、駄目な魔女。
それは事実だ。
王子様に助けられてばかりの、情けない魔女。
これも事実だ。
だが、しかし――このままでは、終われない。
役に立たないままで……足手まといのままで、終われるはずが無い。
リュンヌは、袖に隠していた杖を取り出して、ぎゅっと握りしめる。
「えいっ!」
杖を鉄格子の鍵穴に向かって一振り。
「えいっ! えいっ! それっ!」
もう一振り、さらに二振り、おまけに三振り――一生懸命杖を振るが、なんの変化も無い。
ぎゅっと唇を噛んだリュンヌは、大きく深呼吸する。
そして、冷たく耳障りな音を立てるガラスの靴に視線を落とした。
ぴったり足に嵌まったそれを睨み付け――すぽん、と足を引き抜いた。
夜、眠るため以外では、一度も脱げなかったガラスの靴。それを、リュンヌは初めて自分の意思で脱ぎ捨てる。
もう一度、杖をしっかりと握り、顔を上げた。
「今度は、魔女が王子様を助ける番よ……!」
裸足の魔女は、決意と共に大きく腕を一振りした――。