束の間考え事から解放され、散策してきた二人は、館に戻ってきた。

 そして、門をくぐったとき、リュンヌはあるものを目にとめた。
 草陰の中で光を反射し、きらりと光った物。

 何だろうと、まじまじと確認する前に、それを持った人間が草の間だから飛び出してきた。

「反逆者め! 覚悟しろ!」

 自分が目にした光る物が、短剣だった事。
 そして、短剣は迷いなくカルケルに向けられている事。

 この二つを目にしたリュンヌの体は、自然に動いていた。

「危ないカルケル!」
「――おいっ……!」

 フードを被っているせいで、視界が狭まっているカルケルが、真横から飛び出してきた気配に気付いて動いたのは、声が響いた直後。

 リュンヌはその前に、体を投げ出していた。

「痛っ……!」

 腕に、鋭い痛みを感じた。

 すっと線が入るような、嫌な痛みの後には、ぐっと熱のような感覚が広がる。

 ぽたぽた、と地面に落ちたのが自分の血だと理解した時、リュンヌはすでにカルケルの腕の中にいて、短剣を向けてきた男はカルケルに殴り飛ばされていた。

「魔女殿、怪我を……!」
「た、たいしたことない……」
「そんなわけがあるか! 血が出ているじゃないか……っ、この男……!」

 ばさ、ばさ。
 灰が大量に降る気配がする。
 殴られた男は、蔑むような目をカルケルに向けた。

「忌まわしい“国沈めの呪い”め! 国を滅ぼす、大罪人がっ……!」

 ぴたりとカルケルの動きが止まる。
 リュンヌも、男の言葉に目を丸くした。

「国沈め……?」
「……何も知らないで、この男を庇ったのか? この男は、自らの呪いを利用し、この国を沈める気なんだ! 十八の誕生日までに殺さなければ、この男が降らせる灰で、国は沈んでしまうんだぞ!」
「……黙れ……」

 カルケルの声が、震える。

「――デタラメを言うな」
「だから、早急に殺してしまえと命が出たのだ!」
「黙れ……!」

 カルケルが、叫ぶ。同時に、彼の手が動いた。
 男を殴ろうとした手は、振り上げられた直後で止まる。

「だめよ、カルケル!」
「……魔女殿……」

 我に返ったカルケルが、腕を下ろそうとした。しかし、男が嫌悪に満ちた声を荒らげた。

「魔女だと……? 貴様が、反逆者を庇う、薄汚い魔女か……! 恥を知れ!」

 それが、カルケルの怒りの限界だったのかもしれない。
 一度は冷静さを取り戻した双眸が、カッと見開かれた。

 今度は大声を出すこともなく、男の上に灰が降る。
 リュンヌは慌てて杖で灰を寄せようとした。しかし、カルケルが阻むように抱きしめる。

「カルケル、離して!」
「――っ」

 そこに仇でもいるような形相で、カルケルは灰の山を睨んでいた。
 こんなに怖い顔の彼なんて、初めて見た。

 ――いいえ、とリュンヌは思い直す。

 あの四人組に絡まれたときも、カルケルはこんな顔をしていなかっただろか?

「カルケル、落ち着いて! 私は大丈夫だから! カルケル……!?」

 あの時、彼は自制が効かなかったと言っていた。
 ――ならばこれも……。

(怒りで自制が効かない状態……つまり、切れちゃったって事じゃないの!)

 あの四人は、灰に埋まろうが魔法で脱する事が出来た。

 しかし、今ここにいる男は、魔法使いではない。どんどん積もる灰をどうにかするなんて無理に決まっているのに、カルケルの怒りは収まらない。

「カルケル、やめて!」
「この男は、君を害したばかりか、侮辱したんだぞ!」
「そんなのいいから!」
「っ! 良いわけが、あるか!」

 取り返しがつかない事になる前に、リュンヌは叫んだ。

「いいんだってば! カルケルが人を傷つけたって後悔するより、ずっとずっとマシなんだから!」
「――……なっ……」

 根が優しい王子様は、後で絶対に後悔する。
 なによりも、取り返しがつかない事態を招けば、その傷は一生癒えないだろう。

『そうですね。この子の言う通り。……カルケル王子、貴方は手を汚すべきではない』

 リュンヌの言葉を肯定する、声がした。
 同時に、積もった灰がぐんぐんと減っていく。

 開け放たれた館の扉の前。

 そこに浮かんでいるカボチャお化けがぱっくりと口を開け、灰を吸い込んでいた。

「ランたん……!」
『全く、手間のかかる子供達です』
 
 ペロリと灰を平らげたカボチャお化けは、ふわふわ浮いたまま近付いてきて……――。

「う、うぅ……ここは……」
『そぉー……れっ!』
「ふごっ!? ――」

 灰に埋もれ気絶していたのだろう男。
 目を覚ましたばかりの彼に、思い切り頭突きを食らわせた。

 当然、相手は気絶する。

「ら、ランたん……なんて事を……」
『ふん。これくらいで済んで、感謝して欲しいくらいですよ。本当だったら、八つ裂きにしてやりたいくらいなんですから』

 つん、と澄ました返事が返ってくるが、内容が怖い。
 怯えるリュンヌに、カボチャお化けは近付いてくる。そして、毛糸で出来た手を傷口の上で振った。

「……あ」

 二度、三度と繰り返されると、血が止まり、傷口が塞がってくる。

『……ふぅ、今の力だと、これくらいが限度ですね。完全に治ってはいませんが、その程度ならば痕は残らないでしょう』
「…………」

 額を拭う真似をするランたんに、リュンヌは複雑な表情で視線を向けた。

「……ありがとう。……でも、本当にペラペラ喋れるのね……。それに、怪我まで治せるなんて……ランたんって、本当にただの使い魔なの?」
『…………』

 くりん、とカボチャお化けは一回転した。

「ランたん?」

 リュンヌが声をかけると、ランたんはわざとらしくカボチャ頭に毛糸の手を当てて、首をかしげる仕草をしてみせた。

 長年の付き合いから、これが「何言ってるかわからなぁ~い」という意味だと察したリュンヌは、眉をつり上げる。

「はぁ? 何でいきなり黙るの? 喋りなさいよ! この人のことも、気絶させちゃうし……! もう、なんなのよ、この人もランたんも!」
『待ちなさい。こんな男と同列扱いは、さすがに不愉快ですよ』

 もう話すつもりはないという風体だったランたんが、あっさりと抗議の声を上げた。

 そして、パカッと口を開くと――気絶している男を吸い込んだ。
 明らかに容量を無視した行為だというのに、男の体は難なく飲み込まれ――突っかかりもなく、するんと消えた。

「ら、ランたんが……人を食べちゃった」
『食べていません。しかるべき場所に、送り返して差し上げただけです』
「……しかるべき場所、だと?」

 カルケルが、初めて声を発する。 
 真っ青な、顔で。

『えぇ。賢い王子様ならば、お気づきでしょう? 今の無礼な男が、どこからの差し金か』
「……っ」
『まずは、中にお入りなさい。……温かいお茶でも飲みながら、お話ししましょう? なにせ、頭を悩ませていた事柄の、打開策が見つかったのですから』

 ふわり、ふわり、カボチャお化けの動きは軽い。早く来いと言い残し、さっさと館の中に消えていく。
 リュンヌは立ち尽くしているカルケルに声をかけた。

「……カルケル」
「……すまない。俺は、また……」

 ぴくりと震えるその様子は、出会ったばかりの……いや、再会したばかりの頃のようだ。

「ね、カルケル、中に入ろう?」
「……俺は……」
「カルケル?」
「……俺は、君に……こんな怪我をさせるくらいな……呪いなんて……」
 
 青ざめた顔で、まとまらない事を話す様子は、彼の混乱を物語る。
 ひどく動揺しているカルケルの手を、リュンヌはぎゅっと握りしめた。

「そんな事言わないで、カルケル」
「……だが、君に怪我を……! それに、ランたんが来てくれなければ、俺は……俺はきっと、君まで巻き添えにして……」
「カルケルは、そんなことしないわ」

 リュンヌは見ていた。
 自分の言葉で、カルケルが我に返ったことを。灰の勢いが、弱まったことを。

 ――カルケルは、人を傷つけたりしない。そんなこと、出来ない。
 
「貴方が自分を信じられないっていうなら、私がずっと見ていてあげる。そして、最後に“ほらね、言ったとおりでしょ”って証明してあげる。だから、悲しい事は言わないで、私の王子様」
「……っ……」

 いつだって、呪いに振り回されたとき、カルケルは迷子のような目をする。
 けれど、リュンヌの言葉を聞いたとき、彼の目は迷子のそれではなくなった。

 ようやく、帰る場所を見つけられた……――そんな、安堵が入り交じったものへと変化して……こくりと一回、頭が動く。

 声こそ発されることはなかったが、リュンヌの体に回された腕の強さが、答えを雄弁に物語っていた。