ずきん、ずきん。
 足が痛みを訴える。それと同時に、ガラスの靴が耳障りな音を立てる。
 リュンヌは木によりかかり、足首をさすった。
 
(……どうしよう……)

 足の痛みもそうだが、カルケルのことも……。

 彼に、自分は役に立たない魔法使いだと露見してしまった。

 それも、リュンヌ自身から打ち明けたわけではない、他者からの揶揄という形で暴露されてしまったのだ。

 王都にて、あの四人の前から上手く逃げおおせたのは、ランたんのおかげだ。

 もともとは“茨の森の魔女”が呼び出した使い魔だ。
 あのカボチャお化けは、有能だった。事実を言えば、リュンヌなどよりもずっと。

(私、なにもしてない……)

 危機に、何一つ満足のいく働きが出来なかった。

 人を助ける魔法も、人を守る魔法も、リュンヌは何一つ使えずにいた。

 ――合わせる顔がないと、目を覚ましてすぐ衝動的に飛び出したが……。

(うぅ、結果的には気絶したカルケルを床に転がしたまま逃げたし……私って、なんでこう……)

 逃げるのかと、カルケルに偉そうに言っておいて……いざとなれば、逃げ出したのは自分の方だったなんて、なんという体たらくだろう。

「なんでこう、突発的な事態に弱いのかしら……」
「ああ、本当にな」
「――っ!」

 自己嫌悪にかられ、思わず声に出した言葉。
 それに、まさか返事があると思わなかったリュンヌは、飛び上がらんばかりに驚いた。

 顔を上げれば、カルケルとランたんが木々の間に立っている。

「か、カカカカカカッ!」
「こら、笑い事ではないぞ。足が痛いのに、外に出るなんて何を考えている」
「笑ってない! 動転していたの!」


 生真面目な王子は、真剣な顔でリュンヌを注意してきたが、リュンヌは悪びれなく笑ったわけではない。

 言葉通り、動転していただけで、本当はただ「カルケル」と彼の名前を呼びたかっただけなのだ。

 少し怒ったような顔をしていたカルケルは、リュンヌが気丈に言い返すと、安心したように目尻を下げた。

 そして、当たり前のように手を差し伸べてくる。

「あまり、俺を心配させないでくれ。……ほら、早く帰ろう?」

 声は、あまりにも優しかった。

 もしかしたら彼は、王都であの四人組の言った事なんて、一切聞こえていなかったのではないかと思うほど、リュンヌに対する負の感情が欠片もなかった。

 あるのは善意の塊のような、優しさだけ。
 
「か、カルケル……」
「ん? もしかして、歩けないほど痛むのか? 無理をするからだ。俺でよければ、背中を貸すが……。……灰、がな……」

 足は痛い。
 たしかに、足は痛いけれど、それよりももっとずっと、痛むところがある。

「なんで……?」
「魔女殿?」
「なんで、お、怒らないの……?」

 カルケルが優しすぎて、胸が痛い。
 勝手なことだと思うけれど、露見した“真実”に、触れないようにしている彼の優しさが、針のように胸をチクチクとついてくる。

「怒る? 俺が? ――どうしてだ?」
「だって、……聞いたでしょう、あの人達が言ってたこと」
「……ああ、あの失礼な四人組か。あまりにも腹が立って、自制が効かなかった。目立つような事態を招いて、悪かった」

 謝るのは彼ではないと、リュンヌは首を横に振った。
 むしろ謝るべきなのは……。

「ごめんなさい、カルケル。私は……」
「魔女殿?」
「あの人達の言う通り、見習い以下の、ダメ魔法使いなの……! 黙っていて、ごめんなさい!」

 もう隠していられない。リュンヌはバッと頭を下げた。
 自分で言っていて、ひどく恥ずかしかった。

 きっとカルケルの目には、失望が浮かぶだろう。傷ついた顔をするだろう。

 彼は呪いを解くことを望んでいるのだから。
 
 そう思っていたリュンヌに、かさりと草木を踏む音が届く
 近くで聞こえた音に、顔を上げると、カルケルがすぐ傍まで来ていた。

「な……殴る?」

 怒っているのだ。
 なにせカルケルは人生がかかっている。それを、リュンヌの見栄のために台無しにされたとなれば、怒りは相当だろう。

 恐る恐るたずねてから、リュンヌは「どうぞ」とばかりに歯を食いしばった。

「誰が誰を殴るんだ。女性に手を上げるはずないだろう」
「……じゃあ、叩く……?」
「叩かない。――魔女殿、君は何か勘違いをしているぞ? ……俺は、君に腹を立ててなどいない」

 困ったように微笑んだカルケルからは、確かに怒りを感じなかった。

「……どうして?」
「どうしてって……」
「もしかして……諦めちゃったの? だめよ、そんなの! たしかに私は駄目駄目かもしれないけど……約束は、ちゃんと守るから! 呪いを解く手助けはするし、集めた情報もあるもの……、もっと立派な魔法使いに頼めば、きっと――」
「……そこで、“茨の森の魔女に頼むから、祖母が戻るまで待て”とは言わないんだな」

 微苦笑のまま祖母の名前を出され、リュンヌはびくっと肩を跳ねさせた。

「……魔女殿、俺は怒ってなんていないし、諦めるつもりもやい。……ただ、この先も一緒に悩むのは、君が良いと言っているんだ」
「……私……?」
「どんな立派な魔法使いよりも、俺は君がいいんだ。……俺のために、あれこれと一生懸命力を尽くしてくれたのを知っているから、君以外は考えられない」
 
 リュンヌは今まで、魔法が全てだと思っていた。
 魔法が使えない自分は馬鹿にされる。必要とされない。

 そして、それが事実だった。

 今まで彼女に、“魔法が使えなくてもリュンヌがいい”と言ってくれる人は、いなかった。

「だから魔女殿、これからも、俺に力を貸してくれないか?」
「……本当に、いいの?」
「もちろんだ。……俺は、一生懸命な君がいい」

 優しく和むカルケルの双眸に、泣きそうな顔になっている自分の姿を見つけたリュンヌは、みっともないと思い笑おうとした。
 けれど失敗して、たまっていた涙がぽろぽろと流れる。

「……す、すまない……嫌だったのか?」

 慌てたカルケルに、リュンヌは首を横に振る。

「それじゃあ、俺と帰ってくれるだろうか?」

 うん、と大きく首を縦に振り、リュンヌは差し伸べられた手を握る。
 そして、伝えなければと口を開いた。

「ありがとう、カルケル……! 私……っ、わた……し……っ」

 不意に舌が、凍り付いたように動かなくなった。
 繋いだはずの手から力抜け、彼の手を離してしまう。

「魔女殿? ――おい、魔女殿……!!」

 カルケルの目が大きく見開かれ、大声が耳朶を打つ。

 視界に灰が降ってくる。
 カルケルが大きく動揺しているのが分かった。それなのに、リュンヌはもう返事が出来なかった。

 足の痛みが、全身をねじ切るような激痛に変わり、リュンヌはそのまま意識を失った。