“……娘を虐げていた継母は、とうとう隠していた恐ろしい本性をあらわにしました。王国を我が物にするため娘を亡き者にし、王子の心を操ろうとしたのです。

 けれど、二人の心はそんな事では離れません。悪い魔女の魔法は、真の愛により打ち破られました。

 悪い魔女は灰になり消え去り、王国に新しい朝がやって来たのです。
 
 そうして、王子と娘はお城にもどり、たくさんの人達に祝福され、盛大な結婚式を挙げました。

 二人を結びつけてくれた善い魔女が杖を一振りすると、色とりどりの花が二人の上に降り注ぎます。

 人々がわっと歓声を上げました。

 その中には、娘を助けようとして怪我をした、姉達も混じっていて、嬉しそうに手を振っています。

 娘は白い手を振り返しました。その手はもう、薄汚れてはいません。娘はもう、灰を被る必要はありません。

 花に触れても、美しさを損なってしまう事は二度と無いのです。

 ああ、なんて幸せなのかしらと歌うように口にした娘に、王子は微笑みました。

 これからもっともっと、みんなでたくさん幸せになろうと――。”


 訪れた教会にて通された部屋、そこでリュンヌは、コントドーフェ王国一番売れている物語の終盤を思い返していた。

 悪の魔女は灰になり死に、残った娘達は最後は娘を助けようとしたため恩赦を与えられた。物語は主役二人のめでたしめでたしで締めくくられ、姉達のその後については一切触れられていない。

 ――現実の彼女たちにしてもそうだ。

 王妃を虐げてきた義姉二人が、いまだ王都にいる事を知っている人間は、もしかしたら少ないのではないだろうか。

「あの神父様、知り合いだったのね」
「ああ、昔の……な」

 リュンヌとカルケルが訪ねると、最初は神父から、有無を言わせぬ笑顔で、そんな人達はいないと言われたのだ。

 しかし、カルケルがわずかにフードから顔をのぞかせると、対応は一変した。
 すぐに別室へ案内され、初老の神父は懐かしそうに目を細めたのだ。

『……お久しぶりです、カルケル様。大きくなりましたな』

 しみじみとした口ぶりにリュンヌが驚くと、カルケルは気まずそうに目を逸らして言った。

『……まさか、俺なんかを覚えていてくれたなんて……』
『覚えておりますとも。カルケル様は小さい頃、たいそうやんちゃでしたから』
 
 神父は優しい目をしていた。
 カルケルの現状は、彼の耳にも届いているだろうに、嫌がる素振りもみせない。
 ここに来た目的を聞いたりもしなかった。

『あの二人は、間もなく来るでしょう』
『……すまないが、俺がここに来たことは――』

 席を外そうとした神父に、カルケルが秘密裏の訪問だからと口止めしようとすれば、すでに心得ているという体で頷かれた。

『はい。他言無用で。……陛下からも、いずれ訪ねてきたときは、内密に協力して欲しいと言われております』
『……父上が――?』
『はい。……カルケル様。陛下は、貴方様が健やかな生を送られることを望んでおいでなのです』

 そして、神父は一礼して部屋を出て行った。
 最後の最後に、気になる発言を残して。

「……父上が、なぜ」
「……知っていたのかも」
「え?」
「私達が、ここに来るって、最初から分かっていたのかもしれないって事」
「……まさか。……俺の不要と思っている人だぞ」

 リュンヌは頬杖をつくと「それなんだけどね」と続けた。

「それ、お父さんから直に言われたの?」
「…………え?」

 カルケルが、戸惑ったように声を震わせた。

「い、言われたわけではない。……だが、実際俺は持て余されていた。王太子には相応しくないという意見だって上がっていたし……」
「……私、“カルケルの話”をしているんだけど?」
「……俺の……?」

 迷子のような顔をしていると、リュンヌは思った。

 不安で心細くて、自分が今どこにいるかもわからない……そんな表情のカルケル。
 放っておけない気持ちになるじゃないと内心で呟き、リュンヌは手を差し出した。

「はい」
「……なんだろうか?」
「手を繋いでいれば、安心できると思って」
「…………は? ――はぁ……!?」
「カルケルは、いつもだいたい寂しそうな顔をしているのよ。物事を悪い方にばっかり考えるのも、一人で延々と難しく考え込んでいるからに違いないわ」

 だから、とリュンヌは強引にカルケルの手を握り、続けた。

「これからは、私と一緒に考えればいいのよ」
「――……っ……」
「家族のことだってそうだわ。カルケルは、一度もお父さんに直接なにか言われたわけじゃないのよね」
「……それは……」
「やることが追加されたわね。呪いが解けたら、家族ともちゃんと向き合わなきゃ」

 カルケルは「だが……」と小さな声を発した。

「もしも、全て俺の考えていた通りだったら……?」

 だったら、やっぱり俺は一人ではないか。

 言葉にしないまでも、これまでずっと、呪いのせいで孤独に陥っていたカルケルの目はそう語っていた。

 リュンヌは、カルケルの根っこをみた。孤独だ。

 向き合う自分の胸が痛くなるほどに、カルケルの中にある孤独感は強いのだ。
 だから、リュンヌはあえて明るく笑ってみせる。握る手に、力を込めて。

「それでも一人になんてならないわ。私がいるもの」
「…………魔女殿、が?」
「私と一緒に、茨の森で暮らせばいいわ。料理も教えてあげるし、なんならランたんだっているし、きっと楽しいと思うの!」
「…………っ」

 声を詰まらせたカルケルが、不意にリュンヌの手を両手で包んだ。

「か、カルケル?」
「……いて、くれるのか? ――全部終わったとしても、それでも……君は、俺と一緒にいてくれるのか?」
「もちろんよ! ……か、カルケルが、嫌じゃなかったら……だけど」

 見つめられて、リュンヌの頬が熱くなった。
 大切そうにリュンヌの手を包み込むカルケルは、返事を聞いてふと、微笑んだ。

「――殺し文句だな、魔女殿。……俺はもう、君から離れられなさそうだ」

 優しい声音の後、カルケルはリュンヌの手を持ち上げて、自分の唇を押し当てた。

「あ、あ、あ」
「……ま、魔女殿? おい、顔が真っ赤だぞ、魔女殿……!」
「あああああああ」
「どうした、しっかりしろ!」
「貴方って王子様! 王子様が過ぎて恥ずかしい!!」

 ぱっと自分の手を抜き取ったリュンヌは椅子から転げ落ちる勢いで床にしゃがみ込んだ。

「……い、いや……過ぎるも何も……俺は、王子なんだが……」
「恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい! なんなの? 本のヒロイン達は、なんで平然とこういうのを受け入れられるの? 心臓に毛が生えてるの? ああああああああっ!」

 理想の瞬間だったというのに、リュンヌはカルケルにそうされた瞬間、顔から火を噴くかと思うほど熱くなり、心臓が苦しいほど早くなった。

 初めて――そう、茨の森で、挨拶のようにされたときは、王子様だとはしゃいだだけで終わったのに。
 今は、恥ずかしくてカルケルを直視出来ない。

 すると、小さな小さな笑い声が聞こえてきた。

 指の隙間からカルケルを見ると、彼はフードを引っ張りつつ笑っていた。

「……君は、照れ方が激しいんだな」
「……っ……知らない……!」
「というか、君でも照れるんだな。よかった」

 だって、俺を意識してくれた……という事だろう?

 そう言って満足そうに笑ったカルケルは、パラパラと灰を降らせた。

 それに気付くと、満足そうだった笑みは、あっという間にやるせないものへと変わる。
 
「……魔女殿、俺は呪いを解きたい。……他でもない、俺自身のために」
「う、うん。もちろん、協力するわ」
「ありがとう」

 カルケルは安心したように笑い、リュンヌに手を差し伸べる。

「お手をどうぞ、魔女殿」
「…………王子様みたい」
「みたい、じゃなくて……本物なんだがな」

 軽口を叩く二人の手がしっかりと繋がれたとき、こんこんと控えめなノックの音が扉から聞こえた。