王都に続く大橋の上を、たくさんの人が通り過ぎる。
 大門を守る番兵達は、微動だにせずに真っ直ぐと立ち、行き交う人々にさりげなく目を光らせていた。

 そこを、リュンヌとカルケルは何食わぬ顔で通り過ぎなければいけなかった。

 ――灰を降らせないための策として、カルケルは無心になる事を提案した。雑念を取っ払い、心を落ち着け……と考えて、リュンヌが手渡したのは、お金が入った革袋だった。

「中身を数える事に集中すれば、無心になれるんじゃない?」
「……悪くはない手だとは思うが……、いいのか? そうなると、門の中へ入るまで、俺は君の横で、ブツブツ独り言を言いながら金数えをしている事になるが……」
「――目立つわね」
「……あぁ、目立つな」

 フードを目深くかぶった男が、ブツブツと小声で何事かを唱え、一心不乱に金を数えている図というのは、傍目から見れば奇妙だろうと、二人は顔を見合わせてため息をついた。

「――よし、分かった」
「え?」
「俺を殴ってくれ」

 ――ぴくり、とリュンヌの片頬が引きつった。

「遠慮無く、拳で一撃を見舞ってくれ」
「……一応聞くけど、その後どうするつもり?」
「俺は気絶すれば、灰を降らせない。その間に、連れが倒れたと騒ぎ立てれば、誰かが中に運んでくれるだろう」
「……ねぇ、カルケル。いま私達がいる場所がどこか、わかってる?」

 リュンヌは、思わずカルケルを睨んでしまった。
 横並びで、草陰から王都の大門を観察していたカルケルは「うん?」と首をかしげる。

「林の中の、草陰だな」
「そうねぇ。……で、ここで貴方を気絶させたとして、どうやってあそこまで運んでいくの? まさか、担げって?」
「……君の魔法で、こう、ふわ~っと……ならないだろうか?」
「門の近くまで、そうやって運ぶの? ……ねぇ、だったら金数えより目立つんじゃない?」
「……う、む……」

 二人は、またしても顔を見合わせた。
 そして、そろって大きなため息をつく。

「……よし、分かった」
「……今度はどうしたの、カルケル」
「革袋を貸してくれ」
「……え?」
「――俺は今から、三度の食事よりも金が大好きな守銭奴になる……!」

 すくっと立ち上がったカルケルが拳を握ると、力強く宣言した。

「えぇっ?」
「たしかに、奇異の目は向けられるかもしれないが……中に入れば人は大勢いる。どうせすぐに関心が無くなるだろう。……君には、一緒にいるせいで不快な思いをさせるかもしれないが……――」

 どうか、付き合って欲しい。
 カルケルは、はっきりとそう口にした。

 すまないでも、申し訳ないでもなく、彼自身の望みを口に出してくれた。

 ――リュンヌは、知らず知らずに自分の口元がつり上がっていくのを感じた。ほんの少しの変化だが、それでも暗闇に光が差し込んだような、大きな喜びがリュンヌの胸を満たしていく。

(変なの)

 嬉しい。
 とても、嬉しい。

 カルケルが、謝罪ではなく、自分の思う事をきちんと言葉にしてくれた。

 ――小さな変化が、こんなに嬉しいなんて、自分はちょっと変かもしれない。
 そう思うほどに、リュンヌの心は浮き足だった。

「不快になんてならないわ。誰に見られたって、関係無いもの。……ふふ、付き合って欲しいなんて……貴方からそう言ってくれるなんて、嬉しいな」

 だから、リュンヌもまた素直に自分が感じた喜びを伝えようと思ったのだが、突然カルケルは顔色を変えた。

 青くなり、かと思えば今度は真っ赤になり、再度青ざめた。

「……え? ――っ、ち、違う……! 今のは、違うんだ!」 
「は?」
「おかしな意味じゃない! 俺は、不純な意味で言ったわけではなく……!」
「不純? ――ごめん、カルケル、よく分からないんだけど……」

 ぱさぱさ降ってくる灰を払いつつ、リュンヌは首をかしげた。

「王都に潜入するのは一緒だよって事だと思ったんだけど……違うの?」
「…………え?」
「なにか、違う意味があったの?」
「あ……いや、その……~~っ!」

 青くなっていた顔色が、今度はどんどん赤くなる。

 熟れた果物みたいになって、そのうちパンとはじけそうだと思ったリュンヌは、つんとその頬をつついてみた。

「!!」
「あ、ごめん。つい」
「……つ、つい? ……君は、ついうっかりで、男の顔に触るのか……!」 
「えぇ~……?」

 また何かややこしい事を言い出した王子様に、リュンヌは眉を下げた。

「私はカルケルにしか触らないわよ。誰にも彼にもペタペタ触るなんて思ってたの? 心外だわ」

 他の誰かが、カルケルと同じような反応をして見せたとしても、きっと自分は触ろうなんて思わない。想像した途端、あっさりと出た自身の答えを伝えつつも、リュンヌは少し怒ったような口調になった。

「……っ……俺だけ……」

 答えを聞いたカルケルは、さらにバサバサと灰を降らせる。

 真っ赤な顔のまま、口元を抑えた彼は、とうとうその場にうずくまってしまった。。

「カルケル? ……どうしたの急に? ――立ちくらみ?」
「君は……! それが素なのか?」
「は?」
「…………」

 うずくまって顔を伏せていたカルケルから向けられた視線は、恨めしげだった。

 しかし、意味が分からないリュンヌが悩ましいという顔で眉間に皺を作ると、カルケルは大きく息を吐き出し、苦笑する。

「……素、なんだろうな……」
「だから、何?」
「――君は、俺と恋をしたいんだろう?」
「え? そ、それが、どうしたの?」

 どうもしないけれど、とカルケルは首を振ると立ち上がる。
 見下ろしていた体勢から、見上げる体勢へと変わったリュンヌの薄紅色の髪に、カルケルの手が伸びてきた。

 そっと指が絡められ――。

「……なんだか、俺ばかりが夢中になる一方で、つまらない……そう思っただけだ」

 耳打ちされた一言とともに、指は離れていく。

「……え?」
「さぁ、行こうか魔女殿」

 ぐいっと自身のフードを引っ張ったカルケルは、リュンヌ偽を向けたが……一瞬だけ見えた彼の横顔は、耳まで真っ赤になっていて……――。

「か、カルケル、上!」

 案の定、彼は灰に降られたのだった。 
 ――二人の悲鳴を聞きつけたランたんが、荷袋の中から出てきて、灰を吸い込んでくれたのだが……。

 不思議な事に、リュンヌの心臓はその後もずっと、どきどきと早い鼓動を刻んでいたのだった。