降り積もっていた灰が、ようやく勢いを弱める。
 黙ってカルケルのしたいようにさせていたリュンヌだったが、それに気付くと遠慮がちに近付き、声をかけた。

「カルケル……」
「っ」

 びくりと、肩が跳ねた。
 茨の森の魔女が作った魔法の外套でも、威力を殺しきれなかった呪い。――それこそが、カルケルの心が大きく軋んだ証拠だ。

 自分は言い方を間違えたのだと、リュンヌは項垂れる。

「……ごめんなさい」

 取り繕ったりはせず正直に謝り、頭を下げると、カルケルは、ぎこちないながらも笑おうとする。

「……なぜ、君が謝る」
「だって言い方が……、私の言い方が酷かったから」
「……変に回りくどく、顔色を窺って言われるより、ずっといい。……だから、謝らないで欲しい」

 困ったように、ともすれば泣き出しそうに、カルケルが笑った。
 笑いかけられたリュンヌの胸が痛む、そんな笑みだ。

「でも……」
「俺の方こそ、悪かった。……また、君を灰に埋めるところだった……。自制も出来ない、駄目な男だ……」
「それこそ、カルケルが謝る事じゃないわ」
「いや、俺が悪いんだ」
「私よ! 今回ばかりは、絶対に私!」
「俺だ。俺が弱いばかりに、こんな……」
「私が説明下手なせいよ! もっと貴方の気持ちを考えて物を言っていたら……!」

 俺が、私がと、二人は互いに譲らず自らを貶め合う。

 延々続きそうな言い合いを見ていられなくなったのか、飛び出してきたランたんが毛糸の手で双方の頭をスパパンッと叩いた。

「痛っ」
「ぐっ!」

 それぞれ悲鳴を上げた二人は、顔を見合わせる。そして、互いに目尻を下げて笑い合った。

 落ち着きを取り戻したカルケルがフードを引っ張りつつ、空を仰ぎ見る。

「……“私のせいで、ごめんなさい”……」
「え?」
「……母の口癖だ。もっとも、俺がこんな風になるまでは、一度も聞いた事が無い口癖だがな」

 こんな風とは……呪いが発動してしまった後の事だろう。

 寂しそうな口ぶりで語るカルケルは、空を見たまま動かない。晴れた空を見つめるその横顔にも、口調と同じくらい、物悲しい影があった。

「母は、俺を避ける。父は、俺を持て余す。弟は、俺の代わりに務めを果たすが、俺がいるから王太子になれない」

 大きく息を吐いたあと、カルケルはようやく視線を地上に戻した。
 リュンヌを見つめ、笑ってみせる。

「――いらない存在なんだ、俺は」
「…………」

 寂しい顔で、笑う人だ。

 自分で吐いた言葉に、自分で傷つく、随分難儀な人だとリュンヌは思う。

 今にも心がぽっきりと折れてしまいそうなカルケルに向かい、リュンヌはただ純粋に問いかけた。

「……諦めちゃうの?」
「…………」

 なにを? とは、言わない。
 それでもカルケルには伝わったようで、諦観を宿した瞳が、わずかに揺れる。

「ねぇ、カルケル。……私と、恋はしてくれないの?」
「…………っ」

 今度は、大きく見開かれた。

「君は……こんな男と、本当に恋がしたいのか?」
「謹んでお相手してくれるんでしょう?」
「……馬鹿げている。……こんな、……俺みたいな……誰にも必要とされない男を……」
「私は貴方を必要だと思っているし、いらない存在なんて思ってないわ。……きっと、貴方の家族だってそうよ」
「っだが……! ……だが、俺は母の呪いの身代わりだったんだろう?」

 うん、とリュンヌは頷く。けれど、すぐに「でも……」と続けた。

「貴方のお母さんは、貴方を身代わりにしようなんて、考えていなかったと思うわ」
「……気休めを」
「違う。……思い出して、カルケル。貴方の呪いは、発動するその時になるまで、誰にも気付かれなかったのよ?」
「――……ぁ」

 もしも呪いをかけられると分かっていたのなら、我が子を身代わりに仕立て上げるよりも、相手を潰してしまった方が早い。

 それに、カルケルも思い至ったのか、言葉を途切れさせた。

「……調べてみましょう、カルケル。もっと詳しく」
「調べるって……」
「王都に行くの」
「――なんだって?」
「貴方に呪いをかけた魔女は、貴方のお母さんを呪っていた。……貴方のお母さんを恨んでいた魔女……それも、茨の森の魔女……ばば様の目をかいくぐれるほどの力の持ち主なんて、一人くらいだわ」

 知っている? とリュンヌが問えば、カルケルは首を横に振る。
 けれども視線は答えを促していた。

「お話に出てくる、意地悪な継母」
「まさか……」
「貴方の両親のなれ初めは、物語になるほど有名だわ。……脚色した本だって、何冊も出てる。でも、どのお話にも必ず出てくる悪役が、意地悪な継母」

 恋に落ちた二人が結ばれるための最大の障害として、その姿はどの物語にも描かれている。

 時には、強い力を持った悪い魔女としても……。

「まさか……! 母上の義母殿は、本当に魔女だったというのか?」
「ええ、そうよ」
「……なんて事だ」
「物語の結末は、灰かぶりをいじめ倒した悪い魔女は、二人の愛の力に破れて終わるけれど……現実は違った」

 リュンヌは、ガラスの靴で小石を蹴った。けれど、薔薇の細工があしらわれたガラスの靴には、傷も汚れも一切つかない。

 複雑な思いでそれを見つめたリュンヌは、引き絞るような声を出した。

「魔女は幸せを呪い、いまもどこかで不幸を笑ってる」

 吹き抜けていった風は、どこか冷たかった。