それは、二人が解呪のための手がかりを調べるため、文献を読みあさっていた時のことだった。

「そういえばカルケル。……貴方は一体、どういう経緯で呪いをかけられたの?」
「……経緯、か」

 文献を丁寧に閉じ元の棚に戻すと、カルケルは腕を組んで顎を触り、考え込んだ。

「あ~……言いにくいことなら、無理しなくても……」

 無神経な問いかけだったと反省したリュンヌが控えめに声をかけると、黙考していたカルケルは、やんわりとした笑みを浮かべて首を横に振る。

「……いいや、無理はしていない。……ただ、分からないんだ」
「――わからない?」
「……あぁ。恥ずかしい話だが……なぜ呪いをかけられたのか、分からない」

 灰かぶりの呪いは、カルケルが八歳の時に突然発現した。
 いつ、どこで呪われたのかすら、分からないまま、カルケルは十年の時を過ごしてきたのだ。

「役に立たなくて、すまない……」

 自分が貴重な情報源だと分かっているのだろう。けれども、ろくな情報を提示できない事に、不甲斐なさを感じている。

 平謝りするカルケルからは、そんな思いが滲んで見える。

 ――それだけ、必死なのだ。

(仲直り……したいからかしら)

 話に聞いた、特別な友達。
 笑った顔が可愛い女の子だったという。
 その子と再会したい。

 それが、今のカルケルにとって活力になっているのだろう。 ――と、そこまで考えて、リュンヌは引っかかりを覚えた。

(女の子……)

 懐かしむように、カルケルは思い出を語った。

 くすぐったそうな口ぶりで、可愛いと。
 その、笑った顔が可愛い特別な友達の前で、彼の呪いは初めて姿を見せた。

 カルケルの特別な友達を、灰の中に埋めるという形で。

(それでもって……、カルケル王子の呪いの威力は、この人の感情の起伏に左右されるものだから……)

 呪いが猛威をふるったその瞬間、カルケルは大きく感情を動かすような出来事に直面していたのではないか?

 リュンヌの脳裏に、そんな仮説が浮かぶ。

「ねぇ、カルケル」
「なんだろうか?」
「貴方、友達の女の子といるとき、初めて呪いが発動したって言ってたわよね?」
「……ああ、言ったな。それが?」
「その時、ケンカでもしてたの?」
「まさか!」

 何か答える前に、だいたい一拍の間を置くカルケルが、即答した。
 有り得ない事だと首を横に振っている。
 
(ケンカしていたわけじゃない。……怒るような出来事はなかったって事ね。だったらやっぱり……)

 リュンヌは渋い顔を作る。
 気付いたカルケルが、どうしたんだと気遣うような視線を向けてくる。

「もう一つ、いい? 大事な事なの」
「俺で役に立てることなら、なんでも」
「――貴方、その時……えぇと、呪いが発動したときだけど……なにか、特別な事がなかった?」
「特別?」
「ケンカじゃなければ、驚かされたとか、悲しい事があったとか」
「ない。……その直後に、悲劇は起きたがな。それまでは、平穏そのものだった」

 今度は、リュンヌが考え込む番だった。
 眠たげな半目を、ますます細くして、じっと床を見つめる。
 やがて、意を決したように顔を上げた。

「ねぇ、カルケル。貴方、もしかしてその友達に、恋をしなかった?」
「なっ――!!」

 たちまちカルケルの顔が真っ赤になり、ザバザバと大量の灰が降ってくる。

 リュンヌは「ランたん!」と使い魔の名を叫び、周りの灰を散らしてもらいつつ、あまりの反応の良さに図星を確信する。

「……わかりやすい……」
「わ、悪かったな! 君が急に、おかしな事を聞くからだろう!」

 触れられたくない事だったのか、噛み付くように怒鳴られて、リュンヌは首を縮こめた。

 それを、怯えと受け取ったのか、カルケルは自分の灰を払うのも忘れ、慌てた様子だ。リュンヌの方へ手を伸ばしたり、引っ込めたりと、忙しなく動かす。

「……すまない、君を、怖がらせるつもりは……」
「別に怖がってないわ。貴方でも、大きな声を出すんだなってびっくりしただけ。……今の質問、別にからかおうとか思って聞いている訳じゃないのよ?」
 
 面白がられているのだと勘違いされても困るから、リュンヌは念押しした。

 すると、大切な事なのだと分かってくれた様で、ばつが悪そうだったカルケルの表情も引き締まる。

「これは……あくまでも、私の予想なんだけど」
「かまわない、聞かせてくれ」
「貴方の呪いは、きっと随分前からかけられていたんだと思う。ただ、発動する切っ掛けがなかっただけ」
「……きっかけ?」
「――恋よ」

 ぽかんと、カルケルが口を開ける。
 リュンヌは、じろりとその間抜けな顔を睨んだ。

「冗談で言っているわけじゃないわ。本気よ。貴方、その友達に恋をしたんでしょう? きっと、初恋ね。……初めての恋なんて、大きな感情の動きだわ」
「待て、待ってくれ……」
「なに?」
「こ、恋心を切っ掛けに発動する呪いだと? なぜ、そんなものを子供にかける? もっと分かりやすい方法が……」

 言いかけて、カルケルが口を閉ざした。
 たちまち、顔が青ざめていく。

「まさか……」
「――分かりにくい呪いで、充分だったのよ。遅かれ早かれ、恋を自覚した瞬間に、呪いは発動するんだから。……今、どれだけ相手が面白おかしく、幸せに過ごしていても、必ず苦しむ瞬間が来るって分かるから……ある意味、安心して見ていられたんでしょう。ざまぁみろって気持ちで」

 悪趣味だとリュンヌは顔をゆがめた。

「貴方、とんでもない女に呪われたわね」
「え?」
「――灰かぶりなんて、こんな趣味の悪い呪い……。よくよく考えれば、そんな意趣返しめいたことする陰険なんて、一人くらいだったわ」
「……君は、まさか相手を知っているのか?」

 カルケルの表情が険しい。

「誰なんだ? 教えてくれ……! 俺はどうして、呪われなければいけなかったんだ……!」

 気が急いた様子で問いかけてくるカルケルだったが、無理もない事だとリュンヌは唇を噛んだ。

 なにせ今まで姿形すらはっきりしなかった呪い主の正体に、突然手が届いたのだ。焦るのも当然だ。

 ただ、呪った者の正体を明かしたところで、彼の気持ちが少しでも晴れるかと言えば……答えはきっと、否だろう。

「何度も言うけど、これは全て、あくまで、私の予想として聞いて」
「あぁ、分かった。分ったから、はやく教えてくれ……!」
「貴方を呪ったのは、魔女よ。……嫉妬に狂った、一人の魔女」

 嫉妬……? と、腑に落ちないといった風にカルケルが繰り返す。

「子供の俺に、か?」
「……いいえ、違うわ」
「魔女殿……すまない、よく、分からないんだが……」
「カルケル、貴方はきっと……貴方のお母さんの身代わりとして、呪われたのよ」

 ひゅっと息を呑む音が聞こえて、沈黙が生まれる。

 まるで、時が止まってしまったようだ。

 リュンヌはそれを自身の錯覚だと理解していたが、それでも刺さるような痛い沈黙が永劫に続くように思えた。

 それほど、カルケルは驚き、言葉も声も失い、呆然と立ち尽くしていた。

 バサ。
 灰が、降ってくる。

 バサ、バサ、バサ。
 後から後から。

 このままでは部屋の中で埋まってしまうと思ったリュンヌは、慌ててカルケルの手を引いて、大窓から外へ連れ出した。

 バサバサバサササ――後から後から……止めどなく降り積もる灰は、カルケルの動揺を物語るにこの上なく相応しい。

 積もる灰は、彼の動揺と……心の痛みの象徴かもしれなかった。