翌日から、リュンヌとカルケルによる、解呪のための共同作業が始まった。

 ――しかし、祖母がいない今、リュンヌができる事と言えば、過去の文献や祖母が残した書き付けなどを読みあさり、有益な情報を探す事。あとは、カルケル本人に対する聞き取り調査くらいだ。

 幼い頃、なんの前触れもなく呪われてしまったという王子様。
 その後の彼の人生は、常に灰に塗れ、薄暗いものだったという。

 まず、友人が減ったとカルケルは苦く笑った。

「どうして?」

 お茶を用意したリュンヌが眉をよせて聞き返すと、貸し与えた外套を今朝から律儀に着込んでいた王子は、当然だろうと目を伏せる。

「一緒にいるだけで、灰を被る羽目になるんだ。……そんな厄介な人間……誰だって、ごめんだろう」
「…………」
「それに、呪われてから俺は表舞台に出る機会は減る一方だったからな。関わり合いをもっていても、得にはならない。……見切られたんだろう、当然だ」
「そんなの、おかしいわ。だって、友達だったんでしょう?」
「……あぁ、そうだな――家のために繋がっていた友人、だな」

 カルケルはまた、なにもかも諦め疲れ切った老人のような笑みを浮かべた。
 
「……変なの。友達なのに」
「本当の意味で、友達では無かったんだ。彼らは家のため、王家と関わりを持っておきたかった。けれど、何もその相手は俺でなくてもいい。……ただそれだけだ」
「……ふーん……。王子様って、友達になるのにも色々しがらみがあって、大変なのね」

 言いながら、リュンヌはカルケルにお茶の入ったカップを差し出した。

「ありがとう」
「ん」

 律儀にお礼を言って受け取ると、優雅に口元へ運ぶ。

 育ちの良さというのは、たとえ室内で外套を着ているという珍妙な状態だろうとも、意識せずにじみ出てしまうらしい。

 ただお茶を飲んでいるだけなのに、椅子に腰掛けカップを手にするカルケルは、非常に美しい。名画の一枚にでもありそうだ。

(見目麗しくて、仕草は綺麗で、性格だって悪くないのに……どうして、普通の友達が出来なかったのかしら?)

 互いが上辺だけの付き合いをしていたのならば、悲しいけれど納得できる部分もある。

 けれど、この王子に人間的魅力が皆無だったとは……リュンヌにはどうしても思えなかった。

 誰か一人くらい、損得抜きで彼を友人と思い、彼自身もまた心を開ける……そんな存在がいたのではないか?

 ――みんなが一斉に……それこそ、潮が引くようにいなくなったのだとしたら、悲しすぎる。

 リュンヌの同情は、素直に顔に出ていた。
 取り立てて隠す気も無い様子に、カルケルはなぜか面はゆそうに微笑んだ。

「そんなに悲しそうな顔をしないでくれ。……俺にも、立場なんて関係無い……そんな友人がいたんだ」
「! そうなんだ……よかった……!」

 安堵して、リュンヌの声も明るくなる。

「いい子だった。大人しくて、あまり自己主張するような子ではなかったが、俺が手を引くと、目をキラキラさせてついてきて……二人の時だけは、俺に自分の意見を言ってくれるようになった。……本当に、あの頃の俺達は、仲が良かったと思う」

 途中までは、穏やかに懐かしさを滲ませ語っていたカルケルの声が、最後の方にさしかかると、たちまち暗さを帯びた。

「――もっとも……その“友達”との別れが、最悪だったんだがな」
「……え?」
「最初の呪いは、“友達”の前で発動した」

 顔を上げたカルケルの顔からは、表情が失われていた。
 カップを持つ両の手に、わずかに力が込められて揺れる。
 
「……俺にかけられた呪いは、俺と“友達”を、灰の中に埋めたんだ」

 それが最初だったと、カルケルは苦しげに顔を歪ませた。

 ――彼にとっての、唯一気心の知れた友達が、よりにもよって“灰の呪い”の最初の犠牲者だった。

 それも、埋めたということは……、かなり大量の灰だったのだろうと、リュンヌはごくりと唾を飲み込んだ。

「……その友達は……? その後、どうなったの?」
「俺が目を覚ました時にはもう、あの子は城を去っていた。もともと、母の友人が城に招かれる時に同行してきただけだったから、引き留めることは出来なかったんだろうと……あの時は考えていた。……けれど、それっきりだ」

 喉の渇きを潤すように、カルケルは一息にカップを傾け、中身を飲み干す。

 そして、外套に着いているフードを目深くかぶった。

 ――今の話で、感情がかなり大きく動いたらしい。
 来るという合図だと、リュンヌもまた身構えた。

 その直後、パサパサとカルケルの頭上にスープ皿一杯分ほどの灰が降り積もった。

「……やはり、この外套は素晴らしい」

 感心したようにカルケルは呟く。
 
(これで感動できるんだから……、この人は、今まで一体どれだけ苦労してきたんだって話よね)

 やはり、同情を禁じ得ない。
 そんな事を考えながら、リュンヌは腰から杖を抜いた。

「そのまま動かないで。灰を片付けるから」
「ん?」

 不思議な顔をしたカルケルをよそに、リュンヌは「えい」と杖を一振りする。
 丁度良く頭上でかたまっていた灰は、そのままふわりと浮いて、リュンヌの杖の動きに導かれる。

「それ!」

 用意しておいた袋の中へ、ざーっと一気に流し込んだ。

「ふぅ、片付いた」
「……すごいな」

 カルケルが、妙に輝いた目で自分を見つめていることに気付いたリュンヌは、顔を赤くした。

「そ、そんな事ないわよ」
「いや、ある。あんなにすいすい……」
 
 カルケルの純粋な賞賛は嬉しい。しかし、同時にリュンヌを酷く恥ずかしい気持ちにさせた。

「……すごくないのよ、本当に」
「魔女殿……?」
「だって、こんなのは、誰でも使える、初歩の初歩魔法だもの……」

 そう。リュンヌが今使ったのは、初歩中の初歩。見習いのうちに誰もが早々に覚える魔法だ。

 けれど、リュンヌは今の魔法しか使えない。――ほんとうの事を言うと、箒に乗って超低空飛行くらいは出来るが……それもまた微々たるもので……、だから彼女はいつまでも見習いと呼ばれるのだ。

 同年代の子達は、みんなもう独り立ちし、立派な魔法使いになっているというのに、いまだ見習いが最初に習うような魔法しか使えない魔女。

 才能はやくても、祖母が偉大だから、辛うじて魔法使いを気取っていられる孫。

 ――駄目駄目な評価を二つ掛け合わせて、ついたあだ名が“永遠の見習い孫”だ。

 本来なら自分で契約する使い魔だって、リュンヌの場合は祖母が用意してくれたランたんだ。駄目さ加減がうかがえるというものだ。

 けれど、リュンヌはそれを自らバラす気は今のところ無かった。

(恋よ。恋をすれば……恋さえすれば、きっと私だってばば様みたいに……!)

 恋をするしかない。
 悪い呪いは、いつだって恋の魔法で解かれるのだから。
 リュンヌは頑なにそう信じている。

 ――だから……。

「魔女殿? ……どうした? 何か、不快にさせてしまったか?」

 心配そうに声をかけてくる、この王子様の呪いだって、きっと解けると信じている。

「ううん、なんでもない。……その友達のこと、もっと詳しく聞かせてくれる? 呪いが発動した切っ掛けが分かるかも」

 前向きに、前向きに。

 そう言い聞かせ、リュンヌはカルケルに話の続きを促した。

 二度、三度、と長いまつげを瞬かせたカルケルは、まじまじとリュンヌの顔を見つめた。

 ややあって、何かを見つけたように、ふと笑う。

「……そうだな。……笑った顔が、とっても可愛い子だ」
「そうなの? えー、もしかして、友達って女の子?」
「あぁ、そうだ。とても可愛い、女の子だ」
「うわ~……!」

 なにそれ、なんだかとっても素敵!

 そんな、はしゃいだ感想を抱くと同時に、リュンヌの胸の中には、物悲しさがこみ上げてくる。

 なにせカルケルは、ここまで優しい顔で語る女の子を、自らにかけられた呪いのせいで生き埋めにしてしまったのだ。

 当時、事実を知ったカルケルが受けた衝撃は、どれほどのものだったか……現在の彼がまとう、どこか暗い雰囲気は、そういった過去の傷が起因しているのだろう。

「じゃあ、呪いが解けたら、その子に会いに行かないとね!」
「……え?」
「え? じゃないわよ。なに間抜けな顔をしているの。友達なんでしょう? それなら仲直りしないと、寂しいじゃない」
「…………君、は」
「うん?」
「……君は、自分を埋めたような男と、もう一度会いたいと思うか?」

 不安な心を隠しきれない、気弱な問いかけに、リュンヌは少し腕を組み考えてから……大きく頷いた。

「もちろん。だって、友達でしょう? そんな終わり方なんて、絶対に嫌だわ」
「!!」

 その答えに、カルケルは衝撃を受けたように目を瞠った。たちまち、彼の白い頬に赤みが差していく。

 リュンヌは、思わぬ表情変化を、ぽーっと見つめていた。

 カルケルが、我に返って小さく声を上げる。

「――まずい……!」
「あっ……」

 ドサドサ……、先ほどより量を増した灰が、カルケルとリュンヌに降り注いだが、埋まることは避けられた。

「…………灰塗れ」
「くっ……すまない……! 俺の自制心が無いせいで……!」

 沈痛な面持ちで項垂れるカルケルだが、リュンヌには彼の謝罪が意味不明だった。

(なんか変な事言ってる。自制心がどうこうって……王家特有の謝り方なの? うーん、微妙……)

 自制心云々と言われても、感情に左右される呪いなのだから仕方がない。カルケルだって人間なのだ、全く何も感じないはずがない。

 だから、謝る必要は無いと、リュンヌは灰を払いつつ首を横に振った。

「王子様だって、人間なんだから、怒ったり笑ったり驚いたりは、当然のことだわ。……そういう、当たり前の事を邪魔する呪いは、最低よ。……これは、悪い魔法だわ」
「……魔女殿……」
「悪い魔法は、許しては駄目。ばば様がそう言ってた。……私、頑張る!」

 そう高らかに宣言したリュンヌだったが、カルケルのあっけにとられたような視線に気づくと、たちまち真っ赤になって身を縮こまらせた。

「――そ、そりゃあ、まぁ……私は、アレだし……ばば様に比べたら、頼りないかもしれないけど……でも」
「……いや、違う。悪い意味で見ていたわけでは無いんだ。……嬉しくて」
「……う、嬉しい? 不安、とかじゃなくて?」
「あぁ、嬉しい。……君が、そう思ってくれて、嬉しいんだ。……ありがとう、魔女殿」

 嬉しそうに、本当に嬉しそうにカルケルは笑った。

「――こうして、君と巡り会う事が出来て、俺は……っ、――うわぁっ!」

 なにか……、とても大事な事を言いかけていたカルケルは、大きく喜の方向に振り切れた感情が出現させた灰によって、埋もれてしまった。

「王子様ー!!」

 慌てたリュンヌは、杖を取り出し、灰の中から王子の体を浮かび上がらせ救出する。
 
「……どうにも……格好がつかないな」

 灰かぶり王子は、決まり悪そうに笑った。

「格好なんて、つけなくていいわよ。そのままでいいわ。ここでは、王家とかそういうの、関係ないから。貴方はただの、カルケルでいて」
「……………………」
「ちょっと、聞いてる?」
「……救出してもらっておいて、申し訳ないんだが」
「なによ?」
「……あまり、俺を喜ばせないでほしい。……灰が降る」

 宣言通り、カルケル王子は再度灰を降らせた。
 リュンヌは、どこぞで休憩中だったランたんもたたき起こし、三人で掃除に精を出したのだった。