翌日の出発ということで、さしたる準備もできなかった真白の荷物は鞄ひとつのみ。
 もともと身ひとつで来てもらってかまわないと言われていたらしいので、問題はないのだろう。
 朱里も荷物の少なさを目にしてもなにも言わなかった。
「早速ですが、青葉様と顔合わせをしていただきます。お覚悟はよろしいですか?」
「承知しました!」
 まるで死地へ赴くような顔で覚悟を求められ、青葉様はそれほどひどい姿の方なのだと思った真白は気合いを入れる。
 なにがあっても悲鳴をあげないように。それと同時に期待もしていた。
 狐なら耳と尻尾が絶対についているはずだと。
 そうしてドキドキと胸を高鳴らせながら廊下を歩く。
 外に面した廊下からは、広い庭が見渡せた。
 黄金色に染まる庭を見て真白は目を大きくする。
「金木犀?」
 今は三月だ。冬と言うには暖かく、春と言うにはまだ寒さが残る。
 特にこの島は真白が育った場所より肌寒く感じた。
 そんな場所で秋に咲く金木犀が満開になっているなんて。
 別の花と勘違いしているのかと思ったが、鼻腔をくすぐる酔いそうなほどの香りは金木犀で間違いがない。
「どうして金木犀が……」
「ここは神にも通じる天孤様が住まう屋敷でございますから」
「なるほど」
 妙に納得してしまった真白。
 人ならざる者が住まう場所なのだから、季節を無視するような摩訶不思議な現象が起きていたとしても、別におかしくないということか。
「綺麗ですねぇ……」
 思わず季節違いの金木犀に目を奪われていると、ひときわ強い風が真白を襲う。
「あっ」
 思わず目をつぶった真白が、風によって乱れる髪を押さえながら目を開くと、金木犀の花が散る中を、絹糸のような白い髪をなびかせて男性が歩いてくる。
 彼は、真白の前で足を止めた。
 まるで精巧に作られた人形のように整った顔立ち。
 鼻筋はすっと通っており、切れ長の金色の目は凛々しく、薄い唇は色香を感じさせる。
 とても生きている者とは思えない。
 説明されなくともすぐに分かった。
 彼が天孤、華宮青葉だと。
 風と木々が擦れる音しかしない中、美しいという賛辞では足りない青葉を見て、真白は驚いた顔をした後、ひどいショックを受けた。
「な、なんてことでしょう。お耳も尻尾もありません……」
 この人外の美しさを持った人を前にして口にする言葉がそれかと、文句を言いたげな視線が朱里から向けられるが、真白はそれどころではない。
 青葉は怪訝そうに眉をひそめる。
「なんだ、なにか不満があるのか?」
「大ありです! 何故お耳も尻尾もないのですか? 私の期待を返してください」
 どうやら思ってもみなかった返しだったのか、青葉は目を丸くして驚いている。
 しかし、すぐに体を震わせると、大きな怒鳴り声をあげた。
「ふざけるな。なんの期待だ! 耳や尻尾など生えているわけがないだろ! 俺は化け物ではない!」
「ひどいです。楽しみにしていたのに……」
 残念そうにしょぼんとする真白を、得体の知れないものを見るような眼差しで見る青葉は、次の瞬間には目つきを鋭くする。
「貴様にひとつ言っておく。この結婚に愛情は必要としていない」
 忌まわしげに吐き捨てられた言葉に、真白は目を丸くする。
「これはただの政略結婚だ。それを分かった上で嫌なら──」
「嫌です」
 途中で被せられた真白の声に、行き場を失う青葉の言葉。
「これが政略結婚だというのは存じておりますが、せっかくご縁があったのですから、私は旦那様と仲よくしたいです」
 そう言って真白は柔らかく微笑んだ。
 青葉の顔から目を離すことなく、じっとその目を見つめた。
 たじろいだのは青葉の方で、先ほどまでの勢いはどこへやら、言葉をなくしている。
 なにか言いたげに口を開いたが、そこから言葉は出てくることはなく、素っ気なく背を向けると庭の奥へと消えていってしまった。
「あらあら、どうしましょう。嫌われてしまったかしら」
 真白は困ったように頬に手を当てているが、まったく困っているようには見えない。
 実際に、少しの沈黙の後『まあ、初対面だし気長にやっていきましょう』という結論に達し、楽観的に考えていた。
 青葉本人から『愛は必要ない』などと言われても、真白にしたら、だから?という感じだ。
 そんな真白のそばにいた朱里は、別の感情を抱いたらしく……。
「真白様、すごいです!」
 朱里に顔を向けると、最初の素っ気なさのある雰囲気と違い、尊敬する人間に向けるような眼差しで真白を見ていた。
 このわずかな時間の間になにがあったのか。
「なにがでしょうか?」
「あの青葉様のご尊顔をあれほど長く見つめていられる方なんて初めてです!」
「ご尊顔?」
「ええ、そうです。神より与えられし尊きご尊顔を直視できる方は今までおりませんでした! これまでに幾人もの花嫁がこの屋敷にやって来られましたが、青葉様の神々しい姿を見ると、どんな美人もことごとくプライドをへし折られ、泣きながら帰っていったのです。あの方のおそばに侍る資格は自分にはないと嘆きながら」
「あら?」
 真白が聞いていた話と少し違っている。
「青葉様に追い返されたと、父からは聞いていたのですけど?」
「ええ。それも間違いではございません。青葉様から発せられる神聖なる覇気に耐えられず号泣し、どんな歌姫でも嫉妬する青葉様の奇跡の美声でお声をかけられるたびに気絶するものですから、気絶してばかりの花嫁などいらぬと追い返されてしまわれたのです。ですが、彼女たちの気持ちはよく分かります。私も気を抜くと腰が抜けてしまいますので」
 うんうんと頷く朱里は、納得顔でありながらどこか誇らしげであった。
「青葉様とあれほど近くでお声を交わされて、真白様はなんともなかったのですか?」
「確かに綺麗なお方でしたけど……」
 気絶するかと言われたら否だ。
 真白が分からないといった様子でいると、朱里は表情を輝かせる。
「素晴らしいことですよ。ほとんどの方々が、一度青葉様にお会いしただけで自ら去るか、追い返されてしまっていましたから」
「そうなんですね」
 真白が思っていた印象とずいぶん違っているではないか。
 泣かして追い出したと聞いていたのでとても怖い人を想像していたのに、聞いていたら青葉の方が不憫である。
 なにせ話すたびに泣かれたり気絶されるのだから、そんな人間を妻に迎えられるはずがない。
「なるほど。ですから、身ひとつでかまわないということなのですね」
「ええ、一日経たずに帰ってしまわれますから」
 身ひとつで来てもらっていいというのも、青葉と対面するとすぐに帰ってしまうのだから大荷物など必要ないということ。
 だとすると少々困ったことになる。
「どうしましょうか?」
「えっ、どうしましょうとは、まさかお帰りになるんですか!? いけません! どうぞお考え直しください!」
「いえ、できればもう少しご厄介になりたいです。青葉様がどんな方かまだ分かりませんもの。嫁になるつもりでやってきたのですから、もっと親交を深めたいです。ただ、身ひとつと言われてきたのでさしたる準備もしておらず……。おそらくそちらも同じなのではありませんか?」
 小さく「あっ」と声をあげる朱里は、申し訳なさそうにする。
「その通りでございます。きっと今回の方もすぐにお帰りになるだろうと、屋敷者皆が思っておりました。こうしてはおれませんね。すぐに必要な身の回りのものを取りそろえておきます。お部屋は整えてございますのでご安心していつまでもお過ごしください! 永遠に」
「ええ。これからよろしくお願いします」
 
 それから華宮の屋敷で暮らすことになった真白は、一応青葉の婚約者という立場で暮らすようになった。
 政略結婚を目的として来ているので、青葉のゴーサインが出ればすぐにでも式を挙げられる準備は整っているらしい。
 しかし、なかなか青葉と話をする機会がなかった。
 どこでなにをしているのか分からないが、青葉は天孤としての力を使って仕事をしているのだと朱里が教えてくれた。
 それがどんな仕事なのかは、まだ結婚もしていない客人でしかない真白には教えられないという。
 それならば仕方ないかと、真白は深くは聞かなかった。
 真白は日がな一日をのんびりと過ごした。
 あれからすぐに朱里が女性に必要な身の回りのものをそろえてくれたので、不自由はしていない。
 むしろこちらが恐縮してしまうほど、家人たちには気を遣って世話をしてもらっている。
 食事には必ず真白の好きなおかずが一品は含まれ、入れ替わり立ち替わり朱里を含めた家人が様子をうかがいに来ては、必要なものはないかと聞いてくれる。
 まさに至れり尽くせり状態だった。
 そうして過ごしていたら、短大の卒業式があったはずの日もとっくに過ぎ去ってしまっていた。
 軒先に座りながら、友人たちからスマホに送られてきた卒業式の写真を微笑ましそうに眺める。
 出席できなかったのは残念だが、仕方がない。
 ここに来ると選んだのは自分なのだし。
 そう言い聞かせたとしても、やはり……。
「ちょっと寂しいものですね」
 父親は今頃どうしているだろうか。
 母を旅行中の事故で亡くしたため、父親は真白が自分の目の届かない遠くへ行くことを嫌い、学校での修学旅行なども真白だけ不参加だった。
 なのでこんなにも父親と離れたことはなかったのだ。
 今さらながらどれだけ箱入りだったのかを思い知らされる。
「これがホームシックというものですかねぇ」
 初めての体験に、真白はちょっぴり感動した。
 きっと今頃父親は真白が帰ってくるのを今か今かと待っていることだろう。
 しかし、残念ながら今のところ帰るつもりは微塵もない。
 風に乗って散る金木犀にスマホを向け、カシャリと写真を撮った。
 なんとも幻想的な景色を見て満足そうにする真白は、先ほどから感じる視線にクスリと笑う。
 庭を覆い尽くすほどのたくさんの金木犀の陰からこちらをじーっと見つめてくる金色の目。
 その姿は、狐ではなく、まるで警戒する狼のようだと真白は思った。
 真白は離れたところから見てくる青葉に向けてにっこりと微笑む。
「こちらで一緒に座りませんか?」
「…………」
 半目で見てくる青葉は返事をすることなく、ささっと姿を消してしまう。
 無視されても悲しさは感じない。
「うーん。嫌われてはいないようですけど、めちゃくちゃ警戒されていますねぇ」
 真白はほわほわとした笑みを浮かべて、傍らに置いてある湯飲みを持ってお茶をすすった。
「あら、今日は甘露茶ね」
 なんてことをつぶやき、先ほどまで青葉がいた場所に視線を向ける。
 真白がこの屋敷に暮らし始めて一週間ほどだろうか。
 まるで時が止まったように、季節を感じられないここにいると、今日がいつなのか日付を忘れてしまいそうになる。
 もうずいぶんとここで暮らしているような錯覚に陥るが、まだ一週間なのだ。
 そのことに真白は驚いてしまう。
 その間に青葉と会話したのは最初の邂逅の時だけ。
 それ以降はひと言すら声をかけられたことはない。
 けれど、毎日顔は合わせている。
 ここにやって来た翌日から、真白は庭を見渡せるこの軒先の絶景スポットを発見してお茶を飲んでいると、先ほどのように青葉が遠く離れたところからじっと真白を見てくるようになった。
 本当にただ見てくるだけ。
 向こうから話しかけてくるわけでもなく、さりとて真白が話しかけようとすると、慌てたように姿を隠してしまう。
「うーん。一応興味は持ってもらっているということでしょうか……」
 そうでなければ、真白を観察したりはしないだろう。
 けれど、青葉が真白を怖がっているように感じるのは気のせいだろうか。
 威圧的な態度は最初の時だけで、青葉が真白を追い出そうと動く様子は今のところない。
 だからこそ真白ものんびりとかまえているわけだが、このままというわけにもいかないだろう。
 しかし、一度追いかけてみたことがあったが、風のような素早さで逃げてしまうのだからどうしようもない。
 自身が運動音痴なのを自覚している真白は、早々に追いかけるのをやめ、向こうから近付いてくるのを気長に待った。
 一週間経って、今日ようやく声をかけられるほど近くまで来るようになったので、これは前進したと言っていいはずだ。
「のんびりといきますか」
 その言葉の通り、真白は毎日をゆっくりと過ごす。
 青葉が近付いてくるのを、ただのんびりと待ち続けたのだ。
 いつも決まった時間、決まった場所で、お茶を飲みながら庭の金木犀を眺める。
 そうすればどこからともなく青葉がやって来るのだ。
 真白が安全かを確認するように少しずつ、少しずつ距離を縮めてくる青葉に、真白は笑い声を抑えるのに必死だった。
 今日もまた距離が近くなったと日々の成果に達成感のようなものを感じている。
 そして、この日はいつもと違う。
 これまではひとつだった湯飲みを、ふたつお盆に載せて持ってきた。
 ひとつはもちろん真白のもの。
 もうひとつが誰のものかは言わずとも知れたのか、ふたつのお茶を朱里に頼んだ時、朱里は大層張り切って屋敷で最も高級な茶葉を使ってくれた。
 いつものように軒先でお茶を飲み始めると、どこからともなく青葉がやって来た。
 たくさんある金木犀の中で、一番真白に近い木から覗いている。
 その距離は、もう隠れて見る気はないだろとツッコミたくなるほどだが、本人はまだ木に体を隠しているつもりのようだ。
 真白からだとほとんど全身が見えているのだが。
 そのお間抜けさがかわいらしいと真白は小さく笑った。
 そして、隠れられていない青葉に今日も声をかける。
「こちらに座って一緒にお茶をご一緒しませんか?」
 青葉はじーっとお茶と真白を交互に見てなにやら考え込んでいるようだ。
 これは今日こそいけるかと真白が期待した次の瞬間、背を向けて逃げるように行ってしまった。
「あらあら。まだ早かったかしら? でももう一歩って感じよね」
 これはもう真白と青葉の我慢大会のようなものだ。
 どちらが先に折れるのか。
 真白は負ける気はしていない。
 その日から毎日お茶をふたり分用意してもらうようにした。
 ただ、今のところ惨敗である。
 仕方なく毎日ふたり分のお茶を飲み干し、気長に待ち続ける。
 それからさらに幾日が過ぎた頃だったろうか……。
「お茶をご一緒しませんか?」
 いつものようにお茶に誘うと、普段なら背を向けていた青葉が金木犀の木から離れ、真っ直ぐに真白に向かって歩いてくるではないか。
 そして目の前までやって来た青葉は、真白の隣に腰を下ろしたのだ。
 これには真白もびっくりして目を大きくした。
 けれど、すぐに嬉しそうな笑顔を浮かべて青葉に湯飲みを差し出す。
「どうぞ。まだ温かいですよ」
 微笑む真白をじーっと見つめてから、気まずそうに視線を逸らして湯飲みを受け取る。
 青葉は終始なにかをしゃべるでもなく、無言でお茶を飲み干すと、湯飲みを置いてさっと行ってしまった。
 空になった湯飲みを見て、真白は静かに興奮している。
「ついにやりましたー」
 真白はぐっと拳を握り、達成感に浸る。
「ああ、でもこれで終わったわけではありませんね。次はお話をしていただけるようにならなければ」
 決意を新たにする真白は、とうとう青葉がお茶を飲んだことを朱里に報告すると、一緒になって喜んでくれた。
 そして朱里のやる気にも火をつける。
「明日は茶菓子もつけましょう! 少しでも真白様といる時間を稼ぐために」
「わぁ、楽しみです」
 真白はパチパチと拍手しながら微笑んだ。
 正直言うと、真白が楽しみにしているのは青葉と過ごす時間より、どんな茶菓子が出てくるかの方に傾いている。
 そして翌日、やって来た青葉を手招きすると、今度は悩む素振りもなくすっと隣に座った。
 その素直さに真白は己の粘り勝ちを確信して心の中でガッツポーズをする。
 まるで手負いの狼を手懐けていくような気持ちである。
「どうぞ。今日はお茶菓子もありますよ」
 湯飲みを渡してから、小皿に乗せられた羊羹を青葉の横に置く。
 なにを考えているのかじーっと羊羹を見る青葉に、真白は「甘い物はお嫌いでしたか?」と問う。
 返ってきたのは無言で、顔を横に振っての返事だったが、真白の言葉に反応を返したことに変わりはない。
 この調子で会話に持ち込もうと思っている間に、青葉はひと口で羊羹を食べ、流し込むようにお茶を飲み干すと駆け足で逃げるように行ってしまった。
「あっ……」
 お茶菓子で時間を稼ぐつもりが、逆にスピードアップしたような気がする。
 きっと朱里が残念がるだろう。
「甘い物はお嫌いだったのかしら?」
 だが、嫌いならそもそも食べようとはしないだろうと首をかしげていると、どこからともなく舌打ちが聞こえ周りを見回す。
 すると、曲がり角からこちらをうかがう朱里と、茶菓子を作った料理長と使用人頭がいた。
 料理長は短髪の厳つい顔立ちの男性で、使用人頭は白髪交じりの髪をお団子にしている女性だ。
 ふたりは朱里よりも長く、それこそ先代の天孤の宿主が存命の時からこの屋敷に仕えているという。
「あら、皆様どうなさったの?」
 真白が声をかけると、しずしずと姿を見せる。
「申し訳ありません、真白様。気になってしまって」
 と謝る朱里はばつが悪そう。
 そして厳つい顔の料理長は、帽子を脱いでその場に土下座した。
「すいやせん! きっと青葉様はわしらの気配に気づいて早々に去っていかれたんだと思いやす」
「まったく、この人が顔を出しすぎるからですよ」
 そう言った使用人頭は料理長の頭をぺしんとはたいた。
「そういうことでしたか」
「あの青葉様が女性とお茶を一緒にしたって聞いて、いても立ってもおられず……。それに青葉様を目の前にして、真白様が気絶しちまわないかってのも心配で」
「私ですか?」
 自分の心配をされているとは思わなかった真白はこてんと首をかしげる。
「だってだって、あの青葉様ですよ! もはや顔面凶器と言ってもいい美貌を持ったあの方を前にすると、長年仕えてるわしでも直視できんです」
「ええ、ええ。私も先代様からお仕えしているので、青葉様から発せられる神々しい気配にある程度免疫はありますが、他の若い子たちは腰を抜かせばいい方で、新人に青葉様と会わせようものなら気絶は避けられません」
 料理長と使用人頭の言葉に、朱里はうんうんと頷いている。
「一度も気絶したことがないのは、先代から仕えている古株の方々だけですから」
「というと、朱里様も?」
「お恥ずかしながら一度だけ……」
 朱里は恥ずかしそうに頬を染めた。
「とまあ、こんな感じですんで、わしらですら直視できん青葉様にお声をかけるなんてとんでもなく……。けれど、朱里から、真白様は臆することなく青葉様に話しかけていると聞いたので、どんな様子なのかとちょっとばかし気になったというわけです」
「まあ、そうなんですね。皆様もお話しになったらよろしいのに」
「そ、そんな、恐れ多いです!」
 顔を青くさせて首を振る料理長は、顔に似合わず小心者なのか。
 だが、朱里と使用人頭もとんでもないという様子であたふたしているので、別に料理長だけがどうこうというわけではなさそうだ。
「私のような一使用人が天孤であられる青葉様にお声をかけるなどっ」
 朱里が恐れおののくようにそう言うので、真白が使用人頭に視線を向けると、使用人頭も困ったように眉を下げる。
「わ、私は多少なら。ですが、できる限り目を合わさないようにしております」
 そこまでしなければならないのだろうか。
 まるで危険物扱いである。
「えーと、皆様別に青葉様がお嫌いなどということは──」
「それはありません!」
「とんでもねえです!」
「絶対にありえません!」
 食い気味で三人は一斉に否定する。
「私は青葉様をなにより大事に思っております」
「使用人頭だけじゃねぇです。この屋敷に仕えてる者は皆、青葉様が大好きなんです」
 その必死さは大いに伝わってきた。
「私どもは青葉様にお仕えできることを誇りに思っているのですから!」
 使用人頭が力強く語ると、料理長が後に続く。
「その通り! 毎日毎日青葉様の口に入るもんは厳選に厳選を重ねて、喜んでいただけるように最高級の料理をお出ししてるんです。青葉様が食べられたあとの空っぽの皿を見るのがどんだけ嬉しいか」
 厳つい顔についている目を輝かせて、語る料理長からは青葉への敬愛が見て取れた。
「……けど、本能は正直なんですよね……」
 朱里の言葉に、そろってがっくりと肩を落とす三人。
 一喜一憂して表情を変える三人を見ていると面白いなと思ってしまった真白は、顔には出さないように心がけた。
「真白様!」
 突然ガシッと真白の両手を握った使用人頭は、怖い顔で真白に顔を近付けてくる。
 思わずのけ反る真白に、使用人頭は訴えた。
「あの顔面凶器を前にしても動じない真白様が最後の希望です! 青葉様を前にしても微笑んでいられる、たわしのような心臓を持った真白様が必要です!」
「それを言うなら毛の生えた心臓では?」
「青葉様には毛ごときでは対抗できません! たわし……いえ、金たわしぐらいでちょうどいいのです」
 なにげにひどい。
 本当に大切に思っているのかとツッコみたくなるほどだ。
「お願いいたします。真白様が頼りなのです……」
 途端に勢いをなくしてしまう使用人頭だが、握られた手の力は強い。
 青葉への思いが伝わってくるようだ。
 この空気の中で否と言えるはずもない。
「分かりました。善処してみます」
 ぱあっと表情を輝かせる三人は、本当に青葉が大好きなのだなと感じた。