「快人」

「ん?」

「あの子は、見えないんだな」

私の隣で、田辺が呟く。 私は田辺の方を一瞬見てから、快人くんに視線を移す。

「うん。 隼人は、見えない」

快人くんは、隼人くんが入って行ったアパートの扉の方を見つめて言う。 扉の横の郵便受けからは、チラシや封筒がはみ出している。

隼人くんの様子から、私だって薄々そうなんじゃないかと思っていた。 むしろ、見えない方が普通で、何故か私と、そして偶然にも快人くんがたまたま田辺のことが見えただけなのだ。

けれど、田辺のことが見えない人がはっきりと目の前に現れたら……いや、そんな人はいまここに至るまでに何人もいたけれど、それでもその度に、この現実を突き付けられるような気になってしまう。

「そっか、そうだよな。 みんながみんな、見えるなんてあり得ないよな」

田辺は、さっきより明るく言って見せる。 それでも、無理やり笑っているのがありありと分かって、私は胸がキュッと痛む。

……ずっと、自分ばかりが不安に思っていたけれど、もしらしたらそれは田辺だって同じ……いや、田辺の方が何倍も不安なのかもしれない。

それを今の今まで田辺はそれを見せないようにしていただけだったんじゃないか。

そうだとしたら、私はずっと、独りよがりで、田辺の気持ちなんて全然考えていなかった。

「……たな……」

「でも」

私の声よりも、はっきりと力強く、快人くんの声が重なる。 快人くんは、田辺をまっすぐと見上げる。

「史緒のこと、おれと紗季さんはちゃんと見えてるから。 だから、大丈夫だよ」

そう言う快人くんの目があまりにも真っ直ぐで、視線を向けられているのは田辺なのに私がドキリとしてしまう。

私も何か言わなきゃと思って「そうだよ、大丈夫」と田辺を見て声を掛ける。

すると、田辺は「うん」と頷いて、それから「ありがとな」とちょっとだけ小さい声で言葉をつづけた。 そんな田辺を見て、快人くんは口の端を上げて「何照れてんの」と言う。

「照れてねえわ」

「ええー? そうかな」

完全に打ち解けているふたりのやり取りが微笑ましく思えて、私も思わず笑う。 ここに快人くんがいなければ、私はずっと田辺の気持ちに気付かなかったかもしれない。