美月は迷っているようだった。僕から目をそらし、視線が部屋の中をあてどなく彷徨っている。天井、キャビネット、スツール、床板そしてまた天井へ。
 何度それを繰り返したかわからないけれど、足元を照らしていた日の光が、いつの間にか美月の横顔を赤く染めていた。最後の力を振り絞るように。
「いいよ、送ろう」
 根負けしたのか、ついに美月が言った。
「でもこのままじゃ無理だろ?」
「僕がパソコンで打ち直すよ」
 美月は何度も瞬きを繰り返した。そこまでしなくても、という気持ちが滲み出ている。
「……いいのか?」
 旦那様との約束で、僕は成績を落とせない。美月はそのことを心配しているのだろう。僕は彼女を安心させるように微笑む。
「うん。僕が言い出したことだしね」
「名前は、どうする?」
 美月が書いたのだから、本来なら美月の名前で応募すべきだ。でもそんなこと、できるはずもない。
「名前も住所も僕にしとくよ。旦那様にバレたら大変だからね」
 ホッとしたように、美月がうなずく。
「その方がいい」
「でも、ペンネームは美月の名前にするから」
「わかった」
「楽しみだね」
「まぁそう、だな」
 美月は複雑な表情を浮かべていたが、僕は満足だった。
 別に賞が欲しいわけじゃない。ただ少し、未来が待遠しくなるようなことがあれば、美月にとって幸いだろうと思っただけだった。

 それから数ヶ月、僕が小説の話を持ち出すことはなかった。美月もまた途中経過や進捗など、尋ねてくることはなかった。
忘れていたということは、多分ない。僕に任せた以上、何か進展があれば報告してくるだろうと、考えていたのだと思う。
 美月のそういうところは、とても旦那様に似ている。
「あのさ」
 文芸誌で受賞作の発表があった日、僕は美月の部屋で静かに切り出した。
「何?」
「美月の小説が文学賞を取ったよ」
 あまりにもさりげなく言ったから、美月は最初ぽかんとしていた。そしてすぐに笑い出す。
「ははっ、本当に?」
「うん、本当」
 僕は鞄の中から、文芸誌の切り抜きを取り出した。本誌を持ってくると、屋敷の玄関で執事の検閲にあって没収されてしまうからだ。
「信じられない」
 美月は切り抜きに印刷された、自分の名前を撫でた。
 旦那様に言わせれば、醜悪で下劣な駄文が、世間に認められたのだ。
 こんなにめでたいことはない。