彩氷の異端審問官《インクイジター》

 日が暮れかけた放課後。
 東堂の言う通り、事件も異変も起こらなかった。
 二学年の教室が並ぶ北校舎。
 一季は何をするわけでもなく机に座っていた。
 どうでもいいことだが、扉に一番近い後ろの席にいるよう指示を受ける。
 指示した当人は前の席に座って、しきりにスマートフォンを操作していた。窓を背にして優雅に長い足を組んでいる。
 室内には他に人はいない。
 手持ち無沙汰な一季は身を乗り出す。
「何してるんだ?」
「昨日の報告」
「報告って……誰に?」
「後片付け役だ。俺ひとりじゃ手に余る」
 それっぽくないなと思った。
 魔術師といったら獣の使い魔を連絡に使うものではなかろうか。
「あのな。眷属(サーヴァント)を使えば魔力を使う。魔力を使えば相手に特定される。わざわざ目立つことしてどうすんだよ」
 考えていたことが顔に出ていたらしい。
 漫画や小説とは違ってわりとシビアな展開だ。蛇の道は蛇といったところか。力を使えば、同じ力を使う相手には筒抜けになるのか。確かにデメリットしかない。
 慌てて話を変える。
「それじゃ……あんたには仲間がいるってことか?」
「そういうことになるか。どいつもこいつも個人主義で協力・連帯なんて言葉は不釣合いな連中ばかりだが」
 東堂の返答は否定より肯定に近い。
 ただし共同や連携なんて言葉は似合わない様子だった。
 なんとなく意味を込めて相手を見つめてしまう。
 視線に気づいた東堂が眉をひそめる。
「なんだ、その目は」
 彼を見ていれば自然と想像がつく。自分は例外だと言いたいようだが。
 一季にしてみれば同じようなものだ。
 眼前の相手に協調性があるとはとても思えなかった。自覚がないあたり、さらに疑いは深まる。
 一方で納得もできた。
 昨夜の件も仲間がいれば、東堂がいた痕跡を消して警察に通報することもできただろう。現に、そうして警察への通報と救急車の手配をしたらしい。手慣れているとしか思えない鮮やかな事後処理である。
 その辺りは聞いても怖いことにしかならない気がしたので別の質問をしてみる。
「じゃあ、あんたはどんな犯罪者を追ってるんだ?」
「おまえも知ってるだろ」
 操作の手をとめて東堂がスマートフォンを見せてくる。
 画面にはニュース速報が流れていた。言われた通り、知っている事件だ。
「眠り姫事件……まさか、これが魔術師の仕業だっていうのか?」
「不可解な事件ほど、その可能性は高い」
 昨日までなら一蹴していたと思われるセリフ。
 今の一季には否定できない。
 無根拠に信じていた現実は、中途半端な距離にある。
 東堂を信じているわけでもない。ただ彼の説明には否定できない『何か』がある。
「魔力を抜かれすぎると睡眠で補おうとする」
 端的に吐かれた言葉に、反応が遅れた。
 意識を失った少女たちには眠っているとしか思えない状態だと聞く。
 東堂の証言はそれを裏付けるような内容だ。
 もっと別の仮説があるはずなのに、一季は何も言えなかった。今の状況では、彼の言葉がもっとも近い。
 日常と非日常の境目。
 自分の立ち位置が曖昧になっていく。
 危うく彼の言葉を受け入れそうになる。
 いつの間にか口の中は乾いていた。
「誰が何のために?」
「それを探ってる最中なんだよ。目的はおおかた研究か実験だろう」
 あっさりと返される。
 当事者ではないからだとは思う。
 けれども全体像が掴めないことは不安だった。
 いや、それ以上に今の状況が不気味に感じる。
 得体の知れない恐怖というものは、思考や感覚が麻痺してしまうものなのか。
 一季はかろうじて浮かんだ疑問を口に出した。
「何の研究なんだ?」
「さぁ。それは俺の知ったことじゃないな」
 東堂は窓枠に背を預けて、天井を見上げる。
 同時に「ただし」と告げてきた。
「どんな研究にせよ、大勢の魔力を大量に集めるのは見過ごせない」
 その言葉は、はっきりと聞き取れた。
 彼の言う通りなら、少女たちの健康を脅かす行為だ。不安に思う家族もいる。
 それらを無視してでも成し遂げたい研究や実験とは何だろう。
 どんなに崇高な目的だとしても、一季にはきれいごとや詭弁としか思えない。
 内心で安堵もする。
 東堂は、むやみに他人を傷つけるタイプではないと判明した。それだけでも大きな安心材料である。他人の犠牲をやむなしと考える人間の側にいたら精神的に危ない。
 けれども、今度は別の考えが頭に浮かぶ。
「……犯人を見つけたらどうするんだ」
 ふと湧いた疑念。
 東堂が横目で見つめてくる。
 真意をはかりかねている。そんな表情だった。
 まっすぐに見つめてくる視線に、多少気後れを感じる。
「その、殺すのか?」
 声が少し上擦った。
 犯人が本当に少女たちの魔力を集めているのだとしたら。
 東堂は自らの手を汚すこともいとわないとしたら。
 急に落ち着かなくなった。
 心臓の動悸を感じ、背筋に寒気が走る。
 おそるおそる相手の反応を窺うと、東堂は強気に笑うだけだ。
「必要ならな」
 返ってきた言葉には、やっぱり気負いがなくて。
 けれど、彼の場合はそっちの方が真実味を増している。
 すでに他人の生命を背負っている者の反応に思えてきた。

 教室内が一瞬だけ暗くなる。
 数秒後、蛍光灯が点滅して消えた。薄暗い闇が降りてくる。
「東堂」
「静かに」
 名を呼ばれて東堂は椅子から立ちあがった。
「おいでなすったようだな」
 軽い口調で眼鏡をはずす。流れるような動きでポケットにしまう。
 強い光を灯す瞳は、横顔からでわかった。
「どうするん……ぐぇッ!」
 ひそめた声が遮られる。
 突然、首が圧迫された。強く引かれたあとの浮遊感。
 襟首を捕まえられ、引きずられていると知った時には乱暴に扉を開ける音がした。
 ガンッと強い衝撃とともに尻餅をつく。
 今度は放り投げられた。文句を言おうと顔を上げる。
 ひゅっと声が詰まった。
 視線の先、目の前に立つ東堂よりも向こう。
 薄暗い廊下には一匹の豹がいた。その背後は黒い影が炎のように揺らめいている。
 豹は、そこから現れたのだろうか。別の空間に繋がっている扉のような。
「昨日と今日で、挟み撃ちとは芸がない」
 軽く笑う東堂のセリフで背後を見る。
 反対側の廊下も黒い影を背後に狼が立っていた。
 肌が粟立つ。
 昨夜の光景が頭をかすめた。寒気とともに心臓が縮むような息苦しさを感じる。
 豹がわずかに首を下げた。
〈それはどうかしら?〉
〈我らが策もなしに再び現れたと思ったか〉
 再び頭の中で声がする。
 昨夜、耳にした男女の声音だ。
 獣が話しているとしか思えない現状でも、東堂の顔色は変わらない。
 むしろ、瞳の輝きが強くなった気さえする。
「そいつは面白そうだな」
 自信にあふれたセリフと一緒に靴底を擦るようにして床を蹴る。
 わずかに姿勢を低くして続ける。
「来いよ。暇つぶしに遊んでやる」
〈減らず口を!〉
〈その喉、噛みちぎってやる!〉
 素早く跳躍して東堂に襲いかかる。
 狼の気配を感じて少し後ろに下がった。反射的に壁に背を向ける。
 東堂は拳を強く握って、距離を測っている。一季が焦って苛立ちを感じるまで、長く。
 豹の牙が届く直前、腕を払った。
〈!〉
 廊下一帯が氷漬けになる。
 天井と床、虹色の氷柱(ひょうちゅう)が無数の牙のようにそそり立つ。
 周囲には雪のように七色の粒子が舞い落ちる。
「最初からおまえらと腕比べするつもりはない」
 幻想的な光景とは裏腹に東堂の声は、冷たく響いた。
 一季が周囲を見渡す。
 五つの教室を巻き込んだ氷は、豹と狼を巻き込んでいた。
 胴体や足が氷漬けにされて動けない。
 もがいて咆哮をあげる。
 東堂はその氷柱(ひょうちゅう)に降り立つ。
 いつでも豹の首を落せる位置だった。
 整った顔立ちは不敵に片笑む。
王手(チェックメイト)だ」
 ぶるりと身体が震えた。
 今頃になって周囲が冷気に包まれていたことを知る。
「東堂……」
「そこでおとなしくしてろよ。眷属(サーヴァント)
 軽く言い放ち、氷柱から降りる。
 駆け寄った一季は豹と狼を見比べた。
「こいつらは一体……」
眷属(サーヴァント)ってヤツだ。魔術師が召喚した悪魔とか天使とか、そんなの」
 東堂の口調は、どこまでも軽い。
 数秒でおとなしくさせた張本人とは思えなかった。
 頼もしい口ぶりも気になったが、発言の内容から別の情報も出てきている。
「けど、そうなると」
「こんばんは。はぐれ魔術師と魔力超過(イクシーダー)
 一季が疑問を口にする前に背後から挨拶を受ける。
 とっさに見返すと狼の背後に、ひとりの男子生徒が立っていた。
 先ほどの東堂の言葉。
 豹と狼が眷属(サーヴァント)という存在なら、呼び出した相手がいるということになる。
 それが、どんな意味をもたらすのか。
 一季は考えることができなかった。挨拶をした人物に驚いたからだ。
「賢木生徒会長……?」
 東堂よりも細い、整った顔立ち。
 知性をたたえる瞳に柔和な笑顔。
 じわじわと恐れを抱く。
 彼の反応が場違いに思っているからだ。
 恐れや混乱、驚きがない。
 それが意味することは。
「おまえ【黄道十二宮(ゾディアック)】の天使だな」
 口火を切ったのは東堂だった。
 彼の問いかけに生徒会長は、さらに笑みを深める。
 その反応に背筋が凍りつく。
 わずかばかりの希望が失われたような、直感が当たった落胆のような。
 再び感じる、非日常の入り口。
 それが昨日より遥かに近く存在している。
 その事実に、身体が硬直する。思考はすでに止まっている。
〈マスター〉
〈申し訳……ありません〉
 やがて、耳に届くのはおずおずとした謝罪。
 豹と狼のものらしかった。
「シュトリー、マルコシアス」
 賢木が名前を呼ぶ。
 つられるように彼を見て心臓が掴まれたような錯覚に陥った。
「おまえたちには失望した」
 賢木には、すでに表情がない。
 冷たい言葉で狼を一瞥すると、黒い炎が現れる。
 女性の絶叫が響き渡った。
 豹と狼を包みこむと、布のように流れて丸みを帯びる。
 炎が球体に変化するとゆっくりと輪郭を小さくして消えた。
 残るのは黒の粒子だけ。
 悲鳴はとっくに聞こえなくなっていた。
 一季には何が起きたかわからなかった。
 ただ、胸に不快なものがじわりと忍び寄ってきた。それが心臓にまとわりついてくる。
 息苦しさを感じていると再び生徒会長が優雅に笑う。
 今朝に見た女子生徒を魅了する、爽やかな表情。
 今の状況では恐怖でしかない。
「改めて挨拶しよう。僕の名前は賢木(さかき)智央(ちひろ)
 新たな闖入者にも東堂は驚かない。
 むしろ待っていたかのような態度だ。ふんと鼻を鳴らし、後方に少しだけ重心をずらした。
「違うだろ。もうひとつの名前があるはずだ。おまえには」
 東堂は確信めいた口調で断言する。
 にらみ合う相手には伝わったらしい。賢木が意味深に笑う。
「……アドナキエル。これを知る意味が君にわかるのかな」
 間をおいて告げられた名前に一季は心当たりはない。
 もちろん賢木の意図など理解できなかった。
 一方の東堂は見当がついていた様子だ。
 生徒会長の言葉に動揺は見られない。
「【九番目(悪の誘惑者)】か。悪魔召喚に大勢を対象にした実験研究……いらなくなった眷属(サーヴァント)は自ら手討ちか。おまえの教会は以前からやることがえげつない」
 あからさまな悪意にも賢木は顔色を変えなかった。
 クラスメイトの着眼点が意外だとでもいうように目をまるくさせる。
「おや。君も魔術師の端くれなら知っていると思うけど。手負いの悪魔ほど始末が悪いものはないよ。契約は命がけだからね。(カテーナ)が切れないうちに片付けるのは初歩中の初歩だよ」
 賢木の口調も軽い。
 東堂が問題視した部分が理解できない口ぶりだった。
 その反応に東堂の表情が固くなっていく。
「おおかた、それも他の手下(サーヴァント)任せだろう」
 生徒会長を見つめる瞳が鋭くなっていく。眉間に皺を寄せた東堂が吐き捨てる。
「自分の手を汚さない人間が魔術師を名乗るな」
 ぞっとするほど冷たく聞こえた。
 今はっきりと感じた。
 東堂の嫌悪。賢木の言動を不愉快に感じているのだ。
 ぶつけられた本人は残念そうに嘆息するだけ。
「そういう君は異端審問官(インクイジター)かな。いつも思うが君らは品がなくて、正気の沙汰と思えない。魔術の構築式に自分の身体を組み込むなんて」
(……インクイジター?)
 一季は眉をひそめる。
 聞きなれない言葉だ。そもそも、はじめから東堂と賢木の会話は理解できていない。
 唯一わかっていることは、双方ともにお互いのやり方が気に入らないように見えるだけだ。
「魔術師を屠るために魔術を使うとは。魔術師の面汚し……いや、魔術を冒涜する裏切り者かな」
「それがどうした。おまえはこれからその面汚しに殺されるんだ。みっともないのはどっちかな?」
 今度は賢木が東堂に攻撃的な発言をする。
 余裕そうに笑いながら切り返された言葉に、賢木は沈黙する。
 表情も消えたことから苛立ちを感じたのかもしれなかった。
 しばらく無言のにらみ合いが続いたあと、
「今回は、お互い痛み分け……というところかな」
 賢木が笑った。
「また改めて伺うよ」
 あっさりと踵を返しても東堂は攻撃しなかった。
 表情を消して、じっと背中を見据えている。
 一季は動けなかった。
 賢木の姿が夜の闇に消えても。
 どくどくと脈打つ鼓動と言いようのない恐怖が、彼の動きと思考を縛りつけている。
 気が付いたら、東堂に引きずられていた。
 長い間、呆けていたらしい。しびれを切らされて帰途についている最中、我に返ったという次第。
 その流れで、また東堂を我が家に招き入れる形になってしまった。
「おまえ、家族は?」
 明かりのついたリビングを見回しながら訊ねられる。
 前回の時といい、人気がないことが気になったようだ。
「父親は単身赴任。母親は看護師だから不規則な勤務が多い」
 何度か聞かれた家の事情。
 ソファに座り、端的に答える。
 いつからだろう。この説明をすると決まって気分が重くなるのは。
「別に珍しくもないだろ。今時」
「ひとり暮らしみたいなもんか。すごいな」
「は?」
「昨日の飯といい、大したもんだ」
 一季は目を瞠る。
 初めてだった。そんな反応されるとは思っていなかった。
『上村、実質ひとり暮らしみたいなもんじゃん!』
『いいなー。今度、遊びに行っていい?』
 反発したいわけでも、肯定したいわけでもなかった。
 友人たちの羨望はとても重くまとわりついて。
 自由と引き換えに孤独なんて言葉は置き去りにされていく。
 一季自身、見失いかけたもの。
 それをすくいあげられた気がした。
 よりにもよって、こんなヤツに。
 認めたくなくて、ぐっと奥歯を噛みしめる。
「なあ、〝インクイジター〟って何だ?」
 悔しまぎれに訊ねる。
 東堂は、そこを気にするかといった態度ではす向かいのソファに座る。
 ついで長いため息をついた。
「直訳すると〝尋ねるもの〟……よく耳にするのは異端審問官」
 頭をかきながら足を組む。
 吐かれた言葉はかなり不本意らしい。
 魔術の次は魔女狩りか。
 漫画や小説でしか聞いたことのない言葉だ。
 恐れや偏見の暴走の果てに、弱者をいたぶる。
 そんな漠然とイメージしかない。
 異端審問会をよく知らない一季ですら、ネガティブな連想を浮かべるのだ。
 すでに異常な出来事が立て続けに起きている今、その言葉を軽く考えることはできない。
 ごくりと息を飲む。
「あいつらが勝手に名前をつけてるだけだ。自分たちを正当化しろとは言わないがわざわざ異分子になりたがる意味がわからん」
 対する東堂は迷惑というよりは、つけられた名前が不本意といった様子だ。
 確かに、東堂を異端審問官と認めれば対峙する自分を異端と認めることになる。
 東堂の言い分は理解できる。一季も同じ気持ちだ。
 わざわざ自分を異端と名乗る。その真意はどこにあるのか。
 東堂が、どさりと背をソファに預ける。
 疲労を覚えたように天井を見上げた。
「異端審問官なんて時代錯誤もいいところだ」
 まただ。
 東堂の言葉には気負いがない。淡々と事実を告げている。
 それが逆に重みを感じた。
「あの、豹と狼は、どうなったんだ?」
「……」
 思いついたことを訊ねてみる。
 東堂に襲いかかり、動きをとめられた二匹。
 彼らは、どこに行ってしまったのか。
 東堂は、しばらく天井を見上げていた。
 考え事をしているような、言葉を選ぶような仕草に思える。
「たぶん、死んだ。殺されたっていうより、消滅させたって方が近いかな」
 さらりと告げられた答え。
 想像以上の衝撃を受ける。自分の目の前で、とうに奪われた生命があった。
 その重さに絶句する。
眷属(サーヴァント)は大抵、強制的に従わされてるだけだ。召喚した時に鎖をかけて自由を奪う。ただその鎖が緩む時がある。さっきの状況で賢木が戦うとかな。そういう時、眷属(サーヴァント)は命懸けで召喚した魔術師を襲う。殺せば鎖が無効になるから」
 単純に考えて、人間が悪魔を呼び出したとして自由に扱えるはずがない。必ず代償や危険性が付きまとう。それらを無視するには、さらなる手段を用いるしかない。
 東堂は、それ以上は多くを語らなかった。きっと一季の考えなどお見通しで否定する必要がないからだ。
 きっと賢木は眷属(サーヴァント)が自分を襲う前に彼らを殺したのだ。
 仮にも自分に従ってくれたものを躊躇いもなく。
 襲われるかもしれないという確定ではない憶測だけで。
「……そうか」
 かわいそうだ、とは口にできなかった。
 一季は彼らには殺されかけた。彼らの意思は知らない。事情も東堂の予想でしかない。
 確かなことは何もない。
 よく知りもしない自分が言ってはいけないような気がした。
「おまえ。明日、学校休むとか考えてないだろうな」
「え」
 顔をあげると、横目で見つめてくる東堂と視線がかち合った。
 数秒後、彼の発言が耳に届いた。
 理解できて、言外に含まれた意味に震えあがる。
「いやいや! 相手は生徒会長だぞ、学校行ったら殺されるぞ!」
「それは向こうも同じだ。あいつがふたつ名を告げた以上、一刻でも早く俺たちの口を封じたいはずだ」
 両手で手を振って、何かを拒否する。
 どちらにせよ、生徒会長が自分の生命を狙っているとくれば、回避したいと思うのが当然だろう。
 そう説明しようとすれば、東堂が急に話題を変えた。
「普通、魔術師ってのは自らの手の内を明かさない。名前なんてもっての外」
「そうだったら何だっていう……」
「現代の魔術師は別にもうひとつ名前を持つ。いろいろバレることがあるからな」
 反論しかけて、思い出す。
『これを知る意味が君にわかるのかな』
 ぞくりと背筋が震えた。
 あの言葉の意味。東堂の説明で、直感めいたものが浮かぶ。
 嫌な予感だけしかしなかった。
「反対に名乗る時は『これからおまえを殺す』って意味になるんだよ」
 回避不可能の処刑宣告。
 魔術師の世界は本当に殺伐としている。
 正体や秘密を知られたら口を封じる。
 死人に口なし。
 もっとも効果的な秘密保持だ。
「それに忘れたのか? ヤツはおまえを狙ってるんだ。その気になりゃ、ここへ乗り込んでくる」
 胸に鋭い痛みが走った。
 学校という同じ領域(テリトリー)にいる以上、自分の情報も相手に筒抜けになっている。
 当たり前に受け入れていた自分の居場所。
 両親や友人たち。
 それが一季のせいで失われると思ったら怖くなる。
「反対に学校なら放課後までは手を出せない。俺たち以外にも魔術師がいないともかぎらない。下手に怪しまれるより、普段と同じ生活をして自分が力を最大限活かせるところで決着をつけたいと思っているはずだ」
 理屈としては、そうかもしれない。
 現に賢木の襲撃は東堂の指摘通りだった。
 だが、一季の不安はぬぐい切れない。
 今後も同じだという保証はないのではないか。そんな疑念が頭をかすめるのだ。
 それでも東堂はあくまで強気だ。
「しかも戦う相手は俺だぞ。返り討ちにしてやる」
「なに、その無駄な自信」
 もはや反論の気力は削がれた。
 何を言ったところで、この男の主張は崩せない。
 疲労で思考も回らなくなりつつある頃、全く関係のない疑問が口から出ていた。
「あんたは……どうしてこんなことしてるんだ?」
 東堂のしていること。
 それは一季の日常からは大きく離れている。
 賢木のような魔術師を追う理由でもあるのだろうか。
 それとも莫大な報酬が約束されているのだろうか。
 怪我も生命の危険もある。
 学校との両立だって難しいかもしれない。
 東堂のしていることはいいことなのか悪いことなのか、一季にはわからなかった。
 ただ目の前に自分が狙われている事実だけが残る。
 それも東堂にとっては大事ではないことに思えた。
 彼の目的。
 唐突に気付いて気になった。
 東堂は何を望んで『そこ』にいるのだろうか。
 じっと見つめても横目で笑うだけだ。わずかな好奇心のようなものが浮かぶだけ。
 それもすぐに瞳を閉じられたので、別な感情なのかもわからない。
「別に。ああいう連中が気に食わないだけさ」
 答える声音はやはり軽い。
 ここで一季は期待していたことに気付く。
 東堂がどんな経緯で力を持ち、それをどう活かすか。
 そんな経緯を聞きたいと思っていたらしい。
 軽い落胆とともに納得する。
 東堂に拒絶されたかはぐらかされたかは定かではないが、一季も同じだと思いなおした。
 行動の理由なんて誰でも明確に説明できるものではないはず。
 何でも訊ねれば答えが得られるものではない。
 今さらながらに実感する。
「なあ、今日の飯は何にするんだ?」
「…………」
 その日も東堂は夕飯と風呂を要求してくる。
 けろりとした口調に、いろいろ考えてるのが馬鹿らしくなった。
 仕方がないので、豚丼の大盛りを作ってやる。
 当然、完食したのち入浴、爆睡。動物みたいなヤツだった。
 翌日も結局いつもの通りに登校した。
 東堂は、さらに図々しさが増している。
 朝食を遠慮なく平らげた後、引きずるように一季を学校へ連れてきた。首根っこを掴まれた猫の気分だ。
 運よく母親には見られずにすんだが、他のことが心配でメンタルは下降気味。
 いつ受けるかわからない襲撃にびくびくしていても東堂はそっけなく告げてくる。
「あいつらだって無用な騒ぎは起こしたくないはずさ。目的は不明だが自分たちが少数派なのは身に染みてわかってる」
 放課後まで、その言葉の意味を考えてしまう。
 危険を犯してまで他者の魔力を狙ったり、自ら召喚した眷属(サーヴァント)まで手にかけてえたいもの。
 一季には想像がつかなかった。
「生徒会長は何をしたいんだ?」
 ぽろりとこぼれた発言に、東堂が横目で見つめてくる。
 前回と同じく教室で時間を潰す。不用心もいいところだ。これでは襲ってくださいと言っていることと同じではないか。
 そう思いながらも一季は東堂との会話を優先する。他にするべきこともなかったからだ。
 世間で騒ぎになるほどのことを起す目的が気になった。
 完全に東堂の言葉を信じたわけではないが、もし本当のことなら行動を起こすだけの理由があるはず。単純な疑問が、手持ち無沙汰な時間潰しになってくれることを期待する。
 対する東堂はまたもやスマートフォンを操作しながら口を開いた。
「【賢者(けんじゃ)(いし)】」
「え」
「それを量産したいんじゃないか?」
 端的な返答に戸惑う。内容を軽く考えてしまう。もしくは聞き間違いを疑う。
「【賢者(けんじゃ)(いし)】って……映画や漫画の話じゃあるまいし」
 一季は呆れながらも呟く。
 聞き覚えはあるものの、現実には存在しないものだ。
 ファンタジーの物語では度々、耳にしたことのあるアイテムだったと思う。特徴としては能力の底上げをする増幅器といった類ではなかったか。
 あからさまに怪しげな方向性になっていく気がして、一季は警戒を強める。
 ただし、東堂本人にそんな反応は無意味だった。
 ちなみにスマートフォンで何をしているか身を乗り出して見てみたら、ただのアプリゲームだったりする。
「別名【永久(えいきゅう)機関(きかん)】ともいわれる。それがあれば、どんな魔術も代償なしに行えるという」
永久(えいきゅう)機関(きかん)】?」
 オウム返しに訊ねる。
 飄々とした態度を咎めるように睨んでも気付いていない。
「【プロメテウスの火】。【増幅器(タリズマン)】。【ソロモンの小さな鍵(レメゲドン)】。【セントエルモの火】。果ては【ファティマ第三の予言】まで……他にも、いろいろ呼び名はあるが実際にどんな形なのか、どんな作り方なのか、詳しいことは不明だ」
「それ、何か矛盾してないか?」
 いろいろな名前が出てきて頭が混乱しそうだ。
 かろうじて理解できた点について疑問を投げかける。
 どんな魔術も成功させるアイテム。
 けれども形状や製造過程が謎。
 存在そのものを疑うべきなのでは?
 視線にそう意味を込めれば、ようやく東堂が顔をあげる。
「それにまつわる逸話があるんだよ」
 わずかに首を傾げて笑う。
 眉根を寄せたその表情はかすかな違和感を覚えた。
 困ったような、迷ったような。
 ほんの少しの拒絶。
 一季が明確に感じる前に、東堂は説明を続ける。
 十七年前、不可能といわれる【永久機関(賢者の石)】を作り出した魔術師がいた。
 長い年月をかけて作りあげられたそれは、完成直後ある教会によって奪われてしまう。
「教会?」
「派閥みたいなもんだ。本来は協会なんだろうが。自分たちの活動理念を信仰と言えなくもないから、こっちの表現を好んで使うようだ」
 東堂はのんきに机に指で文字を書く。
黄道十二宮(ゾディアック)】の天使。それらが彼らが属する教会の名前だ。
 教会の中で優れた十二人の魔術師は、天使の名前を名乗るのだという。
 一季は驚いた。
 教会と聞くと想像以上に魔術師が存在していて、コミュニティを作っているようだ。
 この現代に人知れず息をひそめていた組織があるとは。
 反面まだからかわれているような気もする。
 頭の中の理性が東堂の言葉を疑っていた。怪しい心霊オカルト特番のような、考えることを放棄したくなる。
 もちろん、それでいつもの日常に戻れるわけではないので必死で頭を働かせた。
「それで……その魔術師は?」
「殺されたよ」
 あっさりと返ってきた答え。
 夢のような万能の奇跡を叶える道具を生み出した結果。
 作り出した本人は自身の望みを叶えることもなく、歪んだ欲望を持つ魔術師たちによって奪われてしまう。
 膨大な研究資料も奪われ、実験施設も焼かれた。
「そんで世界中の魔術師教会に対して宣戦布告。この十七年、どこも緊張状態にあるな」
「大事件じゃないか……」
 一季は言葉をなくす。
 想像以上に大事(おおごと)だ。人ひとりの生命が奪われ、生活の拠点を破壊された。
 さらには【永久機関(賢者の石)】を奪った魔術師たちは、世界中の魔術師に対して宣言する。
『我々は神の御業を手に入れた。この力で世界の存在を書き換えよう』
「な、なななな……一体、何を」
「安心しろ。実際は各地で小競り合いしてる程度だ。魔術師同士の戦いなんざ、本当なら不毛なんだ。魔力を使い果たしてどっちかが痛い目を見たら終わる」
 世界の脅威ともいえるテロリストを想像して青ざめる一季に対し、東堂の反応は薄い。
 規模が子ども同士のケンカレベルとでも言いたげだ。笑えない冗談にしてはタチが悪い。
 改めて怪しい話だと警戒心を強めれば、東堂が補足説明をはじめる。
「魔術師ってのは正体が露見することをなにより嫌う。極力、周りに溶け込んで生活してる。自前の研究室や実験施設を持ってるからおいそれと簡単には移動できない」
「はぁ……」
 内容の意図がわからず、生返事になってしまう。
 隠れて生活する魔術師の特性が、どうして大きな事件に発展しない保証となるのだろう。
 一季は単純に首を傾げる。
「騒ぎを起こすと周囲の人間に怪しまれるし、混乱が起きれば真っ先に袋叩きにされる。だから証拠を残すヘマしないし、殺されても自業自得って考える連中なんだよ。自分の研究内容を外部にもらしたマヌケって笑われるんだ」
「そんな……」
 再び言葉を失いかける。
 人とは違う能力を持つ意味。
 人々は不安に陥ると、自分とは違う異質なもの、少数派の人間を排斥してしまう。
 魔術師として生きると決めたなら、その能力は家族にも秘密にする。
 秘密をもらしたりもれた場合、何があっても自分の落ち度。
 一季は複雑な気持ちになった。
 そんな考え方は、どんな事情であっても悲しい気がする。
 複雑な感情の処理に追いつけない一季が今度こそ言葉をなくした時だった。
 東堂が「ただし」と告げて天井を見上げる。
「どんな理由であれ、殺人は大罪だ」
 いつものようにこともなげに吐かれたセリフなのに、やけに耳に残った。
 何も知らない日常にいたままなら、間違いなく当たり前だと思っていたこと。
 それが違った重みを感じた気がした。

 急に視界が点滅する。
 蛍光灯の明かりが消えて、周囲が薄い闇に包まれる。
 前にも似た状況があった。
 一季は不安を感じて席を立つ。
「東堂」
「動くな」
 同じく椅子から立ちあがった東堂は周囲に周囲を窺う。気配を探るように。
「!」
 突然、強く突き飛ばされる。
 一季が壁に背中を打った瞬間、天井が崩れ落ちた。
「東堂!」
 風に舞う粉塵に視界が覆われた。
「噂は本当のようだね」
 落ち着いた声音に、一季はぎくりとする。
 右手にある教室のドア。
 視線を向ければ廊下に賢木が立っていた。
 想像以上の至近距離に驚くも、身体が思うように動かない。尻餅をついたまま、手足を使って距離をとろうとする。
 ゆっくりとした足取りで教室に入ってくる。
 その視線は崩れた瓦礫に向けられていた。
異端審問官(インクイジター)は、その存在故に最小限の魔術しか扱えないと聞いていたけど……」
 考えを転がすように言葉を紡いで、嘆息する。
 あからさまに肩をすくませた。
「いささか面白みに欠けるな。こうもあっさり引っかかるとは」
 興覚めといった口調で心底、残念がっている。
 そんな芝居がかった言動に一季は不気味さを感じた。
 人の生命を軽く考え、簡単に奪う。
 その神経が理解できない。
 そこで賢木がこちらに向き直った。
 じっと見下ろされ、身構える。いつの間にか距離をとることを忘れた。
「なるほど。君の前世は聖人だったんだね」
「?」
 言葉の意味がわからない。
 一方の賢木は考えるような表情で続けてくる。
「どうして僕たち魔術師は人間の魔力を供給源にしてるかわかるかい?」
 急に話を変えてきた。
 会話を引き延ばすべきか。逃げるべきか。東堂の無事を確かめるべきか。
 どくどくと脈打つ鼓動をおさえながら、考えを巡らせる。賢木の真意を探りながら。
「人の魂は不滅だからさ。輪廻を繰り返し、肉体を変えても、その核は変わらない」
 ぞくりと背筋に悪寒が走った。
 心臓を鷲づかみにされる感覚。呼吸がしづらい。
 嫌な予感がする。
 この続きは聞いてはいけない。本能が告げるも、賢木は爽やかに笑ってみせた。
「とはいっても魔力の高低には個人差がある。通常の魔力より遥かに高い、【魔力超過(イクシーダー)】……君みたいな聖人を前世にもつ特異体質はなかなかお目にかかれない」
 ようやく繋がった。
 自分が狙われていた意味。
 偶然、居合わせた口封じではなかった。
 高い魔力を持つ人間。賢木の目的は、最初から変わっていない。
 ただイレギュラーが現れた。それだけのこと。
 賢木は胸の第二ボタンから伸びる紐を手に取る。ポケットから現れた飾緒の先には赤の宝石が輝いていた。
「怖がらなくいい。この【永久機関(賢者の石)】に取り込まれれば、永遠を生きられるよ」
 恐怖は感じなかった。死ぬ実感がない。
 思考は白紙に塗りつぶされている。身体が動かない。
 そっと近づく賢木を拒絶するように目をつぶった。
 痛みもない。触れられた感触もなかった。
 ドッと何かがぶつかる音と鋭い冷気に、目を開いた。
 眼前には目を瞠る賢木と対峙する男子生徒が屹立していた。思い当たる人物はひとりしかいない。
 周囲には虹の粒子が雪のように降っている。
「えげつない趣味してんじゃねーぞ。メガネ会長」
 東堂の一言で、粒子が弾けた。わずかな光を集めて七色に光る。
 賢木は表情を消して一歩、後方へ下がった。
「東堂!」
 名前を呼んで、一季はぎょっとする。
 横顔の東堂が顔面血まみれだった。メガネもレンズもとっくに割れている。
 青ざめた一季は指をさしたまま、口をパクパクさせた。驚いて声が出てこない。
「頭、血、血が……!」
「落ち着けよ。額をちょっと切っただけだ」
 向き直った東堂は困った表情で告げる。
 まるで一季の反応が大げさだとでも言うように。
 メガネを外し、額から流れる血を制服の腕で拭う。
「前言撤回だ」
 賢木は不思議そうに眉根を寄せた。
「わからないな。君ほどの魔術師がどうして異端審問会に属する?」
 考えごとをするように腕を組む。
 対する東堂は表情を変えない。メガネを放り投げ、もう一度、乱雑に血を拭ったあと詰襟の制服を脱ぐ。
 ついでに一季に向って放り投げる。こちらを振り向きもしない。
 文句も言い出せる雰囲気ではなかった。
 見定めるような瞳で賢木は指をさしてくる。
「前にも言ったけど。君のその魔術、かなり危険性(リスク)が高いんじゃないのかな。構築式を身体に取り込んでいる状態だからいつか必ず反動(リバウンド)がくるよ。いいや、言い方を変えよう。それは実質、寿命を縮めていることに等しい行為だ」
「!」
 驚いて東堂を見る。
 その表情は何も変わっていない。けれど少しだけ揺れた瞳を伏せた。
 肯定のようにも思われる、仕草。
 一季にはわからない。
 どうして、そこまでして戦うことを選ぶのか。
 賢木は笑った。好奇心に動かされる研究者のように。
「それは使命感というやつかい?」
 生命を縮めてまで魔術を行使する理由。
 正義感や責務、義務といった考えからくるものと賢木は推察する。単純な興味から。
 だが、東堂は喉の奥で笑うだけだ。
「そんなご大層なもんじゃない。おまえらにとっては取るに足らないことだ」
 軽い口調で否定する。もっとささいな理由だと。
 東堂は一回だけ大きく息を吸った。
「【永久機関(賢者の石)】を作った魔術師には息子夫婦がいた。十七年前、おまえたちは彼らの口も塞いだと思ったんだろうが、生憎たったひとりの生存者がいたんだ」
 東堂が言っていた十七年前の事件。
 まるで見てきたような口ぶりだった。
 そして、改めて知る生存者の存在。
 それが意味すること。
 同じく察した賢木が驚いたように口を開く。
「まさか。君はッ!」
 自信に満ちた笑みを浮かべながら東堂は指を突きつける。
「そうさ。俺は【永久機関(賢者の石)】を作った日向(ひゅうが)哲史(てつし)の孫だ」
 賢木は茫然としているようだった。
 存在しないものを見たような。
 まるで幽霊でも見るかのような。
 当然かもしれなかった。
 誰が想像できるだろうか。
 殺された母親の胎内で生き延びた、その生命力。
 かすかな偶然が起こした現実を前に賢木の声はかすれていた。
「生きていたのか……あの創造主の末裔が」
「死にきれなかったのさ」
 東堂は軽く告げる。
 まるで他人事のように。
 一季にはその態度が別の意味に思えてきた。
 いつでも軽く淡々と話す東堂の口調は環境の裏返しなのかもしれない。
 あまりにつらい現実を他人の人生のように認識する。
 そう割り切ることで怒りも悲しみも、理不尽さえも飲み込んできた。
 一季はそれを弱いとか卑怯だとは思わなかった。
 真正面から向き合っていたら乗り越えられなかったのかもしれないから。
 賢木は視線をあげた。
 まるで神の奇跡を見たかのように呟く。
「……これも縁なのかもしれないな。【創造主の肉親()】が目の前にいるなんてね」
 ついで手をのばした。
 東堂を誘うように。
「提案だ。僕たちの教会にこないか?」
「!」
 一季は瞠目する。
「亡き祖父の意思を継いでみないかい?」
 賢木の発言が理解できない。
「かつての日向の血筋なら申し分ない。他の十二天使は僕が説得しよう」
 賢木の表情は愉悦に満ちていた。
 思いもかけず、価値あるものを見出したような。真作を発見したような喜びが伝わってくる。
 その言動が不可解だった。
 彼の教会は、東堂の祖父と両親を殺して形見を奪った。そのことに何の贖罪も抱いていない。
 あまつさえ悪びれもせず仲間へと引き入れる。
 一季の認識が間違っているのかと思うほど。
 賢木の提案は常軌を逸している。
 これが魔術師の考え方なのだろうか。
 信じられない世界だ。嫌悪しかない。
 そこで東堂を見る。彼も魔術師だ。
 一季は不安になる。振り向かない彼の返答が怖い。
 もし、賢木の考えに同意することがあったら。
「断る」
 きっぱりとした拒絶。
 即答だった。一季が聞き間違いかと思うほど、はっきりとした声音だった。
「俺は決めたんだ。自分の生まれを知った時、この力を手にした時、自分に誓った。何もかも承知で選んだ」
 淡々と話す言葉とは裏腹に、握られた両の拳は震えていた。
 寒さでもなく、怒りからでもなく。
「おまえたち【黄道十二宮(ゾディアック)】の天使全員を見つけ出し、【永久機関(賢者の石)】を必ずこの手で破壊すると」
 言葉とともにあふれたのは強い決意。
 そうだった。
 東堂はむやみに他者の犠牲を望む人間ではない。今も自分の前に立ち、生命を守ろうとしている。
 途端に恥ずかしくなった。
 東堂の言動には他者を思う心や自分勝手な行いを許さない意思があふれていた。
 それを耳にしていながら一瞬でも疑った自分が情けない。
 一瞬の感情に流されそうになるが、かろうじてこらえる。悔やむのはあとだ。
 まずは、この状況を脱してからだ。
 そう思いなおし、前を向く。
「そうか」
 賢木は小さく呟いた。
「それは残念だ」
 次に肩を落とす。
 一瞬の沈黙。
 賢木と東堂がにらみ合った。直後、双方の足元が爆発する。
 光の輪郭が陣を作り、視界を奪う。
「君は運がない。他の十二天使なら君を祖父と両親のもとへ送ってあげただろう。けど、僕は彼らのように優しくない」
 目をこじあければ、緋色の炎と虹色の粒子が周囲を舞っていた。
 賢木は胸の飾緒をボタンから外す。周囲には炎が燃え盛る。
「この【永久機関(賢者の石)】に取り込むことにしよう。その魔力、永遠に使い続けてあげるよ」
「ほざいてろ」
 穏やかに微笑む賢木。対峙する東堂は吐き捨てた。
 同時に腰を落とす。
 それが合図だった。
 互いに炎と氷をまとわせて高速でぶつかり合う。
 熱気と冷気がまじりあう境目、東堂の拳を賢木が受け流していた。
 やがて賢木が振り払うと氷の粒子が消えた。
 賢木は優雅に笑う。
「それが君の限界だよ。自分の【魔力(オド)】だけじゃ高が知れる。僕は、熾天使と力天使に続いて炎のサインを持っているんだ。相性としては最悪だよ」
 見たかぎりでは、賢木が優勢だ。
 氷の粒子が火の粉に消える。瞬きが鈍い。炎に押されているいるようだった。
「そうだな」
 東堂はあっさりと認めた。
 だが、戦意は失われていない。腰を落として拳を握り直す。
 再び強く踏み込んだ時だった。
「何度、繰り返しても同じだよ!」
 賢木が炎を操って、また攻撃を押さえようとする。
「!」
 炎が消えた。虹の粒子も消えている。
 互いの力を打ち消し合った。相殺したのだ。
 さらに東堂は姿勢を低く保ち、攻撃を避ける。
「だが、おまえの顔面を殴り倒すくらいはできる」
 つまりは賢木の懐に入った。
 虹色の粒子が瞬く。東堂が拳を握りなおした瞬間、爆発した。
「貴様……!」
「とっとと歯、食いしばれ!」
 声を張りあげた東堂が拳を突き出した。
 目を瞠った賢木が防御に徹するも、もう遅い。
 ゴッと鈍い音が響きわたる。
 一季の位置からでは、東堂の背中が死角となって見えない。
 一拍後、賢木がゆっくりと倒れた。
 遠くでカシャンッという音がする。おそらくメガネが落下したのだろう。
 ゆっくり立ちあがった東堂は手をはたいた。
「ったく。始めから終わりまで魔術で片付けようとするからそうなるんだ」
 さきほどのやりとりとはうって変わって力が入っていない。まるで粗大ごみをやっと片付けたような口調だった。
 言葉から察するに、勝敗の分け目はフィジカル面の差かもしれない。
 賢木は優れた魔術師かもしれないが、お世辞にも体格的に恵まれているようには見えなかった。
 身長も平均的。すると、肉体ひとつで戦う東堂とは相性が悪いに違いない。
 一季はおそるおそる賢木を見る。
 胸は上下している。
 よかった。気絶しているだけだ。
 賢木の頬は強く殴られたのに口もとに血がついたくらいだ。あざひとつない。
 きっとこれから腫れ上がるのだろう。
 痛みを想像して首のあたりがぞわりとした。
 東堂は、慣れたことなのか賢木を一瞥もせず、瓦礫の中から荷物を引っぱり出す。
 ついた埃や汚れには頓着しない。かざごそとスマートフォンをとりだし、操作する。
 画面をタップしたあとは耳元に持っていく。
「俺だ。後片付けを頼む」
 それだけを告げて電話を切る。
 一季は、よろよろと歩み寄る。
「賢木は……どうなるんだ?」
「さぁな。俺が決めることじゃない」
 殺されかけたというのに東堂はあっさりしていた。
 強がっているそぶりもない。
 気付いたように賢木が握っていた飾り紐を拾いあげた。
「それが……【永久機関(賢者の石)】なのか?」
 目の前にかざして見つめる。
 宝石のついた飾り紐。これが東堂の家族を奪った理由。
 そして、彼の望みはその破壊。
 願いが叶う瞬間と思い、言葉を飲み込むと東堂は眉根を寄せて顔をしかめた。
「これは本物じゃない」
「え?」
 こぼれた呟きに、ぽかんとした。
「ほとんど魔力がない。きっと本物を模倣したまがい物だろう。ただの振り子(ペンデュラム)だ」
 確かめるように眺めて、賢木の胸の上に置いた。
 もう用はないとばかりに、すぐに立ちあがって踵を返す。
「行くぞ。じきに警察がくる」
 上着を返さなくては。
 そう思うものの、なんとなく声をかけづらい。
 眼前には東堂の背中がある。
 日も落ちて、あちこちから夕飯のにおいが漂う帰途。
 道行く人がすれ違いざまに東堂を見る。
 血がにじむ額に、ぼろぼろの制服。注目を集めるのは当然だった。
 状況としては、いじめられた一季を助けようとして乱闘した後だろうか。それはあながち間違っていない。
 周囲の目もあってますます声がかけづらい。どうしようか改めて一季が考え始めた時だった。
「あ。そうだ」
 突然、東堂が思いついたように振り返った。
「ほら」
 視線が合うと同時に何かを放り投げてきた。
 慌てて受け取る。
 握っていた左手を開くと天然石のついたネックレスだった。
「これは?」
「【お守り(アミュレット)】だ。ちょっとした魔力拡散の効果がある。身につけているかぎり魔術師に目をつけられることはない」
 持ってろと告げられ、再び前を向く。
 一季の胸に不安がよぎった。
 東堂が行ってしまうと思った。
 このまま見送ったら、二度と会えなくなるのではないか。そんな直感が頭に浮かぶ。
 不安とも焦燥ともつかない。衝動に近い。明確に意識できたわけではなかった。
『俺は決めたんだ。自分の生まれを知った時、この力を手にした時、自分に誓った。何もかも承知で選んだ』
 どんな気持ちで、あんな言葉を口にしたのだろう。
『おまえたち【黄道十二宮(ゾディアック)】の天使全員を見つけ出し、【永久機関(賢者の石)】を必ずこの手で破壊すると』
 ずっと、これからもそれだけのために戦うことを選ぶのだとしたら。
 やるせない。
 何かないか。
 東堂を引き留めるもの。戦いだけではなくて。
 それらを忘れさせるもの。たった一瞬でも。
 ふと頭によぎったものは。
「腹、減ったらうちに来い!」
 思った以上の声を出してしまい、一季の方が驚いた。
 いきなり何を言い出すのか。
 この状況では空気の読めない、まぬけな言葉にも思える。
 東堂も、わずかに目を瞠って真意をはかりかねている。
 思うよりも早く口をついて出た。
「その……飯くらいなら食わせてやれるから」
 ついでに持っていた制服をぐいと押しつける。
 沈黙に耐えきれない。
 自分は何を言っているのか。
 こいつの図々しさには呆れていたはずなのに。
 そっちの東堂の方が彼らしい気がしたのだ。
「そうだな」
 長い沈黙のあとの短い答え。
 拒絶ではない。
 あっさりした同意。
 顔をあげると東堂が制服を肩に持つ。
「腹が減ったら遊びに行こうかな」
 そう告げて嬉しそうに笑う。
 年相応の、無邪気に笑う少年の顔だった。

 散々な夜明け。
 眠れなくても、孤独でも。
 どんなにひどい夜で朝は必ずくる。
「起立、礼!」
 委員長の声でクラスの生徒が重たそうに腰をあげる。
 教室に入ってきた中年男性の担任は、特に変わったこともなさそうに出欠を取り始めた。
「東堂はまた欠席か」
 誰も彼の空席を疑問に思わない。
 担任の口ぶりから常習犯なのは明白だった。それでも関心は薄い。東堂の目論見通りだった。
「みんなも知っていると思うが、北校舎の件だ。警察の捜査が終わるまで近づかないように」
 あれから。
 賢木と東堂の激闘の跡は、魔術で修復。なんてことはなく瓦礫と化した元・教室そのままだった。東堂の仲間は最低限の証拠隠滅しかしないらしい。
 翌朝、教師が警察に通報。
 現場検証のため立入りは厳禁。警察は悪質な学校荒らしと見て捜査をするようだ。
 遅くまで残っていたと認識されたらしい一季も事情聴取されてものの、形式的なやりとりで終わってしまった。
 一季と両隣のクラスは、教室を移動して授業を再開。
 何故、休校にしないのか。そんな生徒の不満が空気に出ている。
 それを意に介さない担任。生徒の無言の圧力もさらりと受け流している。
 単に教育とか教師といった職務に無関心なタイプかと思っていたが、何があっても動じない人種なのかもしれない。
 一季は苦笑する。
 今まで、そんなことに関心など払わなかったのに。
 きっかけはもちろん。
 続けて担任が「それと」と事務的に話を続けた。
「賢木が行方不明だそうだ。何か知っている人がいたら先生に報告するように」
 そのひと言には教室中がざわついた。
 担任は、いつものようにさっさと教室を出ていってしまう。
「生徒会長が……行方不明?」
「家出かな」
「やっぱりストレス抱え込んでたのかな」
「やーん。ショック~」
 事実を知らないということは、とても楽で残酷だ。
 賢木の何を知っていて、何を知らないのか。
 そんなことはどうでもよくて。
 憶測と薄っぺらな興味で、根も葉もない噂話に埋もれていく。
 一季は複雑な気持ちで、それらを眺める。
 他のことが気になっていた。
 病室で眠り続けていた女子高生たちの意識が回復したらしい。
 新聞やテレビの情報では昨夜というから、タイミング的には賢木が意識を失った頃と重なっている。
 意識を回復した少女たちは、記憶が曖昧で事件性を疑われる証言は出ていないようだ。
 つまりは犯人など出てくるはずもない。
 一季は生徒会長の今後について知ることはできない。
 きっと彼の過去も、知る機会はないだろう。
 賢木のしたことはいまだに理解できない。
 生命を狙われかけたのに、怒りを表すこともできない。
 それは自分がお人好しなんかではなく、事情を理解できていないからだと思う。
 実感できない。それが一番しっくりくる。
 悪い夢を見ていたような。
 守られていた。
 振り返らない背中を思い出す。
 実感がないのは、たぶん東堂のおかげなのだろう。
 彼が常に前に立って、一季を守っていてくれたから最低限の恐怖だけですんだのかもしれない。
 今度は東堂のことが気になった。
 あいつはこれからも人知れず戦い続けるのだろうか。
 たった三日の出来事。
 他人が見たら、わけもわからず振り回された滑稽な話かもしれない。
 でも、失いたくないかけがえのないものは確かにあって。
 当たり前だと思っていたこと。
 彼にとっては失われた日常なのかもしれない。
 そう思ったら、今までの自分は惰性で生きるような気がした。
 何を成すかはまだ決めていない。
 ただ漠然とした『何か』に流されるのはやめようと思う。
 最初の一歩は決めている。
 東堂に会えたら。
 ふっと自然に息がもれた。
(腹いっぱい食わせてやるかな)
 いつ来ても満腹のご飯がたべられるように。
 メニューを考えなければ。
 一季は、ひとり胸中でごちた。

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