気が付いたら、東堂に引きずられていた。
 長い間、呆けていたらしい。しびれを切らされて帰途についている最中、我に返ったという次第。
 その流れで、また東堂を我が家に招き入れる形になってしまった。
「おまえ、家族は?」
 明かりのついたリビングを見回しながら訊ねられる。
 前回の時といい、人気がないことが気になったようだ。
「父親は単身赴任。母親は看護師だから不規則な勤務が多い」
 何度か聞かれた家の事情。
 ソファに座り、端的に答える。
 いつからだろう。この説明をすると決まって気分が重くなるのは。
「別に珍しくもないだろ。今時」
「ひとり暮らしみたいなもんか。すごいな」
「は?」
「昨日の飯といい、大したもんだ」
 一季は目を瞠る。
 初めてだった。そんな反応されるとは思っていなかった。
『上村、実質ひとり暮らしみたいなもんじゃん!』
『いいなー。今度、遊びに行っていい?』
 反発したいわけでも、肯定したいわけでもなかった。
 友人たちの羨望はとても重くまとわりついて。
 自由と引き換えに孤独なんて言葉は置き去りにされていく。
 一季自身、見失いかけたもの。
 それをすくいあげられた気がした。
 よりにもよって、こんなヤツに。
 認めたくなくて、ぐっと奥歯を噛みしめる。
「なあ、〝インクイジター〟って何だ?」
 悔しまぎれに訊ねる。
 東堂は、そこを気にするかといった態度ではす向かいのソファに座る。
 ついで長いため息をついた。
「直訳すると〝尋ねるもの〟……よく耳にするのは異端審問官」
 頭をかきながら足を組む。
 吐かれた言葉はかなり不本意らしい。
 魔術の次は魔女狩りか。
 漫画や小説でしか聞いたことのない言葉だ。
 恐れや偏見の暴走の果てに、弱者をいたぶる。
 そんな漠然とイメージしかない。
 異端審問会をよく知らない一季ですら、ネガティブな連想を浮かべるのだ。
 すでに異常な出来事が立て続けに起きている今、その言葉を軽く考えることはできない。
 ごくりと息を飲む。
「あいつらが勝手に名前をつけてるだけだ。自分たちを正当化しろとは言わないがわざわざ異分子になりたがる意味がわからん」
 対する東堂は迷惑というよりは、つけられた名前が不本意といった様子だ。
 確かに、東堂を異端審問官と認めれば対峙する自分を異端と認めることになる。
 東堂の言い分は理解できる。一季も同じ気持ちだ。
 わざわざ自分を異端と名乗る。その真意はどこにあるのか。
 東堂が、どさりと背をソファに預ける。
 疲労を覚えたように天井を見上げた。
「異端審問官なんて時代錯誤もいいところだ」
 まただ。
 東堂の言葉には気負いがない。淡々と事実を告げている。
 それが逆に重みを感じた。
「あの、豹と狼は、どうなったんだ?」
「……」
 思いついたことを訊ねてみる。
 東堂に襲いかかり、動きをとめられた二匹。
 彼らは、どこに行ってしまったのか。
 東堂は、しばらく天井を見上げていた。
 考え事をしているような、言葉を選ぶような仕草に思える。
「たぶん、死んだ。殺されたっていうより、消滅させたって方が近いかな」
 さらりと告げられた答え。
 想像以上の衝撃を受ける。自分の目の前で、とうに奪われた生命があった。
 その重さに絶句する。
眷属(サーヴァント)は大抵、強制的に従わされてるだけだ。召喚した時に鎖をかけて自由を奪う。ただその鎖が緩む時がある。さっきの状況で賢木が戦うとかな。そういう時、眷属(サーヴァント)は命懸けで召喚した魔術師を襲う。殺せば鎖が無効になるから」
 単純に考えて、人間が悪魔を呼び出したとして自由に扱えるはずがない。必ず代償や危険性が付きまとう。それらを無視するには、さらなる手段を用いるしかない。
 東堂は、それ以上は多くを語らなかった。きっと一季の考えなどお見通しで否定する必要がないからだ。
 きっと賢木は眷属(サーヴァント)が自分を襲う前に彼らを殺したのだ。
 仮にも自分に従ってくれたものを躊躇いもなく。
 襲われるかもしれないという確定ではない憶測だけで。
「……そうか」
 かわいそうだ、とは口にできなかった。
 一季は彼らには殺されかけた。彼らの意思は知らない。事情も東堂の予想でしかない。
 確かなことは何もない。
 よく知りもしない自分が言ってはいけないような気がした。
「おまえ。明日、学校休むとか考えてないだろうな」
「え」
 顔をあげると、横目で見つめてくる東堂と視線がかち合った。
 数秒後、彼の発言が耳に届いた。
 理解できて、言外に含まれた意味に震えあがる。
「いやいや! 相手は生徒会長だぞ、学校行ったら殺されるぞ!」
「それは向こうも同じだ。あいつがふたつ名を告げた以上、一刻でも早く俺たちの口を封じたいはずだ」
 両手で手を振って、何かを拒否する。
 どちらにせよ、生徒会長が自分の生命を狙っているとくれば、回避したいと思うのが当然だろう。
 そう説明しようとすれば、東堂が急に話題を変えた。
「普通、魔術師ってのは自らの手の内を明かさない。名前なんてもっての外」
「そうだったら何だっていう……」
「現代の魔術師は別にもうひとつ名前を持つ。いろいろバレることがあるからな」
 反論しかけて、思い出す。
『これを知る意味が君にわかるのかな』
 ぞくりと背筋が震えた。
 あの言葉の意味。東堂の説明で、直感めいたものが浮かぶ。
 嫌な予感だけしかしなかった。
「反対に名乗る時は『これからおまえを殺す』って意味になるんだよ」
 回避不可能の処刑宣告。
 魔術師の世界は本当に殺伐としている。
 正体や秘密を知られたら口を封じる。
 死人に口なし。
 もっとも効果的な秘密保持だ。
「それに忘れたのか? ヤツはおまえを狙ってるんだ。その気になりゃ、ここへ乗り込んでくる」
 胸に鋭い痛みが走った。
 学校という同じ領域(テリトリー)にいる以上、自分の情報も相手に筒抜けになっている。
 当たり前に受け入れていた自分の居場所。
 両親や友人たち。
 それが一季のせいで失われると思ったら怖くなる。
「反対に学校なら放課後までは手を出せない。俺たち以外にも魔術師がいないともかぎらない。下手に怪しまれるより、普段と同じ生活をして自分が力を最大限活かせるところで決着をつけたいと思っているはずだ」
 理屈としては、そうかもしれない。
 現に賢木の襲撃は東堂の指摘通りだった。
 だが、一季の不安はぬぐい切れない。
 今後も同じだという保証はないのではないか。そんな疑念が頭をかすめるのだ。
 それでも東堂はあくまで強気だ。
「しかも戦う相手は俺だぞ。返り討ちにしてやる」
「なに、その無駄な自信」
 もはや反論の気力は削がれた。
 何を言ったところで、この男の主張は崩せない。
 疲労で思考も回らなくなりつつある頃、全く関係のない疑問が口から出ていた。
「あんたは……どうしてこんなことしてるんだ?」
 東堂のしていること。
 それは一季の日常からは大きく離れている。
 賢木のような魔術師を追う理由でもあるのだろうか。
 それとも莫大な報酬が約束されているのだろうか。
 怪我も生命の危険もある。
 学校との両立だって難しいかもしれない。
 東堂のしていることはいいことなのか悪いことなのか、一季にはわからなかった。
 ただ目の前に自分が狙われている事実だけが残る。
 それも東堂にとっては大事ではないことに思えた。
 彼の目的。
 唐突に気付いて気になった。
 東堂は何を望んで『そこ』にいるのだろうか。
 じっと見つめても横目で笑うだけだ。わずかな好奇心のようなものが浮かぶだけ。
 それもすぐに瞳を閉じられたので、別な感情なのかもわからない。
「別に。ああいう連中が気に食わないだけさ」
 答える声音はやはり軽い。
 ここで一季は期待していたことに気付く。
 東堂がどんな経緯で力を持ち、それをどう活かすか。
 そんな経緯を聞きたいと思っていたらしい。
 軽い落胆とともに納得する。
 東堂に拒絶されたかはぐらかされたかは定かではないが、一季も同じだと思いなおした。
 行動の理由なんて誰でも明確に説明できるものではないはず。
 何でも訊ねれば答えが得られるものではない。
 今さらながらに実感する。
「なあ、今日の飯は何にするんだ?」
「…………」
 その日も東堂は夕飯と風呂を要求してくる。
 けろりとした口調に、いろいろ考えてるのが馬鹿らしくなった。
 仕方がないので、豚丼の大盛りを作ってやる。
 当然、完食したのち入浴、爆睡。動物みたいなヤツだった。