ぶるりと身体が震えた。
今頃になって周囲が冷気に包まれていたことを知る。
「東堂……」
「そこでおとなしくしてろよ。眷属」
軽く言い放ち、氷柱から降りる。
駆け寄った一季は豹と狼を見比べた。
「こいつらは一体……」
「眷属ってヤツだ。魔術師が召喚した悪魔とか天使とか、そんなの」
東堂の口調は、どこまでも軽い。
数秒でおとなしくさせた張本人とは思えなかった。
頼もしい口ぶりも気になったが、発言の内容から別の情報も出てきている。
「けど、そうなると」
「こんばんは。はぐれ魔術師と魔力超過」
一季が疑問を口にする前に背後から挨拶を受ける。
とっさに見返すと狼の背後に、ひとりの男子生徒が立っていた。
先ほどの東堂の言葉。
豹と狼が眷属という存在なら、呼び出した相手がいるということになる。
それが、どんな意味をもたらすのか。
一季は考えることができなかった。挨拶をした人物に驚いたからだ。
「賢木生徒会長……?」
東堂よりも細い、整った顔立ち。
知性をたたえる瞳に柔和な笑顔。
じわじわと恐れを抱く。
彼の反応が場違いに思っているからだ。
恐れや混乱、驚きがない。
それが意味することは。
「おまえ【黄道十二宮】の天使だな」
口火を切ったのは東堂だった。
彼の問いかけに生徒会長は、さらに笑みを深める。
その反応に背筋が凍りつく。
わずかばかりの希望が失われたような、直感が当たった落胆のような。
再び感じる、非日常の入り口。
それが昨日より遥かに近く存在している。
その事実に、身体が硬直する。思考はすでに止まっている。
〈マスター〉
〈申し訳……ありません〉
やがて、耳に届くのはおずおずとした謝罪。
豹と狼のものらしかった。
「シュトリー、マルコシアス」
賢木が名前を呼ぶ。
つられるように彼を見て心臓が掴まれたような錯覚に陥った。
「おまえたちには失望した」
賢木には、すでに表情がない。
冷たい言葉で狼を一瞥すると、黒い炎が現れる。
女性の絶叫が響き渡った。
豹と狼を包みこむと、布のように流れて丸みを帯びる。
炎が球体に変化するとゆっくりと輪郭を小さくして消えた。
残るのは黒の粒子だけ。
悲鳴はとっくに聞こえなくなっていた。
一季には何が起きたかわからなかった。
ただ、胸に不快なものがじわりと忍び寄ってきた。それが心臓にまとわりついてくる。
息苦しさを感じていると再び生徒会長が優雅に笑う。
今朝に見た女子生徒を魅了する、爽やかな表情。
今の状況では恐怖でしかない。
「改めて挨拶しよう。僕の名前は賢木智央」
新たな闖入者にも東堂は驚かない。
むしろ待っていたかのような態度だ。ふんと鼻を鳴らし、後方に少しだけ重心をずらした。
「違うだろ。もうひとつの名前があるはずだ。おまえには」
東堂は確信めいた口調で断言する。
にらみ合う相手には伝わったらしい。賢木が意味深に笑う。
「……アドナキエル。これを知る意味が君にわかるのかな」
間をおいて告げられた名前に一季は心当たりはない。
もちろん賢木の意図など理解できなかった。
一方の東堂は見当がついていた様子だ。
生徒会長の言葉に動揺は見られない。
「【九番目】か。悪魔召喚に大勢を対象にした実験研究……いらなくなった眷属は自ら手討ちか。おまえの教会は以前からやることがえげつない」
あからさまな悪意にも賢木は顔色を変えなかった。
クラスメイトの着眼点が意外だとでもいうように目をまるくさせる。
「おや。君も魔術師の端くれなら知っていると思うけど。手負いの悪魔ほど始末が悪いものはないよ。契約は命がけだからね。鎖が切れないうちに片付けるのは初歩中の初歩だよ」
賢木の口調も軽い。
東堂が問題視した部分が理解できない口ぶりだった。
その反応に東堂の表情が固くなっていく。
「おおかた、それも他の手下任せだろう」
生徒会長を見つめる瞳が鋭くなっていく。眉間に皺を寄せた東堂が吐き捨てる。
「自分の手を汚さない人間が魔術師を名乗るな」
ぞっとするほど冷たく聞こえた。
今はっきりと感じた。
東堂の嫌悪。賢木の言動を不愉快に感じているのだ。
ぶつけられた本人は残念そうに嘆息するだけ。
「そういう君は異端審問官かな。いつも思うが君らは品がなくて、正気の沙汰と思えない。魔術の構築式に自分の身体を組み込むなんて」
(……インクイジター?)
一季は眉をひそめる。
聞きなれない言葉だ。そもそも、はじめから東堂と賢木の会話は理解できていない。
唯一わかっていることは、双方ともにお互いのやり方が気に入らないように見えるだけだ。
「魔術師を屠るために魔術を使うとは。魔術師の面汚し……いや、魔術を冒涜する裏切り者かな」
「それがどうした。おまえはこれからその面汚しに殺されるんだ。みっともないのはどっちかな?」
今度は賢木が東堂に攻撃的な発言をする。
余裕そうに笑いながら切り返された言葉に、賢木は沈黙する。
表情も消えたことから苛立ちを感じたのかもしれなかった。
しばらく無言のにらみ合いが続いたあと、
「今回は、お互い痛み分け……というところかな」
賢木が笑った。
「また改めて伺うよ」
あっさりと踵を返しても東堂は攻撃しなかった。
表情を消して、じっと背中を見据えている。
一季は動けなかった。
賢木の姿が夜の闇に消えても。
どくどくと脈打つ鼓動と言いようのない恐怖が、彼の動きと思考を縛りつけている。
今頃になって周囲が冷気に包まれていたことを知る。
「東堂……」
「そこでおとなしくしてろよ。眷属」
軽く言い放ち、氷柱から降りる。
駆け寄った一季は豹と狼を見比べた。
「こいつらは一体……」
「眷属ってヤツだ。魔術師が召喚した悪魔とか天使とか、そんなの」
東堂の口調は、どこまでも軽い。
数秒でおとなしくさせた張本人とは思えなかった。
頼もしい口ぶりも気になったが、発言の内容から別の情報も出てきている。
「けど、そうなると」
「こんばんは。はぐれ魔術師と魔力超過」
一季が疑問を口にする前に背後から挨拶を受ける。
とっさに見返すと狼の背後に、ひとりの男子生徒が立っていた。
先ほどの東堂の言葉。
豹と狼が眷属という存在なら、呼び出した相手がいるということになる。
それが、どんな意味をもたらすのか。
一季は考えることができなかった。挨拶をした人物に驚いたからだ。
「賢木生徒会長……?」
東堂よりも細い、整った顔立ち。
知性をたたえる瞳に柔和な笑顔。
じわじわと恐れを抱く。
彼の反応が場違いに思っているからだ。
恐れや混乱、驚きがない。
それが意味することは。
「おまえ【黄道十二宮】の天使だな」
口火を切ったのは東堂だった。
彼の問いかけに生徒会長は、さらに笑みを深める。
その反応に背筋が凍りつく。
わずかばかりの希望が失われたような、直感が当たった落胆のような。
再び感じる、非日常の入り口。
それが昨日より遥かに近く存在している。
その事実に、身体が硬直する。思考はすでに止まっている。
〈マスター〉
〈申し訳……ありません〉
やがて、耳に届くのはおずおずとした謝罪。
豹と狼のものらしかった。
「シュトリー、マルコシアス」
賢木が名前を呼ぶ。
つられるように彼を見て心臓が掴まれたような錯覚に陥った。
「おまえたちには失望した」
賢木には、すでに表情がない。
冷たい言葉で狼を一瞥すると、黒い炎が現れる。
女性の絶叫が響き渡った。
豹と狼を包みこむと、布のように流れて丸みを帯びる。
炎が球体に変化するとゆっくりと輪郭を小さくして消えた。
残るのは黒の粒子だけ。
悲鳴はとっくに聞こえなくなっていた。
一季には何が起きたかわからなかった。
ただ、胸に不快なものがじわりと忍び寄ってきた。それが心臓にまとわりついてくる。
息苦しさを感じていると再び生徒会長が優雅に笑う。
今朝に見た女子生徒を魅了する、爽やかな表情。
今の状況では恐怖でしかない。
「改めて挨拶しよう。僕の名前は賢木智央」
新たな闖入者にも東堂は驚かない。
むしろ待っていたかのような態度だ。ふんと鼻を鳴らし、後方に少しだけ重心をずらした。
「違うだろ。もうひとつの名前があるはずだ。おまえには」
東堂は確信めいた口調で断言する。
にらみ合う相手には伝わったらしい。賢木が意味深に笑う。
「……アドナキエル。これを知る意味が君にわかるのかな」
間をおいて告げられた名前に一季は心当たりはない。
もちろん賢木の意図など理解できなかった。
一方の東堂は見当がついていた様子だ。
生徒会長の言葉に動揺は見られない。
「【九番目】か。悪魔召喚に大勢を対象にした実験研究……いらなくなった眷属は自ら手討ちか。おまえの教会は以前からやることがえげつない」
あからさまな悪意にも賢木は顔色を変えなかった。
クラスメイトの着眼点が意外だとでもいうように目をまるくさせる。
「おや。君も魔術師の端くれなら知っていると思うけど。手負いの悪魔ほど始末が悪いものはないよ。契約は命がけだからね。鎖が切れないうちに片付けるのは初歩中の初歩だよ」
賢木の口調も軽い。
東堂が問題視した部分が理解できない口ぶりだった。
その反応に東堂の表情が固くなっていく。
「おおかた、それも他の手下任せだろう」
生徒会長を見つめる瞳が鋭くなっていく。眉間に皺を寄せた東堂が吐き捨てる。
「自分の手を汚さない人間が魔術師を名乗るな」
ぞっとするほど冷たく聞こえた。
今はっきりと感じた。
東堂の嫌悪。賢木の言動を不愉快に感じているのだ。
ぶつけられた本人は残念そうに嘆息するだけ。
「そういう君は異端審問官かな。いつも思うが君らは品がなくて、正気の沙汰と思えない。魔術の構築式に自分の身体を組み込むなんて」
(……インクイジター?)
一季は眉をひそめる。
聞きなれない言葉だ。そもそも、はじめから東堂と賢木の会話は理解できていない。
唯一わかっていることは、双方ともにお互いのやり方が気に入らないように見えるだけだ。
「魔術師を屠るために魔術を使うとは。魔術師の面汚し……いや、魔術を冒涜する裏切り者かな」
「それがどうした。おまえはこれからその面汚しに殺されるんだ。みっともないのはどっちかな?」
今度は賢木が東堂に攻撃的な発言をする。
余裕そうに笑いながら切り返された言葉に、賢木は沈黙する。
表情も消えたことから苛立ちを感じたのかもしれなかった。
しばらく無言のにらみ合いが続いたあと、
「今回は、お互い痛み分け……というところかな」
賢木が笑った。
「また改めて伺うよ」
あっさりと踵を返しても東堂は攻撃しなかった。
表情を消して、じっと背中を見据えている。
一季は動けなかった。
賢木の姿が夜の闇に消えても。
どくどくと脈打つ鼓動と言いようのない恐怖が、彼の動きと思考を縛りつけている。