「おお、うまそう!」
向かいに座る少年の表情は輝いていた。
夕飯のメインはキチンカツ。
春菊のナムル、ポテトサラダ、オニオンスープ。
あれから、一季は自宅マンションへ戻った。腹をすかした危険人物と一緒に。
少し落ち着きを取り戻した今なら、とんでもないことをしたと自覚できる。だが、もう遅い。
「ここんとこまともな飯、食ってなかったんだよな」
パンッと両手を叩く。勢いのいい「いただきます」の挨拶らしい。
何故、こんなヤツと食事をする羽目になったのか。思考能力が低下していた自分をたこ殴りにしたい。
だが、まだできることはあると思いなおす。
箸を持ちながら、一季は口を開いた。
「なあ、あんた」
「あ。うまい。カツのソースは味噌を使ってんのか」
「一体さっきのは……」
「ポテトサラダもあっさりしてるし。隠し味は、酢と砂糖か?」
「どういうことなんだ?」
「あー。オニオンスープが沁みる……」
「ちょっとは他人の話を聞け!」
バンッとテーブルを叩いて抗議する。ついでに椅子からも立ちあがった。勢いで。
頬を膨らませた少年と目が合う。普通に食事できる神経がわからない。
こちとら、死ぬかもしれない思いをしたんだ。
せめて、ことの詳細を聞かないと割に合わない。
そんな気持ちを込めて睨む。
対する少年は箸を止めたまま、表情を変えない。しばしの間、沈黙が流れる。
「ま、いいか。飯の代金分は教えてやる。別に隠すほどのもんでもねーし」
だったら早く教えんか。
言い方がいちいち腹立つが文句を口にする気力は薄れている。
疲労なのか、苛立ちなのか。とにかく、事実が知りたい。その一点にこだわる。
一季は気を取り直して質問してみた。
「で、あんたは何者なんだ?」
「東堂嵐士。おまえと同じ征渓高校の生徒」
びしりと青筋が浮かぶ。
そんなことを訊いたんじゃない。
同時に、何故、通っている学校がわかったのだろうと首を傾げる。
彼の服装で気が付いた。制服か。
そんなささいな観察すら見抜けなくなっている。思考力はかなり落ちているとみていい。だが、不安という感情は厄介なもので、正確な情報がないと手に入れるまで求めてしまうものだ。心身の疲労など忘れて。
もう一度、駄目もとで聞き直した。
「普通の高校生は物質を凍らせることなんてできないと思われるのですが」
「人間、気合いがあれば何でもできる」
口調を丁寧にしてみても、またもやふざけているとしか思えない返答だ。
ぎろりと睨んでやる。
ふざけるのも、いい加減にしろ。
こちらの気持ちが伝わったのか、少年は説明し直した。
その表情は渋い。かなり気乗りしない反応だった。
「早い話、俺はある犯罪者を追ってる。それがおまえと接触した。おまけにおまえは生命を狙われている。また遭遇する可能性が高い。以上」
今度は簡潔すぎる。
逆に頭に入らない。
倒れていた女子高生は?
豹と狼は?
あんたの目的は?
そもそも一体、どういう状況だったのか。
気になる疑問がてんこもりだった。
要点を説明されただけで「はい。そうですか」とならないのが人情である。
言いたいことは山ほどあるが、頭の回転が追いつかない。
どう説明しようか悩んだところで少年こと東堂は、ため息をついた。箸をおいて頭をかきむしる。
「俺、あんま好きくないんだよ。魔術師とか、そういう言葉」
「あんた……まさか魔法使いとかいうんじゃないだろうな?」
身を乗り出して眉をひそめる。
魔術師やら魔法使いときた。からかわれているとしか思えない。
よって、信じない。
はずだが、あんな現象を目撃した後では話は違ってくる。
単純に考えて、街中に豹や狼が現れてしゃべっていたことからすでに異常事態である。ましてや、それらに殴りかかろうとした東堂も常識の範疇を超えている。しかも、科学的には説明できない現象が間違いなく起きていた。
(緋色の壁とか氷柱とか)
ただし、これを他人に話したところで信じてくれるとは思えない。一季だって、他の人間から聞かされたら夢でも見たのだろうと言うに違いない。
むしろ、夢だと言ってくれたら楽になれるのに。
とは言っても、ことはそう希望通りにはならないものだ。
「似て非なるものだ。あれは何の代償もなしに発現する奇跡の御業とか、そういう類」
再び箸をとった東堂が口を開いた。
魔法の説明らしい。
内容からすると、神の御業とか、奇跡といった現象だろうか。
「逆に魔術ってのは代償を払って物理法則をほんの少し曲げる術だ。高く跳んだり、早く走れたり、炎や水、時間を操る。錬金術もこの部類に入るが、もともと鉛を金に変えるなんて無理な話さ。金以上の代償を支払わなきゃならない、割に合わない術もいいとこだ」
「そんなこと」
ありえない。
と言いかけて口をつぐんだ。
実際に、この目で見たもの。
否定をするには、あまりにも鮮やかで残酷だ。
あったはずの日常が崩れる一歩手前。非日常の入り口。
それが一季が立つ現状。
認めることができない。信じたくない。
その一方で、自分の見たものを嘘だと決めつけることもできなくて。
対して、東堂には有無を言わせない雰囲気があった。黙々と食事を続ける。
事実を告げる者にある自信にも似た直截的な言葉。
一季の反応も見透かしたような態度だった。
すでに何度か経験済みのような。
そんな予想が頭をかすめた時だった。東堂が再び口を開く。
「つまりは、さっきの肉食獣二匹が俺が追ってる犯罪者の情報を持っているかもしれない。まずはそれを引き出したい」
「すると、あんたは……」
「今日はもうやめとけ。いろいろあって疲れてるし、人間ってのはキャパを超えると物覚えが悪くなるもんだ」
けろりと吐かれた言葉には何の気負いもなくて。
まるきり他人事だ。
実際に他人事だろうが、さっきの言葉には気遣いも含まれているようにも思えた。
てっきり、頭ごなしに自分の都合ばかりを押しつけられると思っていた。何の根拠もなしに。
これではかえって調子が狂う。
「ごちそうさん」
いつの間にか、皿はきれいに平らげられていた。
こちらはちっとも進んでない。まじか。
驚きつつも旺盛な食欲に圧倒される。
げふっと息をついた東堂はあたりを見回す。
「さて、と。風呂いい?」
前言撤回。
やっぱり、腹が立つ。人の都合などお構いなしだ。
食事だけじゃなく風呂まで要求してくるとは。
「あんた、かなり図々しいな」
なけなしの反発心で攻撃してみても、東堂の表情は変わらなかった。
「人ひとり生命助けて一宿一飯なんて、むしろ親切だと思うけど」
「……リビングを出て右手にある。タオルと着替えを用意しとく」
あっさり反撃された。痛いところを突いてくる。
結果的には生命を救われた形になるのか。それをちらつかせられたら強気に出れない。
食欲はとっくに消え失せている。仕方がないので冷めた夕飯にラップをかけて、さっさと準備をする。
そこで身体が重いことに気付く。疲労がかなり蓄積されている。
「じゃ、おやすみ」
「ここで寝るのかよ……」
一季は、うめいた。
風呂からあがった東堂はソファーにごろりと横になる。当たり前のように目をつぶった。
もう寝息が聞こえ始めている。
なんというか神経が太いというか、マイペースというか。
文句も呆れも、失せた。一季も風呂に入ろうと浴室に向かう。
《…………魔力超過か》
あの言葉の意味はどういうことなのか。
男性の冷たい言葉が耳に残る。
温水の温かさで身体の疲労が薄れていく。代わりに睡魔が思考を邪魔する。
眠気と必死に戦いながら、ふらふらとした足取りで自室に向かう。
いろいろなことがありすぎた。
どさりとベッドに倒れ込む。
もう限界だった。
考えることを止めて、一季は意識を手放した。
向かいに座る少年の表情は輝いていた。
夕飯のメインはキチンカツ。
春菊のナムル、ポテトサラダ、オニオンスープ。
あれから、一季は自宅マンションへ戻った。腹をすかした危険人物と一緒に。
少し落ち着きを取り戻した今なら、とんでもないことをしたと自覚できる。だが、もう遅い。
「ここんとこまともな飯、食ってなかったんだよな」
パンッと両手を叩く。勢いのいい「いただきます」の挨拶らしい。
何故、こんなヤツと食事をする羽目になったのか。思考能力が低下していた自分をたこ殴りにしたい。
だが、まだできることはあると思いなおす。
箸を持ちながら、一季は口を開いた。
「なあ、あんた」
「あ。うまい。カツのソースは味噌を使ってんのか」
「一体さっきのは……」
「ポテトサラダもあっさりしてるし。隠し味は、酢と砂糖か?」
「どういうことなんだ?」
「あー。オニオンスープが沁みる……」
「ちょっとは他人の話を聞け!」
バンッとテーブルを叩いて抗議する。ついでに椅子からも立ちあがった。勢いで。
頬を膨らませた少年と目が合う。普通に食事できる神経がわからない。
こちとら、死ぬかもしれない思いをしたんだ。
せめて、ことの詳細を聞かないと割に合わない。
そんな気持ちを込めて睨む。
対する少年は箸を止めたまま、表情を変えない。しばしの間、沈黙が流れる。
「ま、いいか。飯の代金分は教えてやる。別に隠すほどのもんでもねーし」
だったら早く教えんか。
言い方がいちいち腹立つが文句を口にする気力は薄れている。
疲労なのか、苛立ちなのか。とにかく、事実が知りたい。その一点にこだわる。
一季は気を取り直して質問してみた。
「で、あんたは何者なんだ?」
「東堂嵐士。おまえと同じ征渓高校の生徒」
びしりと青筋が浮かぶ。
そんなことを訊いたんじゃない。
同時に、何故、通っている学校がわかったのだろうと首を傾げる。
彼の服装で気が付いた。制服か。
そんなささいな観察すら見抜けなくなっている。思考力はかなり落ちているとみていい。だが、不安という感情は厄介なもので、正確な情報がないと手に入れるまで求めてしまうものだ。心身の疲労など忘れて。
もう一度、駄目もとで聞き直した。
「普通の高校生は物質を凍らせることなんてできないと思われるのですが」
「人間、気合いがあれば何でもできる」
口調を丁寧にしてみても、またもやふざけているとしか思えない返答だ。
ぎろりと睨んでやる。
ふざけるのも、いい加減にしろ。
こちらの気持ちが伝わったのか、少年は説明し直した。
その表情は渋い。かなり気乗りしない反応だった。
「早い話、俺はある犯罪者を追ってる。それがおまえと接触した。おまけにおまえは生命を狙われている。また遭遇する可能性が高い。以上」
今度は簡潔すぎる。
逆に頭に入らない。
倒れていた女子高生は?
豹と狼は?
あんたの目的は?
そもそも一体、どういう状況だったのか。
気になる疑問がてんこもりだった。
要点を説明されただけで「はい。そうですか」とならないのが人情である。
言いたいことは山ほどあるが、頭の回転が追いつかない。
どう説明しようか悩んだところで少年こと東堂は、ため息をついた。箸をおいて頭をかきむしる。
「俺、あんま好きくないんだよ。魔術師とか、そういう言葉」
「あんた……まさか魔法使いとかいうんじゃないだろうな?」
身を乗り出して眉をひそめる。
魔術師やら魔法使いときた。からかわれているとしか思えない。
よって、信じない。
はずだが、あんな現象を目撃した後では話は違ってくる。
単純に考えて、街中に豹や狼が現れてしゃべっていたことからすでに異常事態である。ましてや、それらに殴りかかろうとした東堂も常識の範疇を超えている。しかも、科学的には説明できない現象が間違いなく起きていた。
(緋色の壁とか氷柱とか)
ただし、これを他人に話したところで信じてくれるとは思えない。一季だって、他の人間から聞かされたら夢でも見たのだろうと言うに違いない。
むしろ、夢だと言ってくれたら楽になれるのに。
とは言っても、ことはそう希望通りにはならないものだ。
「似て非なるものだ。あれは何の代償もなしに発現する奇跡の御業とか、そういう類」
再び箸をとった東堂が口を開いた。
魔法の説明らしい。
内容からすると、神の御業とか、奇跡といった現象だろうか。
「逆に魔術ってのは代償を払って物理法則をほんの少し曲げる術だ。高く跳んだり、早く走れたり、炎や水、時間を操る。錬金術もこの部類に入るが、もともと鉛を金に変えるなんて無理な話さ。金以上の代償を支払わなきゃならない、割に合わない術もいいとこだ」
「そんなこと」
ありえない。
と言いかけて口をつぐんだ。
実際に、この目で見たもの。
否定をするには、あまりにも鮮やかで残酷だ。
あったはずの日常が崩れる一歩手前。非日常の入り口。
それが一季が立つ現状。
認めることができない。信じたくない。
その一方で、自分の見たものを嘘だと決めつけることもできなくて。
対して、東堂には有無を言わせない雰囲気があった。黙々と食事を続ける。
事実を告げる者にある自信にも似た直截的な言葉。
一季の反応も見透かしたような態度だった。
すでに何度か経験済みのような。
そんな予想が頭をかすめた時だった。東堂が再び口を開く。
「つまりは、さっきの肉食獣二匹が俺が追ってる犯罪者の情報を持っているかもしれない。まずはそれを引き出したい」
「すると、あんたは……」
「今日はもうやめとけ。いろいろあって疲れてるし、人間ってのはキャパを超えると物覚えが悪くなるもんだ」
けろりと吐かれた言葉には何の気負いもなくて。
まるきり他人事だ。
実際に他人事だろうが、さっきの言葉には気遣いも含まれているようにも思えた。
てっきり、頭ごなしに自分の都合ばかりを押しつけられると思っていた。何の根拠もなしに。
これではかえって調子が狂う。
「ごちそうさん」
いつの間にか、皿はきれいに平らげられていた。
こちらはちっとも進んでない。まじか。
驚きつつも旺盛な食欲に圧倒される。
げふっと息をついた東堂はあたりを見回す。
「さて、と。風呂いい?」
前言撤回。
やっぱり、腹が立つ。人の都合などお構いなしだ。
食事だけじゃなく風呂まで要求してくるとは。
「あんた、かなり図々しいな」
なけなしの反発心で攻撃してみても、東堂の表情は変わらなかった。
「人ひとり生命助けて一宿一飯なんて、むしろ親切だと思うけど」
「……リビングを出て右手にある。タオルと着替えを用意しとく」
あっさり反撃された。痛いところを突いてくる。
結果的には生命を救われた形になるのか。それをちらつかせられたら強気に出れない。
食欲はとっくに消え失せている。仕方がないので冷めた夕飯にラップをかけて、さっさと準備をする。
そこで身体が重いことに気付く。疲労がかなり蓄積されている。
「じゃ、おやすみ」
「ここで寝るのかよ……」
一季は、うめいた。
風呂からあがった東堂はソファーにごろりと横になる。当たり前のように目をつぶった。
もう寝息が聞こえ始めている。
なんというか神経が太いというか、マイペースというか。
文句も呆れも、失せた。一季も風呂に入ろうと浴室に向かう。
《…………魔力超過か》
あの言葉の意味はどういうことなのか。
男性の冷たい言葉が耳に残る。
温水の温かさで身体の疲労が薄れていく。代わりに睡魔が思考を邪魔する。
眠気と必死に戦いながら、ふらふらとした足取りで自室に向かう。
いろいろなことがありすぎた。
どさりとベッドに倒れ込む。
もう限界だった。
考えることを止めて、一季は意識を手放した。