私は、外に出るとひたすら全力で走った。
辺りは暗くなっていた。
よろけて転んで膝を再びぶつけた。階段で転んだ時よりも軽くぶつけただけだったけれど、さっきよりも痛かった。膝よりも心が痛かった。涙がいきなり溢れ出てきてその場で膝を抱えてうずくまった。
破られた写真には、物凄く綺麗な青空や花があった。彼を虐めていた人達がいた。私が普段見ている景色があった。仲が良さそうだった彼のお母さんの写真も。
撮ってくれた私の写真もあんな風になるのかな、彼の中から消えてしまうのかなって思ったら怖かった。だから“ 怖いね ” って言った。言葉が足りなくて、彼が違う意味に捉えて、だから怒らせてしまったのかもしれない。
君には分からないって? まだ話すようになってそんなに経ってないけれど、もしかしたら同じ世界の人なのかもって思えていたのに、何で私達の間に線を引いて追い出すの?
毎日楽しそう? 不満なさそう? ありすぎるし。ってか、あそこでスマホ投げなくてもいいじゃん。
私は映画とかで物を投げて怒りを表現してくるシーンが大嫌い。
撮ってくれた写真を削除してもいいって強気な事言っちゃったけど、それは嫌だ。
もう色々な気持ちがぐちゃぐちゃに交差した。
その中で何よりも気になったのは、彼は写真が好きだから撮っていたのではなかったという事だった。
***
自分の家に帰り、顔を洗おうと洗面所に行き、鏡に映る自分を見た。腫れた目をしている。
周りに馴染むのは簡単だ。
ただ合わせて生きていけばいい。
多数派の列に並び、その場を仕切っていそうな人に従い、面倒くさそうな事は見て見ぬふりをする。
あとは、嫉妬とか面倒な感情を持たれないように前に出すぎないようにする。
それと、とりあえず笑顔で過ごしておく。
私は笑顔を作ってみた。
「うん、気持ち悪い」
でも偽りの笑顔って周りにバレていない気がするから、いいやって思った。
とにかく、自分の心を殺して生きる。
それが正しい事だと思っていた。
星野結斗を知るまでは。
***
彼が虐められているのは知っていた。
景色の一部としてそれを見ていた。例えば、家の前にある木や、その木に止まっている鳥を毎日なんとなく見るような感覚。
自転車で学校から家に帰る時、途中で横切る公園で、カメラで何かを写している彼を見た。その光景を何回も見掛けると、彼の事が少しだけ気になった。
学校で彼を目で追うようになっていった。彼はいつも休み時間になると机に顔を伏せていたので、私が見ている事には気が付いていない様子だった。
いつものように公園の横を通ると、彼が数人に虐められていた。そして、その人達が笑いながら、私を横切っていった。
彼が大切にしているであろうカメラがベンチの上にあり、彼はそこから少し離れた地面でうずくまっている。
私は自転車を停め、彼のカメラを手に取ると声を掛け、無意識に私の手が彼の頬に触れていた。
彼は小柄でふわっとしたくせ毛の髪、パーツが濃い顔立ち。まるで昔家で飼っていたポメラニアンという種類の犬のようだった。
近くで見るとやっぱりその犬のようだった。
***
その日から数週間が経った頃。
最近彼は眉間にしわを寄せ、何か思い詰めている様子で公園にいる。
思い詰めて彼が何かしたら嫌だなという気持ちと、話掛けて、偶然彼を虐めている人達に見られて私も虐めのターゲットになったら嫌だなという気持ちの間を揺れ動いていた。
気になって、見て見ぬふりが出来なくなり声を掛けてみた。少し声を掛けるだけ。深入りしない。
そう思っていたのに予想外の事を頼まれた。
彼とは深く関わらないと思っていたのに。
私が彼が撮る写真のモデルを?
頼まれた瞬間、自分の心の中がキラリと光るのを感じた。気がつけば前向きな返事をしていた。
その日から彼と話すようになっていった。
彼は自分の世界を持っている。周りに無理に馴染もうとしない。周りの目を気にしないで好きなことをして生きている。私とは正反対。
虐められているけれど、そんな彼が少し羨ましかった。そんな感じで私は彼を見ていた。
***
モデルをお願いされてから私はネットや兄の雑誌を見て勉強をした。服装、ポーズ、メイクの仕方……。
当日は彼がきちんと計画を立ててくれたのでスムーズに撮影が進んでいった。
最近は本当につまらなくて、乾いている毎日だったけれど、彼は私の心に潤いを与えてくれた。
その日、私は彼に伝えたい事があった。
「窮屈で、生きていることが息苦しくて」
ポートレートモデルをお願いされた日、彼が言った言葉。私も同じ事を日々思っていた。
大人になれば、どうなるのだろうか?
その気持ちから解放されるのだろうか?
それを調べるためにネットや本を沢山読んでいた時期があった。
大人になれば、世界は広くなる。
なんて答えを、人生を成功した人達が話していても、その人達の過ごしている環境や運が良かっただけで、大人になっても私はこのまま狭い世界で生きていかなければならないのではないか。
そう思いながらも「あなたの世界はここだけではないから。大人になればもっと広いところに行けるから大丈夫」。
私がその頃に読んでいた本に書いてあった言葉を、そのまま彼に伝えた。
自分にも言い聞かせるために。
***
「彼の家に行かなきゃ良かったな」
モデルをした日から約2ヶ月経った。
彼は、あの日から学校に来なくなった。
放課後。日が短くなってきて、早い時間にもう薄暗くなっている。
私は今、誰もいない教室の自分の席に座り、机に顔を伏せている。
そのままの姿勢で目を瞑っている。
あぁ、何も聞こえない。暗い。
彼はいつもどんな気持ちでこうしていたのだろう。
彼から写真を破く話を聞いた後、私は紙をビリビリに破って捨てる行為について調べてみた。終わらせたい、疲れた、ストレス解消って内容が書いてあった。
友達や親が理解出来ない言葉を発したり、いつもと違う顔、仕草をするとその人がどんな心理状態なのかネットで調べる習慣が私にはある。そして分析して嫌われない行動をとる。
ネットで調べるだけじゃ分からないな。
彼以外はこの痛みを知らない。
知ろうともしない。
そう考えて今私は彼になってみている。
彼の気持ちになっていると、生きているのか分からなくなってきた。生きているけれど、すぐに崩れそうな、微妙なバランスで心を保っているのだと思った。
私も闇に吸い込まれそうになったので顔を上げた。
***
彼の姿がなくても、周りは進んでいく。
きっと、それが私でも。
自分達とは違うものを纏っているからって、時にはただ気に入らないからってだけで無視したり攻撃したり、ほんとダサい。
まぁ、それを見ているだけの私もダサいけど。
学校で、友達と話すのが面倒になり、休み時間になると机に顔を伏せた。
周りの声が聞こえる。動いている。
自分だけ止まっていて、まるで自分だけが消えているみたいに感じた。
普段は自分が消えているように感じていて、でも虐められる時だけ存在があって。彼はそれが毎日だった。
心が痛くなって、早退した。
帰ると2階の部屋の窓を開け、雲ひとつない青い空を撮ってみた。
私が彼の立場なら、こんなに綺麗な空の景色も歪んで見えて消したくなるかもしれない。全ての人も。もしかしたら自分の事さえも。
私、本当に馬鹿だな。
なんで彼に怖いなんて誤解させる言葉、言っちゃったんだろう。しかも笑いながら。
その日から連絡を一切していない。1回だけ電話を掛けてみたけれど、その番号は使われていなかった。
もう、関わることはないんだろうな。
***
冬になった。
リビングのテーブルの上に兄のカメラ雑誌が3冊積み上げられて置いてあった。
もう、彼と話さなくなってから読まなくなったな。
そう思いながらも、吸い込まれるように本を手に取りページをさらっとめくっていった。
「えっ?」
3冊目をめくっていた時、見覚えのある人がいた。
過ぎたそのページをもう一度めくり返してみた。
これ、私?
自分が写っている写真が雑誌に載っていた。
“ 佳作 作者 星野結斗さん ”
手が少し震えた。
“ 題名 僕の闇に灯る光 作者のコメント ずっと僕の心に残しておきたい写真です”
この写真、私の笑顔、めちゃくちゃいいじゃん。
鏡に映っていた嘘っぽい笑顔なんかじゃなくて。
空を見上げて心から笑っている自分が、キラキラと輝いている夕陽に包まれながら写っていた。
私こんな風に笑えるんだ。
そして写真コンテストのテーマは“ 好き ”
――私は、どうしたい?
その雑誌を勢いよく閉じると、大切なものを扱うように抱きかかえ、急いで外に出た。
***
ずっと走って、30分ぐらいで彼の家に着いた。
コートを着るのを忘れていたので、本来は寒いはずなのに暑かった。
彼の家の前に着いてから、いきなり押しかけるのはまずいかなと思ったけれど、とりあえず勢いでチャイムを押した。
「はーい」
彼のお母さんが出た。
「あ、あの……」
「……ちょっと待ってね」
インターホンのカメラで私の顔を確認した彼のお母さんは、不機嫌な顔をして出てきた。
「何か用?」
「あ、結斗くんに用事が」
「とりあえず、玄関に入って」
「あ、おじゃまします」
「あの子、ずっと部屋に閉じこもっていてね……。あなたが来た日から。学校にも行かなくなったし、あの子の父親も昔出ていってしまってね。周りに絶対何かこの家の事を言われているわ。親戚も。もう、あの子は学校にきちんと行って、写真撮っていればいいのよ。そもそも……」
途中から彼のお母さんの声が雑音に聞こえてきた。
「あの、結斗くん虐められていたの知っていましたか? どんな気持ちで写真を撮っていたか知……」
これ以上言葉を続けると泣きそうになったので、私は勝手に家に入り、彼の部屋に向かった。
***
階段を駆け上がりながら私は、彼はずっとひとりで闇の中にいるのだと思った。
登りきると彼の部屋のドアをノックして名前を呼んだ。
彼はすぐにドアを開けてくれた。やつれた顔をしていた。
「大丈夫?」
私が問うと彼は首を横に振った。
「だよね」
「……これ、見てほしい」
彼はそう言うとクローゼットを開け、びっしり破られた写真が詰まっている、大きくて透明な袋を見せてきた。
「これ、捨てられないんだ。ずっと、ひとつも」
彼が存在を消してしまいたいという気持ちで撮り、プリントし、破り捨てて消そうと思ったけれど完全には消せなかった塊達。
形は違うけれど、私の心の中にも似たようなものがある気がした。
***
まだ大人じゃないけれどあなたが今いる闇の世界の光に私はなれる? 私もこの世界から抜けられる? 出来るかも。
――ふたりで光が生まれそうな言葉を、行動を。
少しずつで良いから一緒に紡いでいけば、やがてそれらは形になるかもしれない。
彼に作品が載った雑誌を見せた。
彼はただ静かに、頷いた。
私は繊細な彼を傷つけないように、壊れてしまわぬように、ふわっと優しく抱きしめた。
抱きしめた瞬間、私も彼の事が好きなのだと実感した。
これからは残したい気持ちで撮っていけばいい。
もしも彼がこれからも、ずっとずっと消したいものしか撮れないのなら、撮る事を辞めてもいいし、それらを撮らずに残したい私の写真だけを撮ってもいいんだ。選択肢は沢山ある。
その時、窓から差し込んできた明るい光がふたりを包み込んでくれた。
彼から離れると私は、彼が捨てられない袋を手に取り、もう片方の手で彼の手を握り、ドアを開け、狭い部屋から外に出た。
一回リセットして、新しい世界を一緒に創っていこう。
辺りは暗くなっていた。
よろけて転んで膝を再びぶつけた。階段で転んだ時よりも軽くぶつけただけだったけれど、さっきよりも痛かった。膝よりも心が痛かった。涙がいきなり溢れ出てきてその場で膝を抱えてうずくまった。
破られた写真には、物凄く綺麗な青空や花があった。彼を虐めていた人達がいた。私が普段見ている景色があった。仲が良さそうだった彼のお母さんの写真も。
撮ってくれた私の写真もあんな風になるのかな、彼の中から消えてしまうのかなって思ったら怖かった。だから“ 怖いね ” って言った。言葉が足りなくて、彼が違う意味に捉えて、だから怒らせてしまったのかもしれない。
君には分からないって? まだ話すようになってそんなに経ってないけれど、もしかしたら同じ世界の人なのかもって思えていたのに、何で私達の間に線を引いて追い出すの?
毎日楽しそう? 不満なさそう? ありすぎるし。ってか、あそこでスマホ投げなくてもいいじゃん。
私は映画とかで物を投げて怒りを表現してくるシーンが大嫌い。
撮ってくれた写真を削除してもいいって強気な事言っちゃったけど、それは嫌だ。
もう色々な気持ちがぐちゃぐちゃに交差した。
その中で何よりも気になったのは、彼は写真が好きだから撮っていたのではなかったという事だった。
***
自分の家に帰り、顔を洗おうと洗面所に行き、鏡に映る自分を見た。腫れた目をしている。
周りに馴染むのは簡単だ。
ただ合わせて生きていけばいい。
多数派の列に並び、その場を仕切っていそうな人に従い、面倒くさそうな事は見て見ぬふりをする。
あとは、嫉妬とか面倒な感情を持たれないように前に出すぎないようにする。
それと、とりあえず笑顔で過ごしておく。
私は笑顔を作ってみた。
「うん、気持ち悪い」
でも偽りの笑顔って周りにバレていない気がするから、いいやって思った。
とにかく、自分の心を殺して生きる。
それが正しい事だと思っていた。
星野結斗を知るまでは。
***
彼が虐められているのは知っていた。
景色の一部としてそれを見ていた。例えば、家の前にある木や、その木に止まっている鳥を毎日なんとなく見るような感覚。
自転車で学校から家に帰る時、途中で横切る公園で、カメラで何かを写している彼を見た。その光景を何回も見掛けると、彼の事が少しだけ気になった。
学校で彼を目で追うようになっていった。彼はいつも休み時間になると机に顔を伏せていたので、私が見ている事には気が付いていない様子だった。
いつものように公園の横を通ると、彼が数人に虐められていた。そして、その人達が笑いながら、私を横切っていった。
彼が大切にしているであろうカメラがベンチの上にあり、彼はそこから少し離れた地面でうずくまっている。
私は自転車を停め、彼のカメラを手に取ると声を掛け、無意識に私の手が彼の頬に触れていた。
彼は小柄でふわっとしたくせ毛の髪、パーツが濃い顔立ち。まるで昔家で飼っていたポメラニアンという種類の犬のようだった。
近くで見るとやっぱりその犬のようだった。
***
その日から数週間が経った頃。
最近彼は眉間にしわを寄せ、何か思い詰めている様子で公園にいる。
思い詰めて彼が何かしたら嫌だなという気持ちと、話掛けて、偶然彼を虐めている人達に見られて私も虐めのターゲットになったら嫌だなという気持ちの間を揺れ動いていた。
気になって、見て見ぬふりが出来なくなり声を掛けてみた。少し声を掛けるだけ。深入りしない。
そう思っていたのに予想外の事を頼まれた。
彼とは深く関わらないと思っていたのに。
私が彼が撮る写真のモデルを?
頼まれた瞬間、自分の心の中がキラリと光るのを感じた。気がつけば前向きな返事をしていた。
その日から彼と話すようになっていった。
彼は自分の世界を持っている。周りに無理に馴染もうとしない。周りの目を気にしないで好きなことをして生きている。私とは正反対。
虐められているけれど、そんな彼が少し羨ましかった。そんな感じで私は彼を見ていた。
***
モデルをお願いされてから私はネットや兄の雑誌を見て勉強をした。服装、ポーズ、メイクの仕方……。
当日は彼がきちんと計画を立ててくれたのでスムーズに撮影が進んでいった。
最近は本当につまらなくて、乾いている毎日だったけれど、彼は私の心に潤いを与えてくれた。
その日、私は彼に伝えたい事があった。
「窮屈で、生きていることが息苦しくて」
ポートレートモデルをお願いされた日、彼が言った言葉。私も同じ事を日々思っていた。
大人になれば、どうなるのだろうか?
その気持ちから解放されるのだろうか?
それを調べるためにネットや本を沢山読んでいた時期があった。
大人になれば、世界は広くなる。
なんて答えを、人生を成功した人達が話していても、その人達の過ごしている環境や運が良かっただけで、大人になっても私はこのまま狭い世界で生きていかなければならないのではないか。
そう思いながらも「あなたの世界はここだけではないから。大人になればもっと広いところに行けるから大丈夫」。
私がその頃に読んでいた本に書いてあった言葉を、そのまま彼に伝えた。
自分にも言い聞かせるために。
***
「彼の家に行かなきゃ良かったな」
モデルをした日から約2ヶ月経った。
彼は、あの日から学校に来なくなった。
放課後。日が短くなってきて、早い時間にもう薄暗くなっている。
私は今、誰もいない教室の自分の席に座り、机に顔を伏せている。
そのままの姿勢で目を瞑っている。
あぁ、何も聞こえない。暗い。
彼はいつもどんな気持ちでこうしていたのだろう。
彼から写真を破く話を聞いた後、私は紙をビリビリに破って捨てる行為について調べてみた。終わらせたい、疲れた、ストレス解消って内容が書いてあった。
友達や親が理解出来ない言葉を発したり、いつもと違う顔、仕草をするとその人がどんな心理状態なのかネットで調べる習慣が私にはある。そして分析して嫌われない行動をとる。
ネットで調べるだけじゃ分からないな。
彼以外はこの痛みを知らない。
知ろうともしない。
そう考えて今私は彼になってみている。
彼の気持ちになっていると、生きているのか分からなくなってきた。生きているけれど、すぐに崩れそうな、微妙なバランスで心を保っているのだと思った。
私も闇に吸い込まれそうになったので顔を上げた。
***
彼の姿がなくても、周りは進んでいく。
きっと、それが私でも。
自分達とは違うものを纏っているからって、時にはただ気に入らないからってだけで無視したり攻撃したり、ほんとダサい。
まぁ、それを見ているだけの私もダサいけど。
学校で、友達と話すのが面倒になり、休み時間になると机に顔を伏せた。
周りの声が聞こえる。動いている。
自分だけ止まっていて、まるで自分だけが消えているみたいに感じた。
普段は自分が消えているように感じていて、でも虐められる時だけ存在があって。彼はそれが毎日だった。
心が痛くなって、早退した。
帰ると2階の部屋の窓を開け、雲ひとつない青い空を撮ってみた。
私が彼の立場なら、こんなに綺麗な空の景色も歪んで見えて消したくなるかもしれない。全ての人も。もしかしたら自分の事さえも。
私、本当に馬鹿だな。
なんで彼に怖いなんて誤解させる言葉、言っちゃったんだろう。しかも笑いながら。
その日から連絡を一切していない。1回だけ電話を掛けてみたけれど、その番号は使われていなかった。
もう、関わることはないんだろうな。
***
冬になった。
リビングのテーブルの上に兄のカメラ雑誌が3冊積み上げられて置いてあった。
もう、彼と話さなくなってから読まなくなったな。
そう思いながらも、吸い込まれるように本を手に取りページをさらっとめくっていった。
「えっ?」
3冊目をめくっていた時、見覚えのある人がいた。
過ぎたそのページをもう一度めくり返してみた。
これ、私?
自分が写っている写真が雑誌に載っていた。
“ 佳作 作者 星野結斗さん ”
手が少し震えた。
“ 題名 僕の闇に灯る光 作者のコメント ずっと僕の心に残しておきたい写真です”
この写真、私の笑顔、めちゃくちゃいいじゃん。
鏡に映っていた嘘っぽい笑顔なんかじゃなくて。
空を見上げて心から笑っている自分が、キラキラと輝いている夕陽に包まれながら写っていた。
私こんな風に笑えるんだ。
そして写真コンテストのテーマは“ 好き ”
――私は、どうしたい?
その雑誌を勢いよく閉じると、大切なものを扱うように抱きかかえ、急いで外に出た。
***
ずっと走って、30分ぐらいで彼の家に着いた。
コートを着るのを忘れていたので、本来は寒いはずなのに暑かった。
彼の家の前に着いてから、いきなり押しかけるのはまずいかなと思ったけれど、とりあえず勢いでチャイムを押した。
「はーい」
彼のお母さんが出た。
「あ、あの……」
「……ちょっと待ってね」
インターホンのカメラで私の顔を確認した彼のお母さんは、不機嫌な顔をして出てきた。
「何か用?」
「あ、結斗くんに用事が」
「とりあえず、玄関に入って」
「あ、おじゃまします」
「あの子、ずっと部屋に閉じこもっていてね……。あなたが来た日から。学校にも行かなくなったし、あの子の父親も昔出ていってしまってね。周りに絶対何かこの家の事を言われているわ。親戚も。もう、あの子は学校にきちんと行って、写真撮っていればいいのよ。そもそも……」
途中から彼のお母さんの声が雑音に聞こえてきた。
「あの、結斗くん虐められていたの知っていましたか? どんな気持ちで写真を撮っていたか知……」
これ以上言葉を続けると泣きそうになったので、私は勝手に家に入り、彼の部屋に向かった。
***
階段を駆け上がりながら私は、彼はずっとひとりで闇の中にいるのだと思った。
登りきると彼の部屋のドアをノックして名前を呼んだ。
彼はすぐにドアを開けてくれた。やつれた顔をしていた。
「大丈夫?」
私が問うと彼は首を横に振った。
「だよね」
「……これ、見てほしい」
彼はそう言うとクローゼットを開け、びっしり破られた写真が詰まっている、大きくて透明な袋を見せてきた。
「これ、捨てられないんだ。ずっと、ひとつも」
彼が存在を消してしまいたいという気持ちで撮り、プリントし、破り捨てて消そうと思ったけれど完全には消せなかった塊達。
形は違うけれど、私の心の中にも似たようなものがある気がした。
***
まだ大人じゃないけれどあなたが今いる闇の世界の光に私はなれる? 私もこの世界から抜けられる? 出来るかも。
――ふたりで光が生まれそうな言葉を、行動を。
少しずつで良いから一緒に紡いでいけば、やがてそれらは形になるかもしれない。
彼に作品が載った雑誌を見せた。
彼はただ静かに、頷いた。
私は繊細な彼を傷つけないように、壊れてしまわぬように、ふわっと優しく抱きしめた。
抱きしめた瞬間、私も彼の事が好きなのだと実感した。
これからは残したい気持ちで撮っていけばいい。
もしも彼がこれからも、ずっとずっと消したいものしか撮れないのなら、撮る事を辞めてもいいし、それらを撮らずに残したい私の写真だけを撮ってもいいんだ。選択肢は沢山ある。
その時、窓から差し込んできた明るい光がふたりを包み込んでくれた。
彼から離れると私は、彼が捨てられない袋を手に取り、もう片方の手で彼の手を握り、ドアを開け、狭い部屋から外に出た。
一回リセットして、新しい世界を一緒に創っていこう。