厠から戻って来た時、私は愕然としてしまった。文机に置いていたはずの、雷華様から頂いた霞ひが無かったから。
「あれ?!え?!」
 確かに文机に置いていたはずなのに、どこに行ったのかと混乱しながら部屋を探し回る。
 風に飛ばされやすそうな物だけれど。風が入る所は小窓だけだから、とても風に飛ばされたとは思えないわ。
 あわあわとしながらも、必死であちこちをひっくり返しながら探しだす。文机は勿論だけれど、文机の周辺、押し入れの中、小さな和箪笥の中。そして忌まわしい鏡台にも、手を触れて探した。
 部屋の中、考え得る全てをひっくり返して探したけれど。不思議な事に、頂いた霞ひは見つからない。
 どうして?と困惑し、途方に暮れそうになっていた時だった。
「まぁ、とても美しい衣をお召しになられておいでですわね」
 凪姫様の褒め言葉が耳に入った。部屋の障子に影は映らず、声だけが聞こえるので、少し離れた廊下に居るのだと分かる。
「そうでしょう?お父上様から頂いたのよぉ、すっかり気に入ってしまってねぇ、私の宝物なのよぉ」
 この声は東姫様だわ。東姫様も、この部屋の近くにいらっしゃるなんて・・。
 東姫様の猫なで声も耳にしてしまうと、部屋の中央で反射の様に身をキュッと縮めてしまうが。
「美しい紅色ですわね、それに透き通っていらしてげに美しい衣ですわ」
 凪姫様の褒め言葉に、ピクッと反応し、体を小さく丸める前にピシッと強張った。
 美しい紅色で、透き通っている衣・・・。
 まさかとは思うけれど、なんだか嫌な予感がしてしまう。
 私はゆっくりと立ち上がり、障子をカラリと小さく開けて、お二人の姿を探すが。探すまでもなく、すぐに見つかった。
 お二人は横に並んで談笑しながら、東姫様のお部屋に向かっている最中だった。東姫様の肩には、私の部屋から姿を消したはずの霞ひが艶やかにかかっていた。
 私は目の前の光景に信じられず、その場で唖然と固まってしまう。
 あれは、私の。雷華様から頂いた、大切な物なのに。どうして東姫様が持っていらっしゃるの?どうして?どうして?
 ぐるぐると頭の中で疑問が駆けるが。お二人の姿がお部屋に消えてしまいそうになる手前で、金縛りがシュッと解けた。
 そして「どうして?」と言う疑問から、取り戻しに行かねばと言う思いに変わっていく。
 あれは初めて雷華様から頂いた物だから。取り戻しに行かないと、雷華様に申し訳ないわ。
 尻込みする気持ちを奥歯で噛みしめ、キュッと唇を真一文字に結んでから、部屋を戦々恐々と出て「お待ち下さいませ、お二方様」と震える声で声を張り上げる。
 その震えた声に、お二人は反応し、私に嫌悪と憤怒の表情を見せつけた。
「若様の言いつけを破るばかりか、私達を呼び止めるなんて。無礼も良い所だわぁ。信じられないわねぇ、凪姫?」
「東姫様の仰る通りだわ。勝手に部屋を出て、こんな所まで来るなんて。さっさと戻ってちょうだい、汚らわしい。貴方みたいなのが、この屋敷を闊歩するなんてあってはならないのよ。目汚しと言うのを自覚なさい、汚らわしい。早く部屋に戻って」
 東姫様と凪姫様の止まらない罵倒に、身を縮ませ「申し訳ありませぬ」と言うが。二人の罵倒は止まらず、「げに汚らわしいわぁ」「最悪の気分よ」「相変わらず醜いわねぇ」「私達の空気が汚れるわ」と次々と罵詈雑言を浴びせられる。
 その場で縮こまりながら口を閉ざし、尻込みして戻ろうとするが。私の目に美しい霞ひが映ると、「それではいけない」という思いが沸々と湧き上がってくる。
 私はキュッと拳を作り、臆する自分に鞭を入れ込んで「ここで引いてはいけないのよ」と、己を奮い立ち上がらせた。
 そして「お叱りは後で、しかと受けます」と流れる罵倒を遮り、少し顔を上げて東姫様を見据える。
「あ、東姫様。その衣は、私の物のはずですから。ど、どうか・・お返し下さい、ませ」
 弱々しくも、しっかりと最後まで言い切る事が出来、自分を褒め称えそうになるが。
「信じられないわっ!」
 凪姫様の憤怒の声で、ビクリと縮こまり、一気に勇気を出した自分が消えていく。それどころか、「やってしまった」という凄まじい後悔が襲ってきた。
「東姫様を盗人扱いするなんて!この衣が貴方の物?!言いがかりにも程があるわ!このうつけ、愚か者!こんな高価な物が、卑しい貴方の物の訳がないでしょう?!なんたる無礼か!許せぬ!」
 怒髪天を衝いた声に、私はすぐに俯き、真一文字に唇を結んで押し黙ってしまう。
「卑しいにも程があるわ、なんて娘なの!東姫様の物を取ろうとしている貴方が盗人でしょうが!」