すると突然、スッと私の顎に細くも骨張った指が添えられる。その指が私の顔を無理やりあげると、私の眼前には端正な顔が迫っていた。その端麗な顔立ちのせいで、落ち着いていた心臓が泡を食った様に忙しなく動き出す。
「今日の夜は早速お前の所に行こう。ではな、りん」
「はっ、はいっ」
 声をひっくり返しながら答えると、小十郎様は苦笑を浮かべながら手を引き、颯爽と行ってしまわれた。
 この短い時間の中で起きた思いがけない出来事に、私はぽかんとしてしまう。
 あないに端正な顔を見かけた事はないし、近づけられた事もない。それに、げに尊きお方である、小十郎様の目に、ただの村娘である自分が映るなんて。まこと信じられない。
 すると「りん」と底冷えした声で名を呼ばれ、呆けていた状態がすぐに解けた。
 間の抜けた状態を窘める様な声にハッとして前に向き直ると、「長旅で疲れておりませんか」と言葉をかけられる。
 そんな優しい言葉をかけてくれたのは、小十郎様の横に控えていた、この部屋で一番美しい女性だった。
「は、はい。お気遣い痛み入りまする」
 怖々と答えると、その女性はクスリと微笑を零し「正室として、新しく入って来た子を慮るのは当然の事です」と、温柔に告げられるが。
 私はその笑みに、小十郎様とは違う別の恐ろしさを仄かに感じ取った。言葉は柔らかく、優しいのに。その奥にある心には、冷淡な物が潜んでいる。
 ゴクリと唾を飲み込んでから「かたじけのうございます」と弱々しく答え、おずおずと頭を下げた。
「あぁ。そう言えば、まだ名乗っておりませんでしたね。私は若様の正妻である、藤の方(ふじのかた)です」
 藤の方様。だから微かに彼女から藤の香りがするのね。
 どこか納得しながら「りんと申します。本日からよろしくお願い致します」と答えた。
 すると「りん」と厳しく呼ばれ、ビクリと藤の方様を見据えると。細められてはいるものの、瞳には冷酷な物が現れていた。
 その目に、ビクリと強張ってしまうが。藤の方様は気にも止めずに、口元を扇で煽ぎながら「良いですか」と、重々しく口を開く。