時は穏やかに流れ、あれから数十年後。
 私は広々とした屋敷の廊下を歩いていた、彼の元に向かう為に。いつもの様に、あの場に居るであろう彼の元へ、足を進ませる。
 そうして私は彼を見つけた、予想通りの場所で。
 彼は、キラキラと太陽の光を反射して水面を輝かせる、青々とした小さな池の前で膝をつき、池を一点集中で食い入る様に見つめている。
 私はその後ろ姿に「やはりね」と苦笑を浮かべてから、彼の方に向かった。
「炎凜(イェンリェン)」
 私が声をかけると、ビクリとその小さな背中が震える。
 そして戦々恐々としながら振り向かれる姿は、まるで人間の変化をしている雷華様が、そのままグッと小さくなった様な麗しい容姿だ。けれど瞳は輝く様な紅玉の色で、額には鹿角の様な角が小さく生えている。私を見て、唖然として開く口からもギザギザと鋭い歯が並び、キラリと輝いていた。
「か、母様」
 小さな雷華様の様な炎凜は、私を見つめて、ゴクリと唾を飲み込む。
 そして私が足をそちらに進ませると。彼は慌てふためきながら、青々とした小さな池の面をパシャパシャと叩いて、私に素早く向き直る。そのせいで、私が彼の横に並ぶ時は、すでに池はただの美しい青池に戻っていた。
「また見ていたのですね」
 私がやれやれと呆れた口調で告げると、炎凜は「母様、違いますよ」と訴えるけれど。スッと目を細めると、すぐに紅色の瞳が顫動し「見ていました」と弱々しく白状した。
「全く、嘘はいけませんよ。咎められるやもと恐れ、嘘をつく事はげに愚かで悪い行いです」
 厳しく窘める口調で告げると、炎凜はしゅんと分かり安い程に肩を落とし「申し訳ありません、母様。もう致しませぬ」と素直に答えた。
 私はその姿に微笑を零してから「分かれば良いのです」と、彼の小さな頭を優しく撫でる。
「それにしても随分気に入ったのですね、玄武様から贈られた記憶の池を。毎日見ているではありませんか?よう飽きないものですね。今日は誰の記憶を見ていたのです?」
 微笑を称えながら尋ねると、炎凜はもじもじとしながら「母様です」と答えた。私はその答えに小さく目を丸くして「まぁ」と零す。
「どこを見ていたのです?」
 池を軽く一瞥してから、しゅんとしている彼に目を戻して朗らかに言うと。彼は「お祖母様が亡くなってからの幼き時から、父様とご結婚を決められるまでです」と、口ごもりながら言葉を紡ぎだした。