「あれ、榎本じゃん?」

 駅ビルで樹がかすみを見つけるよりも先に、俺はかすみの姿を捉えていた。平日の昼間に一人歩く制服姿は特に目立っていたのもあるけれど、それよりもかすみの後姿や頭の形、髪型ですぐにわかった。

 でも、声をかけられなかった。

 なんでって、1年以上前にお揃いのミサンガを買った店の前で、自分の左腕に結ばれているミサンガをじっと凝視して立ち尽くしていたから。
 その姿を見た時、また、地面がすーっと離れていくような感覚に襲われて、かすみの名を呼べなかったのだ。
 ずいぶん長いこと切れないで腕にはまっているミサンガを見て、かすみは何を思い考えていたのだろう。
 彼女の、その浮かない横顔から想像するに、それは決して「良いこと」ではないように思う。
 ミサンガを買いたいと言ったのは、俺。
 同じグループの女子が、彼氏に贈るプレゼントを買いたいけどメンズ店で入りづらいからどうしても一緒に来てほしい、と泣く泣く頼まれて付き合ったのがきっかけだった。
 その時、その女子から恋人の間でミサンガが流行っているという話を聞いて、かすみとお揃いで付けたいと思ったのだった。我ながら乙女チックだと思い、恥ずかしくてかすみには部活で流行っているからとかなんとかごまかした記憶がある。

 何かの拍子に、かすみにその日のことを聞かれた時焦った俺は、とっさにいつものグループと遊んでいたと嘘をついてしまった。
 嘘をついたのは、要らぬ疑念を抱かせたくなかったからだけど、こんな後ろめたい思いをするくらいなら最初から事情を話しておくべきだった、と我ながら反省したのを覚えている。


「かすみ、なんで制服?」

 尋ねると、かすみは気まずそうな顔をした。そんなたった一瞬のかすみの表情の変化に、最近の俺は落ち着かない。

「あー、ちょっと担任にクラス卒アルの手伝い頼まれちゃって、今帰り」

 そんなこと、一言も言ってなかったよな。
 そう思いながらも、疑う筋合いのない俺はそれ以上の追及はやめておく。
 それに、そもそもお互いの予定を話すほど二人の時間を取っていないということに今気づいた。
 そうだよ…、ここのところは特に受験があったから二人でどっかに出かけることなんて全くなかったんだ。
 明日はS大の合格発表で、また似たようなメンバーと一緒に見に行く約束をしているからと思い、俺は皆に断りを入れた。

「らぶらぶだねぇー」とニタつくやつ等からの冷やかしを流しながら、俺はかすみと向き直る。

「ご飯行くんじゃないの?」
「やっぱやめた。二人で飯食いに行こうぜ」
「え、だって、せっかくみんなと約束してたのに…」
「いいじゃん、ここで会ったのも何かの縁だし、久しぶりにデートしよ」
「…」

 デート、という言葉に、あからさまに反応したかすみ。
 その沈黙は、否定か肯定か。
 待ちきれずに「やだ?」と聞けば、少しして「…おごってよね」とかすみが言った。しぶしぶでも了承を得た俺は嬉しくて「やった!」と柄にもなく喜んでいた。

「かすみは何食べたい?」
「なんでも良いよ。凌の食べたいもので」

 久しぶりのデートにテンションがぐんぐん上がっていく俺とは違い、かすみは至っていつもと変わらない。可愛げのない返答に、俺ばっかりバカみたいだ。

「そっか、じゃぁ、久しぶりにチェリブロで良い?かすみも好きじゃん、あそこのハンバーガー」
「良いね、私も久しぶり」

 チェリブロは、ちょっと小洒落たハンバーガーショップで正式名称はチェリーブロッサム。大手全国チェーンのバーガーショップとは違い、値段もそれなりだけどポテトもバーガーも各段に美味い。
 駅ビルの最上階にあるそこの窓際のカウンター席に通された俺とかすみは、肩を並べて座りガラスの外を眺めていた。

「この景色、なつかしー。よく来てたよねぇ」

 相槌を打ちながら、横目でかすみを盗み見る。目を細めて微笑むかすみは綺麗だった。
 その目が見ているのはいつの景色だろうか、と感じるほどにかすみの目は遠くを見ているようで、思わずかすみの名を呼ぶ。

「ん?」

 その視線が今度は自分に向けられて、ドキッとする。
 何がしたいんだ、俺は。

「い、いよいよ明日だな」

 S大の合格発表がとうとう明日に迫っていた。

「かすみは、千野と合格発表見るんだよな?」
「うん。凌はみんなとS大まで行くんでしょ?」
「行くよ」

 S大で張り出されるのを見に行こう、と皆で約束している。ネットで見れるけど、よくテレビで見ていたような臨場感を味わおうじゃないか、と今日も話していたところだった。

「ほんっと仲良いよねぇ」

 ため息と一緒に出た言葉には、確実に呆れが混じっていた。

「ま、まぁな」
「きっと、大学卒業して社会人になっても時間作って集まってバカやってるんだろうね」

 ふふ、と柔らかく笑い、そして俺を見つめて「良かったね」と言う。

「何が?」
「凌にそういう仲のいい人がたくさん居て」
「かすみにだって、千野がいるじゃんか」
「そうだね」
「ーーー俺だって…居るだろ」
「うん、居るね」

ーーーー俺は、ずっとお前のそばに居るよ。

 心の中なら言えるのに、当の本人には言えない根性なしだった。




「食い逃げすんなよ」

 食事を終えて俺が会計を済ませると、そそくさと一人帰ろうとするかすみを捕まえる。

「え、だめ?」
「だめ。デートって言ったろ」
「…はいはい。お次は、なんでしょうか」

 観念するかすみの手を握り、俺は歩き出す。その感覚にまた懐かしさがこみ上げてきた。

ーーーあぁ。

 こんなごく普通のデートのどれもが久しぶりだと、懐かしいと思う程に、俺たちは時間を共有してこなかったんだな。
 かすみと居る時間は、こんなにも心地いいのに。

「お前、背縮んだ?」
「バカ言わないで、そっちが伸びたんでしょーって…、凌、これ…やるの?」

 うそでしょ、と言わんばかりの顔で見上げてくるかすみの背を押して、せまいボックスに二人で入り込む。世間でいうプリクラだ。

「きょ、今日はやめとかない?」
「なんでだよ」
「だって私化粧も薄いし…髪型も…」
「そんなの気にしないよっとー」

 俺はさっさと100円玉を投入して操作を始める。適当にフレームやら枚数を選ぶとカウントダウンが始まった。

ーーーーハイ、カメラ見てね♪5・4・3…

「ちょっ、や、ま」
「ほら、笑えよ」

カシャリ

 最初の一枚は、頬にキス。次は、後ろからかすみを抱きしめて。最後は、かすみの顎を持ち上げて唇にキスを落とす。
 全部が全部、昔よくした懐かしいポーズだった。
 スマホに貼ってあるプリクラは、もう色あせてかすれていて顔すら判別が難しい程だ。

「んっ、…し、しのぐ…いつまでしてんのよっ!バカ!」

 撮影が終わってもキスをやめない俺の胸を押しのけて、叩いた。

「だって、止まんなくなっちゃって」
「だってじゃないよ、もう」
「もう一回、させて」
「言い方!あ、ほ、ほら、デコらないと時間なくなっちゃう!」

 迫る俺から逃げるように、機械のタッチパネルを操作するかすみを後ろから抱きしめる。

「…、凌もやってよ」
「俺わかんないもん」
「もう、言い出しっぺのくせに」

 小さなかすみの頭に頬をすり寄せれば、腕の中の彼女はくすぐったそうに身じろいだ。

「ちょっと、邪魔…しないで」

 言葉とは裏腹に、さっき俺のことを押しのけて叩いた手はタッチペンを握ったままだ。拒絶されないのを良いことに、抱きしめる腕を強めて、かすみの白いうなじに口づけを落とす。びくりと跳ねた体。構わずそのまま強く吸えば、赤い花びらが白い肌にくっきりと浮かび上がった。それは、かすみは俺のもの、っていう俺の独占欲の現れ。けどこれは、他の男へのマーキングじゃなく、かすみ自身へ伝えるためのものだった。

「なぁ、かすみ」
「な、なに」

ーーー好きだ。

 たった3文字の言葉が、言えなかった。昔は、なんの衒いもなく言えたのに。

「キスしたい」

 これが、今の根性なしの俺の、精一杯の愛情表現。
「…」

 後ろの俺からかすみの表情は見えなくて、不安になる。
 タッチペンを置いたかすみは、俺の腕の中でゆっくりと体ごと振り向いた。
 俺は俯いたままのかすみを覗き込むように顔を近づけていく。
 すると、俺の腕にかすみの両手がそっと置かれた。
 また、押しのけられるのか、と身構えたのもつかの間、俺の唇にかすみのそれが重ねられた。
 かすみからキスしてくれたのだと、一瞬遅れて理解して、嬉しさでいっぱいになる。

ーーー好きだ。

 俺をこんな気持ちにさせるのは、かすみしかいない。
 名残惜しくも離れれば、恥ずかしそうに視線を泳がせるかすみの顔がすぐそばにあった。
 かすみの後ろで機械が操作を促す声をあげていたが、もうプリクラなんかどうでもいい。写真よりも、実物が目の前にいるんだから。
 いつまでたってもこちらを見ようとしないかすみの頬に手を触れる。
 目の下を親指でそっとなぞると、おずおずとまぶたが持ち上がって俺を捉えた。
 その瞳は、何かを訴えるかのように揺れて、そして俺の感情を揺り動かす。

 どうしようもない程に、心が、体がかすみを求めていた。

「な、なんか、いつもの凌じゃないみたい…」

 もう一度抱きしめた俺の腕の中、かすみが戸惑いを見せる。

 戸惑ってるのは、かすみだけじゃなかった。

 俺だって、こんなにもかすみを愛おしく感じて求めているのが不思議だった。
 こんな風に、外で抱きしめて、キスをせがむなんて、今までの俺なら考えられない。どちらかと言えば、学校のヤツに冷やかされるのが嫌で外でくっつくのを避けていたくらいだ。

「俺も…そう思う」
「…へんなの。ーーあ、プリクラ出てきた」

 唐突にかすみが言って、俺のわきの下を潜り抜けていった。受け取り口から取り出したそれを見て頬を赤く染めて微笑むかすみ。
 今日は、なんだかかすみがいつもの100倍かわいく見える。

「はい、半分」

 置かれているハサミで手際よく切り分けたそれを受け取って、見ようとしたらかすみの手がそれを阻んだ。

「は、恥ずかしいから、家に帰ったら見て!」
「なんだよ、イマサラじゃん」

 そんな恥ずかしがる質かよ。
 プリクラの中のかすみがどんな顔をしていたのか気になったけど、手を引っ込めないどころか鞄に押し込もうとするかすみに負けて、仕方なく鞄のポケットにしまった。

「イマサラだから恥ずかしいんじゃん。いつぶりだと思ってるのよプリクラ撮るのなんて」
「確かに」
「…」

 妙に納得する俺を、かすみはじっと睨みつけた後、俺を置いて歩き出してしまう。

「お、おい」

 何が気に障ったのか、わからない。
 慌てて隣に並んで覗きこんだ顔は、怒っても笑ってもいない。少し伏せられた目が、どこか悲しみを演出している。

「かすみ」
「クレープ」
「は?」
「クレープ食べたい」

 俺を見上げたかすみは、もう笑っていた。「おごってくれるよね?」とにやにやして言う。「しゃーねーなぁ」と返して、良くかすみと行ったデパ地下のクレープ屋へと二人で歩を進めた。

 まるで、昔に戻ったみたいだ。
 まだ付き合って1年も経たない頃。
 学校帰りはいつもこの駅ビルで必ずぶらぶらしてから家に帰っていた俺たち。
 特に目当てのものがあるわけでもなく、俗にいうウィンドウショッピングを楽しみながら、二人で時間を過ごしてた。
 手をつないで、エスカレーターを上ったり降りたり、ファミレスやカフェで時間をつぶしたり、かすみの買い物に付き合わされたり。
 本当に、俺たちずっと一緒にいた。

「かすみは、いつものチョコバナナカスタード?」
 
 毎回同じのしか頼まないかすみと、毎回違うのを頼む俺。

「うん」
「ははっ、未だにそれなんだ。よく飽きないな」

 壁に貼ってあるメニューを見て少し考えてから、俺はイチゴナッツクリームとかすみのチョコバナナカスタードを注文した。
 店員が手際よくその場で生地を薄く延ばして焼くのをなんとなく二人で眺めて、あっという間に出来上がったクレープを受け取る。俺とかすみは示し合わせたように、店先に置かれたベンチに腰掛けた。

「ん」

 そして、いつものように俺は手に持ったクレープをかすみの顔の前に持っていく。それをかすみは一口かじった。

「おま、一口デカすぎだろ」
「ちっちゃいおとほはひらわれるわよ」
「いや、何言ってるかわかんないから」

 笑って、俺も一口頬張る。ナッツが香ばしくイチゴの酸味と合ってなかなか美味い。

「凌のも美味しい。次はそれにしようかな」

 かすみの言葉に、俺はすかさず「うそつけ」と突っ込みを入れる。そう言って、本当に注文した試しがない。次来ても、必ずまた同じチョコバナナカスタードになるのが関の山だ。

「だって、やっぱりこれが食べたくなっちゃうのよね」

 ふと、クレープを持つかすみの手首、あのミサンガが視界に入った。さっき、神妙な面持ちで凝視していたミサンガだ。
 昔、俺が選んでかすみにプレゼントしたやつ。
 ミサンガを買いたいと言ったのは、俺。
 同じグループの女子が、彼氏に贈るプレゼントを買いたいけどメンズ店で入りづらいからどうしても一緒に来てほしい、と泣く泣く頼まれて付き合ったのがきっかけだった。
 その時、その女子から恋人の間でミサンガが流行っているという話を聞いて、かすみとお揃いで付けたいと思ったのだった。我ながら乙女チックだと思い、恥ずかしくてかすみには部活で流行っているからとかなんとかごまかした記憶がある。

 何かの拍子に、かすみにその日のことを聞かれた時焦った俺は、とっさにいつものグループと遊んでいたと嘘をついてしまった。
 嘘をついたのは、要らぬ疑念を抱かせたくなかったからだけど、こんな後ろめたい思いをするくらいなら最初から事情を話しておくべきだった、と我ながら反省したのを覚えている。

「それ、まだ切れてなかったんだな」
「え?」
「ミサンガ」
「あ、うん。凌は?切れた?」

 返事の代わりに左腕の袖をめくってそれを見せる。

「なかなか切れないもんだねぇ」
「だいぶ擦り切れてきてるけどな」

 かすみに選んでもらった青と黄色が基調のミサンガは、ところどころ擦り切れてもういつ切れてもおかしくない状態だった。
 そういえば、かすみはミサンガに何を願ったんだろう。
 確かあの時はお互い秘密にして言わなかったから、かすみがどんな願い事をこのミサンガに込めたのか、俺は知らない。
 今なら時効だろうか、と思い切って聞いてみた。

「…願い事ってなににした?」



「それは、お互い秘密でしょ」
「かすみのけち」
「はいはい、何とでもどーぞ」
「じゃぁ、願いが叶ったかどうかだけでも教えてよ。それくらい良いだろ?」

 食い下がる俺に、かすみは考えるそぶりを見せた後、口を開く。

「ーーーそれも内緒」
「それも教えてくれないのかよー」
「願い事は、人に軽々しくいうものじゃありませんー」

 軽い言葉とは裏腹にかすみの顔は笑ってなかった。

「まぁ、それもそうか」

 その表情から、また地雷を踏んでしまったと思い、俺は慌てて話題を変える。

「卒業式終わったらさ、樹たちと一泊で卒業旅行いってくるわ」

 樹とあと数人は受かれば同じS大だけど、他の数人は違う大学、もしくは県外の大学に決まったやつもいた。全員で集まって遊べるのも、最後になるから思い出作りに旅行に行こうと皆で決めた。

「いいなぁ、楽しそう。どこ行くの?」
「群馬のスキー場にボードやりに」
「わぉ!ボードやって美味しいごはん食べて、温泉入って幸せだね~」
「かすみも、千野とかと行けばいいのに」
「んー、行けるなら行きたいけどね。沙和子は家族で旅行行くって言ってたから忙しそうで」
「じゃぁ、俺と行く?」

 どんな反応をするのかと思えば、「お金ないでしょうが」と一蹴されてしまう。3年になってからバイトをやめてしまったから確かにそんな余裕はない。

「まぁ、今は無理でも、大学入って金貯めたら行こうな」
「うん…行きたいね」

 かすみとなら、京都とか大阪とかが良いかもしれない。クレープを頬張りながら、これから先の未来(あす)に思いをはせた。