舞台は現世へ。
三月(みつき)の間雨は降り続け、洪水は村へ押し寄せた。集落があった場所は完全に湖と化し、村人は大蛇の裏山へと避難していた。
しかし、裏山へ避難させてもらうのは条件がある。
『四人の村長たちの妻子を大蛇に差し出せ』
大蛇の妻である咲紀は魔物のように、にやりと唇を歪めてみせた。
『大勢の命がかかっているのよ。さあ、どうする?』
大蛇をはべらせ、咲紀はそう言った。
村人たちは死にたくないと叫んだ。
もはや、身分も上下関係もない。
人間たちの秩序は崩壊した。
祟りを悪化させないために、村人たちは四人の村長たちの妻子を捧げる道を選んだのだ。
妻子はとらえられ、順番に洞穴へ連れていかれた。
待ち構える咲紀は、優雅に天女の羽衣をまとって大蛇の胴体に座していた。
右目の鱗は青く、濃い真っ赤な口紅は唇を彩る。
鱗は、大蛇の嫁の刻印だ。
咲紀はころがる髑髏(どくろ)をあしでふむ。鞠のように、人質へ蹴り飛ばした。
「お助けください! どうか、私で最後にして。この子は食べないで!」
母親はまだ幼い子供を腕に抱く。
咲紀はねっとりと、冷たい眼差しを向けた。
「残念ね。私の夫は物覚えが悪いの。何人喰ったかなんて覚えちゃいないわ」
刹那、大蛇は母子を頭から丸呑みにした。
ごくりと飲み込まれた母子のかたちを残し、大蛇の腹は、ぷっくりと膨れる。
大蛇の腹はかつてないほど膨らんでいた。もう二十人は喰っただろう。五年に一度ですんでいた生贄は、とめどなく人を食らう喜びを知った蛇を満足させられなくなっていた。
もはや悪神(あくじん)だ。
咲紀によって魔性のものと生まれ変わった神は、次々に雷を落とし人々を震え上がらせ、脅迫した。
『次だ、次をよこせぇっ!』
口から生臭い息を吐く。洞穴は、もはや見るも無惨なほど血と肉塊で溢れかえっていた。
咲紀は内心、舌打ちする。
(催促の間隔が狭まってきている。早くあの女を見つけないと、生贄が尽きてしまうわ。そうなったら、私の身も危うくなる)
夢夜を連れ去ろうにも夢幻の世界は完全に獏の領域だ。彼の許しを得ず、一歩でも踏み込めばたちまち形は崩れ、曖昧な意識の中、永久に夢幻を漂う存在になるだろう。当然それは避けたい。
すると。
「奥様。およびでしょうか」
入り口からひょっこりと覗く影が。
逆光で顔は見えないが、大蛇に古くからつかえる獣が、人の姿をとって現れたのだ。

