『夢夜。そなたの名は、〈夢夜〉。名前もない奴婢などではない。〈夢夜〉という、かけがえのない私の女(ひと)だ』
(・・・わたしは、石ころじゃない)
すとんと、重苦しかった呼吸が体の外へ落ちるような気がした。
(私の名は、〈夢夜〉。石ころでも、奴婢でもない。夢夜なの)
彼があたえてくれた〈名前〉は絶大な効果を生んだ。
存在を認められたあかし。対等な人間である証明。
まだ、咲紀の顔をみる度胸はない。傷心したままだ。でも、ふたたび奴婢に戻るつもりはない。
一方。
(夢夜・・・?)
咲紀は怪訝な顔をし、それから憤怒で唇を噛んだ。
(この男、奴婢に名を与えたのか!!)
いますぐにでも殺してやりたい衝動が、沸騰する。血管はいきり立ち、はちきれんばかりだった。砕けそうなほどギリッと奥歯を噛み締めた。
奴婢に名前など与えれば、たちまち自分は人間だと思い上がってしまうではないか。
せっかく主人の〈犬〉になるよう、しつけてきたのに。すべて台無しだ。
ああ。このまま、夢夜をくびり殺したい。手のひらで息絶えていく姿を見たい。
だが、神々の前で狼藉を働けば神罰は避けられない。
咲紀は代わりに、切り札を持ち出した。
「道中、噂を耳にしました。獏さまは舞の名手だった亡き恋人・・・譲葉さまの舞に合わせて琴を弾いておられたそうですね? ならば、獏さまの琴を拝聴したく存じますわ」
会場はざわっと動揺が走った。
譲葉と獏の仲は、天帝の前では禁句である。
野次馬はささやきあう。
「獏さまのあのお顔を見たか。あの人間、殺されるぞ!」
「身の程もわきまえぬとは、なんとおろかな!」
「しかし、譲葉さまのお孫さまと、獏さまの琴。ひさしぶりにお目にかかりたいような・・・」
夢夜は青ざめる。
獏は感情を一切殺した無表情で、眼前の小娘を見上げていた。
瞳には静かな殺意が、燃えている。
拳は血が滲みそうなほど握りしめられている。
――やがて。
獏はすらりと立ち上がった。
夢夜ははっと見上げた。
(獏さま。どうするの?)
咲紀はというと、勝敗が決したと、すれ違う男を鼻で笑った。
(ぶざまな男ね。言い返すこともできないのかしら)
咲紀は獏の屋敷で幸せに暮らしている夢夜を許せなかった。同様に、彼女を寵愛する幻獣も。
(・・・わたしは、石ころじゃない)
すとんと、重苦しかった呼吸が体の外へ落ちるような気がした。
(私の名は、〈夢夜〉。石ころでも、奴婢でもない。夢夜なの)
彼があたえてくれた〈名前〉は絶大な効果を生んだ。
存在を認められたあかし。対等な人間である証明。
まだ、咲紀の顔をみる度胸はない。傷心したままだ。でも、ふたたび奴婢に戻るつもりはない。
一方。
(夢夜・・・?)
咲紀は怪訝な顔をし、それから憤怒で唇を噛んだ。
(この男、奴婢に名を与えたのか!!)
いますぐにでも殺してやりたい衝動が、沸騰する。血管はいきり立ち、はちきれんばかりだった。砕けそうなほどギリッと奥歯を噛み締めた。
奴婢に名前など与えれば、たちまち自分は人間だと思い上がってしまうではないか。
せっかく主人の〈犬〉になるよう、しつけてきたのに。すべて台無しだ。
ああ。このまま、夢夜をくびり殺したい。手のひらで息絶えていく姿を見たい。
だが、神々の前で狼藉を働けば神罰は避けられない。
咲紀は代わりに、切り札を持ち出した。
「道中、噂を耳にしました。獏さまは舞の名手だった亡き恋人・・・譲葉さまの舞に合わせて琴を弾いておられたそうですね? ならば、獏さまの琴を拝聴したく存じますわ」
会場はざわっと動揺が走った。
譲葉と獏の仲は、天帝の前では禁句である。
野次馬はささやきあう。
「獏さまのあのお顔を見たか。あの人間、殺されるぞ!」
「身の程もわきまえぬとは、なんとおろかな!」
「しかし、譲葉さまのお孫さまと、獏さまの琴。ひさしぶりにお目にかかりたいような・・・」
夢夜は青ざめる。
獏は感情を一切殺した無表情で、眼前の小娘を見上げていた。
瞳には静かな殺意が、燃えている。
拳は血が滲みそうなほど握りしめられている。
――やがて。
獏はすらりと立ち上がった。
夢夜ははっと見上げた。
(獏さま。どうするの?)
咲紀はというと、勝敗が決したと、すれ違う男を鼻で笑った。
(ぶざまな男ね。言い返すこともできないのかしら)
咲紀は獏の屋敷で幸せに暮らしている夢夜を許せなかった。同様に、彼女を寵愛する幻獣も。

