その日の夜、娘は風呂からあがると、獏の私室へ呼び出された。
夜中の呼び出し、ましてや寝所など行ったこともない。
怪訝な顔をしたが、狐牡丹は勝手に衣を用意していた。
娘は着替えさせられ、あれよあれよと連れてこられると、獏の寝所へ押し込まれた。
「ちょっ、開けてください! 何事ですか!」
「うるさいぞ。そなたこそ、そんなにめかしこんで何用だ?」
背後から声がして、娘は飛び上がった。獏は褥(しとね)から離れた場所にある小机で、優雅に茶を飲んでいた。火鉢で沸かした釜からは湯気が立ちのぼり、ほのかな甘い香りが心地よい空間をつくりだしている。
(あれ・・・? 聞いていた話とちがう・・・?)
娘はきょとんと尋ねた。
「獏さまがわたしをお召になったのではないのですか?」
「誤解をまねく言い方はやめろ。私は真夜中に女人を呼び出したりしない。・・・ましてや、寝所になど」
後半、意味深な声色でつむがれ、娘は肩がびくりとはねた。
獏は不機嫌そうに唇を真一文字にする。
「おおかた、狐牡丹がいらぬおせっかいを焼いたのだろう。あとで油揚げ(アーゲイ)抜きの刑に処すから、そなたはもう、帰りなさい」
(なぁんだ・・・)
娘はちょっと、がっかりした。ここまでの道すがら、ほんの少しだけ期待したのに。
「おやすみなさい、獏様」
頭から湯気を立てると、娘は戸へ手をかけた。今夜も野宿決定のようだ。
「待て」
獏はなにか思い出したように呼び止めた。
「お前に渡すものがあるのを、忘れていた」
「はい?」
「座ろうか」
獏は娘をうながし、席へ座らせた。

