生きて戻ってほしかった。


立ちすくみ、ずっと無言でいる獏。それを心配そうに寝台から見つめる娘がいた。
(獏さま・・・?)
彼は知らない。もう一人、自分を見つめる女がいるということを。

和葉は鼻をすすりながら続けた。
「大蛇さまは、母の読みより貪欲でした。天女を喰らってもなお、五年おきに生贄を求め続け、父は憔悴(しょうすい)し、毎日のように私を抱いて泣きくずれ・・・。こんなことなら、行かせるのではなかった。こんな村、滅んでもかまわなかったのにと」
和葉は次第に、声が縮んでいった。

おそらくここからなのだろう。村長の娘だった彼女が、奴婢の身分まで落とされたのは。
「父の様子を、見かねた他の村長たちのすすめで、新しい妻を娶(めと)ることにしたのです。跡継ぎもいませんでしたし、どうしても、男児をつくる必要がありました」
やがて、新しい妻との間に、男児が生まれた。
それが咲紀の父親、現在の村長である。
「父は、新しい奥方を愛せませんでした。冷遇したわけではなかったけれど・・・やがて父が亡くなると、わたくしは疎(うと)んじられ、次第に使用人のように扱われるようになり、ついに・・・」
「奴婢の身分まで落とされた、か・・・」
仙人が口を挟んだ。和葉は思い出すのもこわいらしい。ぶるりと肩を抱いていた。

――・・・これ以上は、聞くまい。
虐待を受けて育った和葉。それを間近で見ていた咲紀の父親は、母親を習って暴力を振るったのだろう。
姪にも、同様に。


和葉はそのまま、椅子をおりた。
「あ、おいっ」
仙人の静止も聞かず、彼女は額を床に擦り付けた。
「またあの村に変えれば、わたくしども親子は、確実に殺されます。どうか、犬馬の労もいといません。ここにおいてください。・・・せめて、娘だけでも」
獏はしばし、沈黙した。

「ほら、立ちな?」と仙人が促し、獏はようやく重い口を開く。
「私と譲葉は友人だった。ならば手を差し伸べて当然」
少し嘘をついた。友人以上の関係だったのは間違いない。
だが、譲葉の娘にも孫にも恋慕を抱かない決意が固まった今、強いて教えるべき事実でもないだろう。

獏は歩み寄り、和葉へ手を差し伸べる。この手に、譲葉の血が流れていることに、いまだ信じられない気持ちだった。