獏はそのまま部屋を出ると、とある特別な戸で締めた庭へ繰り出した。
〈夢糸(ゆめいと)の庭〉だ。
無論、これからしようとしていることを、娘は知る必要もない。
夜の風がふく。湿気を帯びたそれは、目の前の光景へどことなく不気味な風情をあたえていた。
紅葉の庭園。その枝には、色とりどりの糸が、淡い螢(ほたる)火(び)のような光を帯び、機(はた)織りの糸のように規則的にかけられていた。
獏は一本一本を手に取る。
この糸は、すべて夢の糸。
獏は夢を渡り歩く。
故に、夢の結び目をとくことも、結ぶことも容易だった。
ここには、倭国のすべての人間の糸が並べられている。
「清水村・・・これか」
それは、娘が生きてきた村の名前。獏はとある一本の前で立ち止まった。
桃色の糸と、藍色の糸。おそらく咲紀と村長のものであろうそれらは、人間と直接面識はなくとも、娘の薄緑の糸に無理にからんでいたからすぐにわかった。
すさまじい殺意が、眼から火が出るようにほとばしっていた。
彼は金の鋏(はさみ)を取り出す。
ぷつっ。
ぷつん。
二本を、あっさりと切った。それから、藍色の糸を古ぼけた鼠色の糸の束へ、桃色の糸を、とびきり禍々(まがまが)しい真っ黒な糸へ容赦なく結びつける。
硬く、硬く。決して解けないように。
獏は無表情でそれをたどる。
夢結びは、縁結びと同義とされているが、夢の糸にはそれだけではない、恐ろしい一面もある。
波長が合わない人間と、糸をむすぶとどうなるか。
――結ばれた人間同士は、不幸の連鎖で死期がはやまる。
病、事故、処刑・・・。この世のあらゆる厄が降りかかるのだ。
さわ・・・と風が紅葉を揺らす。
娘の敵は、これで取った。
獏を怒らせることは、絶対の禁忌とされている。
それを犯したのは、自業自得だ。
獏は娘の薄緑(うすみどり)の糸を、そっと手にすくう。彼女の糸は美しい。シルクのようにすべらか、月光にきらりと光っていた。
獏はふと、視線を、その隣に並ぶ緑の糸へ向けた。
(これは・・・、あの娘の母親の糸か)
夢の糸は家系図でもある。親族の糸は奥の方で深く絡み合い、夫婦であれば、二色の双糸(そうし)へとよりあってゆく。
そこで、獏ははっと息を呑んだ。
五十年前。よく見慣れた糸が、娘の糸と奥深くでより合っていた。
「なん、だと・・・っ」
獏はしばし、呆然とその場に立ち尽くしていた。