獏の屋敷は、現世(げんせ)や死者がゆく隠世(かくりよ)とは異(こと)なる世界――・・・朝靄(あさもや)の立ちこめる夢幻(むげん)にたたずんでいた。
ゆめまぼろしの世界でありながら、確かな存在を保つことが可能なのは、獏ゆえである。
朝靄が立ちこめる部屋は、柱が屋根を支えるのみで壁がない。
濡(ぬ)れ縁からいくつも下げた白い布がそよ風にふわりと舞い、清涼な風を室内へ運んでくる。
夢幻に設けた空間に建つ屋敷だ。地上とは異なり、夢幻の国は天候さえも獏があやつる。
雨を降らせるも、そよ風で涼をとるも、すべて獏の思うままである。
「う・・・・」
屋敷に運び込んだ日から、娘は高熱が続いていた。食べ物も口を通らず、水を数杯飲んだ程度だ。
このままでは衰弱死してしまう。そう判断した獏は立ち上がると、気が進まないがある男に頼ることにした。
獏は、私室へ戻った。
「よお」
待ち受けていたのは、侍女たちではなく風来坊(ふうらいぼう)の医者だった。
獏と同じく、隣国の袍(ほう)を身にまとっている。少し違うのは女人が好むひらひらとした袖(そで)。普通の男がやっても似合わないだろうが、気まぐれ猫のようなこの仙人がまとうと、不思議と違和感がかき消える。
背は低く小柄で、顔はともすれば童のような童顔だ。ちいさな鼻。つぶらな瞳には目尻に引いた独特な模様が朱色で描かれ、幼さと大人の間(はざま)に絶妙な色気を醸(かも)し出している。
「おい、頼みがある」
「頼むんなら、もっと頭下げて土下座しな」
仙人はすっかり泥酔した様子で、あろうことか獏の寝台にだらりと横になり、よだれをたらして気持ちよさそうにひらひらと手招きした。
「貴様・・・っ」
獏はつかつかと歩み寄ると、つかつかと距離を縮めるとそのたるみきった胸ぐらを掴(つか)んだ。ぷらん、と子猫のように軽い体はたやすくぶら下がる。
「なんだよぉ。いきなり呼びつけといて、ずいぶんなごあいさつじゃねぇか」

