天帝の御所に到着した獏は、側仕えたちに怪訝な顔をされていた。
「本日は、どんなご要件でしょう・・・?」
「内密の話があると聞いて参内した」
獏の言葉に、側仕えは「確認してまいりますっ」と走っていった。
(妙だな)
獏は眉を寄せる。こちらを呼び出しておいて側近が知らされていないなど、ありえない。
すると確認に走った男が戻ってきた。なにやら顔色まで青い。
「ば、獏様っ!! 一大事にございます!」
「落ち着いて話せ。何があった?」
獏はつとめて冷静な声で問うた。
男は言う。
「主上の玉璽(ぎょくじ)が紛失したのです!」
獏は目を見開いた。
「なんだと。では誰かに盗まれたのか!?」
それしか考えられない。玉璽は天帝の権威ともよべる代物。なくすなどまずないだろう。
「それともう一つ。・・・お耳を拝借したいのですが」
男は獏に身をかがめるよううながす。しぶしぶ膝を折ると、とんでもない事実が耳をついた。
「ウサギが・・・失踪しただと?」
宴の席で絡んできた女だ。彼女は部屋の清掃をまかされていたらしい。なんらかの事情を知っているのは明らかだ。
獏はすぐさま、男に武官を呼んでくるよう命じた。
駆けつけた無精髭の男たちへ、獏は慣れた様子で指揮を取る。
「本日中に大事になる前に見つけ出せ。動機を知るまで殺すな」
部隊長はうなずく。
次いで側仕えに、
「混乱を避ける必要がある。事実を知っているものは捕らえて幽閉しておけ。箝口令(かんこうれい)を敷く」
素早く的確な指示だ。
命じられた者たちは「御意!」とうなずき、急ぎ足でそれぞれの持場へ向かう。
獏はその背を見送った。
――そのときだった。
(これは・・・、狐牡丹の糸か?)
ぷつん。
縁切りの音は、今は危険を知らせる信号のように感じた。
盗まれた玉璽。失踪したウサギ。狐牡丹からの合図。
(まさか、夢夜の身になにかあったのか!?)
獏はぎょっとし、狼狽した。
彼女のこととなると、こうも取り乱す。
獏は近場にいた武官に火喰仙人とともに狐牡丹を捜索するよう命じた。
老齢の侍女頭も心配だった。でも火喰ならきっと助けてくれる。
獏はそのままの勢いで、本来の幻獣へ姿を変えた。
――夢夜に着せた獏の袍で居場所は手にとるようにわかる。
夢夜は現世に連れて行かれたようだった。
(大蛇の巣穴か・・・っ!)
夢夜を失う、と恐ろしい考えが脳をよぎり、脂汗が噴き出す。
同時に、辛い記憶が鮮明に蘇る。
ゴオッと風を切り、幻獣は空をかけた。