夢夜はその動作さえ気取らせない素早い動きで馬車から飛び降りようと身を乗り出した。だがウサギにとって、それも計算のうちだったらしい。強い力で腕を掴まれると、床板へ引き倒された。
「面倒はおよしください。今馬車が走っているのは〈黄泉(よもつ)平坂(ひらさか)〉。飛び降りれば黄泉(よみ)の瘴気にあてられ死ぬと言ったはずです」
夢夜は息を呑んだ。〈黄泉平坂〉は、倭の人間であれば誰でも知っている。黄泉から現世へ通ずる坂道だ。
「私をどうする気なのっ!?」
夢夜は叫ぶように問うた。天帝の側仕えが、なぜ咲紀に加担するのか!?
ウサギは、夢夜がおとなしくなったのを確認すると、拘束を緩めた。
「我が一族はウサギですが、大蛇様とは切っても切れぬ縁で結ばれております。水神がいなければ食料となる野草が育ちませんから。水神が求めるのなら、なんでも致します。――大蛇様は咲紀どのより、あなたの肉に興味がお有りだ。天女の肉は、寿命が千年伸びますからな」
――天女の、肉。
夢夜は全身に震えが走る。そうだ、祖母はそうやって喰われたのだ。
黄泉平坂はあっという間に終りを迎える。馬車は闇を抜け、光の指す方向へ。
「ここは・・・!」
夢夜は窓からの景色に唖然とする。
見覚えのある岩場。道中、神輿から墜落しなければ送り込まれていたであろう場所。
大蛇の洞穴のど真ん中に、馬車は到着した。
黄泉の坂道は、あの大蛇が住まう洞穴に通じていた。洞穴の奥の穴から入ってきたようだ。
グラッ!!
いきなり、馬車を横揺れが襲う。ふわり宙に浮いた。
いや、浮いたのではない。大蛇が馬車ごと丸呑みにしようと咥えているのだ。
メキメキときしむ車内。壁はひしゃげ、中に乗っている人間ごと圧縮されかねない勢いだ。
「あたしは巻き添えなんて、ごめんですよ」
運良く扉がガタッとはずれる。ウサギは素早く飛び降りた。今を逃せば、馬車と運命をともにすることになる。夢夜も慌ててあとに続く。
地面との距離はそれなりにあったが、今は躊躇などしていられない。夢夜は山猫のような身のこなしで飛び降りた。
破壊された馬車を、それでも喰らい続ける大蛇。そのまがまがしい姿を、初めて目の当たりにした夢夜は、ぎょっと目をむく。
――刹那、慣れた痛みがびしりと背を襲った。
「い・・・っ!」
「いつの間にか、飼い主を忘れてしまったようね、犬」
咲紀が、革の鞭を片手に立っていた。