夢幻の世界には、〈獏〉という幻獣がいる。
人はおろか神の運命すら左右させる〈夢結びの糸〉を操る影の処刑人であり、天帝(てんてい)の近臣だ。
夢結びの糸は、縁結びの糸に等しい。
実れば糸は寄り合い、一本の太い糸となる。
縁が切れればちぎれる。
縁のない者同士を無理やり結びつければ、途端に不幸の連鎖を引き起こし、互いの寿命まで縮んでしまう恐ろしい一面もある。
〈夢糸の庭園〉には、現世の人間たちや神々の糸が集められていた。機織りの糸のようにまっすぐぴんと整列され、もみじの枝にかけられている。
糸は魂を象徴する色をしている。色とりどりの美しい糸たちは今日も、風にかすかにゆれていた。
獏は金の鋏(はさみ)を取り出した。
規則正しく並んだ糸の束。そのなかに、一か所絡み合ったぶかっこうな糸があった。
ちょきん。
獏はためらうことなく糸を切る。
切った糸を、正しい場所へ――天帝が命じた場所へ結び直し、彼は無表情に空を仰いだ。
今しがた切った糸の持ち主は、これから縮んでいた寿命が戻るだろう。
そしてつらい別れを経験するはずだ。
――だがそれもこれも、自らが引き起こした〈恋〉の執着ゆえ。
(私のように・・・)
獏はまぶたをふせる。
さわ、とぬるい風が、木陰に冷やされて運ばれてきた。
夏がはじまった。
現世では、蛍(ほたる)が見頃だろう。
実らぬ恋に身を焦がす、哀れな虫たちの季節だ。
なんとなく、現世へ足が向いた。
五十年ぶりの、あの女人との思い出の地へ。

