「うわー、これはまた素材がたくさんあるね」

工房にやってくると、素材保管庫にはレギナとティーゼが夜の砂漠で持ち帰ってきた砂漠素材がたくさん積み上がっていた。

素材を扱う者としては、もう少し丁寧に仕分けしてくれると大変助かるのだけど、夜通し素材採取をして疲れ果てている二人に仕分けまでを要求するのは酷だろう。

無秩序な空間が苦手なメルシアは乱雑に置かれた素材にややイラッとしている様子だったが、二人の苦労を考えてか不満を漏らすことはなかった。

「……先に素材の仕分けをいたしましょう」

「うん、そうだね」

どんな素材があるかわからないために俺も一緒に素材の仕分けをすることにした。

錬金術師としての眼力で素材の特性を見極めながら、素材保管庫に運び込んだり、マジックバッグに収納したりする。

「うんうん、いいサンプルが多いね」

たとえば、ゾートカメレオン。

この魔物は体色を自由に変化させることができ、気温の高い昼間は体色を白くして光を反射し、冷え込む夜になる体表を黒くして熱を蓄え、体温調節を自在にすることで寒暖差を凌ぐという特性がある。

「寒暖差という大きな障害があるが故に、夜に活動する生き物はそれを克服した個体が多いようですね」

また、ソフトツールという植物は幹に硬い材がなく、貯水性のある繊維質の柔らかい組織でできている。

どちらの素材も間違いなくラオス砂漠以外では手に入れることができないだろう。

「植物に関しましては葉が小さく、茎などが分厚いものが多いですね」

「葉っぱが大きいと水分の蒸発量が多くなってしまうから葉を小さくしているんじゃないかな。茎が分厚いのは体内に水分を多く保持するためだと思う」

他にも皮が硬いのは乾燥から身を守るためだったり、根が長いのは少ない水分を少しでもかき集めるためだと思う。

「ここにやってきて様々な素材を見てきましたが、総じて砂漠への適応力は植物の方が強い気がします」

メルシアが仕分け作業をしながら呟く。

それは俺も感じていたことだ。

動物や魔物と違って、植物は棲息する場所を変えることはできない。それ故に必死に生き残るための術を模索し、進化を繰り返しているのかもしれないな。

「ふう、ようやく一区切りがついた」

「はい。綺麗になりました」

なんて会話をしながら仕分け作業をしていると、ようやくすべての素材を仕分けが終わった。

乱雑に積まれていた素材は綺麗にそれぞれの棚へと仕分けされている。

これには綺麗好きのメルシアも満足げな様子だ。

「んんー、気分転換にカカオの研究でもしようかな」

素材を確認して仕分けしただけなので体力的な疲労は少ないが、気合いを入れて素材の研究や品種改良を行うのはちょっと辛い。

こういう時はより興味のそそられる仕事をやるのがいいだろう。

俺はテーブルの上に置かれているカカオの実を手に取る。

ツルリとした黄色い殻に覆われている。拳で叩いてみても割れないし、そのまま折ってみても割れる様子はない。当然、そのままでは食べることはできないだろう。

「中を開けてみよう」

ナイフを突き刺してみると、思いのほか軽い力で刺さった。

俺のナイフを拒むほどの硬度ではないようだ。

衝撃に対する耐性はあれど、刺突に対する耐性は少ないのかもしれない。

「手でも簡単に割れますね」

傍らではメルシアがカカオの殻を手で割っていた。

それは獣人だからできる芸当だと思う。少なくとも俺は手で割ることは不可能だ。

メルシアのことは気にせず、カカオを回してナイフをザクザク入れていく。

「へえ、中はこんな風になっているんだ」

殻を取り除くと、中には白い豆のようなものが詰まっていた。

「青っぽい匂いがします」

白い豆へと鼻を近づけてスンスンと匂いを嗅ぐメルシア。

同じように俺も鼻を近づけてみると、野菜のような青っぽい匂いがした。

「これが甘味になるのでしょうか?」

確かにこんな白っぽい豆が美味しい甘味になるのかと言われると疑問を抱いてしまう。

「一応、この豆を舐めてみると美味しいらしいよ?」

「本当ですか?」

メルシアが疑いの視線を向けてくる中、試しに白い果肉と豆を千切って口の中に入れてみる。

「あっ、普通に美味しいや」

「どんな味です?」

「なんて言ったらいいんだろう? ブドウやマスカットに近い甘みかな」

ブドウに似ている味だと伝えたところメルシアが目の色を変えて、小さな粒を口に入れた。

すると、彼女の青い瞳が大きく見開かれた。

「ブドウとは微妙に違いますが、確かにイサギ様のおっしゃる通りの美味しさです」

口の中で豆を転がしながらうっとりとしている。

似ている食べ物の味として例に挙げただけで、ブドウとは違う味なのは確かだ。

「この味のまますべてが食べられるのであれば、大変素晴らしいのですが……」

「ここから大きく加工するとなると、その方向にはならないと思う」

そもそも甘い味がするのは僅かな白い果肉部分だけで、身のほとんどは豆だ。

多分、この豆がカカオの主役なんだろうな。

「とりあえず、一通りの変化を加えてみるよ」

メルシアが果肉と豆をケースに分けてくれたので、俺はそれぞれのケースの種に錬金術を発動してみる。

乾燥、加熱、湿気、分離、発酵、成分抽出、形状変化、粉砕といった様々な加工を施してみる。

その中で大きな反応を見せたのは発酵だった。

白い果肉が溶け、白っぽかった豆が茶色く変色した。

まるでアーモンドのようである。

「……これは発酵かな?」

「今のところ反応が一番大きいですね」

少なくとも食べ物に近づいていることは確かだろう。

加熱、湿気、抽出、形状変化などは反応がいまいちだ。

「発酵からはじめるのが最適だと仮定して進めてみようか」

「わかりました」

これが正しいかはわからないが確かな手応えがあったのは確かなので、己の直感を信じることにする。

俺たちは発酵させたカカオ豆をケースに分けて、そこからさらに錬金術で変化を加えていくことにした。





「よ、ようやくできた……ッ!」

外の景色が茜色に染まる頃。

ようやく俺とメルシアはカカオを甘味らしき食べ物に変換することができた。

真っ白なカカオ豆を錬金術で加工していき、最終的に食べやすいようにこの茶色い液体だった。

「気品高く、ふくよかで、奥深く、大人っぽい……不思議な味わいです」

「うん。甘くて苦くて……とても美味しいよ」

自分の語彙力の無さを痛感する。

とにかく、加工したカカオ豆は今までに食べたことのない味だった。

甘いのに苦い。

反するような味わいなのだが、不思議とその二つは(けん)()することなく共存している。

口にすると今までの疲労が吹き飛ぶほどの美味しさだ。

メルシアと俺が夢中になって加工したカカオ豆を食べていると、不意に工房の入り口が開く音がした。

「なんだかとてもいい香りがするわ!」

「甘くて苦い不思議な香りです」

鼻をスンスンと鳴らしながら工房に入ってくるレギナとティーゼ。

時刻は既に夕方だ。朝に就寝をした彼女たちがちょうど目を覚ます時間帯。

「ねえ、イサギ。その茶色いものはなに?」

俺たちの傍にやってきたレギナが手元を覗き込みながら尋ねてくる。

「カカオを錬金術で加工して作ったものだよ」

「もうできたのですか!?」

端的に答えると、ティーゼが驚きの声をあげる。

「いや、ちょっと気晴らしにやるつもりが意外と楽しくて」

もっとも優先するべきは作物の品種改良なのだろうが、カカオ豆の加工があまりにも楽しくて夢中でやってしまった。

「確か甘味になるって言っていたわよね? 美味しいの?」

「食べてみる?」

(さじ)を差し出してみると、レギナとティーゼはこくりと頷きながら受け取った。

ボウルの中に詰まった茶色い液体を匙ですくうと、レギナとティーゼは口の中へ運んだ。

「「美味しい!」」

驚きの声をあげる二人の反応に俺とメルシアはクスリと笑ってしまった。

完成品を食べた時の俺たちの反応とまるで同じだった。

「甘いけど甘くない……甘味はたくさん食べたことがあるけど、こんな味は初めて!」

「なんともいえないほろ苦さが深い味わいを与え、甘さを際立たせています。なんと素晴らしい甘味なのでしょう……」

レギナは大きく目を見開き、ティーゼは噛みしめるようにしながら陶酔した息を吐いていた。

俺たちだけでなく、レギナとティーゼも美味しいと思える味だったらしい。

「これどうやって作ったの?」

レギナの問いかけに俺は待ってましたとばかりに口を開いた。

「まずはカカオ豆を取り出したら錬金術で発酵させるんだ。次に発酵させた豆を乾燥させ、乾燥させたものを加熱。じっくりと焙煎したら皮を剥いて、滑らかになるまで豆をすり潰す。ねっとりとしてきたら砂糖を加えて、さらに混ぜ続けることで今の状態にできたんだ。ここまで加工するのに重要なのが――」

「ストップ! もう十分よ!」

具体的な加工過程を語ろうとすると、何故かレギナとティーゼが切り上げてくる。

さっき語ったことは全体の過程をかいつまんで語っただけだ。

どれぐらいの発酵度合いが適切か、どの程度の水分量まで乾燥させるのが適切なのか、どの程度の温度で何分ほど焙煎してやればいいのか、それらの塩梅(あんばい)を探っていくのが非常に大変だった。

錬金術という加工法がなければ、間違いなく半年から年単位での時間がかかったに違いない。

「ええ……?」

「お二人がここまで加工するのに苦労したのはよくわかりましたから」

ティーゼが俺を宥めるように言う。

本当に面白く、苦労したポイントはこれから詳細に語るところだったのに。残念だ。

メルシアも詳細な研究データの束を仕舞って残念そうにしている。

「大樹では砂糖をふんだんに使ったお菓子がよく出てくるけど、あたしはこっちの方が断然好きだわ。これだけ美味しい食べ物なら集落の立派な特産品にもなりそうじゃない?」

「確かに! この美味しさであれば、外部の方にも受け入れてくれるかもしれません! イサギさん、是非このカカオも集落で栽培できるようにできないでしょうか?」

「そうですね。せっかくここまで研究したことですし、集落で生産できるように改良を施してみます」

「ありがとうございます」

ナツメヤシ、小麦、ジャガイモ、ブドウに加え、カカオが俺たちの栽培目標に追加されたのだった。