解雇された宮廷錬金術師は辺境で大農園を作り上げる



ティーゼが洞窟に水源があったことを告げると、集落はかつてないほどの賑やかさに包まれた。

他の者に伝えようと飛び立ったり、その場で興奮の声をあげたり、不思議な踊りを披露して喜びを表現する者もいた。

最初にやってきた時は物静かな集落といったイメージだったので、活気に包まれた景色とのギャップに思わず驚いてしまった。

「新しい水源が見つかったこととレギナ様たちの歓迎を合わせて、ささやかながら宴を開きたいと思うのですがよろしいでしょうか?」

「宴は好きだから大歓迎よ」

「ぜひ、お願いします」

この集落には長い間滞在することになる。ティーゼ以外の住民との交流を深めるいい機会だ。

俺たちが頷くと、ティーゼは「ありがとうございます」と礼を言い、リードやインゴをはじめとする集落の者たちに指示をして宴の準備を始めた。

「手伝ってまいります」

「あたしも暇だし」

メルシアとレギナは準備を手伝うことにしたらしい。メルシアはこういう時にジッとしているのが性に合わず、レギナは単純に体力が有り余っているのだろう。

俺は自身の体力の身のほどというものを知っているのでお手伝いは辞退する。

それにこれからやることもあるしね。

「ティーゼさん」

「何でしょう?」

「錬金術で工房を作ろうと思うのですが、建てちゃいけない場所などありますか?」

「工房ですか? 私の家であれば部屋はたくさん余っていますが……」

「寝室などはお借りしたいのですが、錬金術で調合をする時には薬品を使う時もありますので専用の工房を用意する必要があるのです」

気合いを入れて調合や品種改良を施すにはきちんとした設備が必要になる。万が一の危険や匂いなどを考えると、きちんとした工房は別に作っておきたい。

そう説明すると、ティーゼは納得したように頷いてから口を開いた。

「でしたら、私の家の付近であれば自由に使ってくれて構いません」

「ありがとうございます」

許可を貰えたところで俺は一人でティーゼの家の前へ戻る。

族長だからだろう。ティーゼの家の付近にはあまり民家が密集していないみたいなので、俺はほどよく距離が離れた岩礁地帯に移動する。

「この辺りでいいかな」

せっかくの岩礁地帯だ。これを利用した工房にしてしまおう。

俺は錬金術を発動して、岩礁地帯の岩を掘削してくり抜いて工房を作った。

玄関を開けて中に入ると、長い洞窟のような廊下が広がり、そこから枝分かれしていくように部屋があり、素材の保管庫、作業部屋といったものがある。

奥に行くにつれて内部の部屋が広くなっていく仕様でティーゼの家の内装を参考にさせてもらった。

プルメニア村よりも内装や家具も簡素だが、寝泊まりについてはティーゼの家でお世話になるつもりなのでこれくらいでいい。そのお陰で、短時間で工房が出来上がったしね。

あとは内部が壊れないように錬金術で地面、壁、天井などを補強し、呼吸がしっかりできるように空気穴も作ると完成だ。

「うんうん、いいんじゃないかな? 秘密の工房って感じでちょっとワクワクするや」

微妙に薄暗く、どこか洞窟を連想させる工房が俺の心の琴線に響いた。

簡易拠点の際に使用した家具を設置していくと完璧だ。

工房作りが終わったので外に出て、集落の広間を確認してみると人が集まり、長テーブルやイスが並べられていた。外からは彩鳥族の男が狩ったと思われる砂漠の魔物が運び込まれており、何人かで解体しているところ。

まだ宴が始まるには早いようだ。かといって体力的に手伝う余力はない。

休憩しようとソファーに腰かけると、ふと自分の身体の臭いが気になった。

一日中、洞窟を調査していたせいかどこか汗臭い。

自分ですらそう感じるのだから、獣人たちはもっと強い汗臭さを感じるだろう。

「お風呂に入るか……」

水が貴重な場所でお風呂なんて贅沢のように思えるかもしれないが、俺は水魔法が使えるし魔道具だって使える。オアシスの水を使っているわけでもないし、自分で使うくらいいいだろう。

俺は錬金術を発動し、空き部屋に岩の湯船を作る。

そこに水と火の複合魔法を使い、湯船いっぱいにお湯を注いだ。

あっという間に浴場内が湯気に包まれる。

俺は纏っていた衣服を脱ぎ捨てると、速やかに身体を洗って湯船の中に飛び込んだ。

「ふうー、気持ちいい」

温かなお湯が全身を包み込む。

調査で歩き回り、むくんだ足の筋肉がゆっくりとほぐれていくようだ。

気温の高いラオス砂漠にいても、温かいお湯に浸かるというのは心地いいものなんだな。

ただ長時間浸かっているとやっぱり暑く感じるので、お湯の温度を下げて水風呂にすると、とても快適だった。

火照った身体から熱が奪われるのが気持ちいい。

とはいえ、あまり長時間浸かっていると風邪を引いてしまいそうだ。

ちょうどいいところで水風呂を切り上げると、タオルで水分を拭って予備の衣服とローブを纏った。

お風呂を堪能し終わる頃には、集落の広間も賑やかになっており、テーブルなどには料理が並び始めていた。

そろそろ向かっておくべきだろうと考えて玄関を開けると、そこにはメルシアとレギナがいた。

恐らく、ティーゼから話を聞いたか、匂いの残り香を辿ってここまで来たのだろう。

「呼びにきてくれたのかな?」

声をかけるとレギナがスンスンと鼻を鳴らして、俺の臭いを嗅いできた。

「いい匂いがするわね?」

皮肉のような言葉にメルシアのように視線を逸らすと、彼女はどこか羨ましそうな視線をジーッと向けてくる。

二人が求めていることは言うまでもないだろう。

「どうぞ。入ってください」





レギナとメルシアがお風呂に入ってサッパリしたところで、俺たちは宴の会場である広間にやってきた。

広間では多くの長テーブルが設置されている。その上には見たことのない砂漠料理が並んでおり、かぐわしい香りが俺たちの胃袋を刺激した。中には食べられるのかもわからない植物や不気味なものもあったが、それも異国の情緒があって実に興味がそそられる。

あちこちで(かがり)()が焚かれているのは、単純に薄暗くなってきたからだけというわけでもなく、寒暖差の激しい夜の気温に備えたものなのだろう。いつもなら少し肌寒い時間帯だが、篝火のお陰で温かい。

「さあ、こちらに座ってください」

ティーゼに手招きされて、俺たちはイスへと座った。

「今日、見つかった水源はライオネル陛下の命によってやってきた第一王女レギナ様、錬金術師のイサギさん、メイドのメルシアさんの活躍のお陰です。新たなる水源発見の感謝と、御三方の来訪を心から祝して乾杯!」

「「乾杯!」」

ティーゼが族長しての口上を述べると、広間に集った彩鳥族が応答するように声をあげた。

それが宴開催の合図らしく、そこからは各々が好きに目の前の食事に取り掛かり始めた。

俺たちもそれにならって食事に手をつけることにした。

テーブルの上には見たことのない料理が数多く並んでいる。

見たことがあるのはスコルピオの塩ゆでくらいなものだ。

「この緑色の分厚い葉っぱのようなものはなんでしょう?」

ドドンと目の前に置かれているだけあって、俺もそれが気になっていた。

「ウチワサボテンです」

「サボテンって砂漠に生えていたあのトゲトゲの奴よね?」

「はい。そうです」

驚くレギナの言葉にティーゼはこくりと頷いた。

遠目に生えているのを何度も目にしていたが食べられるんだな。

刺々(とげとげ)しい見た目から食べようとは思わなかったが、ここではご馳走の類に入るらしい。

表面に刺のようなものは一切なく、こんがりと焼かれている。

塩、胡椒、バターなどで炒められているのか、とてもいい香りだ。

ナイフで食べやすいように切り分けて食べてみる。

「美味しい!」

見た目はいかにも苦そうなものであったが、食べてみると口の中で強い酸味と甘みが広がった。

決して嫌な酸っぱさではなく、程よい酸味。たとえるならピクルスのような味だろうか。それに微かに粘り気のようなものがある。

「ほどよい甘みと酸味がいいですね」

「不思議な味! 意外と食べ応えがあって悪くないわね!」

メルシアとレギナもサボテンステーキを気に入ったようで、次々と切り分けてはパクパクと口に運んでいた。

このコリコリとした独特な食感が癖になるんだよな。

サボテンステーキを食べ終わると、次に気になったのがお皿に積み上げられた大きな肉たちだ。

香辛料で味付けがされているのか、どれもスパイシーな香りが漂っている。

「これは何の肉かしら?」

(すな)蜥蜴(とかげ)砂牛(すなうし)のお肉です」

どうやらその二種類の生き物がこの周辺で主に狩れる動物になるらしい。

まずは砂蜥蜴の脚肉を手に取ってみる。

縞模様の皮がついており、ちょっと見た目が生々しいが宴として出されている料理だ。臆することなく口にする。

(かじ)ってみると中のお肉は綺麗なピンク色で身はとても柔らかい。

「あっ、鶏肉みたいで美味しい」

塩、胡椒でしっかりと味付けされてり、あっさりとした砂蜥蜴の旨みとよく合う、

砂蜥蜴の肉を食べると、次は砂牛と呼ばれる赤身肉だ。

こちらは砂蜥蜴とは違い、数々の香辛料で味付けがされているようで、先ほどからスパイシーな香りを放っている。嗅いでいるだけで胃袋を刺激するようだ。

おずおずとフォークを伸ばして食べてみると、舌を刺すような辛みが口内を満たした。

「辛っ!」

「イサギさん、お水をどうぞ」

あまりの辛さに(むせ)ていると、ティーゼがサッと水の入ったコップを差し出してくれた。

遠慮なくコップを貰うと、俺は一気に水を飲みほした。

「ありがとうございます、ティーゼさん」

「いえ、礼を言うのはこちらです。イサギさんたちのお陰でこういった時に気軽に水を差し出せるようになったのですから」

そうか。北の山に水源が見つかるまでは、少し離れたところにあるオアシスが唯一の水源だったからな。できるだけ水を消費しないように節約に努めていたのだろう。

しかし、近くに第二の水源ができたこともあり、今までのように切り詰める必要がなくなった。

周囲にいる他の彩鳥族も実に楽しそうだ。飲んでいるのはエールやワインといった酒ではない。

ただの水だ。だけど、そのただの水を遠慮なく飲めるというのが嬉しいのだろう。

楽しそうにする彩鳥族を目にしながら俺はもう一度砂牛を食べる。

「大丈夫ですか?」

先程、辛さで咽たからだろう。ティーゼが心配の声をかけてくれる。

「もう大丈夫です」

刺すような辛みが口内を(じゅう)(りん)した後に強い旨みが溢れた。

力強い砂牛の肉の旨みと香辛料の味付けが非常に合っている。

辛い。だけど、もっと食べたいという気持ちが止まらない。

「これイケるわね!」

レギナは砂蜥蜴の肉よりもこっちが気に入ったようですごい勢いで食べている。

「私は砂蜥蜴の方が好みです」

反対にメルシアは砂蜥蜴の肉が気に入ったらしく、小さな口を動かして上品に食べていた。

二人とも食の好みがわかりやすい。

砂漠を横断してきたけど、俺たちがまだまだ遭遇していない生き物がたくさんいるんだな。

帝城にいれば、大抵の素材は集めることができたけど、実際に外に足を運んでみるとまだまだ知らない素材がたくさんある。世界には俺の知らないことばかりだ。

「次は豊かな食料で皆を笑顔にしてやりたいな」

「イサギ様ならきっとできます」

「そのためにも明日からまた頑張ろうか」

夜の厳しい寒さに耐えきれなくなるまで、その日の宴は続いたのだった。



イサギたちがラオス砂漠にて祝宴を上げている頃。

帝国では獣王国へ進軍するための準備が着々と進められていた。

侵略するにはとにかく物資がいる。

その物資を効率良く運ぶ役目を持っているのはマジックバッグだった。

なにせ一切の手荷物になることなく、見た目以上の物を詰め込むことができる便利なバッグだ。

荷物が少なくなれば兵士の負担は軽くなり、重量が減れば馬の疲弊も軽減することができる。

結果として兵士たちの進軍速度も上がるというわけだ。

そのため錬金術師課統括長であるガリウスは宮廷錬金術師たちの作ったマジックバッグの進捗の確認に向かっていた。

「ガリウス様! お疲れ様です!」

ガリウスが錬金術師の作業室に入ると、宮廷錬金術師たちが作業の手を止めて一斉に頭を下げた。

「そういうのはいい。で、マジックバッグの生産状況はどうだ?」

「こちらになります」

ガリウスの問いかけに眼鏡をかけた金髪の宮廷錬金術師長が歩み寄り、成果物となるマジックバッグを積んでいるテーブルに案内した。

「おい、どうなっている? マジックバッグの数がまったく足りていないぞ? 俺が作れと指示をした数は二百だ。これではその半分にも達していないではないか」

テーブルの上に載せられたマジックバッグの数は三十ほど。宮廷錬金術師が総動員で取り掛かった結果がそれである。

「申し訳ありません。なにぶん、軍用魔道具の生産に時間を取られており作業時間が確保できないもので」

「何を言っているのだ? 前回の侵略では私の要求したノルマを揃えてみせたではないか! 私をからかっているのか!?」

「あれはイサギが一人で作ったものです」

ガリウスがドンッとテーブルに拳を打ち付ける中、錬金術師長はきっぱりと告げた。

「バカを言うな。たった一人で作れるわけがないだろう」

「本人によるとポーションを使用し、一週間睡眠を摂ることなく作ったそうです」

「だったらお前たちもそれをしろ。イサギ程度でできるのであれば、お前たちなら余裕でできるだろう?」

「無理です。私たちには不眠不休でいられるポーションの作り方なんて知りませんから」

仮に作れたとしてもここにいる錬金術師たちはやらないだろう。不眠でいられるポーションを服用したとしてもそれは身体を誤魔化しているだけに過ぎない。それだけ身体を酷使したツケは後になって必ず本人に返ってくる。いくら宮廷錬金術師といえ、そこまで準ずる覚悟の者はいなかった。

「だったら睡眠時間を削って生産数を増やせ!」

「仮に私たちの仕事時間を増やしたとしても課せられた数を増やすのは物理的に無理ですよ」

「なぜだ?」

「マジックバッグは錬金術による高度な空間拡張によって出来上がり、一つ作成するだけでとんでもない魔力が必要になるので大量に作ることが無理なんです」

「イサギは一人でやってみせたではないか? なぜ貴様たちが束になってもできない?」

「……あいつは卑しい平民ですが魔力量が多く、さらに魔力回復速度もずば抜けていました。本当にムカつくことですが、私たちが束になっても奴の魔力総量には敵いません」

ガリウスの問いかけに錬金術師長は深いため息を吐きながら真実を吐露した。

イサギ、イサギ、イサギ……どこに行っても奴のせいで綻びが出る。

解雇してやったというのに、その名前を耳にしない日はなくガリウスの心は日に日に荒んでいくばかりだ。あいつの名前を聞くだけで心がざわついて不愉快な気持ちになる。

「ガリウス様が連れてきた錬金術師たちも軍用魔道具しか作ることができませんし、以前のような生産数は無理です。生産数を下げることを提案いたします」

「黙れ! これはウェイス王子の命令なのだ! これは絶対に変えることはできない! 用意できなければお前たちの首はないものと思え!」

本当のところは追い詰められたガリウスがウェイスに対して安請け合いしたに過ぎないのだが、ここにいるガリウス以外の者がそれを確かめる術はない。

「……はい」

ウェイス王子の命令と言われてしまえば、いくら貴族である宮廷錬金術師たちといえど断ることはできない。

首を横に振ってしまえば、自身の職だけでなく実家にまで影響が出る恐れがあるからだ。

「三日後にまた様子を見にくる。必ず生産数を上げておけ」

こくりと頷く錬金術師長を確認したガリウスは(いら)()たしげに扉を開けて、作業室を出ていった。

「錬金術師長、どうします?」

「あんなこと言われましたけど無理ですよね?」

完全にガリウスの気配がなくなったところで、宮廷錬金術師たちは集まり口々に不安を吐露する。

「……マジックバッグの容量を減らせばいい」

「え? でも、そんなことしていいんですか!?」

「俺たちが命令されたのは規定数のマジックバッグを作ること。収納容量まで具体的に指示されてはいない。そうだろう?」

錬金術師長の言葉に誰も反論する者はいなかった。

そうでなければ、指示された数を生産することなど物理的に無理な話なのだから。



翌日。俺たちは再び洞窟にある湖にやってきた。

彩鳥族の集落で農業をするためには、ここにある水を引っ張ってくるのが必須だ。

そのために水を集落まで引っ張る必要があるのである。

湖が平地であるなら多大な労力がかかるのだが、ここにはかなりの傾斜がある。

錬金術で地面を掘削してやれば、掘削された地面へ湖の水が流れ込んでくれるはず。

俺は地面に手をついて錬金術を発動する。

物質操作は錬金術の得意分野だ。とくに砂や土、金属などは物質の特性も素直なので楽だ。

魔力によって土が掘削されて、ドンドンと深い穴ができる。

それと同時に湖に溜まっていた水が、掘削された穴へと流れ込んできた。

しっかりと水が流れ込んでくれることを確認すると、湖から流れ込んでくる水を錬金術でせき止める。そうしないと湖から水道にずっと水が流れ続けることになるからだ。

掘削作業よりも流れ込む水の量が多くなってしまうと万が一のことがあるかもしれない。

足元が濡れて見えなくなるよりも、この方がよっぽど快適で安全なのでいいだろう。

後は掘削をひたすらに繰り返すだけだ。

「すごい勢いで進んでいるのはわかるけど地味ね」

「錬金術なんてものは地味な作業や試行錯誤ばかりだからね」

錬金術を発動して、瞬時に武具を作ったり、ポーションを作ったりするのが一般的なイメージかもしれないが、それらは入念な準備と裏打ちされた経験があってこそだ。どれだけ派手に見えたとしても、錬金術師の技なんて地味な作業の積み重ねでしかない。

「そんな風に掘って、洞窟が崩れたりしないものなのでしょうか?」

「崩れないように調整してやっているからその心配もないよ」

「そうでしたか。ならば安心です」

洞窟にある湖から集落まで無軌道に掘削してしまえば、地盤が崩落してしまう可能性が高い。

そうならないように事前に錬金術で岩盤の硬度などを調査し、適切なルートを計算しているのでティーゼの心配しているような事態にはならない。

さらに掘削するだけでなく、土や石を圧縮して硬度を増幅させているのでちょっとやそっとの災害ではビクともしないだろう。

「俺は作業に集中するから周囲の警戒は任せるよ」

キングスパイダーを討伐したとはいえ、洞窟の中にはたくさんの魔物がいる。

掘削作業中に襲われてしまっては困るので魔物への対処は任せることにした。

「そのために付いてきたんだしね」

「イサギさんのお手を止めることのないように尽力いたします」

レギナがこくりと頷き、ティーゼから期待に満ちた眼差しが向けられる。

俺の作業の進み次第で集落に水が届くであろう日数が変わるのだ。気合いの入りは一番だった。

やや重い期待の視線から逃げるように俺はメルシアに顔を向けた。

「それじゃあ、メルシアは付いてきて」

「はい」

事前にルートを計算しているとはいえ、掘削した穴の中は暗い上に何があるかわからない。

掘った先に魔物の巣があるなんてこともあり得るので、メルシアにも付いてきてもらうことにした。

掘削した穴に入り込むと、遅れてメルシアがサッと降りてくる。

メルシアは音もなく着地をすると、光魔道具を掲げて掘削した穴、もとい水道内を照らしてくれた。

「じゃあ、進んでいくよ」

メルシアが頷くのを確認し、俺は錬金術で掘削して水道を掘り続けることにした。





錬金術で土を掘り進めていく。真下ではなく斜面に沿うように斜め下へ。

事前に地図に記したデータを元に掘り進める。

何時間、掘り進めたことだろう。僅かな光源だけを頼りに進んでいると、時間間隔がわからなくなってくる。

「掘り進めてから何時間くらい経った?」

「六時間ほどになります」

振り返って尋ねると、メルシアから冷静な返答がきた。

「……山の麓近くまで掘り進めているわけだし順調だね」

錬金術で地質を調査すると、それくらいの位置まで掘り進めていることがわかった。

「痛っ」

身体をほぐそうと伸びをしていると、不意に頭痛が走った。

魔力欠乏症による初期症状だ。より魔力を消耗して、症状が進むと倦怠感、頭痛などが酷くなり、眩暈(めまい)や吐き気なんかもプラスされる。

魔力量には自信がある方だけど、六時間ぶっ続けで掘削をし、周囲の土を圧縮して硬化するのは魔力の消費が大きいな。

「イサギ様、大丈夫ですか?」

後ろから前を照らしてくれているメルシアが心配げな声をあげる。

「大丈夫。ちょっと魔力が減ってきただけだから。ポーションを飲めば回復するよ」

そう言ってマジックバッグから魔力回復ポーションを取り出した。

真っ青な液体を飲むと爽やかな甘みが口内に広がり、身体の内側にある魔力がじんわりと回復していくのが感じられた。

「よし、これでいける」

さっきのようなハイペースは無理だが、これだけ魔力が回復すれば掘り進めることができる。

「イサギ様、作業を中断いたしましょう」

作業を再開しようとした俺だが、メルシアに止められた。

「ええ? 魔力も回復したから問題ないよ?」

「もう三度目ですよ? こんな方法を続けていれば、イサギ様の身体が持ちません」

「でも――」

「でもじゃありません。イサギ様のお体の方が大事ですので」

なおも作業を続けようとした俺だが、かなり真剣な顔をしているメルシアに言われて中断することにした。

これは本気で怒っている時のメルシアだ。

帝城で何度も徹夜をしていた時もこんな風に怒られたっけ。

思えば、今すぐに集落に水を引かないと誰かが死ぬというわけでもない。

メルシアの言う通り、俺がそこまで身を削る必要はなかった。

「わかった。少し休憩して元気になったら作業を再開することにするよ。それで魔力が少なくなったら今日の作業は終わりにする」

「……それならよろしいかと」

俺の言い分に満足したのか、メルシアは表情を緩めた。

俺がその場で腰を下ろすと、メルシアもゆっくりと隣に腰を下ろした。

「イサギ様、魔道具の魔石交換をお願いできますか?」

言われて視線を向けると、彼女が手にしている魔道具の灯りが弱まっていた。

どうやら中にある光魔石の魔力が少なくなってきているようだ。

「待ってて。今、光魔石を取り出すから――」

マジックバッグに手を入れたところで、急に周囲が暗くなった。

「わっ、暗くなった」

「……申し訳ありません。もっと早くお声がけするべきでした」

「いや、メルシアは悪くないよ。夢中になっていた俺が悪いだけだし」

メルシアは集中している俺に気を遣ってくれただけだ。彼女は悪くない。

「にしても、本当に真っ暗だ」

「私はイサギ様の姿がよく見えますけどね」

「こんな闇でも視界がハッキリ見えるってすごいや」

自分一人だと確実にパニックになっていただろうな。メルシアに付いてきてもらって本当に良かった。闇の中でも平気で動ける仲間がいるだけで随分と心強い。

「とりあえず、光魔石を交換するよ」

マジックバッグから光魔石を取り出し、動力の切れてしまった魔道具へと手を伸ばした。

「ふにゃっ!?」

「あれ? なんか取っ手が柔らかい……っ?」

俺の作ったランタンの取っ手にしてはえらく柔らかい。上質な絹のような手触りだ。

なんだこれ。ずっと触っていたいくらいに手触りがいい。

「い、イサギ様、それは魔道具ではなく、私の尻尾です……ッ!」

あまりの手触りのよさに夢中になって触っていると、メルシアからそのような申告が上がった。

どうやら俺は魔道具と間違えて、メルシアの尻尾を握っていたらしい。

「えっ? ああっ! ごめん!」

慌てて手を離す頃には暗闇に少し目が慣れてきたのか、魔道具らしいシルエットがぼんやりと見えた。

自分で作った魔道具だけあって、俺は暗闇の中でもスムーズに光魔石を交換。

魔石が交換されて強い光が放射されると、腰を抜かした様子のメルシアがいた。

普段のクールな表情とは一転し、頬を赤く染めて荒い呼吸をしている。

暗闇の中でメルシアが色っぽい表情をしているせいか、いけないことをしてしまった気分。

なんだか知らないけど、猛烈に謝るべきだという気持ちが湧いてきた。

「あの、本当にごめん。暗くて何も見えなくて……」

「……イサギ様に悪気がないのはわかっています。でも――」

「でも?」

「そういうのはまだダメです……」

「は、はい……」

獣人の女性の尻尾を男が触るってどのような意味があるんだろう。

そんなことを今正面から尋ねるわけにはいかない。

俺はそれ以上の追及は控えることにした。


そのようなアクシデントがありつつも、掘削作業を続けること三日。

俺たちは北の山の洞窟にある湖から彩鳥族の集落へと水を引くことに成功した。



集落に水を引くことができた翌朝。俺たちはティーゼの家に集まっていた。

「集落に水を引くことができたけど、次はどうするの?」

朝食を食べ終わるなりレギナが尋ねてきた。

「砂漠の素材採取だね!」

「砂漠にある素材とは具体的に何を示すのでしょう?」

「何でもですよ。植物、動物、魔物……あらゆる生物から素材を集めるんです」

農業の基盤となる水源の確保ができた以上、あとは土壌と育てるべき作物の品種改良を行うのみだ。

通常なら土を耕して作物を植えるところだが、それでは育たないのがラオス砂漠という過酷な環境。この環境に適した改良を施してやらないといけない。そのためにはこの砂漠にある素材が必要だった。

「わかったわ。なら、砂漠へ向かいましょう!」

これからの方針が決まったところで俺たちは準備を進めることにした。

砂漠まではティーゼがバスケットで運んでくれるとのことなので、俺たちはバスケットに乗り込んで移動をする。

ティーゼの家の前から出発し、そのまま集落を超えて、ラオス砂漠へ。

集落の周りは岩礁地帯だったが、小一時間もしないうちの周囲の景色は砂漠へと変わった。

「この辺りから歩いて調査しよう」

そのように言うと、ティーゼはこくりと頷いてバスケットを地上へと下ろしてくれた。

メルシアがロープを解くと、バスケットをマジックバッグへと収納した。

「おっ、サボテンだ!」

ふと視線を向けると、目の前には大きなサボテンが直立していた。

俺はサボテンに近づくと、ピンセットを用意して生えている棘のひとつひとつを丁寧に採取していく。

針の採取が終わると、枝分かれした果肉にナイフを差し込んで切り落とす。これも採取だ。

「こちらのサボテンは食べられるのでしょうか?」

「一応食べられますが、ウチワサボテンほど美味しくはありません。苦いが強いので」

後ろでは首を傾げるメルシアにティーゼが答えている。

どうやらサボテンだからといって何でも食べられるわけではないようだ。種類によって味の良し悪しがあるらしい。

「素材採取って本当に何でもいいのね」

サボテンの素材を夢中になって採取していると、レギナがちょっと呆れた顔で言う。

砂漠の素材採取にきたのに、いきなりありふれたサボテンを採取しているものだから気が抜けたのだろう。

気持ちはわかるが、レギナは俺の品種改良にとってどれだけ現地での素材採取が重要かわかっていないようだ。

「サボテンだって貴重なサンプルなんだよ?」

「どうして? 砂漠ならどこにでも生えているものじゃないの?」

「極度に雨量が少なく、乾燥しており、寒暖差の激しいラオス砂漠。こんな厳しい場所でどこにでも生えているっていうことが実はすごいことなんだよ?」

「確かに! 通常の植物であれば、この灼熱のような気温で枯れ果てているところです!」

俺の言っていることの意味がわかったのか、ティーゼがハッとした顔になって言った。

「えっと、つまりどういうこと?」

ティーゼはすぐに理解したが、レギナはまだちょっと理解が及んでいないようだ。

「このサボテンはここで生き抜くための何かしらの性質を宿しているんだ。そうでないとここでは生き抜くことができないからね。寒暖差に強かったり、少ない水を長期間貯蓄する術を持っていたり。それらの性質はここで農業をする作物の糧になると思うんだ」

「……なるほど。イサギの言っている意味がようやくわかったわ。確かに言われると、このサボテンっていう植物はすごいわね」

細かく説明すると、レギナはようやくサボテンという素材がどれほど有益かを理解できたようだ。

レギナの目つきが真剣なものになる。

通常の植物であれば、ラオス砂漠では生き抜くことはまずできない。しかし、サボテンはこのような環境でも絶滅することなく、ありふれた植物として根付き、生存している。

それがどれだけすごいことか。

当然、それはサボテンだけでなく、他に棲息しているスコルピオ、スパイダーといった魔物も同じことだ。

彼らはこの厳しい環境に適応することによって生き抜いている。

それらの因子はここで育てるための品種改良にきっと役立つ。俺はそう(にら)んでいた。

だからこそこの砂漠ある素材はできるだけ採取しておきたい。

「だったら、あっちにあるサボテンも採取しましょう!」

レギナが駆け出した先には、真っ赤な体表をしたサボテンが生えている。

こちらにあるサボテンとは色も形も違うので、まったく違う種類のものだとわかった。

が、錬金術師としての眼力で素材の構成を読み取っていくと、そのサボテンが危険であることがわかった。

「レギナ様、危険です!」

ティーゼが警告の声をあげた。

それによりレギナは足を止めるが、既に赤サボテンの攻撃範囲に入っていたらしい。

赤サボテンは身を震わせると、その身に生やしている棘を全方位に射出させた。

赤サボテンの特性を読み取っていた俺は、即座に錬金術を発動して周囲にある砂を操作。

赤サボテンを覆ってやると、射出された刺はすべて砂に吸収された。

やがて錬金術を解除すると砂と共に針も地面に落ちた。

「ビックリしたー。近づくだけで無差別に棘を撒き散らすだなんて」

などと呑気に呟くレギナは俺たちよりも遥かに後方にいた。

どうやら赤サボテンが棘を射出するまでの一瞬で、あそこまで退くことができたようだ。

恐ろしい反射神経と身体能力だ。

「気を付けてください。肝が冷えます」

「ごめんごめん。ちょっと採取することに意識がいき過ぎちゃったわ」

たははと苦笑するレギナを見て、ティーゼがしょうがないとばかりにため息を吐いた。

「にしても、おっかないサボテンだ」

「そちらは炸裂ニードルといいまして外敵が近寄ってくると、棘を無差別に撒き散らす習性があるんです」

「また近づいたら棘を発射してくるのでしょうか?」

「いえ、棘が生えてくる小一時間くらいは無防備になります」

メルシアが尋ねると、ティーゼが首を横に振った。

「なら今のうちに採取しちゃおうか」

一度、棘を放出すると無害になるのであれば恐れる必要はない。

俺たちは遠慮なく炸裂ニードルに近づいて、先ほどのサボテンと同じように素材を採取した。

炸裂ニードルを採取すると、周囲に採取する素材がなくなったので俺たちは素材を求めて歩いていく。

しかし、辺り一面は砂景色のみで生き物らしい姿はまるで見つからない。

「……生物がいないわね」

「だだっ広い砂漠ですから」

これだけ広大な砂漠なんだ。集落からちょっと移動したところに魔物がわんさかいるはずもないだろう。

「私が上空から索敵してみます」

ゴーレム馬にでも乗って採取する場所を変えようかなと思っていたところで、ティーゼが空に飛び上がった。

洞窟内は狭かったが故に大広間以外ではほぼ飛ぶことはなかったが、空間に制限のない砂漠であればティーゼは思う存分に翼を活かせる。

宙に上がったティーゼは円を描くように旋回(せんかい)

しばらく、周囲を索敵していたティーゼが下降してきながら言う。

「七百メートル先にある砂丘を越えたところにデザートウルフの群れがいます」

俺たちの位置からは砂丘の傾斜によって何も見えないが、上空からはデザートウルフと呼ばれる魔物が目視できたらしい。

「行きましょう! 倒してデザートウルフの素材を手に入れるのよ!」

などとそれらしいことを言っているレギナだが、ただ身体を動かしたいだけというのは明白だった。

わかりやすいレギナに苦笑しながらも俺たちはティーゼに先導してもらって前に進むことに。

小高い砂丘を登った先はちょっとした岩場となっており、砂に同化するかのような黄土色の分厚い毛皮を纏ったオオカミたちが寝転んでいた。

数は十体。岩にできた影によって猛暑を凌いでいるようだ。

砂漠に順応しているように見える魔物でも暑いものは暑いらしい。

「こちらにはまだ気付いていないようですね」

メルシアが僅かに顔を出しながら呟く。

砂丘がちょうどいい具合に俺たちの姿を隠しており、風が吹いていないお陰で匂いも流れていないからだろう。

風が吹き、こちらが風下になってしまえば瞬時にバレる可能性がある。

「俺が砂を操ってデザートウルフを拘束するよ」

優位が台無しにならない今のうちに仕掛けるべき。

瞬時に判断した俺は錬金術を発動して、デザートウルフたちを拘束した。

砂丘から宙に舞い上がったティーゼが極彩色の羽根の雨を降らせる。

異常事態を察知したデザートウルフたちは砂から抜け出そうとするが、魔力によって圧縮された砂の塊に拘束は容易に抜け出すことはできず、半数以上が羽根を生やして沈んだ。

残りの三体は運良く砂の拘束を逃れたものや、岩が(しゃ)(へい)になって難を逃れることができたものだ。

三体のデザートウルフは分厚い毛皮をなびかせながら猛スピードで砂丘を駆け上がってくる。

レギナとメルシアは砂丘を駆け下りて交錯したかと思うと、三体のデザートウルフが血を流して倒れた。

「周囲に魔物の気配はありません」

空から周囲を見渡しながらのティーゼの言葉。

「討伐完了だね」

「さすがはイサギ様です」

「イサギの錬金術ってつくづく反則ね」

「大抵の相手に先手を取ることができますからね。私のように空を飛ぶことができれば別ですが……」

「周囲にある砂が錬金術で容易に操作できるからね。砂漠じゃなかったら、こんなに自由に動かすことはできないよ」

さらさらとした細かい砂の粒だからこそ、このように流動性がある操作ができるのだ。

プルメニア村のような粘着質のある土壌では、自由自在とはいかないだろう。

他にデザートウルフが隠れていないことを確かめると、俺は意気揚々と素材の確認をする。

「なるほど。この長い体毛で身体が砂に入るのを防ぎ、体温を調節しているのか……」

ウルフの魔物にしてはやけに体毛が長いと思っていたが、そのような役割があるようだ。

やっぱり過酷な砂漠を生き抜いているだけって、ここに棲息している魔物はいいいサンプルになる。

毛皮の特性を確かめると、俺はデザートウルフたちをマジックバッグへ収納した。

振り返るとメルシアが岩場を覗いている。

「何か見つけたのかい? メルシア?」

「苺らしきものを見つけました」

近寄ってみると岩の傍に植物が生えており、苺のようなものが自生している。

「砂漠苺です。美味しそうな見た目をしていますが毒を持っています」

遅れてティーゼがやってきて言う。

確かに構成を読み取ってみると、強い毒が含まれているようだ。

俺は砂漠苺を摘み取ると、そのままひょいと口に入れる。

そんな俺の姿を見て、レギナとティーゼがギョッとする。

「何してるんですか!?」

「ちょっ! ティーゼが毒って言ってたのに聞いてなかったの!?」

「大丈夫! 錬金術で毒は抜いてるから!」

二人が吐かせようとしてくるので俺は慌てて説明する。

口に入れる前に錬金術で砂漠苺に干渉し、内部にある毒素だけを抽出した。

毒素がなくなれば、ただの苺も同然だ。

「それならそうと早く言ってよ」

「ごめん。つい癖で」

「イサギ様、砂漠苺のお味はいかがです?」

二人とは違い、メルシアはこんな光景にも慣れているのか特に慌てたりする様子はない。

冷静に味の感想を尋ねている。

「すごく美味しいね。厳しい環境で育っただけあって栄養を蓄える術を持っているんだろうね」

「私も一つ頂いてもよろしいでしょうか?」

「いいよ」

錬金術で毒素を抜いた砂漠苺を渡すと、メルシアは小さな口を開けて頬張った。

「美味しいです。砂漠苺の濃厚な甘さと強い酸味がとてもいいです」

砂漠苺を食べて頬を緩ませるメルシア。

そんな彼女の様子を見て、レギナとティーゼがごくりと喉を鳴らした。

「……本当に毒は抜けているのよね?」

「抜けてるよ。仮に残っていたとしても、この程度なら既存の解毒ポーションで解毒できるよ」

猛毒や複合毒であれば、既存のポーションでは対応できないが幸いにして砂漠苺は弱毒性だしね。

「じゃあ、少し貰ってもいい?」

「……私もお願いします」

丁寧に説明すると、レギナとティーゼがおずおずと手の平を差し出してきた。

手の平に砂漠苺を載せると、二人は顔を見合わせてからおっかなビックリと言った様子で口にした。

「美味しい!」

「まさか砂漠苺がこんなに美味しいなんて……」

砂漠苺の美味しさに驚きの表情を浮かべる二人。

「ですが、イサギさんがいないと食べることはできないんですよね……」

砂漠では甘味は貴重だ。ティーゼが残念に思う気持ちもわかる。

「俺が集落にいる間は解毒してあげますので採取したら持ってきてください」

「ありがとうございます! 集落の皆のためにたくさん摘んでいかないと!」

ティーゼが嬉しそうに笑って、自生している砂漠苺を採取する。

自分が食べるためでなく、集落の皆に食べさせてあげたいと思うところが彼女らしいと思った。



素材を採取しながら砂漠を移動していると遠目に緑地らしきものが見えてきた。

「小さいオアシスね」

「本当だ」

ティーゼの集落の傍にあるものに比べると、かなり小さいがしっかりと綺麗な水が溜まっている。

周囲には草木の他に木々が生えている。

「随分と背丈の高い木だね?」

特に気になったのは生えている木々の中で、ひと際高い背をしている木だ。

樹高二十メートルくらいあり、たくさんの羽根状の葉と楕円形の黄色い実をぶら下げている。

「ナツメヤシという木ですね。ぶら下がっている木の実はデーツといいます」

ナツメヤシを見上げながらティーゼが詳しく教えてくれる。

このデーツとやらは、そのまま食べてもよし、乾燥させて保存食にしてよし、酒、シロップ、食酢などに加工してもよしという万能の調味食材でもあり、この砂漠で安全に手に入れられる貴重な甘味であるらしい。

「へー、それだけ便利なら農業ができた際は積極的に育ててもいいかもしれないね」

元からラオス砂漠で自生している木だけあって、乾燥した空気や暑さには耐性があるのだろう。

使い道も多く、保存食にもなるために増やして損になる食材ではなさそうだ。

「ぜひ、そうして頂けますと嬉しいです!」

「とはいっても、品種改良が上手くいけばですけど……」

ナツメヤシであれば、そのまま植えても育ってくれそうだが品種改良が上手くいく保障はない。

そのために今は少しでもサンプルになりそうな素材を集めるとしよう。

「申し訳ありませんが採取を手伝ってもらってもいいですか? 普段、この辺りまでは足を運ぶことは少ないもので……」

「そうなの? ティーゼの翼があれば、集落からそこまで遠いってわけでもないと思うけど?」

空を飛ぶことのできる彩鳥族であれば、それほど時間もかからないだろうし、滅多に足を運ばないという言葉が少し不思議だった。

「この辺りは赤牛族の縄張りとの境界線になります。無用な(いさか)いを起こさないために、ここ最近は近寄らないようにしているのです」

「そういうわけだから、ずっと近寄らないでくれたらよかったんだがなぁー」

ティーゼの言葉に納得して頷こうとすると、突如として知らない男性の声が響いた。

声のする方へ振り返ると、そこには巨大なトマホークを手にした男が立っていた。

砂漠の魔物の革を利用した野性味のあるジャケットを羽織っている。

驚くべきは二メートル近くを誇る大きな体躯と、頭頂部から生えた牛のような角だろう。

後ろにいる同じような格好をした男たちも同様に牛のような角が生えている。

「キーガスですか……」

「よお、ティーゼ」

気安い男の口調にも驚いたが、それよりも驚いたのは誰に対しても丁寧な口調をしているティーゼが敬称を付けなかったことだ。男性を見る目もどこか嫌そうである。

「……誰?」

「彼はキーガス。赤牛族の族長です」

レギナの質問にティーゼがきっぱりと答えた。

どうやら彼らがラオス砂漠に住むもう一つの氏族。赤牛族のようだ。

ジャケットや革鎧などに赤の模様こそ入っているが、身体的特徴に赤い部分はない。

一体どういう特徴があって赤牛族という種族名が付いているのやら。

「何をしにきたのですか?」

「見ての通り、狩りが終わったからオアシスで休憩をしようと思ってな」

「でしたらそっちの方で休んでいてください」

ティーゼがきっぱりとキーガスとの距離を置く。

食料などの資源を巡り合って、何度も争いを起こしていることもあり、顔を合わせたくもないだろう。

「そうしたいところだが、今日はえらく珍しい仲間を引き連れているから気になってよ」

キーガスの視線が俺たちの方へと向く。

彩鳥族と赤牛族しかいないとされる砂漠に、まったく別の種族の獣人と人間族がいれば気になるのも当然か。

「まさか他所の種族と手を組んで資源を独り占めしようなんてことは考えてねえよな?」

「そんなことは考えていません」

「じゃあ、こんなところで何をコソコソしてやがる?」

「あたしたちが何しにやってきたのか気になっているようね!」

ティーゼとキーガスが睨み合う中、レギナが堂々と前に出る。

「……ライオネルの娘か」

「レギナよ。覚えておきなさい」

「で、何をしにきたっていうんだ?」

「イサギ、説明をお願い」

ええっ!? そこまで堂々と言っておきながら詳しい説明は俺任せなの!? 

まあ、レギナはこういった事情を纏めて話すのは苦手そうだし、別にいいんだけど……。

「錬金術師のイサギと申します。レギナ様に代わって、俺たちがここにやってきたワケを説明します」

俺は前に出ると、()(ろん)な視線を向けてくるキーガスに説明する。

ライオネルに頼まれ、資源争いをなくすために食料事情を改善しにきたことを。

「この砂漠に農園を作るだと?」

「はい」

こくりと頷いた瞬間、キーガスだけでなく後ろにいる男たちから嘲笑があがった。

「乾いた空気、降らない雨、日中は灼熱の空気が渦巻き、夜には凍てつく風が吹きすさぶ……こんな大地でできるわけねえだろ?」

砂漠で農業をするのが過酷なのはわかっている。

けど、こうも真正面から言われると、ちょっとだけイラついてしまう。

だけど、言い返すことはできない。なぜならばまだ実際に砂漠で育つ作物を作ったわけではないからだ。なんの確証もない中でできるなんて無責任なことは言えない。

キーガスのもっともな指摘に言い返すこともできずにいると、後ろから大きな声があがった。

「できます! イサギ様であれば……ッ!」

「そうよ。イサギは父さんが認めた錬金術師なのよ? できるに決まってるじゃない!」

だけど、確証もない中、胸を張って言い張るメルシアとレギナがいた。

「はぁ? 暑さで頭が狂っちまってんのか? ……おい、ティーゼ。お前は別に信じてねえんだろ? 王族の命令だから仕方なく道楽に付き合ってるんだよな?」

「私は信じておりますよ。イサギさんであればこの砂漠であっても作物を育てることが可能だと」

「はぁ? お前までそんなことができるって思ってるのかよ? 信じられねえぜ」

ティーゼの揺るがぬ様子にキーガスは面白くなさそうな顔になる。

「でしたら結果で示してみせます。ラオス砂漠でも作物を育てるのが可能だということを」

キーガスと俺は初対面だ。俺が錬金術でどのようなことができるかも人柄もわからない。

だとしたら結果で示すしかない。

メルシア、レギナ、ティーゼが信じてくれているんだ。本人である俺が弱気でどうする。

確証がないなんて情けないことは言っていられない。

皆の生活を豊かにするためにやるんだ。

ライオネルに頼まれて長旅の果てにここにやってきたが、ようやく真の意味で覚悟が決まった気がする。

「ほお、面白いじゃねえか。そこまで言うならやってみろよ。まあ、無理だとは思うがな」

キーガスはニヤリと笑うと、くるりと背を向けて歩き出した。

それに続く形で他の赤牛族の男たちも付いていく。

「何よ、人のやろうとしていることをバカにしてムカつく奴等ね」

「イサギ様が品種改良に成功した暁には、彼らは私たちに泣きつく羽目になるのですから問題ありません」

キーガスたちの後ろ姿を見ながらレギナとメルシアが言った。

傍目にはメルシアの方が冷静なようには見えるが、付き合いの長い俺には彼女の腸が煮えくり返るほどの怒りを抱いていることがわかった。

俺もキーガスの物言いには多少イラっときたが、俺以上に怒ってくれている人がいると落ち着くものだ。

「まずはそのためにも成果を出さないとね」

「ええ。この先に色々な魔物が棲息している場所があるので案内しますね」

「お願いします」

オアシスで休憩を挟むと、俺たちは引き続きサンプルとなる砂漠素材を集め続けることにした。



砂漠素材をたくさん採取してきた俺たちは、集落にある工房へと戻ってきた。

目の前のテーブルにはウチワサボテン、爆裂ニードル、デザートウルフ、砂漠苺、ナツメヤシ、デーツ、砂牛、()(ばく)(ばった)、ガゼル、砂蛙、砂蜥蜴、ジャッカロといったラオス砂漠に生息する動植物、魔物の素材が並べられていた。

「結構な数の素材が集まりましたね」

「うん。後はこれらをひらすら解析して品種改良を試していくだけさ。まあ、それが気の遠い話なんだけどね」

「あたしたちに手伝えることはある?」

メルシアと俺は顔を見合わせて苦笑していると、レギナが尋ねてくる。

ここからの作業は錬金術によるものがほとんどだ。素材の下処理なども含めて、助手は一人で十分なのでレギナとティーゼがこの場で手伝える作業はない。しかし、二人にやってほしいことがないわけではなかった。

「レギナとティーゼには続けて砂漠の素材を集めてほしいかな。ここにあるのが砂漠の素材のすべてってわけじゃないだろうし」

それなりの数の素材が集まっているが、ここにある素材だけでは品種改良をするのに足りない可能性もある。他にも素材があるのであれば、是非ともかき集めてきてもらいたい。

「わかりました。でしたら、私たちは引き続き素材を集めてきます」

そう頼むと、ティーゼとレギナはこくりと頷いて工房を出ていった。

今からもう一度砂漠に赴いて素材を採取してくれるようだ。

「イサギ様、こちらで育てる作物に目星はつけておりますか?」

「うん。ひとまずナツメヤシ、小麦、ブドウ、ジャガイモを栽培してみたいと思う」

本当ならばトマト、キュウリ、キャベツ、ナスといった野菜なんかも栽培してみたいが、元々自生している地域が違うためにラオス砂漠の気候に耐えることができない。

「ナツメヤシ、ジャガイモは理解できるのですが、小麦にブドウですか?」

「実は小麦とブドウのどちらも乾燥、暑さや寒さに強い食べ物なんだよね。小麦が栽培できれば主食の一つになるし、ブドウは乾燥させれば干しブドウにできるし、ワインだって作れる」

品種改良を施すのであれば、ナツメヤシのような既に砂漠で生息できている植物に調整を加えるか、ラオス砂漠の環境に強い作物を改良してやる方がいいだろう。そう考えての選定だった。

とはいえ、すべてが環境に適しているわけではないので改良は必須だ。ブドウなんかは水はけの良さが必要になるし、その辺りはきちんと調整する必要があるだろう。

あと個人的な事情を加えるとすれば、それらの食材が一番扱い慣れているからだったりする。

小麦とジャガイモは救荒作物的なところがあるので一番研究していたし、ブドウはとびっきり美味しいものをメルシアにプレゼントするために鬼のように研究したからね。扱い慣れたものであれば、新しい環境にも適合させやすいと思った。

「理解いたしました」

事情を説明すると、メルシアは納得したように頷いた。

「では、素材の下処理をしていきます」

「お願いするよ」

メルシアがウチワサボテンや炸裂ニードルを手にすると、タワシで擦って棘を回収しはじめた。

そんなメルシアの作業を横目に俺は砂牛、ガゼル、砂蜥蜴などの砂漠で出会った魔物や動物の解剖作業をし、それぞれの身体の仕組みなどを確認していく。

「うん、やっぱり面白い仕組みをしているなぁ」

「そうなのですか?」

「この砂牛の背中には不自然なほどに膨らんだコブがあるでしょ? そこにはたくさんの脂肪が詰まっていてエネルギー源としているだけでなく、体温調整をする役割も担っているみたいだ」

他にもガゼルは尿を排出するに当たって、水分が含まれた尿を排出するのではなく、尿を濃縮して尿酸の塊へと変えて排出し、水分は一切体の外に出さない仕組みをしている。

これによって摂取した食べ物に含まれる微量な水分を無駄なく摂取しているのだろう。

砂蜥蜴の体表には円錐形の小さな刺が生えている。これは外敵から身を守るためだけでなく、結露によって生じた水滴を集め、口へ水が流れるような仕組みになっているようだ。

「厳しい環境の中で生きているだけあって、皆様々な進化をしているのですね」

「うん。そのお陰で他の土地で生きている動植物や魔物よりも遥かに因子が強いよ。これらの因子を抽出し、作物に上手く掛け合わせることができれば、ここで育てるのも不可能じゃないはずさ」

「ええ、イサギ様ならばきっとできます」

俺たちはラオス砂漠の新しい素材を間に夢中になって研究を進めるのだった。





「イサギ! 言われた通り、他の素材も採取してきたわよ!」

工房に夕日が差し込み、気温が下がってきた頃合い。

砂漠の採取を終えたらしい、レギナとティーゼが扉を開けて入ってきた。

「ありがとう。空いているテーブルに置いてくれると助かるよ」

「わかったわ」

指示をすると、レギナとティーゼが外からたくさんの素材を運び込んでくる。

見たこともない魔物の素材や植物の素材がいっぱいだ。朝、昼の時間を使ってかなりの素材を採取したつもりだったが、広大なラオス砂漠にはまだまだたくさんの素材があるようだ。

「……というか、かなり数が多いね? どうやって狩ったの?」

ドンドンと魔物を中心とした素材が運び込まれていく。

広めに作ったはずの作業場が素材だけで埋まってしまいそうだ。どんな狩りのやり方をすれば、これほどの数の魔物を狩れるというのか。

「移動と索敵は全部ティーゼにやってもらって片っ端から魔物を狩っていったわ」

「……かなりのハイペースで私は付いていくので精一杯でした」

「お疲れ様です」

胸を張って答えるレギナとどこか引き()った笑みを漏らしながらのティーゼ。

軽く話を聞いただけで中々に無茶な狩りをしているとわかった。それに付き合わされるティーゼが一番大変だろうな。

「ねえ、イサギ。この植物が何かわかる?」

レギナがテーブルの上にある素材の一つを手にして聞いてきた。

黄色い楕円形をした木の実。片手ほどの大きさがあり、木の実にしてはやや大振りだ。

「木の実っぽいんだけど殻が硬いのよね」

レギナが拳を当てると、黄色い木の実はコンコンという音を立てた。

皮というより、硬質な殻のようなものに覆われているようだ。

「私も初めて見るものでわからなく、イサギさんであれば何かわかると思いまして……」

ティーゼが初めて見る素材って一体どれほど遠い場所まで探索してきたのやら。

少し呆れを抱きつつも、新しい素材に興味を示した俺は木の実を調べてみる。

「これはカカオというそうです。殻の中に豆が入っており、加工することで独特な甘味が出来上がるそうです」

具体的に何ができるのかまではわからないが、錬金術師として素材の構造を読み取った上でそう判断ができる。これは紛れもなく食料だ。

「へー、これって食べられるんだ!」

「これは大きなお手柄だよ。よく見つけてきてくれたね」

「そ、そう? 力になれたなら嬉しいわ」

現状、ナツメヤシ以外にこの地に自生していて育てられそうな植物はなかったが、カカオが加わることによって栽培できる可能性の高い作物が一つ増えたことになる。

「このカカオというのは、どのように加工すれば食べられるのでしょう!?」

「すみません。すぐにはわかりません。品種改良と並行しながら調べさせてください」

「そうですよね。すみません。新しい食材が増えたことが嬉しくてつい……」

「ティーゼは甘いものに目がないものね」

「確かにデーツもせっせと集めていましたし」

「お二人ともからかわないでください!」

ティーゼの拗ねたような顔を見て、俺たちは笑った。

「さて、少し休憩したらあたしたちはもう一度採取ね」

「休憩したら採取って、これからもう夜になりますよ?」

ラオス砂漠の夜は日中の暑さが幻なのではないかと思うほどに冷え込む。その上、夜は魔物が活性化する時間帯だ。そんな時に採取に出るなどリスクが大きすぎる。

「だからですよ。夜になると昼とはまた違った動物や魔物が姿を現しますから」

「あたしたちは品種改良を手伝うことはできないんだもの。やれることは全部やっておかないとね。良質な作物を育てるためにもサンプルは少しでも多い方がいいでしょ?」

心配する気持ちはあるが、二人にそこまでの覚悟があるのであれば止めるのは野暮だろう。

代わりに俺は感謝の言葉を述べて、マジックバッグから取り出した瓶を渡す。

「よかったらこれを持っていって」

「これは?」

「ホットポーションだよ。飲むと身体の中からじんわりと温かくなるよ」

俺が錬金術で使ったポーションだ。ショウガ、唐辛子、アカラの実などを調整し、体温を引き上げる効果がある。これを飲めば極寒の砂漠でも昼間のように動き回ることができるだろう。

「ありがとう。助かるわ」

「ありがとうございます」

「無理だけはしないように」

ホットポーションを手にして工房の外に出ていくレギナとティーゼを見送る。

「さて、俺たちも頑張りますか」

「はい!」

俺の呟きにメルシアが元気よく応えてくれた。

レギナとティーゼの頑張りに負けないようにしないと。



「ただいまー」

翌朝、ティーゼの家で朝食を食べていると、夜の素材採取に出ていた二人が帰ってきた。

「おかえり二人とも。採取はどうだった?」

「ごめん、後でお願い。さすがに眠いから寝るわ」

「素材は工房の方に運んでありますので後はよろしくお願いします」

採取のことを聞く間もなくレギナとティーゼがフラフラとした足取りで奥の寝室へと向かっていく。

ほぼ徹夜で採取していただけあって、さすがに疲労困憊のようだ。

「メルシア、俺の方はいいから二人のお世話をお願い」

「かしこまりました」

さすがにあの状態の二人を放置するのは心配だ。

食後の片づけなどは任せてもらって、二人の世話をメルシアに任せることにする。

一人での食事を終えると、食べ終わった皿を持って台所に移動する。

今日も俺は工房で品種改良だ。

昨日である程度の素材の特性は把握できた。

今日からは実際に育てる作物に因子を掛け合わせてチャレンジしていくことにしよう。

だけど、そのためには土も耕しておかないといけない。あと平行して頼まれていたカカオの食べ方も調べないといけないし、やるべきことがいっぱいだ。

台所でお皿を洗いながらやるべきことを考えていると、不意に扉がノックされた。

返事をしながら扉を開けると、外にはリード、インゴをはじめとする彩鳥族たちがいた。

朝から押しかけてきた大所帯に驚く。

俺たちのやっていることに何か不満でもあるのだろうか? 水源を見つけて、集落まで引き込んだりと成果を上げているんだ。宴でも歓迎されていたし、文句はないと思う。

だとすると、要件はティーゼだろう。

「すみません。ティーゼさんは徹夜で採取に出かけていたので、今は眠っていまして――」

「いや、用があるのは族長ではなく、イサギに相談したいことがあってきたんだ」

「俺ですか? 何のご用でしょう?」

「……俺たちにも何かできることはないか?」

「というと、皆さんも作業を手伝ってくれるんですか?」

俺が問いかけるとリード、インゴだけでなく、後ろにいる彩鳥族たちも揃って頷いた。

「うちで作物を育てるために族長や王女様、果てには外からやってきた客人たちが頑張っているんだ。そこに暮らしている俺たちが何もしないわけにはいかないだろう? ただでさえ、お前たちには新しい水源を見つけてもらったっていう恩があるからな」

「ここは俺たちの故郷だ。だから俺たちにもやれることがあったら手伝わせてくれ!」

リード、インゴだけでなく、後ろにいる彩鳥族たちからもそのような声が口々にあがった。

自らの意思で手伝いを申し出てくれる彩鳥族たちの言葉に俺は感激した。

「ありがとうございます、皆さん! ちょうど手が足りなくて困っていたところなんです」

「だったらちょうどよかった。やることがあるなら指示をくれ」

「では、皆さんには土を耕してもらいたいので付いてきてください」

熱が冷めないうちに俺はすぐに家を出て移動を開始することにした。

が、てくてくと数歩歩いたところで俺の両肩がガッと何かに掴まれて宙に浮かぶことになる。

「わっ!」

見上げると、リードとインゴが脚で俺の肩を掴んで持ち上げて飛んでいた。

「徒歩で移動していたら時間がかかってしょうがない。耕してほしい場所を言ってくれ」

「北の山に向かう道すがらの岩礁地帯です」

「わかった。そっちに向かう」

行きたい場所を伝えるとリードとインゴがスーッとスピードを上げて飛んでいく。

今まで脚にロープを繋いで運んでもらうことや、バスケットに入って運んでもらうことはあってもこのように直接掴んで飛んだのは初めてだ。まるで、親猫に首を咥えられて移動させられる子猫の気分。なんとなく扱いが雑なような気もするが、いちいち降りて運び方を変えるのも面倒だ。

空では無力な俺は落ちないようにジッとしているのが賢明だね。

直線距離をハイスピードで進んだだけあって、あっという間に俺たちは目的地に到着。

地面に下ろしてもらった俺は耕してもらいたい範囲にロープを打ち付けた。

「ロープを引いた範囲の土を耕してください」

「結構な範囲だな」

「それだけ試行錯誤をする必要があるので。農具に関してはこちらを使ってください」

「おお、農具なんて家にないからな。助かる」

マジックバッグから大量の(くわ)を取り出すと、リード、インゴたちは次々と手に取っていく。

そのまま各々が散らばって土を耕してくれると思いきや、なぜかリードたちは物珍しそうに鍬を見つめたり、撫でたりするだけで作業を開始してくれない。

「どうしたんです?」

「これをどう使って土を耕すんだ?」

チャレンジしても成果が上がらないプルメニア村よりも酷い、挑戦することがバカバカしいと思えるほどの環境。彩鳥族の誰もが農業をやったことがないというのも不自然ではなかった。

「えっと、まずは鍬の使い方から教えますね」

「よろしく頼む!」

俺は大勢の彩鳥族に見られながら、実際に鍬を使って土の耕し方を教えるのだった。





土の耕し方を教えると、彩鳥族は持ち前の身体能力を活かしてザックザックと土を耕してくれる。

振り方こそややぎこちなさがあるが持ち前のパワーとスタミナがあるお陰で、人間族よりも遥かに早いスピードで耕すことができている。

プルメニア村で農業をした時も驚いたけど、やっぱり獣人族の秘める身体能力はすごいや。

リード、インゴたちの作業を横目に俺は錬金術を発動させた。

土を形質変化させて耕作範囲の畑を覆うように柱を立て、プラミノスという半透明素材を柱に通していってプラミノスハウスを作り上げた。

「イサギ、その透明な家のようなものはなんだ?」

プラミノスハウスを作ると、リードがおずおずと尋ねてきた。

耕しているところが急に変な家で覆われたら疑問に思うのも仕方がない。

「プラミノスハウスです。こうやって畑を覆う家を作ってやることで温度管理がしやすくなり、砂嵐などから作物を守る役割があります」

「確かにここでは流砂が舞い、頻繁に砂嵐も発生する。か弱い植物であれば、すぐに吹き飛ばされてしまうだろう。さすが農業に慣れている者は違うな」

リードの尊敬の眼差しが少しこそばゆい。

俺は一般的な環境対策をしているだけで農業について深い知見を持っているわけではないからね。

ビニールハウスでの栽培が上手くいかないかもしれないし、強度が足りなくて砂嵐で潰される可能性もある。知識が足りない分を試行錯誤で誤魔化しているだけに過ぎないのだから。

プラミノスハウスの設置が終わると、耕し作業はリードたちに任せて俺は家に戻ることにした。

俺には俺のやることがあるからね。

「お帰りなさいませ、イサギ様。どちらに行かれていたんです?」

「ちょっと他の彩鳥族に仕事をお願いしていたんだ」

今朝の顛末(てんまつ)を説明すると、メルシアはクスリと嬉しそうに笑った。

「どうしたの?」

「イサギ様が私の村で農業を始めた時に似ていると思いまして」

「ああ、確かに。俺の改良した作物で農業できるとわかった時も、こんな風に多くの村人が押しかけてきて農業を教えることになったね」

「あの時と同じように彩鳥族の皆さんにも希望が見えたからだと思います。集落が良い方向に変わっているんだという」

「そうだったら嬉しいな」

俺たちのお陰なんて己惚れるつもりはないけど、確かに一歩ずつ前進している感触は確かにある。

このまま力を合わせて集落全体で明るい未来へ進めるといいなと心から思った。



「うわー、これはまた素材がたくさんあるね」

工房にやってくると、素材保管庫にはレギナとティーゼが夜の砂漠で持ち帰ってきた砂漠素材がたくさん積み上がっていた。

素材を扱う者としては、もう少し丁寧に仕分けしてくれると大変助かるのだけど、夜通し素材採取をして疲れ果てている二人に仕分けまでを要求するのは酷だろう。

無秩序な空間が苦手なメルシアは乱雑に置かれた素材にややイラッとしている様子だったが、二人の苦労を考えてか不満を漏らすことはなかった。

「……先に素材の仕分けをいたしましょう」

「うん、そうだね」

どんな素材があるかわからないために俺も一緒に素材の仕分けをすることにした。

錬金術師としての眼力で素材の特性を見極めながら、素材保管庫に運び込んだり、マジックバッグに収納したりする。

「うんうん、いいサンプルが多いね」

たとえば、ゾートカメレオン。

この魔物は体色を自由に変化させることができ、気温の高い昼間は体色を白くして光を反射し、冷え込む夜になる体表を黒くして熱を蓄え、体温調節を自在にすることで寒暖差を凌ぐという特性がある。

「寒暖差という大きな障害があるが故に、夜に活動する生き物はそれを克服した個体が多いようですね」

また、ソフトツールという植物は幹に硬い材がなく、貯水性のある繊維質の柔らかい組織でできている。

どちらの素材も間違いなくラオス砂漠以外では手に入れることができないだろう。

「植物に関しましては葉が小さく、茎などが分厚いものが多いですね」

「葉っぱが大きいと水分の蒸発量が多くなってしまうから葉を小さくしているんじゃないかな。茎が分厚いのは体内に水分を多く保持するためだと思う」

他にも皮が硬いのは乾燥から身を守るためだったり、根が長いのは少ない水分を少しでもかき集めるためだと思う。

「ここにやってきて様々な素材を見てきましたが、総じて砂漠への適応力は植物の方が強い気がします」

メルシアが仕分け作業をしながら呟く。

それは俺も感じていたことだ。

動物や魔物と違って、植物は棲息する場所を変えることはできない。それ故に必死に生き残るための術を模索し、進化を繰り返しているのかもしれないな。

「ふう、ようやく一区切りがついた」

「はい。綺麗になりました」

なんて会話をしながら仕分け作業をしていると、ようやくすべての素材を仕分けが終わった。

乱雑に積まれていた素材は綺麗にそれぞれの棚へと仕分けされている。

これには綺麗好きのメルシアも満足げな様子だ。

「んんー、気分転換にカカオの研究でもしようかな」

素材を確認して仕分けしただけなので体力的な疲労は少ないが、気合いを入れて素材の研究や品種改良を行うのはちょっと辛い。

こういう時はより興味のそそられる仕事をやるのがいいだろう。

俺はテーブルの上に置かれているカカオの実を手に取る。

ツルリとした黄色い殻に覆われている。拳で叩いてみても割れないし、そのまま折ってみても割れる様子はない。当然、そのままでは食べることはできないだろう。

「中を開けてみよう」

ナイフを突き刺してみると、思いのほか軽い力で刺さった。

俺のナイフを拒むほどの硬度ではないようだ。

衝撃に対する耐性はあれど、刺突に対する耐性は少ないのかもしれない。

「手でも簡単に割れますね」

傍らではメルシアがカカオの殻を手で割っていた。

それは獣人だからできる芸当だと思う。少なくとも俺は手で割ることは不可能だ。

メルシアのことは気にせず、カカオを回してナイフをザクザク入れていく。

「へえ、中はこんな風になっているんだ」

殻を取り除くと、中には白い豆のようなものが詰まっていた。

「青っぽい匂いがします」

白い豆へと鼻を近づけてスンスンと匂いを嗅ぐメルシア。

同じように俺も鼻を近づけてみると、野菜のような青っぽい匂いがした。

「これが甘味になるのでしょうか?」

確かにこんな白っぽい豆が美味しい甘味になるのかと言われると疑問を抱いてしまう。

「一応、この豆を舐めてみると美味しいらしいよ?」

「本当ですか?」

メルシアが疑いの視線を向けてくる中、試しに白い果肉と豆を千切って口の中に入れてみる。

「あっ、普通に美味しいや」

「どんな味です?」

「なんて言ったらいいんだろう? ブドウやマスカットに近い甘みかな」

ブドウに似ている味だと伝えたところメルシアが目の色を変えて、小さな粒を口に入れた。

すると、彼女の青い瞳が大きく見開かれた。

「ブドウとは微妙に違いますが、確かにイサギ様のおっしゃる通りの美味しさです」

口の中で豆を転がしながらうっとりとしている。

似ている食べ物の味として例に挙げただけで、ブドウとは違う味なのは確かだ。

「この味のまますべてが食べられるのであれば、大変素晴らしいのですが……」

「ここから大きく加工するとなると、その方向にはならないと思う」

そもそも甘い味がするのは僅かな白い果肉部分だけで、身のほとんどは豆だ。

多分、この豆がカカオの主役なんだろうな。

「とりあえず、一通りの変化を加えてみるよ」

メルシアが果肉と豆をケースに分けてくれたので、俺はそれぞれのケースの種に錬金術を発動してみる。

乾燥、加熱、湿気、分離、発酵、成分抽出、形状変化、粉砕といった様々な加工を施してみる。

その中で大きな反応を見せたのは発酵だった。

白い果肉が溶け、白っぽかった豆が茶色く変色した。

まるでアーモンドのようである。

「……これは発酵かな?」

「今のところ反応が一番大きいですね」

少なくとも食べ物に近づいていることは確かだろう。

加熱、湿気、抽出、形状変化などは反応がいまいちだ。

「発酵からはじめるのが最適だと仮定して進めてみようか」

「わかりました」

これが正しいかはわからないが確かな手応えがあったのは確かなので、己の直感を信じることにする。

俺たちは発酵させたカカオ豆をケースに分けて、そこからさらに錬金術で変化を加えていくことにした。





「よ、ようやくできた……ッ!」

外の景色が茜色に染まる頃。

ようやく俺とメルシアはカカオを甘味らしき食べ物に変換することができた。

真っ白なカカオ豆を錬金術で加工していき、最終的に食べやすいようにこの茶色い液体だった。

「気品高く、ふくよかで、奥深く、大人っぽい……不思議な味わいです」

「うん。甘くて苦くて……とても美味しいよ」

自分の語彙力の無さを痛感する。

とにかく、加工したカカオ豆は今までに食べたことのない味だった。

甘いのに苦い。

反するような味わいなのだが、不思議とその二つは(けん)()することなく共存している。

口にすると今までの疲労が吹き飛ぶほどの美味しさだ。

メルシアと俺が夢中になって加工したカカオ豆を食べていると、不意に工房の入り口が開く音がした。

「なんだかとてもいい香りがするわ!」

「甘くて苦い不思議な香りです」

鼻をスンスンと鳴らしながら工房に入ってくるレギナとティーゼ。

時刻は既に夕方だ。朝に就寝をした彼女たちがちょうど目を覚ます時間帯。

「ねえ、イサギ。その茶色いものはなに?」

俺たちの傍にやってきたレギナが手元を覗き込みながら尋ねてくる。

「カカオを錬金術で加工して作ったものだよ」

「もうできたのですか!?」

端的に答えると、ティーゼが驚きの声をあげる。

「いや、ちょっと気晴らしにやるつもりが意外と楽しくて」

もっとも優先するべきは作物の品種改良なのだろうが、カカオ豆の加工があまりにも楽しくて夢中でやってしまった。

「確か甘味になるって言っていたわよね? 美味しいの?」

「食べてみる?」

(さじ)を差し出してみると、レギナとティーゼはこくりと頷きながら受け取った。

ボウルの中に詰まった茶色い液体を匙ですくうと、レギナとティーゼは口の中へ運んだ。

「「美味しい!」」

驚きの声をあげる二人の反応に俺とメルシアはクスリと笑ってしまった。

完成品を食べた時の俺たちの反応とまるで同じだった。

「甘いけど甘くない……甘味はたくさん食べたことがあるけど、こんな味は初めて!」

「なんともいえないほろ苦さが深い味わいを与え、甘さを際立たせています。なんと素晴らしい甘味なのでしょう……」

レギナは大きく目を見開き、ティーゼは噛みしめるようにしながら陶酔した息を吐いていた。

俺たちだけでなく、レギナとティーゼも美味しいと思える味だったらしい。

「これどうやって作ったの?」

レギナの問いかけに俺は待ってましたとばかりに口を開いた。

「まずはカカオ豆を取り出したら錬金術で発酵させるんだ。次に発酵させた豆を乾燥させ、乾燥させたものを加熱。じっくりと焙煎したら皮を剥いて、滑らかになるまで豆をすり潰す。ねっとりとしてきたら砂糖を加えて、さらに混ぜ続けることで今の状態にできたんだ。ここまで加工するのに重要なのが――」

「ストップ! もう十分よ!」

具体的な加工過程を語ろうとすると、何故かレギナとティーゼが切り上げてくる。

さっき語ったことは全体の過程をかいつまんで語っただけだ。

どれぐらいの発酵度合いが適切か、どの程度の水分量まで乾燥させるのが適切なのか、どの程度の温度で何分ほど焙煎してやればいいのか、それらの塩梅(あんばい)を探っていくのが非常に大変だった。

錬金術という加工法がなければ、間違いなく半年から年単位での時間がかかったに違いない。

「ええ……?」

「お二人がここまで加工するのに苦労したのはよくわかりましたから」

ティーゼが俺を宥めるように言う。

本当に面白く、苦労したポイントはこれから詳細に語るところだったのに。残念だ。

メルシアも詳細な研究データの束を仕舞って残念そうにしている。

「大樹では砂糖をふんだんに使ったお菓子がよく出てくるけど、あたしはこっちの方が断然好きだわ。これだけ美味しい食べ物なら集落の立派な特産品にもなりそうじゃない?」

「確かに! この美味しさであれば、外部の方にも受け入れてくれるかもしれません! イサギさん、是非このカカオも集落で栽培できるようにできないでしょうか?」

「そうですね。せっかくここまで研究したことですし、集落で生産できるように改良を施してみます」

「ありがとうございます」

ナツメヤシ、小麦、ジャガイモ、ブドウに加え、カカオが俺たちの栽培目標に追加されたのだった。



「ティーゼさん、こちらがカカオ豆の加工法になります」

「ありがとうございます」

メルシアがティーゼにカカオ豆の加工法を記した書類を手渡した。

もちろん、加工法は錬金術を使用しないやり方である。

集落で作ることができなければ、特産品にすることができない。

食生活を向上させるためにも、彩鳥族自身の手でしっかりと作れるようになる必要があると思った。

「すみません。やはり、錬金術を使用しないとこれくらいの時間がかかってしまいます」

乾燥、焙煎といった工程は、魔法や魔道具を駆使すれば短縮することは可能だが、それでも錬金術には敵わない。発酵に至っては錬金術がなければ絶対に短縮することができないものだからね。

「気になさらないでください。錬金術を使わなくても、加工できる方法を伝授していただけただけでもありがたいのですから」

書類から顔を上げると、ティーゼはにっこりと笑みを浮かべた。

なんていい人なんだろう。

「もし、この加工したカカオ豆が特産品となり、大きな利益を上げることができましたら利益の一部をイサギさんに納めさせてください」

「ええ? 別にそんなのいらないですよ?」

「ダメよ、イサギ! 貰えるものは貰っておかないと!」

なんて答えた瞬間、レギナに詰め寄られた。

「イサギさんが加工法を教えてくれなければ、私たちは食べることも作ることもできません。報酬を受け取るのはイサギさんの正当な権利です」

レギナやティーゼの言葉に同意するかのようにメルシアも頷く。

確かに何もかも無料で伝えたりしていれば、巡り巡って俺以外の錬金術師が困ってしまうかもしれない。手助けすることと、仕事として報酬を貰うことは別だ。

「わかりました。では、特産品となった時は受け取らせていただきます」

「イサギさんに恩返しできるように頑張ります」

今はまだ加工法がわかっただけで大量生産できるかもわからないし、特産品になるかも不明だが、俺たちが対等でいるためにも必要な約束だと思った。

「にしても、いつまでもカカオ豆を加工したものって言うのは面倒ね」

「今後のために何か呼びやすい名前があると助かります」

レギナ、ティーゼの視線がこちらに集まる。

これはもしかして俺に名前を付けろということだろうか? 

「……メルシアがつけて」

「私ですか!?」 

まさか任されるとは思っていなかったのだろう。メルシアがビクリと耳を震わせて驚いた顔になる。

「イサギ様が考えるべきでは?」

「食材に名前をつけるのは苦手だから……」

アイテムや魔道具ならともかく、こういった食材などの名前を決めるのは苦手だ。

これから彩鳥族の特産品になるかもしれないと思うと、ヘタな名前は付けられないし。

「……お願いします、メルシアさん」

ティーゼから真摯な視線を向けられると、メルシアが考え込む。

数分ほどすると名称を思いついたのか、メルシアはゆっくりと口を開いた。

「では、カカレートはいかがでしょう? カカオを加工し、最後にペーストすることからこの名前に致しました」

さすがはメルシアだ。俺みたいに直感でつけるんじゃなく、きちんと加工とも紐づけている。

俺には考えることのできないネーミングセンスだ。

「カカレート! いいね!」

「語呂もいいし、何よりわかりやすいわ!」

「では、今後はカカレートと呼ばせていただきます」

メルシアの考案したカカレートという名前は、全員に受け入れられることになり正式な名称として決定した。

「それでは私は集落の者とカカオを採取し、実際にカカレートを作ってみようと思います」

「実際に作業に入ってわからないことがあれば、私に相談してください」

「ありがとうございます! それでは!」

メルシアの言葉に頷くと、ティーゼは笑顔で空へ飛んでいった。

ティーゼが空から声かけると、それに呼応するように何人もの彩鳥族が空へ舞い上がった。

ティーゼをはじめとする彩鳥族の一団が砂漠へと向かっていく。

「あたしは今日も素材を採取すればいい?」

「いや、素材はもう十分かな。レギナには開拓を手伝ってもらうか、水道周辺に棲息する魔物の間引きでもお願いできたらと思うんだけど……」

「魔物を倒してくるわ!」

二つの提案をすると、レギナは迷うことなく後者を選んで走り出した。

単純な作業よりも外で暴れる方がいいらしい。

「さて、俺たちは本格的な品種改良に入ろうか」

「はい」

あっという間に北の山へ消えていくレギナを見送ると、俺とメルシアは工房に戻った。





作業場にやってくると、マジックバッグから取り出した小麦、ブドウ、ジャガイモを並べる。

この三つが集落で育てやすいといえる基本食材だ。

カカオとナツメヤシは既にラオス砂漠の環境に適応しているので、こちらに関しては成長力や繁殖力、美味しさといった改良を加えることになるので別対応となる。

まずは彩鳥族の食生活を支える三つの食材からだ。

「データはお任せください」

メルシアもペンと紙を手にしておりデータを取る準備は万端だ。

「じゃあ、始めるよ!」

ソフトツール、ウチワサボテン、炸裂ニードル、ナツメヤシ、カカオ、砂漠苺などの砂漠に自生する植物を参考に改良をしてみる。

これらの植物は長年ラオス砂漠に生息しており、過酷なこの環境に適応できている植物だと言えるだろう。

それらの因子を元にして、食材に組み込んでいけばラオス砂漠に完全適応した小麦、ブドウ、ジャガイモなどができるという推測だ。

三つの食材に錬金術を発動。

水分の蒸発を抑えるために葉を小さく、乾燥した空気に耐えられるように皮を硬く、水分を多く蓄えられるように茎を太くし、より多くの水分を吸い上げられるように根を深くしてみる。

すると、テーブルの上にあった三つの食材はボンッという小さな破裂音を鳴らして塵となった。

「やっぱり、いきなり大きな改良を加えると作物が保たないや」

「自壊してしまいましたね」

最初から上手くいくとは思っていないし、予想通りの結果なのでガッカリすることはない。

目の前で起こった現象を冷静に観察し、メルシアにデータを取ってもらう、

既存の作物にこれだけ多くの因子を組み込んでいるのだ。まったく違う因子を大量にぶち込まれて適合するはずがない。

いきなりまったく別の因子を組み込んで、それと同じに大変身とはいかないのだ。

データを取り終わると、新しい小麦、ブドウ、ジャガイモをテーブルに並べた。

「次は因子を少し減らしてみるよ」

加える因子をメルシアに伝え、先ほどよりも数を減らして因子を組み込んでみる。

すると、食材たちがひとりでに(うごめ)いたかと思うと、突如炭化したかのように真っ黒になり崩れ落ちてしまった。

またしても強い因子に耐えられなかったようだ。

これだけ強い自壊が見られるとなると、加える因子が強すぎる可能性が高い。

「次は因子を一つに絞って加えてみるよ」

「わかりました」

それぞれの食材に一つずつの因子を加えていく。

その中から耐えることができる食材が一つでもあれば、試しに土に植えて様子を見ようと思ったのだが……。

「……これでも自壊するのか」

加える因子の数を一つにしたというのにすべての食材が自壊してしまった。

「うーん、これは思っていた以上に難儀しそうだね」

「過酷な環境に適応している因子だけあって、因子そのものの強さが尋常ではないのでしょう」

メルシアの言う通り、因子そのものが強いのだろう。こんな結果は初めてだ。

「これは因子の強さを弱めた方がよさそうだね」

「はい。一つずつ試していきましょう」

既存のままでは自壊するのであれば、適合できるように弱めながら調整するしかない。

今回の品種改良も地道な作業になりそうだ。