ゴーレム馬を走らせるにつれて森はより深くなる。生い茂る枝葉によって日光は遮られ、やや視界も悪くなり、地面にも大きな凹凸が増えていた。

「……ねえ、さすがにそろそろ速度を落とさない?」

「え? なんで?」

提案すると、先頭を突っ走るレギナが素朴な疑問を尋ねるかのように聞き返してきた。

「暗くて視界が悪い上に、足元も悪くなってきたからだよ」

周囲の状況がよくわからない中、ゴーレム馬を突っ走らせるのはさすがに怖い。

「えっ? ここって暗い?」

「人間族であるイサギ様は、私たち獣人のように夜目が利くわけもなく、遠くが見えるわけではありませんから」

「あ、そっか!」

メルシアが補足するように言うと、レギナの表情に理解の色が広がった。

人間族の中での生活経験があるメルシアと違い、レギナは獣人が多くを占める国で育ってきた。

人間族に対する認識が低いのは仕方がないことだ。

だけど、これでレギナも俺に配慮して速度を――

「大丈夫! あたしとメルシアは見えているし、進みやすい道を選択してあげるからこのまま突き進もう!」

落としてくれなかった。むしろ、見えないと知った上で継続を提案。鬼だ。

「いや、でも普通に怖いんだけど……」

「グオオオオッ!」

泣き言の漏らしていると、横合いから大きな何かが飛び出してきた。

先頭にいるレギナは素早く大剣を抜くと、襲いかかってきた何かに向けて勢いよく振り下ろした。

脳天に一撃をもらった生き物はそのまま撃沈し、血の海に沈んだ。

「アウルベアーだ」

思わずゴーレム馬を止めて確認してみると、灰色の体毛をした大きなクマが脳天を割られていた。

人であろうと魔物であろうと襲いかかる獰猛(どうもう)な性格をしており、オークを超える(りょ)(りょく)を備えた上での素早い身のこなしをすることもあり、低ランクの冒険者ではまるで相手にならない。

人間族の生活圏内で出現しようものなら大騒ぎになるほど危険な魔物。にもかかわらず、それを一撃で沈めてみせたレギナの実力には圧巻する他ない。

「ここの森は魔物も多いし、ゆっくり進むより一気に突き進んだ方が魔物に絡まれないわよ?」

大剣を振り払って血のりを飛ばし、残った血を布で拭き取りながら言うレギナ。

「このレベルの魔物がゴロゴロといるの?」

「そうね。というか、アウルベアーは楽な個体の方よ?」

衝撃の事実を聞いて思わずメルシアに視線を向けると、その通りですと言わんばかりに頷かれた。

獣王国にいる魔物が強いことはわかっていたが、まだ認識が足りなかったのかもしれない。

アウルベアーが可愛いと評される魔境を、呑気に進むほど俺は肝が大きくない。

「突き進んで急いで森を抜けよう。でも、操縦する自信がないかも……」

「だったら、あたしの後ろに――」

「でしたら、私の後ろにお乗りください、イサギ様」

レギナの言葉に被せるようにしてメルシアが言った。

「あ、うん。じゃあ、メルシアの後ろに乗せてもらおうかな」

妙に勢いのあるメルシアに違和感を覚えたが、さすがに王族であるレギナの後ろに乗せてもらうのは恐れ多い。

視線で謝罪をすると、レギナは笑みを浮かべながら気にしないでとばかりに手を振ってくれた。

気を悪くしないでくれたのはありがたいが、レギナの視線が妙に生温かかったのは気のせいだろうか。

「再出発する前にアウルベアーを回収するね」

「アウルベアーの肉は臭みがあって美味しくないわよ?」

「錬金術で下処理するから問題ないさ」

レギナが(いぶか)しむ中、俺はアウルベアーに触れて錬金術を発動。

アウルベアーの体内に残っている血液だけを抽出。取り出した大量の血液は瓶に収めた。

「これで完璧な血抜きができたから、料理にした時に大きな臭みもないはずだよ」

「すごいけど、ちょっとグロテスクな光景ね」

気持ちはわかるけど、これもアウルベアーを美味しく食べるためだ。

アウルベアーと血液瓶だけでなく、自分の使っていたゴーレム馬もマジックバッグに収納すると再出発だ。

「それじゃあ、後ろを失礼するよ」

「どうぞ」

メルシアの乗っているゴーレム馬の後ろに跨る。

農園用のポニーサイズとは違い、軍馬サイズのゴーレム馬なので二人乗りだろうがスペースは楽々だ。

ただ目の前にいるのが異性であると考えると、べったりとくっつくわけにもいかない。

適度な空間を空けて、気持ち程度にメルシアの腰へ両腕を回す。

「イサギ様、もう少し前に詰めて、しっかりと身体を掴んでいてください」

「え、いや、でも……」

「この先、ますます道は険しくなります。イサギ様にもしものことがあっては困りますので」

たじろぐ俺に向かって言葉を述べるメルシアの表情は、とても真剣だ。

まぎれもなく彼女は俺の身を案じてくれている。それなのに異性の身体に触れるのが恥ずかしいなどと俺はなんと情けないことだろう。メルシアを見習い、(よこしま)な考えは捨てるべきだ。

「わかった」

意を決して俺はメルシアの背中に密着し、両腕をガッチリと前へと回した。

メイド服を通して、メルシアの柔らかな身体の感触が伝わってきた。

「んっ」

「なんか変な声がしなかった?」

「気のせいです。では、出発といたしましょう」

なんだか聞いたことのないような色っぽい声が聞こえたような気がしたが、メルシアには何も聞こえなかったらしい。

俺よりも聴覚のいいメルシアがそう言っているということはそうなのだろう。

俺はそれ以上気にしないことにし、メルシアの後ろで心地良い揺れに身を任せることにした。





メルシアの後ろで揺られながら進むことしばらく。

(うっ)(そう)としていた木々がなくなり、平原が視界に飛び込んできた。

暗い景色にすっかりと目が慣れていたので、急に明るいところに出てくると眩しく感じた。

「あっはは、すごいわ! 普通は森を抜けるのに三日はかかるのに半日で抜けちゃった!」

平原を見るなり、レギナが信じられないとばかりに声をあげた。

どうやら完全に森は抜けたようだ。

「まあ、かなりのスピードで駆け抜けたしね」

「本当にすごいわね、このゴーレム馬!」

「本当にすごいのは二人の操縦技術だよ」

俺の感想にレギナとメルシアが小首を傾げる。

ゴーレム馬の性能があったとしても人間族では暗闇を見通すことができない上に、立ちはだかる障害物や、悪路のせいで速度を出すことは到底できない。

二人の暗闇さえ見通す視力と、障害物や悪路を回避できる反射神経があってこその芸当だ。

真似をしろと言われても俺には無理だろうな。

「ありがとう、メルシア。助かったよ」

「いえ」

ゴーレム馬から降りると、メルシアがちょっと名残惜しそうな顔をした気がしたが、それは自意識過剰だろうな。後ろに乗っていた俺がいなくなって安心しているだけだろう。

「この先はどうなってるのかな?」

「だだっ広い平原が続いて、その先に小さな森があるって感じ」

「でしたら、この辺りで野営をした方がよさそうですね」

空を見上げてみると、太陽が徐々に落ちてきている。あと一時間もしないうちに日が暮れるだろう。

いくら夜目が利くレギナとメルシアがいても、魔物が活性化する夜の行軍は危険だ。

「今日はここで一泊して、明日の朝にまた出発しよう」

レギナとメルシアが同意するように頷いた。

方針が決まると野営の準備だ。

地形を確認するまでもなく、周囲はだだっ広い平原だ。

どこからか魔物がやってくれば視認できる上に、先ほど抜けた森からも距離は大分離れているので危険は低いと言えるだろう。

「メルシア、この辺りに除草液を撒いてくれるかい?」

「わかりました」

マジックバッグから取り出した瓶を渡すと、メルシアが蓋を取って周囲に除草液を撒いた。

除草液によって周囲に生えていた雑草がシューと音を立てて枯れていく。

周囲にある雑草があらかた除草されると、俺はマジックバッグから建材を取り出し、錬金術を発動。

木材を加工、変質させて、小さな丸太小屋を組み上げた。

扉を開けて中に入ると料理のために台所を作り、食事できるダイニングスペースや、ゆったりとできるリビングを作り、奥ではそれぞれが安心して眠れるように寝室も作った。

「よし、こんなものかな」

「……違う」

臨時の野営拠点を作り上げると、室内の様子を眺めていたレギナが唐突に呟いた。

「え? なにが?」

「これは野営じゃない」

「野営だよ?」

「外でこんなに立派な家を作って泊まる野営なんて聞いたことがないわよ! こんなの野営じゃない!」

野営をしているのにも関わらず、野営ではないと言い張るレギナ。

「そうなの?」

あんまり野営を経験したことがないから一般的な野営というものがどういうものかわからない。

「普通は皆でテントを組み立てたり、火を起こすところから始めるものでしょ?」

「俺にとってはテントを組み立てるより、家を作った方が早いから。焚火だって魔道具があるから別に必要ないし」

快適に過ごすための手段と道具があるのだから、それを使わない手はない。

「……イサギに一般的な野営を説明しようとしたあたしがバカだったわ」

俺にとっては当たり前のことを告げたつもりなのだが、レギナは頭が痛そうな顔をして肩を落とした。

思わずメルシアに視線を向けると、彼女はお茶を濁すように苦笑した。

どうやら彼女もこれが一般的な野営ではないと理解しているようだ。

少し釈然としない気持ちがあるものの、わざわざ不便な選択をする意味もない。

俺はこれ以上気にしないことにした。