ライオネルの頼みでラオス砂漠に向かうことになった俺たちは、その日のうちに出発することにした。

マジックバッグのお陰ですぐに準備が整った俺とメルシアは先に大樹の外で待機し、同行することになったレギナを待つ。

「イサギ様、この度の農業支援、本当に引き受けてよろしかったのでしょうか?」

待機していると、おずおずとメルシアが尋ねてくる。

ライオネルは失敗しても構わないと言ってくれたが、王家からの手厚い物資の支援や、レギナという同行者までいる以上、なにかしらの成果を果たせないと帰ることはできないだろう。

「俺の掲げる目標に沿ってるとはいえ、砂漠での作物の栽培は難しいだろうね」

「では……」

「でも、たとえ失敗したとしても俺は挑戦を諦めないよ。砂漠地帯での農業は俺の研究テーマの一つでもあるし」

「そうだったのですか?」

引き受けた理由の大きな一つを述べると、メルシアが初耳とばかりに驚いた。

「砂漠は水も有機物も少ない乾燥地。だけど、世界で人間が食料生産できる土地の約三割は乾燥地なんだ。しかも、砂漠化や戦争などの環境劣化によって砂漠のような農業が困難な土地は徐々に増えている」

「……つまり、砂漠のような厳しい環境でも育つことのできる作物を開発すれば、より広い範囲で食料が生産できるということに……?」

「そういうことさ」

「さすがはイサギ様です! もし、成功すれば大きな農業革命になるに違いありません!」

俺の意図に気付いたメルシアが、やや興奮したように言う。

「そうだね。とはいっても、研究テーマの一つとして構想したことがあるだけで、実際に行動に移したことはないから上手くできる保証なんてないんだけどね」

考えこそ偉そうに垂れてみたが、実際にそれができるかは別問題だ。それが難しいから、今まで放置されていた問題でもあるだろうし。

「困難であるとはわかっているのですが、不思議とイサギ様であれば解決できるのでないかと思っています」

参ったな。メルシアの期待に応えるためにも失敗はできないかも。

彼女に愛想を尽かされないためにも頑張らないとな。

「お待たせー! 準備できたわ!」

期待のこもった眼差しを受けて、気合いを入れ直していると後ろから声が響いた。

振り返ると、レギナの背中には大剣が刺さっており、大きなショルダーバッグが肩に掛かっていた。

先ほど謁見室で尋常ではない拳打を放ったので、メルシアと同じ徒手空拳かと思ったが、剣士のようだ。

軽やかな足取りでやってくるレギナだが、俺たちの姿を見るなり足を止めて驚きの声をあげる。

「――って二人とも荷物が少なすぎじゃない!? 目的地までは少なくとも二週間はかかる上に砂漠地帯なのよ? そんなんじゃすぐに物資が不足して引き返す羽目になるわ!」

準備を終えた俺の姿は宮廷錬金術師時代から使っていた、特殊繊維の編みこまれたローブにショルダーバッグ。腰に巻かれたベルトにいくつかの素材や魔道具が入っている程度。

メルシアは謁見した時と変わらないメイド服で背中には小さめのバックパックを背負っているだけだ。とてもこれから砂漠地帯に向かうような恰好とは思わないだろう。

「マジックバッグがあるので、俺たちの物資はそこに入っているんです」

「ああ、マジックバッグ持ちだったのね。それならその身軽さも当然だわ」

「よろしければ、レギナ様の荷物もいくつかお預かりしましょうか?」

「本当? じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかしら」

そう提案すると、レギナはバッグを下ろし、中にある水、食料、衣服、毛布などの物資を取り出した。俺はそれらを受け取ると、マジックバッグへ収納した。

「容量に余裕があるので、もっと収納することができますが?」

背負い直したレギナのショルダーバッグはまだ膨らんでいる。

これから旅に出る以上、荷物は少しでも少ない方がいいと思うのだが……。

「これで十分よ。あまり預けすぎると、イサギとはぐれてしまった時が怖いから」

荷物を一点化するということは、それを紛失してしまった時のリスクも大きくなる。

レギナが言わんとすることも一理あると思った。これから向かう場所は危ないみたいだし、どんな不測の事態が起こるかわからないからね。

「わかりました。もし、荷物が重くて負担になれば遠慮なく言ってください」

「ありがとう。その時は遠慮なく頼らせてもらうわ」

こくりと頷くレギナの反応を見て、俺とメルシアはゴーレム馬に乗った。

「レギナ様はゴーレム馬に乗れますか?」

俺が問いかけると、レギナはサッとゴーレム馬に跨った。

大きな円を描くように走らせると、軽やかな動きでこちらへ戻ってきた。

「問題ないみたい」

「そのようですね」

ライオネルを通じてレギナにもゴーレム馬を献上している。農園用のゴーレム馬と操作は同じなのでまったく問題はないようだ。

「では、行きましょうか」

「ちょっと待って!」

ゴーレム馬を走らせようとしたところで、レギナがストップをかけた。

「どうされました、レギナ様?」

「それ!」

メルシアがおそるおそる尋ねると、レギナが短く指示語を出した。

それと言われても俺とメルシアには何のことだかさっぱりわからない。

「口調! 二人とも硬い話し方はやめて、あたしにも普通に話してくれない?」

「ですが、レギナ様は第一王女様なので……」

「これから向かうラオス砂漠ではどんな危険があるのかわからないのよ? 今の口調で話していたんじゃ意思の伝達にも時間がかかるし、お互いに疲れると思わない?」

ラオス砂漠はメルシアほどの実力者でさえ厳しい場所と評するほど。言葉遣いに気を付けるわずかな(ちゅう)(ちょ)が生死を分けるかもしれない。

「わかったよ、レギナ。これでいいかな?」

「うん、それでよし!」

「私は誰に対しても、このような感じなのでご容赦ください」

「十分よ。ありがとう」

口調こそ変わらないものの、やや砕けた言い方にメルシアからの歩み寄りは感じ取れたようだ。

「じゃあ、行こうか!」

「ええ! しゅっぱーつ!」

俺たちはゴーレム馬を走らせて、蛇行する坂道を下っていく。

中央広場に降りると大通りを西へと突き進んで西門へ。

レギナを含めて、俺とメルシアがラオス砂漠に向かうことが通達されていたのか、一切の確認がなく顔パスで西門を出ることができた。

獣王都の中は人通りがあったために速度を抑えていたが、人気がなくなったとなれば存分に走ることができる。

魔力を流しながらレバーを押し込むと、俺たちのゴーレム馬がさらに加速した。

「すごいわ! 前に貰ったゴーレム馬とは速度が大違いじゃない!」

改良型のゴーレム馬の性能にレギナははしゃぎ声をあげていた。

初めて乗るというのに、これだけの速度を出せるとは胆力があるものだ。

景色が前から後ろへと物凄い速度で流れていく。

しばらくは整備された街道が続いていたのだが、ほどなく進んだところで森へと差し掛かかった。

「森に入るけど、操作は大丈夫?」

ここから先は多くの木立が立ち並び、障害物が立ちはだかることになる。

生半可な操縦技術では木立にぶつかってしまうのがオチだ。自信がないのであれば、速度を落として安全に進むべきだ。

「問題ないわ! このまま突っ走りましょう!」

しかし、レギナは速度を落とすことはせず、むしろギアを加速させるように速度を上げてみせた。

レギナの行動にヒヤリとした俺とメルシアだが、危なげない操縦技術で木立の間を抜けていくレギナの様子を見て、心配は不要だとすぐに悟った。

「ポニー型に乗っていたとはいえ、途轍もない操縦技術ですね」

「センスがとんでもないや」

ポニー型ですら満足に乗ることのできないダリオに、そのセンスを少しだけ分けてあげてほしいと思った。