「ところでイサギよ、このあと時間はあるか? イサギの腕を見込んで頼みたいことがある」
二人がリンゴを終わったところで、ライオネルが真剣な口調で言ってきた。
ライオネルに獣王都に呼ばれたのだ。
飢饉の際の活躍に対する褒賞以外にも、何かしらの要件があると思っていた。
俺もメルシアも予想していたこと故に、ライオネルの切り出した言葉に慌てることはない。
「お役に立てるかはわかりませんが、お聞きしましょう」
錬金術は決して万能ではないことを知っているが故に、安請け合いをすることはできない。
俺はひとまずライオネルの頼みの内容を聞いてみることにした。
「イサギも知っていると思うが、獣人族は人間族に比べて出生率が高い上に、必要する食事量も多い。つい先日では大凶作が起きただけで、何人もの民が飢えそうになった」
要するに国内の食料消費に対し、食料生産が追い付いていないということだろう。
帝国でもこの手の問題は常にあったので、実に既視感のある問題だ。
「民が飢えることがないように王家では何代も前から農業や、魚の養殖などの食料生産支援をしている」
おお、さすがは獣王国。帝国とは違って、民のことを想って、しっかりと食料問題と向き合っていたようだ。ライオネルの代だけでなく、何代も前から施策が続いているだなんてすごい。
「だが、それでも追い付いていないのが現状だ。これを打開すべく、イサギには獣王国での農業支援を頼みたい」
何かしらの稀少な作物の栽培でも頼まれるとでも思っていただけに、ライオネルの口から放たれた言葉には驚きしかなかった。
「……農業支援ですか? それは具体的にはどのような……?」
「特に食料事情の厳しい場所に赴いて、イサギの錬金術で食料生産の改善をしてもらいたい。具体的にはラオス砂漠に住んでいる獣人たちが豊かに暮らせるように農園を作ってほしいのだ」
「砂漠でですか!?」
ラオス砂漠は降雨が極端に少なく、砂や岩石の多くて乾燥している。水分が少なく、気温の日較差が激しい故に農業に適さない地域の代表みたいな場所だ。土壌が痩せていたプルメニア村で農業を成功させるよりも、難易度は遥かに高いと言えるだろう。
「ちなみに以前イサギに貰った苗のいくつかを周辺に植えてみたのが、実ることはなかった」
「でしょうね」
そこまで成育環境が違うと、作物にも環境に合わせた改良が必要となる。失敗するのも道理と言えるだろう。
「……砂漠での作物の栽培はイサギほどの腕前を持っても難しいか?」
考え込んでいると、おずおずとライオネルが尋ねてくる。
「未知の環境なのでなんとも言えないところです」
あまりにも農業に適していない土地なので、簡単にできますとは言えないところだ。
できるともできないとも言えない微妙なライン。
「ちなみに農業支援をするにあたって、なぜその場所を選んだのかお聞きしてもよろしいでしょうか?」
気になるのがどうしてその土地での支援を頼んだかだ。ピンポイントでその地を選んだことに何か理由があるような気がする。
「ラオス砂漠を選んだ理由は、そこに住んでいる彩鳥族と赤牛族の対立が深刻化していることだ。少ない水や食料を巡って争いが頻発している。同胞で争い合うのはあまりにも不毛だ」
そう答える、ライオネルの表情は苦悶で満ちていた。
国内で争い合う獣人の現状を憂いているようだ。
食料不足故に争い合う光景を、俺は帝国内で何度も目にしてきた。
あんな光景を当たり前のようなものにしたくはない。
「農園の設立はあくまで理想です。私たちの要望としては、イサギさんの力で少しでも食べられるものを増やせればと思うのです」
プルメニア村のような大農園をすぐに作ってくれと言われると、荷が重すぎて首を横に振るところだが、品種改良によって砂漠で食べられるものを増やすお手伝いならできるかもしれないな。
だが、それはあくまで希望的観測だ。実際に赴いて挑戦してみたが、まったく役に立てないという可能性も大きい。
「すぐに結果が出なくとも咎めることはないし、時間がかかってもいい。とにかく、一度赴いてみてはくれないだろうか?」
ライオネルやクレイナの施策に対する熱意は本物だ。これだけ真摯に頼まれれば応えてやりたい。
所属する国が変わろうと俺の夢は、人々の飢えをなくすこと。ライオネルからの依頼は俺の目的に沿ったものだと言えるだろう。
隣にいるメルシアにチラリと視線を送ると、彼女は微笑みながら頷いてくれた。
俺の判断に任せてくれるらしい。
「わかりました。農園設立までの成功の保証はしかねますが、ラオス砂漠でも栽培できる作物を作れるように尽力いたします」
「おお、やってくれるか!」
「イサギさんのご厚意に感謝いたします」
引き受ける旨を伝えると、ライオネルは嬉しそうにし、クレイナは安堵の笑みを浮かべた。
ラオス砂漠の食料事情にはライオネルたちも大きく頭を痛ませていたんだろうな。
「早速、イサギたちに向かってもらいたいのだが、ラオス砂漠までの道のりは複雑で過酷だ。案内役としてこちらから一名を同行させてもらってもいいだろうか?」
ラオス砂漠には当然ながら俺は行ったことはない。それは恐らくメルシアも同じだろう。
道中までの案内をしてくれる者がいれば、移動はよりスムーズになるし、遭遇したことのない魔物などに戸惑うこともない。王家からの指示でやってきたとわかる方が、現地の住民との話し合いもより円滑に進むだろうし。俺たちからすればライオネルの申し出は非常にありがたいものだ。
「恐れながら、足手纏いになる方であればご遠慮いただきたいです。私はイサギ様をお守りすることに集中したいので」
メルシアがここまでハッキリと言うということは、それだけラオス砂漠周辺に棲息する魔物が手強いということだろう。余分な非戦闘員を抱える余裕はないということか。
そんなメルシアの返答にライオネルは面白いと言わんばかりの笑みを浮かべた。
「安心しろ。案内役に関しては足を引っ張ることはないと俺が保証する」
「であれば、問題ないです」
「では、案内役の紹介をしよう」
メルシアの言葉に同意するように頷くと、ライオネルが入り口に向かって「入れ!」と声を張りあげた。
入り口の大きな扉が開くと、謁見室に一人の獣人が入ってきた。
ショートジャケットにタンクトップ、ホットパンツに身を包んだやや露出の激しい格好をしている。
紅色の髪をポニーテールにしており、勝気そうな瞳をした少女だ。
「初めまして、第六十三代獣王ライオネルが実子。第一王女のレギナよ。よろしくね」
呆気からんとした様子をしたレギナの名乗りを聞いて、俺とメルシアは狼狽える。
「大丈夫なんですか?」
「何が?」
「だって、王女様ですよ? これから危険のある場所に向かうのですが……?」
「王女だからって安全な城に籠っているつもりはないわ! あたしは獣王の娘なのよ?」
おずおずと尋ねてみると、レギナは腰に手を当てて堂々と宣言した。
直接辺境までやってくる父にして、この娘ありと言ったところか。
「い、いいんですか?」
「国内の様子を自分の目で見てくるのも大事だからな」
「箱入り娘は必要ありませんので」
縋るような視線を向けるも、ライオネルとクレイナはレギナの同行を取り消すつもりはないようだ。
というか、クレイナの台詞が厳しい。これが獣王家の価値観なのだろうか。
「レギナ様に万が一のことがあったら困るんですが……」
「あたしが死んだらその時はその時よ! 兄さんか弟かが適当に王位を継ぐから問題ないわ!」
懸念点を告げるも、レギナは豪快に笑って俺の背中をバシバシと叩いてくる。とても痛い。
「ねえ、メルシア……大丈夫だと思う?」
道中における戦闘の割合は恐らくメルシアが一番高い。彼女の判断を聞いて、ダメそうなら悪いけどお断りしよう。というか、できればお断りしたい。何とか理由をつけて断れないだろうか?
「レギナ様の武名は獣王国内でも有名ですので、頼りになる案内役になってくださるかと」
そんな俺の思いとは裏腹にメルシアはレギナの同行をあっさりと認めてしまった。
「そうよ! 父さんと母さんには敵わないけど、それ以外の人には負けないから!」
内心で大きくガックリとする中、レギナが気合いを入れるように左右の拳を打ちつけた。
たったそれだけのことで大きな風圧が起き、俺とメルシアの前髪が大きく揺れた。
まあ、どのみち案内役は必要なんだ。肩書きこそ重いものの、実力者であれば拒む理由はないか。
「言い忘れていたが、成功した暁にはもちろん報酬を出そうと思う」
「それはどのようなものでも可能でしょうか?」
「何か欲しいものがあるのだな? 言ってみろ」
問いかけると、ライオネルが面白いとばかりに身を乗り出した。
これは素直に言っていいパターンだろう。
「大樹の葉や枝などをいただければと」
「これは興味本位なのだが何に使うのだ?」
「葉は万能薬だけじゃなく、エリクサーの原料に。木材は基礎耐久が高く、湿気や熱にも強くて燃えにくいんです。香りには防虫、防菌、リラックス効果がある上に、木目も美しい。まさに理想の木材といえるでしょう。浴槽、扉、フローリング、家具、何にでも加工ができます。枝に関しましては雑貨から武具と幅広い範囲で活用ができます」
「お、おお。そうか」
大樹の素材の用途を軽く語ってみせると、ライオネルがちょっと引いたような顔をする。
説明している最中に思わず熱がこもってしまったが、それだけ大樹は素晴らしい素材なのだ。
庭園で葉っぱを一枚だけ貰ったが、できるならばもっと欲しい。
大樹の葉でエリクサーを作ってみたいし、様々な種類のポーションだって作ってみたい。大樹の木材を使って、ここのような素晴らしい建物を作ってみたい。錬金術師とこれほど興味が惹かれた素材は久しぶりだ。
「わかった。成功した暁には大樹の素材をいくつかイサギに渡そう」
「ありがとうございます」
こうして俺とメルシアとレギナはラオス砂漠に向かうことなった。