大樹の中はとても広かった。樹をそのままくり抜いて作っており、天井がとても高い。

広いロビーの左右には廊下が続いており、正面には()(せん)階段が続いている。

「すごいや。本当に大樹をくり抜いて作っているんだ」

床、壁、天井といったすべての部分に丁寧な加工が施され、触れてみるととても手触りがいい。

ただの木材やトレント木材とも違った柔らかで爽やかな香りだ。中にいるだけで気持ちが安らぐ。

大樹の中を観察していると、俺だけじゃなくメルシアも興味深そうに視線を巡らせているのが見えた。

「メルシアもここに来るのは初めてなのかい?」

「獣王都には何度か訪れたことはありますが、大樹の中に入るのは初めてです」

「へー、そうなんだ」

「滅多なことがなければ、国民でも足を踏み入れることができないからな。大樹の中に入りたいが故に、ここの兵士を希望する者もいるぐらいだ」

ライオネルがどこか苦笑しながら補足してくれる。

シンボルではあるものの、ライオネルをはじめとする王族の住まう場所なのだ。国民だからといって()(やみ)に入れるわけにはいかないのだろうな。

「それでは私はここで失礼するのです」

さあ、一歩を踏み出そうというところでコニアが言った。

「コニアさんは、ここで帰るのですか?」

「私が依頼されたのは、あくまで大樹までお連れすることなのです」

一緒に(えっ)(けん)室までくるものだとばかり思っていたが、あくまでコニアが頼まれたのは俺たちを獣王都にまで連れてくること。それ以上はライオネルの指示の範囲外ということか。

「ご苦労だった、コニア。料金についてはいつもの口座に色をつけて振り込ませておこう」

「ありがとうございますなのです!」

帽子を取ってぺこりと頭を下げると、コニアは「では!」と言い残して大樹を出ていった。

「少し歩くことになるが我慢してくれ」

俺とメルシアは大人しくライオネルについていき、正面にある螺旋階段を上る。

見上げてみると、階段が何十メートルと続いていた。

王様っていうくらいだから低い階層には住んでいないよね? 頂上の方まで俺の体力が持つだろうか。そんな不安を抱きながらひたすらに階段を上っていく。

すると、前方から物凄い勢いで階段を下ってくる者がいた。

「ライオネル様! こんなところにいらっしゃいましたか! まだ執務の方が終わっていない以上、逃げられては困ります!」

大声をあげながら慌てたようにやってきたのは、前回ライオネルと一緒にプルメニア村を尋ねてきた宰相のケビンだった。

にしても、なんで大樹の幹にいるんだろうと思っていたけど、執務から逃げ出していたのか。

相変わらずの奔放さだ。

「落ち着け、ケビン。今はイサギたちを案内している。こっちが優先だ」

「イサギさん?」

「お久しぶりです、ケビンさん」

軽く頭を下げて挨拶をすると、ケビンが目を大きく見開いた。

「……コニアさんに手紙を渡して、まだ三週間も経過しておりせんが?」

「改良したゴーレム馬のお陰で早く予定よりも早く着いちゃいました」

「通常ならあり得ないと言いたいところですが、イサギさんほどの錬金術の腕であれば可能なのでしょうな。それはともかく――」

俺を見て好々爺のような柔らかい笑みを浮かべ、納得するように頷いたケビンだが、次の瞬間には表情を一転させてライオネルの方へ振り返った。

「これから謁見するというのに、王が直接お客人の案内をしていては威厳がないでしょうが!」

ケビンの言い分はもっともだ。

これから王と謁見するというのに、王が客人を案内するというのは変な話だ。

このままでは一緒に謁見室の扉をくぐって、謁見することになってしまう。

「いや、しかしだな――」

「言い訳は結構です。案内は私がしますので、ライオネル様は準備を整えて謁見室でお待ちください」

「……わかった」

やや釈然としない表情だったが、ライオネルは反論することなく先に階段を進んでいった。

「見苦しいところをお見せしました。ここからは私が案内させていただきます」

「よろしくお願いします」

会釈をすると、そこからはケビンが先導して案内してくれる。

ケビンは背丈が低くて歩幅が小さいので階段を上るペースも緩やかなのが助かる。ライオネルは歩幅が大きいせいか、ズンズンと進んでいくので付いていくのが大変だった。

もっとも大変なのは俺だけでメルシアはまったく平気なのだけど。

「謁見室に向かう前の小休止として、少し眺めのいいところにご案内してもよろしいでしょうか?」

一瞬、体力のない俺を気遣っての提案かと思ったが、ライオネルとは先ほど別れたばかりだ。

早く着きすぎたせいで俺たちは突然やってきた客のようなもの。謁見室の準備や、ライオネルが正装に着替えるための時間が欲しいのだろう。

「ぜひともお願いします」

「こんな機会は滅多にありませんからね。父と母にも自慢できます」

ケビンの狙いがわかった俺たちは、素直に乗っかっておくことにした。

足がパンパンに張ったまま謁見室に入るのも困るしな。

螺旋階段の途中で廊下へと移動。

徐々に先細っていく道を真っすぐに進むと、ガラス扉が見えた。

ケビンが扉を開いて、続くような形でくぐると庭園のような場所に出た。

周囲には色とりどりの花が咲き、床には芝が生えている。

「ここは大樹の庭園です。私たちが入れるスペースの中で一番眺めのいい場所となります」

見上げると、頂上部分にも同じような幹が見える。

あそこはライオネルをはじめとする王族のみが出入りできる庭園なのだろう。

「うわ、すごくいい眺めだ!」

「獣王都が一望できます」

庭園からは獣王都の景色がよく見えた。

大樹を中心に大きな道が四方に広がっており、そこからさらに道が分岐し、道に沿うように建物が建てられている。上から見てみると、大樹を中心に建国されたという逸話がよくわかるというものだ。

中央広場にはここと同じように地面が芝になっており、そこでは獣人の子供たちが走り回ったり、大人がまったりと座っていたり、皆が思い思いに過ごしているようだ。

「同じ大国でも帝国とはまったく雰囲気が違うね」

「……そうですね」

帝国では大通りは華やかであるが、大通りから少し外れてしまえば道端に貧困層で溢れ、さらに外れたところではスラム街のようなものが形成されてしまっている。

貧富の差が激しく、富裕層は貧困層にまるで目を向けない。寂しい国だ。

しかし、獣王国はこうして見ている限り、大通りから外れても貧困層が溢れていることはなかった。

「ケビンさんは、俺たちにこの光景を見せたかったんですね?」

「はい。あのような奔放な主ではありますが、獣王として民を思う気持ちは本物ですので」

「ええ、道を歩く獣人たちの表情を見れば、ライオネル様への信頼がわかりますよ」

自分たちの未来がより良いものになると思っていなければ、あのような表情はできない。

逆に自分たちの未来に絶望しかなければ、帝国の民のような諦観(ていかん)に塗れた表情になってしまう。

「できれば、俺の錬金術で帝国の民たちにも光を見せてあげたかったな」

本当に帝国の民を救いたいという気持ちがあるのであれば、解雇された後でも帝国に残って活動するべきだった。それはかなり険しい道のりだが不可能というわけでもない。

「結局は他人よりも我が身が大事なんだな」

「国が違えどイサギ様が錬金術師として活動していけば、巡り巡って帝国の民の光にもなります。そのように自分を責めないでください、イサギ様」

「イサギさんが獣王国にやってきてくださり、その手腕を振るっていただけたお陰で民たちに光があるのです。宰相として改めてお礼を申し上げます」

「メルシア、ケビンさん……ありがとうございます」

帝国でやり残したことや、過去の自分の行いに心残りがあれど、今の俺には成し遂げたことがある。

メルシアやケビンの励ましの言葉で、そのことに気付くことができた。

どんよりと曇っていた心が、一瞬にして晴れ渡った気分だ。

空を見上げていると、柔らかい風が肌を撫でると同時に頭に軽い何かが載った。

思わず右手を頭頂部に持っていくと、髪の毛に葉っぱがくっ付いていた。

「大樹の葉だ」

「おお、大樹の葉が頭に乗るとは縁起がいいですなぁ。ぜひ受け取ってください」

「え? こんな稀少なものいいんですか!?」

大樹の葉はかなり良質な素材だ。万能薬、特効薬、ポーション作成のための良質な素材となる。

たった一枚だけで原価として金貨五枚にもなるだろう。そんなものを気軽に譲ってもいいのだろうか?

「稀少な素材故に本来であれば気軽に渡すものではないですが、イサギさんでしたら構いません。それに渡すことを選んだのは大樹ですから」

「ありがとうございます」

大樹が気に入ってくれたのか、ただの気まぐれなのかはわからないが、素直に受け取っておくことにした。

大樹の葉をマジックバッグに仕舞うと、兵士が庭園へと入ってきてケビンへと耳打ちをする。

恐らく、謁見の準備が整ったのだろう。

「さて、そろそろ謁見室の方に向かいましょうか」

ケビンの言葉に俺とメルシアは頷き、謁見室に向かうのだった。