「イサギ様、準備が整いました」
準備期間の二日を終えて、獣王都へと出立することになった当日。
先に準備を終えて外で待っていると、遅れてメルシアが家から出てきた。
メルシアの服装はいつもと変わらないクラシカルなメイド服であり、背中にはバックパックを背負っていた。
「……えっと、今回もメイド服?」
「はい。私はイサギ様のメイドなので」
これが私の正装ですが何か、と言わんばかりの表情。
まあ、メイド服も立派な正装だし、ライオネルの居城で着ていても何も問題はないか。
直接感謝の言葉を受け取るのは俺なわけで、メルシアは後ろで控えているだろうし。
「そっか。メルシアのドレス姿とか見たかったなぁ」
「……一応、パーティーなども想定してドレスも持ってきております」
なんて言ってみると、メルシアはやや俯きながら恥ずかしそうに言った。
真っ黒な耳がピコピコと動き、尻尾が左右に揺れている。
「そうなんだ。帝国のようにパーティーがあるとは限らないけど、もしあるとしたら楽しみだな」
そういった社交の場はあまり得意じゃないけど、メルシアのドレス姿が見られるのであれば頑張れそうだ。
「農園の引継ぎや販売所に関しては問題ないかい?」
「問題ありません。日頃からイサギ様や私が不在でも業務をこなせるような形を作っていましたので」
雑談もほどほどに業務の確認をすると、メルシアは表情を凛としたものにして答えた。
……確かに皆も慣れてきたのか、ここ最近は俺がほとんど口を出さずとも、自ずとやることを理解している節があった。こういった状況を想定して、メルシアが指導してくれていたらしい。
「全体の指揮にはラグムントさんにお任せしています。イサギ様が不在なことで栽培ペースや品質がやや落ちることは否めませんが、イサギ様が不在な状況での成育データもとっておきたかったのでちょうどいい機会です」
不安ともいえる状況を、新しい好機とも捉えて動いている。メルシアが優秀すぎる。
……もう代表は俺なんかじゃなくて、メルシアにした方がいいんじゃないかな?
俺は適当な閑職か補佐という扱いにして、メルシアを中心に盛り立てた方がいい気がする。
「二人とも準備は整ったか?」
なんてことを真面目に検討していると、後ろからケルシーとシエナがやってきた。
獣王都に向かう俺たちを見送りにきてくれたらしい。
「はい、バッチリです!」
「……見たところイサギ君は武器を持っていないようだが?」
「俺はそういった武器を振り回すのは不得意ですので……」
俺は幼い頃から錬金術師としての才能を見出され、工房でひたすらにこき使われながら錬金術を学ぶという生活を送ってきたんだ。武術を習う暇も訓練をする時間もなかった。
当然、武術に関する心得はまったくない。
両手を広げてそのことをアピールすると、ケルシーの表情が険しくなる。
「……メルシア、やっぱり獣王都への出立はやめにしないか?」
「獣王様の招待を断ることはできませんよ、お父さん」
「そうだったな」
メルシアがきっぱりと告げると、ケルシーが悲壮な声を漏らす。
「イサギさんをしっかりとお守りするのよ?」
「もちろんです。命に代えてもイサギ様をお守りします」
真剣な表情をしたシエナと、戦地にでも赴くかのような台詞を吐きながらこくりとメルシア。
普通、こういった台詞は男性である俺が言われるものだと思うのだが、たった今武術の心得がないことを暴露してしまったので無理もない。とはいえ、戦えない男だと認識されるのもちょっと癪だった。
「……あの、武術の心得がないだけで、錬金術や魔法は使えますからね?」
「魔法はともかく、錬金術が戦闘の役に立つのか?」
心配げな顔をするケルシーとシエナの前で、俺は地面に手をついて錬金術を発動。
すると、前方にある地面が何本もの杭へと変質し、虚空を貫いた。
さらに杭のある場所に錬金空間を作り出すと、そこに空気を取り込んで魔力で圧縮をかける。
逃げ場を失った圧縮された空気は、錬金空間を破砕して周囲に爆発をもたらした。
砂埃が晴れると、地面の杭は一本も残ることなく塵となっていた。
錬金術による戦闘技術を披露すると、ケルシーとシエナはぽかんとした表情になっていた。
二人の前では作物を品種改良したり、家を作ったり、武器を改良してみせたりといった技術しか見せていなかったので驚いたのだろう。
「錬金術の真骨頂は物質を変質させることにあります。魔力が通りさえすれば、周囲にあるもののすべてが武器になりますよ」
「……なんだ、そのちゃんと戦えるのであればよかった」
「あらあら、これなら道中も心配することはなさそうね」
自衛程度ができることを示すと、ケルシーとシエナは安堵の息を漏らしながら呟いた。
とはいえ、俺には戦闘経験が多いわけではないし、獣王国内で旅をするのは初めてだ。
申し訳ないが存分にメルシアを頼らせてもらうことにしよう。
「皆さん、おはようございますなのです!」
錬金術で地面を均していると、ワンダフル商会の馬車に乗ったコニアがやってきた。
「おはようございます、コニアさん。うちの宿はどうでしたか?」
「最高だったのです! 部屋に魔道具まであるなんて至れり尽くせりなのです! 仕事のことを忘れてゆっくりと休んだのは久しぶりだったのです!」
「ゆったりと過ごせたようで何よりです」
ゆっくりと身体を休めることができたのは久しぶりだったのか、随分と肌艶が良くなっているだけでなく、髪の毛、耳、尻尾もしっとりとしているように見える。
二日間、こちらの都合で待ってもらうことになったコニアや従業員の皆さんにはグレードの高い部屋でくつろいでもらったからね。
魔道具によって水回りは完備されているし、調理ができるようにコンロもある、その上部屋には浴場もあるのでリラックスしてもらうことができたようだ。
各地を渡り歩いているワンダフル商会の皆さんに満足してもらえたのなら、うちの宿にも自信が持てるというものだ。
「ところで、イサギさん。獣王都までの道のりを短縮できるものというのは何なのです?」
「コニアさんもご存知のゴーレム馬を使います」
「確かに普通の馬と違って疲労がなく、魔石を動力とするゴーレム馬は長距離の移動に最適ですが、それほど時間を短縮できるものなのです?」
コニアは何度か農園にあるゴーレム馬に乗ったことがある。
ゴーレム馬の性能を知っている以上、長旅に不安を覚えるのも当然だ。
「ご安心ください。今回ご用意したゴーレム馬は長旅に備えて大きく改良していますから」
俺はマジックバッグから改良版のゴーレム馬を取り出した。
「わっ、大きなゴーレム馬なのです!」
目の前に現れた四頭のゴーレム馬は、農園にある従来のゴーレム馬に比べてかなり大きい。
農園のゴーレム馬がポニーサイズだとすると、こちらは軍用馬サイズだ。
「従来のゴーレム馬を長距離移動用に改良しました」
「ということは、かなり速いのですか!?」
「はい。かなりの速度が出ますよ」
こくりと頷くと、コニアはキラキラとした眼差しをゴーレム馬に向けた。
商人であるコニアは馬車を使って各地で商いをしている。移動する速度が上がれば、効率よく商いができるわけで、単純に売り上げが増えるわけだ。
「早速、馬車に繋ぎますね」
「お願いするのです!」
ワンダフル商会の馬車を牽いている馬の縄を御者に解いてもらい、俺は新しく作ったゴーレム馬に縄を括り付けていく。
「一頭だけで大丈夫なのですか? 結構な量の積み荷があるのですが……」
「はい、これくらいあれば一頭で十分ですよ」
通常は積荷の載っている荷車一つにつき、馬が二頭から四頭が必要になる。それ故にコニアの瞳は懐疑的だ。本当に大丈夫なのだろうかという言葉が顔に浮かんでいるようだった。
「心配する気持ちはわかりますが、実際に走ってみればわかりますよ」
「わ、わかったのです」
ひとまず、コニアが納得してくれたところで俺たちは荷車へ乗り込む。
中にはソファーがあり、中央にはローテーブルが設置されていた。
腰かけてみると、ソファーにお尻が沈み込むようだった。
肌ざわりもとてもいいし、質の良いものなのは明らかだろう。
対面にコニアがちょこんと腰をかけ、隣にメルシアが座った。
「それでは出発なのです!」
コニアの元気な声を合図に俺はそれぞれのゴーレム馬に指示を飛ばし、ゆっくりと走らせた。
「気を付けてな!」
「獣王様に失礼のないようにするのよ!」
見送りにきてくれたケルシー、シエナには窓から顔を出して手を振り返す。
やがて二人の姿は小さくなっていき、見えなくなった。
「さて、そろそろスピードを上げますよ」
村を出て、通りに人がいなくなったところで俺はゴーレム馬に加速の指示を出した。
すると、ゴーレム馬が走り出し、俺たちの乗っている馬車が加速していく。
「わっ! すごいのです! たった一頭でこんなにも速く進めるなんて……ッ!」
ゴーレム馬の速度にコニアは驚き、感激している。
通常の馬車ではあり得ない速度に後方にいる従業員からも驚きの声があがっていた。
「まだまだ速くなりますよ」
「本当なのですか!?」
「とはいえ、これ以上速くすると荷車の方が心配で……」
ゴーレム馬の方は問題ないが、引っ張っている馬車の耐久力が心配だ。
俺なら馬車が壊れても錬金術で修繕できるのだが、他人様のものを壊しながら進みますなんてことは言いづらい。
「うちの荷車は魔物の襲撃に備えて強化装甲を使っているので荒く使おうが問題ないのですよ! それに多少パーツが壊れたところで、イサギさんが直してしまえばいいのです!」
「コニアさんがそこまで言ってくださるのであれば、遠慮なく加速しちゃいましょう」
「思いっきりやっちゃってくださーいなのです!」
コニアからの頼みにより、懸念点が解消されたので俺はゴーレム馬にさらなる加速を命じた。
ゴーレム馬に内蔵された魔石が唸りを上げて、さらなる加速をする。
「ふわっ!?」
あまりの加速に対面にいたコニアがバランスを崩し、前のめりに倒れてくる。
コニアの額がソファーにぶつかってしまうことを懸念し、俺は慌てて両手で迎えにいって抱きとめることにした。
「大丈夫ですか、コニアさん?」
「び、ビックリしたのです。イサギさんが受け止めてくれて助かりました」
「お怪我がなくてよかったです」
「あ、あの、そろそろ離してくださると嬉しいのです。この体勢はちょっとお恥ずかしいので……」
頬を赤くしながら上目遣いで言ってくるコニア。
自分よりも華奢な身体をした女性を抱きしめていると、認識すると途端に恥ずかしさが込み上げてきた。
「す、すみません!」
「いえ、イサギさんは悪くないのです」
「そちら側は危険ですのでコニアさんもこちらにお座りください」
「ありがとうなのです」
元の場所に戻ろうとしたコニアに対し、メルシアが自らの左側を空けて座らせてあげた。
「進行方向の逆側に座ると、乗客への影響が大きいのが問題だな。身体を固定するベルトとか作った方がいいかな?」
「そうされた方がいいかもしれませんね」
こういった錬金術の相談をすると、何かしらの意見や提案をくれるのだが、今日のメルシアは珍しく投げやりな返答だ。
「あれ? なんかメルシア怒ってる?」
「怒ってなどいません。私はいつも通りです」
などと言うが、声音と表情は明らかに不機嫌そうだ。
視線もこちらにはくれず、明後日の方を向いてツーンとしている。
一体、何に怒っているのだろう?
道中の暇な時間に必死に脳を回転させるが、まったく見当がつかなかった。