解雇された宮廷錬金術師は辺境で大農園を作り上げる



「あっ、ラグムントとリカルドが来た!」

微笑ましく見守っていると、ネーアが俺とメルシアの手を取って裏に回った。

「お二人にもやるんですか?」

「リカルドはともかく、あの真面目なラグムントがどんな風に慌てるか見たいじゃん?」

見たくないかと言われれば嘘だけど、普通に怒られそうだ。

とはいえ、俺とメルシアもネーアに悪戯を仕掛けた側なので、偉そうに止めることもできない。

結果として俺とメルシアは稼働のさせ方をネーアに教えるしかなかった。

リカルドとラグムントが歩いて販売所の入り口にやってくる。

様子を見る限り、リカルドが一方的に話しかけていて寡黙なラグムントが相槌を打ちながら聞いており、たまに質問を返す程度。

正反対な性格のように見える二人だが、意外と仲がいいのかもしれない。

なんて俺が思っている中、相槌を打っていたラグムントの視線が妙に上へと向いた。

特に声を上げることはないが、不思議そうに上部を見つめている気がする。

「ラグムントさん気付いているんじゃないですか?」

「えー? それはないよ。普通はあんなとこ見ないって。それよりそろそろいくよー?」

俺の言葉にとりあう様子もなく、ネーアはリカルドとラグムントが入り口に到達した途端に魔力を注いだ。

「どわあっ! 冷てえっ! なんだこりゃ!?」

噴射された水霧をリカルドはもろに受けたが、ラグムントは気付いていたのか後退して避けた。

「にゃー! なんでラグムントは避けれたの!?」

「入り口にいつもと違う物が付いていれば警戒するだろうに」

声をあげて詰めかけるネーアにラグムントは呆れの視線を向けた。

やっぱり、ラグムントは魔道具が設置されていたことに気付いていたらしい。

「いやいや、入り口なんて普通注視しないよね!?」

確かにネーアの言う通り、普段通い慣れた職場の入り口など滅多に注視しない。

ましてや今回設置した魔道具は目立たないようにしている。ラグムントがどうやって発見できたのかは俺も不思議だった。

「農園の安全のために施設に危険物がないか注視するのは当然だろう?」

「販売所は外部からの出入りも一番多い場所ですからね」

ラグムントが平然とした顔で言い放ち、メルシアも同意するように頷いた。

「……なんだかあたしたちとは見ている世界が違う」

ネーアが俺の気持ちを代弁するかのように呟く。

だけど、そんな二人がいるからこそ俺たちは安全に働けるのだと思う。

「とにかく、これが涼しくするための魔道具なんだよね?」

「はい。農園のすべてに設置とはいきませんが、作業量の多い場所や休憩所の傍には配置したいと思います。あとは移動式の小型送風機なども作っていく予定です。少しの間はご不便をおかけしますが、これで頑張っていただけると助かります」

「にゃー! これがあるだけでも大助かりだよ!」

「さっきはビビったけど、これめっちゃ気持ちいいもんな! 最高だぜ!」

「わざわざ、私たちのためにありがとうございます」

「いえいえ、従業員の皆さんが快適に働けるようにするのが俺の役目ですから」

ネーア、リカルド、ラグムントは礼を告げると、販売所の中に入っていった。

「さて、庭にも水霧の魔道具を設置しておこうかな」

「庭に……ですか?」

俺の言葉にメルシアが不思議そうな声をあげた。

水霧の魔道具は建物の玄関口や、作業場、一通りの多い道などに設置するものだ。

開けた庭に設置することはあまりない。メルシアが不思議に思うのも当然だ。

「広い場所で水霧が噴き出す場所があったら子供たちが喜ぶかなと思って。機能的に考えると、無駄かもしれないけど、豊かな生活にはこういう無駄も必要かなって」

なんて意図を伝えると、メルシアは呆然とした顔を浮かべたが、すぐに表情を笑みへと変えた。

「子供が笑顔になれる場所が無駄なわけがありません。きっと喜ぶかと」

「そうなるといいな」

帝国ではこういった使い方は許されないことだった。

でも、今の俺がいるのは帝国とは関係ない獣王国のプルメニア村。ここでならこういった設置の仕方もできる。

俺はマジックバッグから木材を取り出すと、錬金術を発動。

木材を加工、変質させて、一休みするための屋根とイスを作った。

帝城の庭園にあった東屋のようなイメージだ。

イスの下に空間を作ると、そこにタンクを設置するとチューブを屋根伝いに伸ばして括り付けた。

タンクに魔力を流すと、屋根に通されたノズルから水霧が噴き出した。

「うん、イスに座っていても濡れないね」

「風通しもとてもいいので心地いいです」

メルシアと並んでしばらく腰かけて体感してみると、とても気持ち良かった。

天気がいい日には農園カフェのジュースを片手に、ここで談笑したりできるだろう。

水霧の魔道具の設置が終わると、俺は次の魔道具を設置するために販売所の中に入る。

フロアではノーラをはじめとする販売所の店員が動き回っている。

販売所内の扉は開かれ、窓もしっかりと開け放っているが、気温が高いせいかどこかむわっとしている。

品出しをしているノーラの額にはじんわりと汗をかいていた。

これだけ気温が高いと、作物への影響も懸念される。早めに作っておいて本当によかった。

店員たちが作業をする中、俺とメルシアはフロアの奥へ進む。

マジックバッグから冷風の魔道具を取り出すと、おもむろに設置した。

「イサギさん、なにを置いているのです?」

魔道具を設置すると、ノーラが疑問の声をあげた。

自分の職場に上司が何かを設置したとなれば、気にならない店員はいないだろう。

「販売所を涼しくするための魔道具の設置です」

「「本当ですか!?」」

答えると、ノーラだけでなく他の店員も反応を見せた。

それだけ販売所内の暑さに辟易(へきえき)していたということだろう。

「早速、稼働させてみますね」

ノーラたちが集まってくる中、俺は冷風の魔道具に魔力を流した。

噴出口から冷たい風が勢いよく噴出した。

氷魔石に生み出された冷気が風魔石によって生まれた風によって押し出され、拡散された。

程なくして暑い空気が押し出されて、周囲に冷たい空気が漂い出す。

「はぁぁ~……ヒンヤリとした風がとても気持ちいいです」

冷気を浴びたノーラが恍惚した表情を浮かべる。

他の店員たちもヒンヤリとした冷気を浴びて、とても気持ち良さそうにしていた。

「冷気を逃がさないために窓や入り口を閉めてもらえますか? その方がもっと涼しくなるので」

「皆さん、急いで戸締りを!」

もっと涼しくなるという言葉に我に返ったのか、ノーラがパンと手を叩きながら言う。

すると、店員たちが一斉に動いて扉、カーテン、窓を閉める。

上の階に上る手間すら惜しいと思ったのか、壁を走って二階へと移動している店員もいた。

彼女は窓とカーテンを素早く閉めると、そのまま二階から飛び降りて優雅に着地。

乱れた髪と衣服の整えると、気恥ずかしそうな笑みを浮かべた。

「獣人の身体能力の無駄遣いを見た気がする」

雇用する前から雑談をする間柄のご婦人だったが、まさかあんなアクロバティックな動きができるとは。

やっぱり獣人ってすごい。

皆の行動の速さに圧倒される中、俺とメルシアはフロアの右側に二台目を、左側に三台目の魔道具を設置。魔力を流すと、それぞれの魔道具からの冷気が噴射された。

しばらく待っていると、販売所内の空気がヒンヤリとしたものに包まれた。

「フロアが広いから完全に涼しくなるまで少し時間がかかるね」

「細かい部分は設置場所を変えることで詰めていけるかと」

「そうだね。後は空気を攪拌(かくはん)するために送風機を設置すると、効率よくフロア内を冷やせるかも」

まだまだ詰めるべき部分はあるが、そこは稼働させながらデータを取ることで改善されそうだ。

「とにかく、これなら作物も傷まないし、店員やお客さんも快適かな?」

「はい! とても快適ですわ! 家よりもこちらの方が快適で帰りたくないですわね」

「さすがに家には帰ってくださいね?」

なんて言ってみるが、誰からも冗談だという返事がこないのが恐ろしい。

さすがにちゃんと家に帰ってくれるよね? そこはノーラたちを信じるとしよう。



冷風の魔道具の設置が終わると、俺とメルシアは販売所から農園に移動することにした。

農園を警備してくれているコクロウやブラックウルフたちのために作った小型送風機を渡すためである。

「販売所の中が快適過ぎて、外に出るのがしんどいや」

「夏のあるあるですね」

販売所内が涼しいが故に、外に出た瞬間の暑さにげんなりとする。

帝城で働いていた時もよくあったが、未だにこれには慣れないものだ。

「さて、コクロウのところに向かおうか。問題はどこにいるかだけど……」

ブラックウルフたちはともかく、そのリーダーであるコクロウは影を自由に移動できるためにどこにいるかわからない。

スイカ畑の周辺をうろついていることもあるが、従業員やゴーレムの影に潜んでいることもある。

時折、気分転換に山や森を走り回っていることもあるために、狙って会おうとするのが難しい奴だったりする。

「イサギ様、コクロウさんが見つかりました」

この暑さの中を延々と歩き回って探すことになると辛いなどと考えていると、メルシアが中庭を指さしながら言った。

視線を向けてみると、販売所の庭に作ったばかりの休憩所にコクロウやブラックウルフたちが寝転んでいた。

設置してから数十分も経過していないのに、これだけの数が集まっているのが驚きだ。

水霧を浴びて心地よさそうに転がっているブラックウルフたちを見ると、なんとも癒される。

「販売所の周りにまでやってくるなんて珍しいね?」

「フン、ちょうどいい休憩場所があったからくつろいでいただけだ」

「水霧の魔道具は気持ちいいかい?」

「悪くはない」

コクロウとの付き合いも長くなってきたので「悪くはない」という言葉が彼の中で結構気に入っていると訳されるわけだ。

「だが、場所が限定されるのが気に食わん」

「あくまでこれは農園での作業を快適にするためのものだからね。コクロウたちの魔道具は別に用意しているよ」

「ほう?」

コクロウが興味深そうにする中、俺はマジックバッグから装着式の小型送風機を取り出した。

「おい、ふざけるな。我は貴様の飼い犬になったつもりはないぞ?」

すると、魔道具を見た瞬間にコクロウの機嫌が悪くなる。

この反応は予想していたものだ。

「首と身体に引っかけて装着するだけで首輪じゃないよ。ほら?」

「……確かにそうだが、ほぼ首輪みたいなものではないか。気に食わん」

魔道具を見せながら首輪じゃないと懇切丁寧に説明するも、コクロウは気に食わないのかプイッと顔を背ける。

プライドの高い彼にとって、この形の魔道具は受け入れられないようだ。

「首輪じゃないんだけどなぁ……ブラックウルフ、おいで。涼しくなれる魔道具だよ」

「ウォン!」

「貴様! 人間に媚びを売るか!」

近くにいたブラックウルフを呼び寄せると、あっさりと来てくれた。

ブラックウルフのそんな態度にコクロウが叱りの声をあげるが、涼しさという魅力の前では無力のようだ。

大人しく待っているブラックウルフに小型送風機を装着させてあげる。

魔力を流してスイッチを押すと、胸元にある二つの三枚羽根が回転して風が生まれた。

「クウウウウン」

すると、ブラックウルフが気持ちよさそうな表情になった。

「胸元にある羽根が回転して、風を起こしているのか……涼しそうだな」

快適そうなブラックウルフを見て、コクロウがどこか(うらや)ましそうにしている。

形状が気に食わないとはいえ、魔道具に惹かれていることが十分わかる。

「ほら、首輪じゃなくて涼しくなるための立派な魔道具でしょ? コクロウもつけてみなよ」

「試してやらんこともないが、貴様につけられるのは我慢ならん。メルシアにさせろ」

俺が装着しようとすると尻尾で叩かれた。拒まれる意味がわからない。

「なんでさ」

「首輪をはめてもらうことに獣人と同じような意味があるのでしょう」

釈然としない俺の傍でメルシアがクスクスと笑いながら言った。

コクロウが威嚇してくるので、仕方なく魔道具をメルシアに手渡す。

メルシアが傍に寄ると、コクロウは大人しく装着された。

魔力を流してスイッチを押すと、コクロウの首元にある三枚羽根が回転して風が生まれた。

「もう少し風は強くできんのか?」

「胸元にあるスイッチで強弱を設定できるよ」

「ここか!」

調節場所を教えると、コクロウは器用にも自分の脚を使ってボタンを操作した。

三枚羽根の回転速度が上がり、さらに強い風が生まれる。

コクロウの柔らかな黒と銀の体毛がゆらゆらと揺れている。

「……中々の涼しさだ」

気持ちよさそうに瞳を細めながらのコクロウの言葉。

小型送風機はコクロウにとっても涼しいと思える魔道具だったようだ。

「これならどこにいても風を受けられるし、水霧の魔道具の傍にいると、空気もヒンヤリとしていてより気持ちがいいはずだよ」

「悪くない」

「魔物に作る魔道具は初めてだったんだけど、なにか気になるところはない?」

人間が使用する魔道具は数多く作ってきたが、魔物が使用する魔道具を作ったのは今回が初めてだ。

俺たちの感覚では問題ない範囲でも、魔物ならでは感覚では気になるところがあるかもしれない。

今後の参考としてとても気になる。

「……羽根の回転する音が大きいのが難点だ」

「んー、やっぱり聴覚のいいコクロウたちにはうるさいよね」

人間に比べて聴覚が鋭敏なことはわかっていたので、できるだけ素材を工夫して消音性を高めてみたのだが、コクロウやブラックウルフにとってはまだ音が大きく感じるらしい。

「音はどのくらい気になる?」

「この涼しさによる恩恵を考えれば十分に許容できる範囲だ」

よかった。装着するだけでストレスを感じるレベルではないようだ。

「だが、神経質な奴はつけるのを拒むだろう」

コクロウがそう述べる後ろでは、何体かのブラックウルフがメルシアから逃げ回っていた。

「拒まれてしまいました」

「あいつらは音に敏感だからな」

しょんぼりとしているメルシアを慰めるコクロウ。

前から思っていたが、俺には厳しいのにメルシアにはちょっと優しいんだな。

「イサギ様、魔道具が七つほど余ってしまいましたが、どうしましょう?」

「俺たちの分として再利用しちゃおう」

メルシアから余った魔道具を受け取ると、俺は錬金術を発動。

魔道具の形状を変化させると、自分の首へと引っかけた。

魔力を流してスイッチを押すと、気持ちのいい風が首へと吹きつけた。

「うん、首が涼しいや」

首元には熱が溜まりやすく汗もかきやすいので、夏には助かるだろう。

気になる音の方だが、聴覚が鋭敏なコクロウたちに気を配って消音性を高めていたお陰か、かなり音は小さくなっており俺はまるで気にならない。

「メルシアも使ってみてくれる? 俺は気にならないんだけど、獣人の人がどうか気になるから」

追加で形状変化させた魔道具を差し出すと、メルシアは手を伸ばそうとして引っ込める。

それから妙に身体をもじもじとさせて(うかが)うように言ってくる。

「……では、首にかけてくださりますか?」

「うん? 別にいいけど?」

別にこの魔道具は首に引っかけるだけだから装着するのが難しいわけじゃないんだけど。

だからといって、頼みを断るほどの理由があるわけでもないし、俺は素直にメルシアの首に魔道具をかけてあげた。

「…………」

「メルシア?」

魔道具をかけてからメルシアの反応がまったくなかったので呼びかけると、彼女はハッと我に返ってスイッチを押した。

すると、二つの三枚羽根から風が送られる。

メルシアの黒い髪が魔道具によって生じた風によりふわりと揺れた。

「とても素晴らしいです」

「よかった」

ちょっと予想と違うコメントだったけど、涼しいということだろう。

「……貴様は存外と大胆なことをするな」

「え? なにが?」

ただ魔道具を首にかけただけじゃないか。それに何の意味があるというんだろう。

首を傾げると、コクロウが哀れなものを見るような目になった。

納得がいかない。けど、今は意味合いよりも魔道具の感想が大事だ。

「メルシア、魔道具の音とか気にならない?」

「まったく気になりません」

どうやら獣人であるメルシアにとっても気にならないようだ。

これなら両手がふさがることもないし、農作業のお供にいいかもしれない。

後でネーアたちにも配ってみよう。

これで夏の作業も皆で乗り切れそうだ。



魔道具の設置を行った翌日。

俺は従業員たちの様子を見るためにゴーレム馬で農園を回ることにした。

移動していると、ネーアが農作業ゴーレムを連れてキャベツ畑にいるのが見えた。

ネーアが球を斜めにして外葉を広げて二枚残し、株元に包丁を入れては切り取る。

一つ、二つ、三つと切り取ると、(うね)を跨いでまた一つ、二つと切り取っていく。

ネーアが切り取ったものは後ろにいるゴーレムが素早く籠の中へと入れていた。

「おはようございます。今日も暑いですけど、調子はどうですか?」

「イサギさんのお陰で快適だよ!」

振り返るネーアの首には、小型送風機がかけられていた。

ブラックウルフたちのものを改良して配ったものを、早速身に着けてくれているらしい。

「小型送風機や水霧のお陰で作業中も涼しいし、休憩時間は冷風機のある場所で休めるからね」

「それはよかったです」

ついこの間は暑さで疲労困憊といった様子だったが、魔道具のお陰で暑さを増した午後でも作業を元気に続けられているようだ。

こういった嬉しそうな笑顔を見ると、魔道具を作った甲斐があるというものだ。

帝国にいた時は魔道具を作っても、使用者の顔なんてほとんど見ることができなかった。

やっぱり、俺はこうやって直接使用者の反応が見られる場所で仕事をするのがいいとしみじみと思う。

「ここまでしてもらったからには、あたしたちも一層頑張らないとねー」

俺との会話に応じながらもネーアは手を止めることなく、キャベツの株元に包丁を入れ、芯を切っていく。それらを次々とゴーレムが回収。

「ゴーレムに切り取り作業をやらせた方が楽なんじゃないですか?」

農作業でゴーレムを使用する際は、単純な作業や面倒な作業を任せることが多い。

この場合だとゴーレムにキャベツ切りをさせて、切り終わったものをネーアがチェックし、カゴに放り込む方が楽なように思える。

「うーん、そうなんだけど、この作業に関してはあたしがやっちゃった方が速いんだよねー」

そう答えながらも一気に五つほどのキャベツを切り取ってしまうネーア。

「……確かにこの速度をゴーレムが再現するのは厳しそうですね」

これだけの速度で切り取りができるのはネーアによる軽やかな身のこなしと、包丁技術があってこそだ。いくらゴーレムを軽量化したとしても、真似できる速度ではない。

「ここにいるのに相応しい技能は持っておかないとね。うかうかしていると、イサギさんのゴーレムや魔道具に仕事を取られちゃうし」

のんびりと働いているように見えるネーアだが、本人なりに色々と考えて働いてくれているようだ。

「錬金術師としては人の手が不必要になるところを目指したいところですが、まだまだそれは難しそうなので頼らせてください」

「にゃはは! 存分にあたしを頼るといいよ!」

上機嫌でキャベツを切っていくネーアを見送り、俺は他の従業員の様子を見るために移動することにした。

ゴーレム馬を走らせると、ラグムントとリカルドが空き地で木箱に腰掛けている姿が見えた。

俺が近寄ってくると、ラグムントがすぐに立ち上がり、遅れてリカルドが気怠そうに立った。

「気にしないでくつろいでいていいよ」

「ありがとうございます」

様子を見にきたとはいえ、休憩を邪魔するのは忍びないからね。

そのように言うと、ラグムントとリカルドは再び腰を下ろした。

「水霧の魔道具を早速使ってくれているようだね」

この辺りの空き地は作物の仕分けをしたり、休憩をしたりする場所になっているので、周囲にある木々に水霧の魔道具を設置している。お陰で周囲からは水霧が吹きつけられており、二人のいる休憩場所はヒンヤリとして涼しかった。

「はい、小型送風機もありますし、イサギさんのお陰で作業が大分楽になりました」

「これがなかったら絶対にへばってたぜ」

「そう言ってもらえると作った甲斐がありました」

ラグムントとリカルドの首にも小型送風機がかかっていた。

コクロウやブラックウルフのために作った魔道具だったが、人間からの評価も抜群のようだ。

そんな風に魔道具の使用感を聞いていると、不意にラグムントがお弁当を広げた。

そこにはたくさんのサンドイッチが入っており、パンの間にはぎっしりと彩り豊かな具材が入っているのが見えた。

「綺麗なお弁当ですね! 手作りですか?」

「いえ、私は料理ができません。これはダリオさんに貰いました。農園カフェの弁当を製作中とのことで感想を聞かせてくれと」

「そーそー、オレも弁当を貰ったぜ!」

ラグムントだけでなく、リカルドも弁当を貰っているようだ。

「二つともとても美味しそうなので、今後のお弁当開発が楽しみですね」

ダリオとシーレも農園カフェのために色々と試行錯誤しているようだ。

「イサギ君、ちょっといいかね?」

ラグムントとリカルドがお弁当を食べようというところで、後ろからそんな声が響いた。

振り返ると、ゴーレム馬に乗ったケルシーがこちらにやってきていた。後ろには遅れて同じくゴーレム馬に乗っているメルシアもいる。

「ケルシーさん、どうされましたか?」

「すまないが、これから急いで宿を作ってくれないか?」

慌てて俺が駆け寄ると、ケルシーが口を開くなりそんなことを言ってきた。

「……宿ですか?」

「イサギ君の農園のお陰で外から人が流入しているのは知っているだろ?」

「ええ、まあ」

「これまでは私の家で行商人を受け入れたり、空き家を貸すことで何とかなっていたのだが、農園カフェの噂が外に広まったらしく、これまで以上に流入が増えてだな……このままでは泊まることのできない観光客で溢れ返ってしまうんだ」

「それは一大事ですね」

ここ最近、外からやってきている人が増えているのは知っていたが、まさかそんな事件が起こるほどとは思っていなかった。

「申し訳ありません、イサギ様。父が不甲斐ないせいで」

驚いていると、ここまで見守っていたメルシアが頭を下げて謝った。

「いや、仕方ないよ。こんな風になるだなんてケルシーさんも読めなかっただろうし」

「いえ、外からの流入数の増加については資料を纏めて前々から私の方から忠告をしていました。それを楽観視し、宿の建設に着手しなかった父が悪いです」

どうやらメルシアの方から事前にこういう事態になる警告を受けていたようだ。

きちんと資料を用意し、前もって忠告されていたとなってはフォローのしようもない。

「……娘が厳しい」

メルシアからの厳しい言葉を受けて、ケルシーがさめざめと泣いている。

きっとここにくるまでにコンコンとメルシアから説教されたのだろう。

「当たり前です。結果としてイサギ様のお手を煩わせているのですから」

「まあまあ、そういう時のために俺がいるわけだから」

「イサギ君……ッ!」

ケルシーが救世主を見るような眼差しを向けてくる。

この村で農業を成功させた時よりも、感動しているように見えるのは俺の気のせいだろうか。

「で、どの辺りに宿を作ればいいですか?」

「今すぐに案内しよう!」

どうやら宿を建ててほしい場所は決まっているようだ。

ゴーレム馬で駆け出すケルシーの後ろを、同じくゴーレム馬に乗った俺とメルシアが付いていく。

農園を出て、村の中央広場を過ぎ、少し東に向かったところでケルシーはゴーレム馬を降りた。

「この辺りに作ってくれるとありがたい」

辺りを見渡すと、地面の起伏のほとんどない綺麗な平地だった。

人の一番多い中央広場に近いお陰で道も踏み均されていて歩きやすい。

何より素晴らしいのが、すぐそばに井戸があることだろう。

「わかりました。ここに建てますね」

「よろしくお願いするよ」

「父さんは人員の手配などをお願いします」

「わかった。ここは任せる」

ケルシーはぺこりと頭を下げると、メルシアに言われて中央広場の方に戻っていった。

宿を作っても、肝心の人員がいなければどうしようもない。ケルシーにはそちらの方で尽力してもらうことにしよう。

「さて、やるとしますか!」

俺はマジックバッグから宿の建築に必要な木材や鉄材、ガラスなどを取り出した。

材料を揃えると、ロープを取り出して宿のおおよその広さを決める。

「部屋の数は三十部屋くらいでいいかな?」

「そうですね。いきなり大きな宿を作っても回せるか怪しいですし、それくらいの大きさのものでよいかと思います」

その気になれば百人、二百人が泊まれるような宿を作ることもできるが、メルシアの言う通り運営できるか不明だ。

一か所に観光客を泊まらせるのも無理があるし、足りないようであれば別の場所に宿を建ててもらうことにしよう。今、俺が集中するべきは今日の観光客が満足に泊まることのできる宿作りだ。

部屋数を決めると、俺は建築素材に錬金術を発動。

土台を作り、壁を作り、ガラスをはめ込み、屋根を作り、扉を作る。

そうやって木材、鉄材などを組み合わせ、形状変化させることで俺は宿を作り出した。

「ふう、こんなものかな」

俺の目の前には木材を基礎とした三階建ての宿が建っていた。

「素晴らしい手際です」

「ありがとう、メルシア。最後に内装の意見をくれるかい?」

「私でよければ喜んで」

扉をくぐって中に入ると受付があり、奥には厨房や食材保管庫などがある。右側には併設された食堂があり、大きなイスやテーブルが設置されていた。

「帝国にあった標準的な宿を参考にしてみたんだけど、どうかな?」

「問題ないと思います。あっ、食堂のイスはもう少し間隔を空けられると嬉しいです」

メルシアに指摘されてイスとイスの間隔を確認してみるが、それほど近いように見えない。

前と後ろに人が座っても、人が通れるくらいの広さはある。

「間隔が足りないかい?」

「獣人には尻尾がありますので、後ろの客に尻尾が当たってしまう可能性があります」

「それは盲点だったよ。教えてくれてありがとう」

前と後ろに座る人が獣人だと考えると、確かにメルシアの指摘は十分にあり得るものだった。

獣人の種類によっては尻尾がとても大きい人だっているだろうし、もう少し間隔は広めにしておこう。

食堂を整えると、次は階段を上がる。

二階と三階には宿泊部屋があり、一人部屋、二人部屋、四人部屋、六人部屋と広さを分けてある。

部屋にはベッド、テーブル、イス、クローゼットといった最低限の家具が用意されてあり、大人数の部屋になると二段ベッド、三段ベッドなどを利用してもらうことでスペースを節約してもらう方針だ。

快適に過ごしたい人にはさらに階段を上がって三階がおすすめだ。

こちらは二階の部屋に比べて部屋も広く、ベッドはシングルだったり、ダブルだったりしており、家具の類も充実しており、魔道具も設置されている。

階層が上がって奥の部屋になると広くなってグレードも上がる仕組みだ。

「問題ないですね。この上なく素晴らしい宿です。最終確認のために父を呼んできます」

宿の確認が終わると、メルシアがゴーレム馬に乗って駆け出す。

数分ほどすると、ゴーレム馬に乗ったケルシーとメルシアが戻ってきた。

「もう宿ができているじゃないか。毎度のことながらイサギ君の錬金術には驚かされるな」

「ありがとうございます。早速、中の方を確認してもらえますか?」

「わかった。確認しよう」

俺は先ほどと同じようにケルシーに宿の内装を確認してもらう。

「……な、なんだかうちの村には明らかに不釣り合いなほど豪華だ」

「ちょっと気合いが入りすぎましたかね?」

「いや、悪いことじゃない! 想像以上の出来栄えに驚いてしまっただけだ!」

「三階の奥の部屋は、そこらの貴族が暮らす部屋よりも質が良いですからね」

さすがに魔道具まで設置したのはやりすぎだったか……。

でも、前回は獣王であるライオネルがやってきた。コニアやワンダフル商会の人からもゆっくり泊まれる場所が欲しいって言われていたし、こういう部屋があってもいいと思う。

あまりにも使われないようなら俺が手を加えることもできるのでデメリットは少ないし。

「宿の方は問題ないでしょうか?」

「ああ、バッチリだ! こんな風にうちの村が外から呼び込めるようになったのは、イサギ君のお陰だ。本当に感謝している」

深く頭を下げて感謝の言葉を述べるケルシー。

「いえ、俺だけでなく、メルシアをはじめとする皆さんが協力してくれたお陰ですよ」

確かに俺の錬金術の活躍は大きかったかもしれないが、そのどれもが時間と人手のかかるものだ。

ケルシーが協力して村人に呼びかけ、メルシア、ネーアといった従業員、店員といった皆の力がなくしてできなかったことだ。だから、これは皆の力だと俺は思う。

「また何かあったら気軽に頼ってください」

「ああ、これからもよろしく頼むよ」

「こちらが建築費用になります」

俺とケルシーが握手を交わしていると、横からメルシアが書類を差し出した。

そこには宿の建築にかかった費用が書かれており、真っ青になったケルシーの様子を見る限り、気軽に頼ってもらえる未来は遠のいたのかもしれないと思った。



「イサギさーん! ワンダフル商会のコニアなのですー!」

宿を作った三日後。朝食を食べ終わって、ソファーでくつろいでいると自宅の扉が叩かれた。

「今日は定期売買の日だっけ?」

「いえ、違います」

食器を洗い終わったついでに台所周りの掃除をしているメルシアに尋ねるが、彼女はきょとんとた顔で首を横に振った。

定期売買ではない上に、これだけ朝早くやってくるというのも珍しい。何かいつもと違った用事があるのかもしれない。

「とりあえず、出迎えよう」

考えるのもほどほどにして俺はソファーから腰を上げると、玄関にある扉を開いた。

すると、今日も可愛らしい赤い帽子に大きなリュックがトレードマークのコニアがいた。

「お邪魔するのです!」

「リュックは外に置きますね」

「あう」

中に入ろうとしたコニアの後ろにメルシアが回り、彼女のリュックを持ち上げて外に置いた。

どうしてこの子はいつも入らないリュックを持って入ろうとするのだろう。不思議だ。

なんて疑問は置いておいて、コニアを応接室へと案内。

コニア専用となった小さなイスに腰掛けると、俺は対面にあるソファーに腰を下ろした。

メルシアの差し出してくれた紅茶で喉を潤すと、俺は本題を尋ねることにした。

「それで今日はどうされたんです?」

「イサギさん宛にお手紙を持ってきたのです!」

懐から封書を取り出し、テーブルの上に差し出すコニア。

封書の裏には獅子の紋章が描かれているのだが、俺は獣王国の紋章に疎い。

「なんとなく思い浮かぶのですが、念のためにお聞きします。この手紙の差出人は?」

「我らが獣王ライオネル様なのです!」

にっこりとした笑みを浮かべながらの返答に、俺はやっぱりという思いを抱いた。

「この場でお読みしても?」

「はい、ぜひ読んでほしいのです」

コニアが頷くのを確認した俺は、メルシアからペーパーナイフを受け取り、封書を丁寧に開けて中にある手紙を読んだ。

文章を読んで初めに思ったことは、あの王様にこんな硬い文章が書けるんだという思いだった。

気さくな人だったけど、きちんと王様もやっているらしい。

「いかがでした?」

じっくりと文章を読み込んで手紙を折りたたむと、メルシアがおずおずと尋ねてくる。

「俺が品種改良した救荒作物のお陰で獣王国の多くの人々が飢えることなく過ごせたから、正式に感謝を述べたいって……」

「ということは、獣王都に招待されたということですか!?」

「うん、そういうことになるね」

「おめでとうございます、イサギ様! 獣王様に招待され、感謝の言葉を贈られるなど、とても名誉なことですよ!」

こくりと頷くと、メルシアが我がことのように喜んでくれた。

「ありがとう。とはいっても、お礼の言葉を贈られるために王都へ行くのって、ちょっと恥ずかしいね。俺としてはこの手紙に書いてある言葉だけで十分なんだけど……」

俺としては当たり前のことをしただけだ。獣王であるライオネルから直接言葉を貰うことのほどではない。

遠回しに辞退したい気持ちを伝えると、メルシアとコニアが目の色を変えて身を乗り出してきた。

「いいえ! きちんと感謝の言葉は受け取っておくべきです!」

「そうなのです! これだけ大きな功績を残したとなると、獣国様としても公の場で感謝の言葉を贈る必要があるんです! というか、来てくれないと案内を頼まれた私の商会も困ってしまうのです!」

想像以上の猛反発に俺は驚いてしまう。

メルシアの意見はともかく、コニアの意見については主に後半部分が大きな理由を占めていそうだ。

「そ、そうですよね。ライオネル様の立場もありますし、招待を受けた以上は行かないとマズいですよね……」

「帝国ほど拘っているわけではありませんが、ライオネル様にも(めん)()というものもありますので」

雰囲気が緩いので勘違いしそうになるが、一国の王からの招待をただの平民が断るだなんてとんでもないことだ。帝国でそのようなことをすれば、不敬罪として極刑になってもおかしくない。

正式に招待を受けた以上、行くべきだろう。

「そういうわけで、今から獣王都に行くのです」

「ええっ!? 今からですか!?」

獣王都に行く覚悟は決めたが、そんなすぐに出立するくらいの覚悟を決めたわけではなかった。

「プルメニア村から獣王都まで片道で二週間はかかるのです。早く出立しないとライオネル様をかなりお待たせすることになってしまうのです」

「わ、わかりました。ですが、さすがに今すぐにとはいきません。実験中の作物の保存や、農園にある作物の調整、引継ぎ作業などを行うので二日ほど時間をください」

コニアの気持ちや言い分は理解できるが、こっちにも事情がある。

獣王都に行ってしまえば、最低でも一か月はプルメニア村を離れることになる。

というか、行ってすぐに帰してくれるとも限らないので、一か月半、あるいは二か月くらい戻ってこられないことを想定するべきだ。

さすがにそれだけ長期間離れるとなると、ちょっと獣王都まで行ってきますでは済まない。

「二日ですか……」

「その時間をくだされば、ロスした時間を取り戻せるだけでなく、獣王都にかかる日程を大きく短縮することを約束いたしますよ」

「本当ですか?」

「はい。場合によっては今後のワンダフル商会の商いも大いに楽になるかと」

今回だけでなく、将来的な商会の利益を約束すると、やや渋り気味だったコニアの表情が晴れた。

「わかりました! イサギ様がそこまで言うのであれば、信じて二日ほどお待ちするのです!」

「ありがとうございます。メルシア、コニアさんたちを宿に案内してあげて」

「かしこまりました」

二日ほど滞在してもらう以上、コニアたちには泊まる場所が必要だ。

「わー! 最近できたという宿ですね! 楽しみなのです!」

つい先日、宿ができたばかりなのでコニアたちにはそこに泊まってもらおう。

「さて、俺もやるべきことをやらないと」

ワクワクとした様子でメルシアの後ろを付いていくコニアを見送ると、俺は自分のやるべきことを果たすべく工房へ移動した。

工房にやってくると、俺は階段を下りて地下の実験農場にやってくる。

ここには多くの改良中の作物や研究中の作物が存在する。平時であれば、俺とメルシアがこまめに確認してデータをとったり、調整を加えたりするのであるが、獣王都に向かうことになった以上、これまでと同じようにはできない。

植木鉢、プランターといった小型の容器に入れたものは、そのままマジックバッグに回収することで解決だ。同様に苗まで育っているものも掘り起こして、一時的にマジックバッグに収納しておけば成長や変化は訪れないが、枯れることも劣化することもない。

「問題は広い畑や、広範囲に育っている果物だね」

こちらに関しては俺のマジックバッグでも回収することができない。いや、できるにはできるがさすがにすべてを掘り起こして、回収するとなると時間がいくらあっても足りやしない。

「とりあえず、現時点で収穫できるものは収穫かな」

収穫期を迎えているものは、とりあえず片っ端から収穫してマジックバッグに入れておく。

だが、すべての実験作物が収穫期を迎えているわけでもない。まだ芽を出した段階だったり、花をつけたばかりだったり、実が膨らんでいる最中のものもある。

収穫してもまったく使い道がないというわけではないが、限りなく使い道が狭くなってしまうのでできれば収穫したくはない。かといって枯らせるにも惜しいものばかりだ。

「成長を遅らせよう」

俺は作物に触れると錬金術を発動し、成長阻害の因子を組み込む。

成長を促進させることができる以上、成長を阻害することも可能だ。

成長の阻害は作物に大きな負担をかける場合もあるので、できればやりたくなかった手であるが仕方がない。

必要とする日光や水分量を少なくする代わりに、成長速度も遅らせる。これにより通常の作物よりも遥かに成長が遅くなる。

生命を維持するのに水は必要になるので、そこはゴーレムに任せよう。

残っている作物に成長阻害を施すと、実験農場の方は大丈夫だ。

「あとは農園の作物の調整かな」

とはいえ、こちらは従業員たちがいるので成長阻害を施す必要はない。

成長してもいつもの業務として従業員たちが収穫、調整をしてくれるからだ。

しかし、俺がいないと栽培ができない品種もあるので、それだけはゴーレムに掘り返してもらってマジックバッグに収納することにした。

また帰ってきてから埋め直し、育ててやればいいさ。



「イサギ様、準備が整いました」

準備期間の二日を終えて、獣王都へと出立することになった当日。

先に準備を終えて外で待っていると、遅れてメルシアが家から出てきた。

メルシアの服装はいつもと変わらないクラシカルなメイド服であり、背中にはバックパックを背負っていた。

「……えっと、今回もメイド服?」

「はい。私はイサギ様のメイドなので」

これが私の正装ですが何か、と言わんばかりの表情。

まあ、メイド服も立派な正装だし、ライオネルの居城で着ていても何も問題はないか。

直接感謝の言葉を受け取るのは俺なわけで、メルシアは後ろで控えているだろうし。

「そっか。メルシアのドレス姿とか見たかったなぁ」

「……一応、パーティーなども想定してドレスも持ってきております」

なんて言ってみると、メルシアはやや(うつむ)きながら恥ずかしそうに言った。

真っ黒な耳がピコピコと動き、尻尾が左右に揺れている。

「そうなんだ。帝国のようにパーティーがあるとは限らないけど、もしあるとしたら楽しみだな」

そういった社交の場はあまり得意じゃないけど、メルシアのドレス姿が見られるのであれば頑張れそうだ。

「農園の引継ぎや販売所に関しては問題ないかい?」

「問題ありません。日頃からイサギ様や私が不在でも業務をこなせるような形を作っていましたので」

雑談もほどほどに業務の確認をすると、メルシアは表情を凛としたものにして答えた。

……確かに皆も慣れてきたのか、ここ最近は俺がほとんど口を出さずとも、自ずとやることを理解している節があった。こういった状況を想定して、メルシアが指導してくれていたらしい。

「全体の指揮にはラグムントさんにお任せしています。イサギ様が不在なことで栽培ペースや品質がやや落ちることは否めませんが、イサギ様が不在な状況での成育データもとっておきたかったのでちょうどいい機会です」

不安ともいえる状況を、新しい好機とも捉えて動いている。メルシアが優秀すぎる。

……もう代表は俺なんかじゃなくて、メルシアにした方がいいんじゃないかな?

俺は適当な閑職か補佐という扱いにして、メルシアを中心に盛り立てた方がいい気がする。

「二人とも準備は整ったか?」

なんてことを真面目に検討していると、後ろからケルシーとシエナがやってきた。

獣王都に向かう俺たちを見送りにきてくれたらしい。

「はい、バッチリです!」

「……見たところイサギ君は武器を持っていないようだが?」

「俺はそういった武器を振り回すのは不得意ですので……」

俺は幼い頃から錬金術師としての才能を見出され、工房でひたすらにこき使われながら錬金術を学ぶという生活を送ってきたんだ。武術を習う暇も訓練をする時間もなかった。

当然、武術に関する心得はまったくない。

両手を広げてそのことをアピールすると、ケルシーの表情が険しくなる。

「……メルシア、やっぱり獣王都への出立はやめにしないか?」

「獣王様の招待を断ることはできませんよ、お父さん」

「そうだったな」

メルシアがきっぱりと告げると、ケルシーが悲壮な声を漏らす。

「イサギさんをしっかりとお守りするのよ?」

「もちろんです。命に代えてもイサギ様をお守りします」

真剣な表情をしたシエナと、戦地にでも赴くかのような台詞を吐きながらこくりとメルシア。

普通、こういった台詞は男性である俺が言われるものだと思うのだが、たった今武術の心得がないことを暴露してしまったので無理もない。とはいえ、戦えない男だと認識されるのもちょっと(しゃく)だった。

「……あの、武術の心得がないだけで、錬金術や魔法は使えますからね?」

「魔法はともかく、錬金術が戦闘の役に立つのか?」

心配げな顔をするケルシーとシエナの前で、俺は地面に手をついて錬金術を発動。

すると、前方にある地面が何本もの杭へと変質し、虚空を貫いた。

さらに杭のある場所に錬金空間を作り出すと、そこに空気を取り込んで魔力で圧縮をかける。

逃げ場を失った圧縮された空気は、錬金空間を破砕して周囲に爆発をもたらした。

(すな)(ぼこり)が晴れると、地面の杭は一本も残ることなく(ちり)となっていた。

錬金術による戦闘技術を披露すると、ケルシーとシエナはぽかんとした表情になっていた。

二人の前では作物を品種改良したり、家を作ったり、武器を改良してみせたりといった技術しか見せていなかったので驚いたのだろう。

「錬金術の真骨頂は物質を変質させることにあります。魔力が通りさえすれば、周囲にあるもののすべてが武器になりますよ」

「……なんだ、そのちゃんと戦えるのであればよかった」

「あらあら、これなら道中も心配することはなさそうね」

自衛程度ができることを示すと、ケルシーとシエナは(あん)()の息を漏らしながら呟いた。

とはいえ、俺には戦闘経験が多いわけではないし、獣王国内で旅をするのは初めてだ。

申し訳ないが存分にメルシアを頼らせてもらうことにしよう。

「皆さん、おはようございますなのです!」

錬金術で地面を均していると、ワンダフル商会の馬車に乗ったコニアがやってきた。

「おはようございます、コニアさん。うちの宿はどうでしたか?」

「最高だったのです! 部屋に魔道具まであるなんて至れり尽くせりなのです! 仕事のことを忘れてゆっくりと休んだのは久しぶりだったのです!」

「ゆったりと過ごせたようで何よりです」

ゆっくりと身体を休めることができたのは久しぶりだったのか、随分と肌艶が良くなっているだけでなく、髪の毛、耳、尻尾もしっとりとしているように見える。

二日間、こちらの都合で待ってもらうことになったコニアや従業員の皆さんにはグレードの高い部屋でくつろいでもらったからね。

魔道具によって水回りは完備されているし、調理ができるようにコンロもある、その上部屋には浴場もあるのでリラックスしてもらうことができたようだ。

各地を渡り歩いているワンダフル商会の皆さんに満足してもらえたのなら、うちの宿にも自信が持てるというものだ。

「ところで、イサギさん。獣王都までの道のりを短縮できるものというのは何なのです?」

「コニアさんもご存知のゴーレム馬を使います」

「確かに普通の馬と違って疲労がなく、魔石を動力とするゴーレム馬は長距離の移動に最適ですが、それほど時間を短縮できるものなのです?」

コニアは何度か農園にあるゴーレム馬に乗ったことがある。

ゴーレム馬の性能を知っている以上、長旅に不安を覚えるのも当然だ。

「ご安心ください。今回ご用意したゴーレム馬は長旅に備えて大きく改良していますから」

俺はマジックバッグから改良版のゴーレム馬を取り出した。

「わっ、大きなゴーレム馬なのです!」

目の前に現れた四頭のゴーレム馬は、農園にある従来のゴーレム馬に比べてかなり大きい。

農園のゴーレム馬がポニーサイズだとすると、こちらは軍用馬サイズだ。

「従来のゴーレム馬を長距離移動用に改良しました」

「ということは、かなり速いのですか!?」

「はい。かなりの速度が出ますよ」

こくりと頷くと、コニアはキラキラとした眼差しをゴーレム馬に向けた。

商人であるコニアは馬車を使って各地で商いをしている。移動する速度が上がれば、効率よく商いができるわけで、単純に売り上げが増えるわけだ。

「早速、馬車に繋ぎますね」

「お願いするのです!」

ワンダフル商会の馬車を牽いている馬の縄を御者に解いてもらい、俺は新しく作ったゴーレム馬に縄を括り付けていく。

「一頭だけで大丈夫なのですか? 結構な量の積み荷があるのですが……」

「はい、これくらいあれば一頭で十分ですよ」

通常は積荷の載っている荷車一つにつき、馬が二頭から四頭が必要になる。それ故にコニアの瞳は懐疑的だ。本当に大丈夫なのだろうかという言葉が顔に浮かんでいるようだった。

「心配する気持ちはわかりますが、実際に走ってみればわかりますよ」

「わ、わかったのです」

ひとまず、コニアが納得してくれたところで俺たちは荷車へ乗り込む。

中にはソファーがあり、中央にはローテーブルが設置されていた。

腰かけてみると、ソファーにお尻が沈み込むようだった。

肌ざわりもとてもいいし、質の良いものなのは明らかだろう。

対面にコニアがちょこんと腰をかけ、隣にメルシアが座った。

「それでは出発なのです!」

コニアの元気な声を合図に俺はそれぞれのゴーレム馬に指示を飛ばし、ゆっくりと走らせた。

「気を付けてな!」

「獣王様に失礼のないようにするのよ!」

見送りにきてくれたケルシー、シエナには窓から顔を出して手を振り返す。

やがて二人の姿は小さくなっていき、見えなくなった。

「さて、そろそろスピードを上げますよ」

村を出て、通りに人がいなくなったところで俺はゴーレム馬に加速の指示を出した。

すると、ゴーレム馬が走り出し、俺たちの乗っている馬車が加速していく。

「わっ! すごいのです! たった一頭でこんなにも速く進めるなんて……ッ!」

ゴーレム馬の速度にコニアは驚き、感激している。

通常の馬車ではあり得ない速度に後方にいる従業員からも驚きの声があがっていた。

「まだまだ速くなりますよ」

「本当なのですか!?」

「とはいえ、これ以上速くすると荷車の方が心配で……」

ゴーレム馬の方は問題ないが、引っ張っている馬車の耐久力が心配だ。

俺なら馬車が壊れても錬金術で修繕できるのだが、他人様のものを壊しながら進みますなんてことは言いづらい。

「うちの荷車は魔物の襲撃に備えて強化装甲を使っているので荒く使おうが問題ないのですよ! それに多少パーツが壊れたところで、イサギさんが直してしまえばいいのです!」

「コニアさんがそこまで言ってくださるのであれば、遠慮なく加速しちゃいましょう」

「思いっきりやっちゃってくださーいなのです!」

コニアからの頼みにより、懸念点が解消されたので俺はゴーレム馬にさらなる加速を命じた。

ゴーレム馬に内蔵された魔石が唸りを上げて、さらなる加速をする。

「ふわっ!?」

あまりの加速に対面にいたコニアがバランスを崩し、前のめりに倒れてくる。

コニアの額がソファーにぶつかってしまうことを懸念し、俺は慌てて両手で迎えにいって抱きとめることにした。

「大丈夫ですか、コニアさん?」

「び、ビックリしたのです。イサギさんが受け止めてくれて助かりました」

「お怪我がなくてよかったです」

「あ、あの、そろそろ離してくださると嬉しいのです。この体勢はちょっとお恥ずかしいので……」

頬を赤くしながら上目遣いで言ってくるコニア。

自分よりも華奢な身体をした女性を抱きしめていると、認識すると途端に恥ずかしさが込み上げてきた。

「す、すみません!」

「いえ、イサギさんは悪くないのです」

「そちら側は危険ですのでコニアさんもこちらにお座りください」

「ありがとうなのです」

元の場所に戻ろうとしたコニアに対し、メルシアが自らの左側を空けて座らせてあげた。

「進行方向の逆側に座ると、乗客への影響が大きいのが問題だな。身体を固定するベルトとか作った方がいいかな?」

「そうされた方がいいかもしれませんね」

こういった錬金術の相談をすると、何かしらの意見や提案をくれるのだが、今日のメルシアは珍しく投げやりな返答だ。

「あれ? なんかメルシア怒ってる?」

「怒ってなどいません。私はいつも通りです」

などと言うが、声音と表情は明らかに不機嫌そうだ。

視線もこちらにはくれず、明後日の方を向いてツーンとしている。

一体、何に怒っているのだろう? 

道中の暇な時間に必死に脳を回転させるが、まったく見当がつかなかった。



深い森の中を抜けると、急に周囲が明るくなった。

「イサギ様、もう間もなく獣王都です」

メルシアの声を聞いて身を乗り出すと、街をぐるりと囲う大きな城壁がそびえ立っているのが見えた。

城門の下には鎧を纏った獣人が立っており、入場者をくまなくチェックしている。

城門の上には歩哨が立っているだけでなく、鳥系の獣人と思わしきものが空を飛んで周囲を警戒していた。

「まさか、四日ほどで獣王都にたどり着くなんて驚きなのです……」

俺が感動している傍ら、コニアは驚愕の事実を受け入れられないでいるようだ。

獣王都の景色を見て、どこか呆然としている。

「思っていたよりも早く着きましたね」

「早いなんてものじゃないのです! 通常の工程の半分以下なのですよ!? このゴーレム馬があれば、今まで商いにかけていた移動日数を大幅に軽減することができるのです! イサギさん、このゴーレム馬をぜひともワンダフル商会に売ってほしいのです!」

間に挟まされているメルシアの太ももに身を乗り出しているせいか、メルシアがちょっと迷惑そうだ。

まあ、これだけの移動手段を前にして興奮しない商人はいないだろう。

「わかりました。獣王都での用事が終わったらお作りいたしますから」

「ありがとうございますなのです! にゅふふ、これでワンダフル商会はさらなる飛躍を遂げることができるのです!」

ゴーレム馬を作ることを約束すると、コニアはニヤリと笑った。

完全に商売人の顔だ。

「にしても立派な城壁だね」

「大きさは帝国の城壁に劣るでしょうが、防衛体制ではこちらに軍配が上がるかと」

いつまでも太ももの上に乗っかったままのコニアを退かしながらメルシアが言う。

闇夜ですら見通すことのできる視覚、何百メートル先の音を捉えることのできる鋭敏な聴覚。人間族に比べると、獣人族の身体能力はかなり高いので、外敵が侵入するのは非常に困難だろう。

「イサギさん、列は気にせずに横から進んでくださいなのです」

「え? いいんですか?」

「イサギさんたちは獣王様の命によって招かれた賓客なのです。優先されるのは当然なのですよ」

それもそうか。俺たちは一国の王に招かれた客なんだ。少しくらいの便宜を図ってもらえるか。

コニアの指示に従い、俺は城門へと続く待機列の横を通っていく。

「そこの馬車、止まれ――って、御者がいないぞ?」

「勝手に馬が走ってる!?」

城門の下にやってくると城門警備の獣人が寄ってくるが、ゴーレム馬を見るのは初めてだったのか驚いていた。

「ワンダフル商会のコニアなのです! 獣王様の命により、お客様をお連れしたのです!」

警備が戸惑う中、馬車から降りたコニアが書状を見せながら言う。

「確かにライオネル様の書状だな」

「失礼だが、念のために検査だけさせていただきたい」

「お好きにどうぞなのです!」

コニアが頷くと、警備の獣人二人が荷車をチェックする。

とはいっても、具体的に荷物を確認するのではなく、スンスンと鼻を鳴らして匂いを嗅いでいるだけだ。

「よし、問題なし!」

「お客人も聞いていた特徴と一致している。通ってよし!」

「ありがとうございますなのです!」

俺が疑問に思う間に検査は終わり、俺たちは晴れて獣王都へ入ることが認められた。

「……今のだけでいいんですか?」

俺が宮廷錬金術師を辞めて帝国を出る時や、メルシアと共に他の街に入ろうとした時の方が検査は厳しかったくらいだ。いくら王の招いた客とはいえ、首都の検査がこんなに緩くていいのだろうか?

「彼らは獣人の中でも特に嗅覚に優れた者たちです。匂いを嗅いだだけで我々が何を持ち込んだのか把握し、違法薬物などがあれば即座に感知してくれます」

「匂いを嗅いだだけでそんなことまでわかるんだ」

獣王国で過ごしていると獣人たちのすごさを改めて実感させられるな。

城門を越えて中に入ると、舗装された道に整然と並んでいる民家が広がっていた。

が、それ以上に印象的なのは天を突くようにそびえ立っている大樹の存在だ。

「……大きな木だ」

「始まりの樹『ウルガリオ』なのです! 獣王都の名物なのです!」

「初代獣王があの大樹を中心として建物を作り、今の獣王都を作り上げたと言われています」

まるでお伽話に登場する世界樹のように悠然と佇(たたず)んでおり、どこか神聖さを感じられた。

初代獣王があの樹を中心として街を作った気持ちがわかる気がした。

「ちなみに私たちが向かうのもあそこなのですよ」

「え? ライオネルってあそこに住んでるの!?」

ただの大樹にしか見えないが、コニアの説明を聞いてみると、中は人が住めるようにくり抜かれているようだ。

森に住むエルフという種族も木々を活用して生活拠点にすると聞く。それと同じような感じなのだろう。

馬車を進ませていると、大通りには数多の獣人が歩いている。

獣人の国の首都だけあって、当然獣人が多いな。

プルメニア村でよく見る、犬系、猫系、狼系、熊系だけでなく、象系、牛系、猿系といった村の中ではあまり見かけない種類の獣人もいる。

同じように見えても微妙に耳や尻尾の形や色などが違っていたり、毛の生え方が違っていたりして面白い。

歩いている八割から九割が獣人で、残りの一割がエルフ、ドワーフ、人間などの他種族といったところだろう。ここにいる人間族が俺だけでないことに少しだけホッとした。

大通りを進んで長い坂道を上ると、俺たちはウルガリオの真下にたどり着いた。

大樹の入り口には二人の門番が立っていた。

犬系の獣人と猿系の獣人だ。

雰囲気だけで先ほどの城門警備とは格が違うとわかった。

それに身に纏っている鎧や装備している槍も一級品だ。

ここは獣王都のシンボルであり、王の住まう場所。その入り口を守護する門番の質が高いのも当然だと言えるだろう。

俺たちが馬車から降りて近づくと、門番たちが厳しい視線を向けてくる。

「何者だ?」

「ライオネル様の命により、客人をお連れしたのです」

「通すわけにはいかない」

書状を見せて前に中に入ろうとするコニアだが、それを阻止するように槍と斧が交差した。

「はい? どうしてなのです?」

「お客人がやってくるのは少なくとも十日後だ。本日やってくるとは聞いていない」

「ライオネル様の招いた客人とは別者の可能性がある」

「それはイサギさんの開発したゴーレム馬のお陰で、移動日数を大幅に短縮することができたのです」

「そんなものは知らぬ」

コニアが精いっぱい抗議をしてみせるが、門番は首を横に振って取り合う様子がない。

まさか、到着が早すぎることで怪しまれることになるとは思わなかったな。

これには俺とメルシアも顔を合わせて苦笑するしかなかった。

「でしたらライオネル様に取り次いでくださいなのです。私たちを直接見れば本物だとわかるはずです!」

「ライオネル様はお忙しいのだ。こんなことでいちいち取り次いでいられるものか!」

「これ以上騒ぐのであれば、力づくで追い返すぞ!」

門番が声を張りあげ、武器を構える。

剣呑(けんのん)な空気を察知してメルシアが俺の前に出た。

「お前たち、その者たちは俺の客人だ。手荒な真似はするんじゃない」

一触即発といった空気の中、第三者の声が頭上から響いた。

思わず視線を上げると、大樹から伸びた幹の一つに獣王であるライオネルが立っていた。

「ライオネル様!」

二人の門番が驚きの声をあげると、ライオネルは何十メートルもの高さのある幹から降り、音もなく着地した。特に魔力を使ったような形跡はない。己の身体能力で衝撃を逃したようだ。

ライオネルがやってくると、二人の門番が恭(うやうや)しく片膝を地面についた。

「事前に客人が来ると言っていただろう?」

「しかし、その者たちの到着は少なくとも十日後だと聞いております」

「まったくお前たちは堅すぎだ。もっと柔軟な対応をしろといつも言ってるだろう」

「も、申し訳ございません」

どうやら二人の門番がこういったいざこざを起こすのは初めてではないようだ。

「すまないな。戦士としての力量は一級品なのだが、どうにも不器用な奴等でな。部下の非礼を詫びさせてくれ」

「いえ、予定よりも早く来てしまったのは俺たちですから」

それだけ大事な場所を守っているんだ。不審な者への対応が多少厳しくなってしまうのは仕方がないだろう。

「そういうわけで彼らは俺が直々に招待した客だ。中に入れるが問題ないな?」

「「どうぞ、お通りください!」」

ライオネルが言うと、門番はすぐに立ち上がり、大樹への入り口を開けてくれた。



大樹の中はとても広かった。樹をそのままくり抜いて作っており、天井がとても高い。

広いロビーの左右には廊下が続いており、正面には()(せん)階段が続いている。

「すごいや。本当に大樹をくり抜いて作っているんだ」

床、壁、天井といったすべての部分に丁寧な加工が施され、触れてみるととても手触りがいい。

ただの木材やトレント木材とも違った柔らかで爽やかな香りだ。中にいるだけで気持ちが安らぐ。

大樹の中を観察していると、俺だけじゃなくメルシアも興味深そうに視線を巡らせているのが見えた。

「メルシアもここに来るのは初めてなのかい?」

「獣王都には何度か訪れたことはありますが、大樹の中に入るのは初めてです」

「へー、そうなんだ」

「滅多なことがなければ、国民でも足を踏み入れることができないからな。大樹の中に入りたいが故に、ここの兵士を希望する者もいるぐらいだ」

ライオネルがどこか苦笑しながら補足してくれる。

シンボルではあるものの、ライオネルをはじめとする王族の住まう場所なのだ。国民だからといって()(やみ)に入れるわけにはいかないのだろうな。

「それでは私はここで失礼するのです」

さあ、一歩を踏み出そうというところでコニアが言った。

「コニアさんは、ここで帰るのですか?」

「私が依頼されたのは、あくまで大樹までお連れすることなのです」

一緒に(えっ)(けん)室までくるものだとばかり思っていたが、あくまでコニアが頼まれたのは俺たちを獣王都にまで連れてくること。それ以上はライオネルの指示の範囲外ということか。

「ご苦労だった、コニア。料金についてはいつもの口座に色をつけて振り込ませておこう」

「ありがとうございますなのです!」

帽子を取ってぺこりと頭を下げると、コニアは「では!」と言い残して大樹を出ていった。

「少し歩くことになるが我慢してくれ」

俺とメルシアは大人しくライオネルについていき、正面にある螺旋階段を上る。

見上げてみると、階段が何十メートルと続いていた。

王様っていうくらいだから低い階層には住んでいないよね? 頂上の方まで俺の体力が持つだろうか。そんな不安を抱きながらひたすらに階段を上っていく。

すると、前方から物凄い勢いで階段を下ってくる者がいた。

「ライオネル様! こんなところにいらっしゃいましたか! まだ執務の方が終わっていない以上、逃げられては困ります!」

大声をあげながら慌てたようにやってきたのは、前回ライオネルと一緒にプルメニア村を尋ねてきた宰相のケビンだった。

にしても、なんで大樹の幹にいるんだろうと思っていたけど、執務から逃げ出していたのか。

相変わらずの奔放さだ。

「落ち着け、ケビン。今はイサギたちを案内している。こっちが優先だ」

「イサギさん?」

「お久しぶりです、ケビンさん」

軽く頭を下げて挨拶をすると、ケビンが目を大きく見開いた。

「……コニアさんに手紙を渡して、まだ三週間も経過しておりせんが?」

「改良したゴーレム馬のお陰で早く予定よりも早く着いちゃいました」

「通常ならあり得ないと言いたいところですが、イサギさんほどの錬金術の腕であれば可能なのでしょうな。それはともかく――」

俺を見て好々爺のような柔らかい笑みを浮かべ、納得するように頷いたケビンだが、次の瞬間には表情を一転させてライオネルの方へ振り返った。

「これから謁見するというのに、王が直接お客人の案内をしていては威厳がないでしょうが!」

ケビンの言い分はもっともだ。

これから王と謁見するというのに、王が客人を案内するというのは変な話だ。

このままでは一緒に謁見室の扉をくぐって、謁見することになってしまう。

「いや、しかしだな――」

「言い訳は結構です。案内は私がしますので、ライオネル様は準備を整えて謁見室でお待ちください」

「……わかった」

やや釈然としない表情だったが、ライオネルは反論することなく先に階段を進んでいった。

「見苦しいところをお見せしました。ここからは私が案内させていただきます」

「よろしくお願いします」

会釈をすると、そこからはケビンが先導して案内してくれる。

ケビンは背丈が低くて歩幅が小さいので階段を上るペースも緩やかなのが助かる。ライオネルは歩幅が大きいせいか、ズンズンと進んでいくので付いていくのが大変だった。

もっとも大変なのは俺だけでメルシアはまったく平気なのだけど。

「謁見室に向かう前の小休止として、少し眺めのいいところにご案内してもよろしいでしょうか?」

一瞬、体力のない俺を気遣っての提案かと思ったが、ライオネルとは先ほど別れたばかりだ。

早く着きすぎたせいで俺たちは突然やってきた客のようなもの。謁見室の準備や、ライオネルが正装に着替えるための時間が欲しいのだろう。

「ぜひともお願いします」

「こんな機会は滅多にありませんからね。父と母にも自慢できます」

ケビンの狙いがわかった俺たちは、素直に乗っかっておくことにした。

足がパンパンに張ったまま謁見室に入るのも困るしな。

螺旋階段の途中で廊下へと移動。

徐々に先細っていく道を真っすぐに進むと、ガラス扉が見えた。

ケビンが扉を開いて、続くような形でくぐると庭園のような場所に出た。

周囲には色とりどりの花が咲き、床には芝が生えている。

「ここは大樹の庭園です。私たちが入れるスペースの中で一番眺めのいい場所となります」

見上げると、頂上部分にも同じような幹が見える。

あそこはライオネルをはじめとする王族のみが出入りできる庭園なのだろう。

「うわ、すごくいい眺めだ!」

「獣王都が一望できます」

庭園からは獣王都の景色がよく見えた。

大樹を中心に大きな道が四方に広がっており、そこからさらに道が分岐し、道に沿うように建物が建てられている。上から見てみると、大樹を中心に建国されたという逸話がよくわかるというものだ。

中央広場にはここと同じように地面が芝になっており、そこでは獣人の子供たちが走り回ったり、大人がまったりと座っていたり、皆が思い思いに過ごしているようだ。

「同じ大国でも帝国とはまったく雰囲気が違うね」

「……そうですね」

帝国では大通りは華やかであるが、大通りから少し外れてしまえば道端に貧困層で溢れ、さらに外れたところではスラム街のようなものが形成されてしまっている。

貧富の差が激しく、富裕層は貧困層にまるで目を向けない。寂しい国だ。

しかし、獣王国はこうして見ている限り、大通りから外れても貧困層が溢れていることはなかった。

「ケビンさんは、俺たちにこの光景を見せたかったんですね?」

「はい。あのような奔放な主ではありますが、獣王として民を思う気持ちは本物ですので」

「ええ、道を歩く獣人たちの表情を見れば、ライオネル様への信頼がわかりますよ」

自分たちの未来がより良いものになると思っていなければ、あのような表情はできない。

逆に自分たちの未来に絶望しかなければ、帝国の民のような諦観(ていかん)に塗れた表情になってしまう。

「できれば、俺の錬金術で帝国の民たちにも光を見せてあげたかったな」

本当に帝国の民を救いたいという気持ちがあるのであれば、解雇された後でも帝国に残って活動するべきだった。それはかなり険しい道のりだが不可能というわけでもない。

「結局は他人よりも我が身が大事なんだな」

「国が違えどイサギ様が錬金術師として活動していけば、巡り巡って帝国の民の光にもなります。そのように自分を責めないでください、イサギ様」

「イサギさんが獣王国にやってきてくださり、その手腕を振るっていただけたお陰で民たちに光があるのです。宰相として改めてお礼を申し上げます」

「メルシア、ケビンさん……ありがとうございます」

帝国でやり残したことや、過去の自分の行いに心残りがあれど、今の俺には成し遂げたことがある。

メルシアやケビンの励ましの言葉で、そのことに気付くことができた。

どんよりと曇っていた心が、一瞬にして晴れ渡った気分だ。

空を見上げていると、柔らかい風が肌を撫でると同時に頭に軽い何かが載った。

思わず右手を頭頂部に持っていくと、髪の毛に葉っぱがくっ付いていた。

「大樹の葉だ」

「おお、大樹の葉が頭に乗るとは縁起がいいですなぁ。ぜひ受け取ってください」

「え? こんな稀少なものいいんですか!?」

大樹の葉はかなり良質な素材だ。万能薬、特効薬、ポーション作成のための良質な素材となる。

たった一枚だけで原価として金貨五枚にもなるだろう。そんなものを気軽に譲ってもいいのだろうか?

「稀少な素材故に本来であれば気軽に渡すものではないですが、イサギさんでしたら構いません。それに渡すことを選んだのは大樹ですから」

「ありがとうございます」

大樹が気に入ってくれたのか、ただの気まぐれなのかはわからないが、素直に受け取っておくことにした。

大樹の葉をマジックバッグに仕舞うと、兵士が庭園へと入ってきてケビンへと耳打ちをする。

恐らく、謁見の準備が整ったのだろう。

「さて、そろそろ謁見室の方に向かいましょうか」

ケビンの言葉に俺とメルシアは頷き、謁見室に向かうのだった。



ケビンに連れられて謁見室に入る。

視線の先にある玉座には、獣王であるライオネルが座っていた。

先ほど出会った時の肌の露出の多い服装とは違い、かっちりとした正装に身を包んでいる。

衣装には装飾が施されており、頭には王冠が載っていた。

俺とメルシアを見ても気安い笑みを浮かべることはせず、王として相応しい凛々しい表情を浮かべている。

公私の差が激しくて笑ってしまいそうになるが、謁見室には大勢の兵士が並んでおり厳粛な空気に包まれている。さすがにライオネルを見て、噴き出すようなことは絶対にできないな。

笑わないようにライオネルから視線を外して、カーペットの上を歩くことに集中する。

言葉を交わすのに程よい距離まで到達すると、俺とメルシアは敬意を表すかのように片膝をついて目線を下にした。

「表を上げよ。そなたたちは私が招いた客人だ。そのようにかしこまる必要はない」

「ありがとうございます」

素直に受け止めて立ち上がるべきか迷ったが、メルシアが立ち上がる様子がなかったので視線を元の位置に戻すにとどめた。

「遠いところをよく来てくれた。私の自己紹介は不要だろうが、本日は妻も同席をしている故に、まずは紹介をさせてくれ」

「ぜひに」

「はじめまして、獣王ライオネルの妻のクレイナといいます」

紅色の長い髪をアップでまとめており、豪奢なドレスに身を包んでいる。

頭頂部にはライオネルと同じ虎の耳が生えており、胸元には大きく生地を押し上げるほどに豊かな実りがあった。優しげな瞳も相まってどこか母性を感じさせる王妃だ。

「プルメニア村より参りました錬金術師のイサギです」

「イサギ様の身の回りのお世話や、助手をしておりますメルシアと申します」

「獣王国での生活が短いせいか不作法があるかもしれませんが、どうかご容赦をください」

道中、メルシアとコニアから一通りの作法は教わっているが、付け焼刃ではどうしてもボロが出てしまう。申し訳ないが、そこは目こぼしをしてもらうしかない。

「さて、イサギを呼び出したのは手紙にも記した通り、()(きん)の件での礼を告げたかったからだ。イサギが作ってくれた作物は獣王国の各地で瞬く間に成長し、食料に苦しむ民の命を救った。獣王として、数多くの民を救ってくれたことに深く感謝する」

ライオネルだけでなく、クレイナも深く頭を下げた。

公式の場で王と王妃が頭を下げたことに俺は慌てる。

「頭をお上げください。獣王様と王妃様が私などに頭を下げるなど……」

「それくらいのことをイサギはやってくれたのだ。今回の飢饉、我らの力ではどうあってもすべての民を救うことはできなかったからな」

そう述べるライオネルの表情からは忸怩(じくじ)たる思いが滲み出ていた。

民を思うライオネルだからこそ、自分の力で何とかしたいと思っていたのだろう。

王と王妃が頭を下げてまで感謝してくれたのだ。あまり謙遜しては逆に失礼になるだろう。

俺はこれ以上の謙遜はやめ、素直に受け止めることにした。

「ありがとうございます。身に余る評価を頂けて光栄です」

「民を救ってくれたイサギには感謝の証として褒美を与えたい。ぜひとも受け取ってくれ」

ライオネルが指を鳴らすと、後ろの扉から獣人たちが大きな包みを抱えて入ってくる。

獣人たちは俺たちの目の前までやってくると、大きな包みを一斉に広げた。

包みの中には大量の金貨だけでなく、金、銀、銅をはじめとする宝石類や、マナタイトなどの特殊鉱石類などがあり、他には獣王国にある稀少な素材らしきものや、武具の類が収められていた。

「こんなにも受け取ってもよろしいのでしょうか?」

「感謝の証だ。ぜひ受け取ってくれ」

これだけの資金があれば、ワンダフル商会に頼んで良質な魔石や素材を集めてもらうことができそうだ。農作業用のゴーレムを改良したり、魔道具を改良したり、資金と素材が不足していたために手を出すことができなかったものが色々と作れそうだ。

などと考えていると、傍からすすり泣きのようなものが聞こえた。

視線をやると、隣にいるメルシアが涙を流していた。

「メルシア、どうして泣いてるんだい?」

「それは嬉しいからです」

「嬉しい?」

「私はイサギ様の素晴らしさをわかっておりますが、帝国にいた時は誰もがそれに気付かず歯がゆい思いをしておりました。ですから、私はイサギ様が正しく評価される姿を見ることができて嬉しいのです」

メルシアの言葉が(おお)袈裟(げさ)とは言えないくらいに帝国では階級や人種による差別、不正が横行していた。上の者の責任は下の者が取り、下の者の成功は上の者が取り上げる。それが当たり前だった。

幼少期からそんな環境で過ごしていた俺は慣れていたが、メルシアはずっと納得がいっていなかったのだろう。

「そうだね。こんなのは帝国じゃあり得なかったことだよ。だから、ここに連れてきてくれたメルシアには感謝してるさ」

俺の心からの言葉にメルシアは嬉しそうに笑みを浮かべるのであった。





「よし! これで堅苦しい公務は終わりだな!」

ライオネルから貰った報酬をマジックバッグに収納し終わると、彼は途端に王冠を外し、正装のボタンを二つほど開けて、玉座に深く腰かけてリラックスし始めた。

「……あなた」

「もういいだろう? イサギたちとは知らぬ仲ではないのだ。ここからの話は自然体でやった方がいい」

クレイナが(たしな)めるも、ライオネルは(うっ)(とう)しそうにローブを脱いで控えている兵士に投げ渡していた。威厳を戻すつもりがないことを悟り、クレイナとケビンが深くため息を吐いた。

いつものことなのだろう。謁見室に整列している兵士たちも、しょうがないといった風に苦笑していた。

「イサギとメルシアも、いつも通りにしてくれて構わないぞ」

「とか言いつつ、気安い言葉をかけた瞬間に首を飛ばすようなことはございませんよね?」

「なんだそれは? 鬼畜の所業ではないか」

「帝国の一部の貴族にはそういう行いをする者がいましたので」

帝国貴族にはいるんだ。平民にも優しく寛大なフリをして、相手が油断し、大きな不敬を働いたところで首をはねるという奴が。

「ええい、この俺がそんなみみっちい真似をするか!」

「ですよね」

これは冗談だ。おおらかで器の大きいライオネルがそんなことをするはずがない。

まあ、帝国貴族の話は冗談じゃないのが怖いところだが。

「しかし、こちらにたどり着くのがかなり早かったな! こちらにたどり着くのに、少なくともあと十日はかかると思っていたが、一体どうやって時間を縮めたのだ?」

玉座の上で胡坐(あぐら)をかいて前のめりで尋ねてくるライオネル。

ソワソワといた様子からずっと気になっていたんだろう。

「ゴーレム馬? あれはそこまで走れる乗り物だったか?」

ライオネルは一度農園にやってきて、ゴーレム馬を体験している。

「長距離移動用に改良したものを使いました」

「そんなものがあるのか!? 欲しいぞ、イサギ!」

「ライオネル様のために、ご用意していますよ」

「本当か!?」

ライオネルなら欲しがると思っていたので、特別なゴーレムを用意していたりする。

ライオネルから爛々(らんらん)とした視線を向けられる中、俺はマジックバッグからゴーレムを取り出した。

それは道中に稼働させたゴーレム馬とは違い、獅子を模したゴーレムだ。

「おお! 気高き獅子ではないか! 獣王である、この俺に相応しい! これもゴーレム馬と同じように走るのか!?」

「走れます。ゴーレム馬よりもやや魔石の消耗が激しいのは難点ですが、ゴーレム馬よりも遥かに馬力が高いです」

ちょっとしたデメリットを告げるがライオネルはまったく気にした様子がない。それどころか嬉しそうに獅子ゴーレムに跨っている。そのはしゃぎっぷりは新しい玩具を貰った子供のようだ。

「あなた、さすがに謁見室で乗り回すのはおやめになってくださいね?」

「……あ、ああ、わかってる」

渋々といった様子で獅子ゴーレムを降りていることから、クレイナに注意されなければ間違いなくすぐに乗り回していただろうな。

「ちなみにクレイナ様にもお土産をご用意していますよ」

「なにかしら?」

さすがにライオネルだけにお土産を渡して、王妃には何もありませんというのも失礼だしな。

クレイナが嬉しそうに顔をほころばせる中、俺はマジックバッグからいくつもの木箱を取り出した。

メルシアと共に木箱の蓋を開けると、そこには農園で作ったイチゴ、リンゴ、バナナ、モモ、スイカ、オレンジなどの果物が入っている。

「果物!」

「うちの農園で作ったものです。マジックバッグで保存していたので、穫れたてといっても過言ではありません」

「早速、召し上がりましょう!」

「おい、そっちはいいのか?」

クレイナの言葉に、ライオネルが抗議する。

「あなたは一度夢中になると止まらないじゃありませんか。文句があるならあなたは食べなくて結構ですよ? これは私へのお土産ですから」

クレイナがそう言い放つと、ライオネルはすぐに黙り込んだ。

文句はないから自分も果物を食べたいという意思表明だろう。

さすがは王妃だ。ライオネルの扱いをわかっているな。

クレイナの命により、獣人兵士が木箱からそれぞれの果物を手に取った。それからじっくりと果物を観察し、スンスンと鼻を鳴らして匂いを嗅ぐ。

なんとも緩い試食会ではあるが、一応は王と王妃が口に入れるもの。何か異常がないか念入りに確認しているのだろう。

やがて問題ないことが確認されると、兵士が腰からナイフを抜いてリンゴの皮を綺麗に剥き始めた。リンゴの皮が剥けると、最後の毒見として一人の兵士がリンゴを口に入れた。

「うまっ!」

「おい、毒見役が口にしたものをいきなり呑み込んでどうすんだよ」

通常、この手のものは毒がないか舌で確認したり、しっかりと()(しゃく)して確かめるものだ。

それなのに普通に食事するかのように食べてしまえば、同僚に突っ込まれるのも無理はない。

「もう毒見は十分だろう。早く皿に盛り付けてこちらに持ってこい」

ライオネルに催促されると兵士たちは慌てて毒見を済ませ、皮を剥いたリンゴをお皿に盛り付けた。

運ばせたお皿を受け取ると、クレイナとライオネルがフォークで口へ運んだ。

シャクリとリンゴを咀嚼する音が謁見室に響く。

リンゴを口いっぱいに放り込むライオネルと、一口一口噛みしめるように食べるクレイナの食べ方が対照的で面白い。

「相変わらず、イサギの農園で育てた果物は美味いな!」

「ええ、本当に美味しいです」

「ありがとうございます」

ライオネルだけでなく、王妃であるクレイナの舌をも満足させることができたようでホッとした。



「ところでイサギよ、このあと時間はあるか? イサギの腕を見込んで頼みたいことがある」

二人がリンゴを終わったところで、ライオネルが真剣な口調で言ってきた。

ライオネルに獣王都に呼ばれたのだ。

飢饉の際の活躍に対する褒賞以外にも、何かしらの要件があると思っていた。

俺もメルシアも予想していたこと故に、ライオネルの切り出した言葉に慌てることはない。

「お役に立てるかはわかりませんが、お聞きしましょう」

錬金術は決して万能ではないことを知っているが故に、安請け合いをすることはできない。

俺はひとまずライオネルの頼みの内容を聞いてみることにした。

「イサギも知っていると思うが、獣人族は人間族に比べて出生率が高い上に、必要する食事量も多い。つい先日では大凶作が起きただけで、何人もの民が飢えそうになった」

要するに国内の食料消費に対し、食料生産が追い付いていないということだろう。

帝国でもこの手の問題は常にあったので、実に既視感のある問題だ。

「民が飢えることがないように王家では何代も前から農業や、魚の養殖などの食料生産支援をしている」

おお、さすがは獣王国。帝国とは違って、民のことを想って、しっかりと食料問題と向き合っていたようだ。ライオネルの代だけでなく、何代も前から施策が続いているだなんてすごい。

「だが、それでも追い付いていないのが現状だ。これを打開すべく、イサギには獣王国での農業支援を頼みたい」

何かしらの稀少な作物の栽培でも頼まれるとでも思っていただけに、ライオネルの口から放たれた言葉には驚きしかなかった。

「……農業支援ですか? それは具体的にはどのような……?」

「特に食料事情の厳しい場所に赴いて、イサギの錬金術で食料生産の改善をしてもらいたい。具体的にはラオス砂漠に住んでいる獣人たちが豊かに暮らせるように農園を作ってほしいのだ」

「砂漠でですか!?」

ラオス砂漠は降雨が極端に少なく、砂や岩石の多くて乾燥している。水分が少なく、気温の日較差が激しい故に農業に適さない地域の代表みたいな場所だ。土壌が痩せていたプルメニア村で農業を成功させるよりも、難易度は遥かに高いと言えるだろう。

「ちなみに以前イサギに貰った苗のいくつかを周辺に植えてみたのが、実ることはなかった」

「でしょうね」

そこまで成育環境が違うと、作物にも環境に合わせた改良が必要となる。失敗するのも道理と言えるだろう。

「……砂漠での作物の栽培はイサギほどの腕前を持っても難しいか?」

考え込んでいると、おずおずとライオネルが尋ねてくる。

「未知の環境なのでなんとも言えないところです」

あまりにも農業に適していない土地なので、簡単にできますとは言えないところだ。

できるともできないとも言えない微妙なライン。

「ちなみに農業支援をするにあたって、なぜその場所を選んだのかお聞きしてもよろしいでしょうか?」

気になるのがどうしてその土地での支援を頼んだかだ。ピンポイントでその地を選んだことに何か理由があるような気がする。

「ラオス砂漠を選んだ理由は、そこに住んでいる彩鳥族と赤牛族の対立が深刻化していることだ。少ない水や食料を巡って争いが頻発している。同胞で争い合うのはあまりにも不毛だ」

そう答える、ライオネルの表情は苦悶で満ちていた。

国内で争い合う獣人の現状を憂いているようだ。

食料不足故に争い合う光景を、俺は帝国内で何度も目にしてきた。

あんな光景を当たり前のようなものにしたくはない。

「農園の設立はあくまで理想です。私たちの要望としては、イサギさんの力で少しでも食べられるものを増やせればと思うのです」

プルメニア村のような大農園をすぐに作ってくれと言われると、荷が重すぎて首を横に振るところだが、品種改良によって砂漠で食べられるものを増やすお手伝いならできるかもしれないな。

だが、それはあくまで希望的観測だ。実際に(おもむ)いて挑戦してみたが、まったく役に立てないという可能性も大きい。

「すぐに結果が出なくとも(とが)めることはないし、時間がかかってもいい。とにかく、一度赴いてみてはくれないだろうか?」

ライオネルやクレイナの施策に対する熱意は本物だ。これだけ真摯に頼まれれば応えてやりたい。

所属する国が変わろうと俺の夢は、人々の飢えをなくすこと。ライオネルからの依頼は俺の目的に沿ったものだと言えるだろう。

隣にいるメルシアにチラリと視線を送ると、彼女は微笑みながら頷いてくれた。

俺の判断に任せてくれるらしい。

「わかりました。農園設立までの成功の保証はしかねますが、ラオス砂漠でも栽培できる作物を作れるように尽力いたします」

「おお、やってくれるか!」

「イサギさんのご厚意に感謝いたします」

引き受ける旨を伝えると、ライオネルは嬉しそうにし、クレイナは安堵の笑みを浮かべた。

ラオス砂漠の食料事情にはライオネルたちも大きく頭を痛ませていたんだろうな。

「早速、イサギたちに向かってもらいたいのだが、ラオス砂漠までの道のりは複雑で過酷だ。案内役としてこちらから一名を同行させてもらってもいいだろうか?」

ラオス砂漠には当然ながら俺は行ったことはない。それは恐らくメルシアも同じだろう。

道中までの案内をしてくれる者がいれば、移動はよりスムーズになるし、遭遇したことのない魔物などに戸惑うこともない。王家からの指示でやってきたとわかる方が、現地の住民との話し合いもより円滑に進むだろうし。俺たちからすればライオネルの申し出は非常にありがたいものだ。

「恐れながら、足手纏いになる方であればご遠慮いただきたいです。私はイサギ様をお守りすることに集中したいので」

メルシアがここまでハッキリと言うということは、それだけラオス砂漠周辺に棲息する魔物が手強いということだろう。余分な非戦闘員を抱える余裕はないということか。

そんなメルシアの返答にライオネルは面白いと言わんばかりの笑みを浮かべた。

「安心しろ。案内役に関しては足を引っ張ることはないと俺が保証する」

「であれば、問題ないです」

「では、案内役の紹介をしよう」

メルシアの言葉に同意するように頷くと、ライオネルが入り口に向かって「入れ!」と声を張りあげた。

入り口の大きな扉が開くと、謁見室に一人の獣人が入ってきた。

ショートジャケットにタンクトップ、ホットパンツに身を包んだやや露出の激しい格好をしている。

紅色の髪をポニーテールにしており、勝気そうな瞳をした少女だ。

「初めまして、第六十三代獣王ライオネルが実子。第一王女のレギナよ。よろしくね」

呆気からんとした様子をしたレギナの名乗りを聞いて、俺とメルシアは狼狽(うろた)える。

「大丈夫なんですか?」

「何が?」

「だって、王女様ですよ? これから危険のある場所に向かうのですが……?」

「王女だからって安全な城に(こも)っているつもりはないわ! あたしは獣王の娘なのよ?」

おずおずと尋ねてみると、レギナは腰に手を当てて堂々と宣言した。

直接辺境までやってくる父にして、この娘ありと言ったところか。

「い、いいんですか?」

「国内の様子を自分の目で見てくるのも大事だからな」

「箱入り娘は必要ありませんので」

(すが)るような視線を向けるも、ライオネルとクレイナはレギナの同行を取り消すつもりはないようだ。

というか、クレイナの台詞が厳しい。これが獣王家の価値観なのだろうか。

「レギナ様に万が一のことがあったら困るんですが……」

「あたしが死んだらその時はその時よ! 兄さんか弟かが適当に王位を継ぐから問題ないわ!」

懸念点を告げるも、レギナは豪快に笑って俺の背中をバシバシと叩いてくる。とても痛い。

「ねえ、メルシア……大丈夫だと思う?」

道中における戦闘の割合は恐らくメルシアが一番高い。彼女の判断を聞いて、ダメそうなら悪いけどお断りしよう。というか、できればお断りしたい。何とか理由をつけて断れないだろうか?

「レギナ様の武名は獣王国内でも有名ですので、頼りになる案内役になってくださるかと」

そんな俺の思いとは裏腹にメルシアはレギナの同行をあっさりと認めてしまった。

「そうよ! 父さんと母さんには敵わないけど、それ以外の人には負けないから!」

内心で大きくガックリとする中、レギナが気合いを入れるように左右の拳を打ちつけた。

たったそれだけのことで大きな風圧が起き、俺とメルシアの前髪が大きく揺れた。

まあ、どのみち案内役は必要なんだ。肩書きこそ重いものの、実力者であれば拒む理由はないか。

「言い忘れていたが、成功した(あかつき)にはもちろん報酬を出そうと思う」

「それはどのようなものでも可能でしょうか?」

「何か欲しいものがあるのだな? 言ってみろ」

問いかけると、ライオネルが面白いとばかりに身を乗り出した。

これは素直に言っていいパターンだろう。

「大樹の葉や枝などをいただければと」

「これは興味本位なのだが何に使うのだ?」

「葉は万能薬だけじゃなく、エリクサーの原料に。木材は基礎耐久が高く、湿気や熱にも強くて燃えにくいんです。香りには防虫、防菌、リラックス効果がある上に、木目も美しい。まさに理想の木材といえるでしょう。浴槽、扉、フローリング、家具、何にでも加工ができます。枝に関しましては雑貨から武具と幅広い範囲で活用ができます」

「お、おお。そうか」

大樹の素材の用途を軽く語ってみせると、ライオネルがちょっと引いたような顔をする。

説明している最中に思わず熱がこもってしまったが、それだけ大樹は素晴らしい素材なのだ。

庭園で葉っぱを一枚だけ貰ったが、できるならばもっと欲しい。

大樹の葉でエリクサーを作ってみたいし、様々な種類のポーションだって作ってみたい。大樹の木材を使って、ここのような素晴らしい建物を作ってみたい。錬金術師とこれほど興味が惹かれた素材は久しぶりだ。

「わかった。成功した暁には大樹の素材をいくつかイサギに渡そう」

「ありがとうございます」

こうして俺とメルシアとレギナはラオス砂漠に向かうことなった。