「イサギ様、そろそろ国王陛下がお帰りになられるそうですが……」
「できた!」
メルシアが俺を呼びに工房に入ってきたと同時に、俺は最後の作物の品種改良を完成させた。
「……国王陛下にお渡しするための品種がもう完成したのですか?」
テーブルの上に並んだ作物を見て、メルシアが驚きを露わにする。
「そうだよ。とはいっても、実際にその土地で育つかは、ぶっつけ本番になるんだけどね」
「ですが、自信があるのでしょう?」
謙遜してみせるが、メルシアには内心がバレバレのようだ。
「うん、伊達に品種改良で失敗を繰り返していないからね。多分、このジャガイモなら他の土地でも問題なく育つはずだよ」
日頃、改良で失敗を繰り返しているが、だからこそどのような因子を加えれば、どのような変質を起こすのかわかるものがある。今回、これだけの速さで改良することができたのは、数々の失敗を経験してきたからに他ならない。
「では、ライオネル様の元に急ぎましょうか」
「うん。あんまり待たせたら悪いしね」
メルシアに促された俺は品種改良したジャガイモを手にすると外に出た。
販売所の前に行くと、ライオネルの馬車とワンダフル商会の馬車がズラリと並んであった。
馬車の前にはライオネルとケビンと少数の護衛が立っている。
「イサギ、他の土地でも育つための作物を作っているとケビンから聞いたが、もしや完成したのか?」
「はい。一種類だけで大変申し訳ないですが、何とか完成させました」
「いやいや、たった一種類でも凶作になる心配のない作物を貰えるのは有難い! それをこの短時間で作り上げてくれたのだ。誰が文句をつけるものか!」
「ありがとうございます。こちらが改良を加えたジャガイモです」
ライオネルに改良したジャガイモを手渡す。
彼の大きな手の平の上に乗ると、ジャガイモが小さな石ころのように見えてしまうな。
「おお! ジャガイモか! これなら誰でも育てやすく腹も膨れる! して、このジャガイモにはどのような特性があるのだ?」
「獣王国に比較的多い土質に合わせて調整いたしました。そのジャガイモを植えれば、三日ほどで収穫を迎えることができます」
「三日だと!? そのような短期間で収穫ができるのか!?」
短期間で収穫を迎えられるジャガイモにライオネルが驚く。
「可能です。しかし、それはあくまで救荒作物です。短期間で収穫が行えますが、強い成長力故に土地の栄養を強く吸い上げてしまいます。一度収穫した際は、同じ場所で繰り返し栽培しないようにお願いします」
「うむ。これだけ収穫が早い作物だ、育てた土地の栄養を急激に吸い上げるのは何らおかしいものではないな。わかった。栽培する際は厳命しておこう」
「では、念のために他の種類のジャガイモをお渡ししておきます」
最初に渡したものとは別に、二つのジャガイモを手渡しておく。
すると、ライオネルは不思議そうな顔をした。
「他の種類とは?」
「調整した一つ目のジャガイモが土に合わず、思うような成長をしなかった場合の保険です」
「おお、それは有難い」
俺はプルメニア村周辺以外の土地を知っているわけではないからな。
念のために異なる方向性の因子を持たせたジャガイモを作っておいた。
数を打てば当たるというわけではないが、そういった保険をかけておくにこしたことはない。
「そして、最後に大事な忠告をいたします。改良したジャガイモにもし違和感を抱いたら、すぐに破棄してください。予期せぬ成長を果たした作物は、思いもよらない危険を振りまく可能性がありますので」
「わかった。その時は申し訳ないが、すぐに破棄させてもらうことにしよう」
大事な注意事項を告げると、ライオネルは深く頷いてくれた。
思いもよらない力の危険性を彼は十分に理解しているようだ。
「大量の作物だけでなく、このような貴重な作物をくれたことに感謝する。イサギのお陰で我が国は餓死者を出さずに済みそうだ」
思わず安堵の息を漏らすライオネル。
彼も国民を脅かす凶作に大きな不安を抱いていたのだろう。
そんな優しい彼の力になれたのであればよかった。
「イサギやここの農園のものたちには大きな借りができたな。この借りは獣王の名に置いて必ず返すことを誓おう」
「国民として当然の協力をしたまでですが、何かありましたらよろしくお願いします」
丁寧に固辞することも考えたが、プルメニア村全体のことを考えると、少しずる賢くするべきだろう。
「うむ、それでいい」
素直にお願いしてみせると、ライオネルは満足そうに笑った。
どうやら無駄に遠慮しなかったことは正解らしい。
「お節介かもしれないが忠告しておく。不毛の大地として見られていたこの土地だが、イサギの活躍によって農園地帯となった。これだけの農作物をひとつの農園で賄えるとなると、豊かな穀倉地帯と同義。侵略する価値のある土地だと思われれば、野心のある国が侵略してくる可能性があるぞ」
「ッ!」
プルメニア村は獣王国の中でも最西端に位置する辺境。
隣接しているのは、侵略によって国土を拡大し続けた帝国だ。
今までは旨みのない土地故に無視していたかもしれないが、奪う価値のある土地と認定すれば侵略してくるかもしれない。
「とはいえ、獣王国内には他にも資源がたくさんある。帝国が凶作にでもならない限り、可能性とは低いだろうな」
あくまで侵略の可能性のある土地として浮上したのであって、優先順位が高いわけではない。いくら帝国でも早々にこの村を狙うわけはないだろう。
「ご忠告、ありがとうございます。念のため村の防備も上げておきます」
「うむ。それがいいだろう。何かあった時は頼ってくれ」
ライオネルはそう言うと、颯爽とマントを翻して自らの馬車へと乗り込んだ。
ケビンや護衛の兵士たちも乗り終えると、ライオネルを乗せた馬車はゆっくりとプルメニア村を離れていった。
●
馬車の一団が去っていく、今日は少し早いが農園全体の仕事を切り上げた。
今日は販売所を作ったり、獣王国の国王であるライオネルが視察にきたり、作物を売ってくれと頼まれたりと色々なことが起きた。
従業員たちも急遽と収穫作業が増えたり、作物を馬車に積み込んだりと大変だっただろう。
こんな日は早めに休むに限る。
そんなわけで俺とメルシアも家に帰ってきた。
慣れ親しんだ場所に戻ってくると、心からホッとする。
「お疲れのようですね」
「今日は色々と濃い一日だったからね。それに偉い人と話すのは久しぶりだったし緊張したよ」
「私も獣王様がいらっしゃったことには驚きました」
気さくだったとはいえ、相手は一国の王だ。
友好的とはいえ、節度は弁えないといけないからね。
帝国では上司や貴族を相手に毎日のように気を遣っていたものだが、久しぶりにやるとドッと疲れるものだ。
縦社会に振り回されることのない、普段の生活がどれだけ尊いものか実感したものだ。
「……イサギ様はこの村での生活に苦痛はありませんか?」
イスの腰掛けて伸びをしていると、不意にメルシアが問いかけてきた。
「え? 急にどうしたの?」
「イサギ様をこの村にお連れしてずっと思っていたのです。イサギ様は優秀な方なので、このような小さな村でなく、もっと大きな場所で活躍されるべきではないのかと。それなのに私が半ば強引に誘ってしまって……」
俯きながらのメルシアの言葉を聞き、俺はゆっくりと首を横に振る。
「そんなことはないよ。帝城では異端で爪弾きにされているのにメルシアはずっと支えてくれた。宮廷錬金術師を辞めさせられた時でさえも、メルシアは態度を変えことなく、プルメニア村に誘ってくれたことに感謝しているんだ」
確かにプルメニア村は農業に限っては豊かじゃないけど、それを錬金術でどうにかしたいのが俺の願いだった。
帝国では出来なかった目的の一つをメルシアのお陰で叶えることができた。そんな彼女には感謝することはあれど、迷惑だなんて思ったことは一度もない。
「今ここにいるのは自分の意思で決めたことだから、メルシアはそんな風に思い悩まなくて大丈夫さ」
「……そうでしたか。そうだったのであれば、本当に良かったです」
素直な気持ちを伝えると、メルシアは心の底からホッとしたように呟いた。
彼女がそんな風に思い悩んでいたなんて全く気付かなった。
ずっとお世話をしてもらって、一緒に仕事をしていたというのになんだか申し訳ない。
そこまで考えてくれていたメルシアに報いてあげたいな。
そんな気持ちが頭の中を過った瞬間、俺はある果物の存在を思い出した。
「あっ、そうだ! メルシアに渡してあげたいものがあるんだった!」
「渡したいものですか?」
「ちょっと付いてきて」
怪訝な表情を浮かべながらのメルシアを連れ、俺は渡り廊下を渡って工房へ。
工房に入ると、奥に進んで地下の実験農場へと至る階段を下る。
実験農場のさらに奥にあるスペースには、無数のブドウ畑が広がっている。
「渡したいものというのはもしかして……?」
「うん、ブドウだよ。この村に誘ってくれたことや、日頃支えてくれている感謝の気持ちを伝えたいと思ってね」
「私のためにわざわざご用意してくださるなんて感激です」
贈る意図を伝えると、メルシアは感激の表情を浮かべた。
目の端から若干涙が出ているが、それだけ喜んでくれていると思うので変に茶化すのはやめておく。
「ここにあるものすべてイサギ様が改良を加えたものなのですよね?」
「うん、ブドウが大好きなメルシアには生半可のものを贈るわけにはいかないからね。味の方を優先させると、大量生産が難しくなっちゃってこれだけしか栽培できなかったけど」
「それでも嬉しいです」
メルシアがブドウ畑の中に入っていく。
新緑の葉や蔓が生い茂る中、艶やかな黒い髪をしたメルシアが濃紫のブドウを見上げる姿は不思議と絵になる光景だと思った。
「食べてみてもよろしいでしょうか?」
「もちろん」
頷くと、メルシアが収穫期を迎えたブドウを一粒口に含んだ。
目を瞑って丁寧に味わうように食べるメルシア。
呑みこむとゆっくりと目を開いて、
「……とても美味しいです。今まで食べたブドウの中で最上の味です」
とびっきりの笑顔を見せてくれた。
今までにメルシアの笑顔は見たことがあったが、現在浮かべている笑顔に勝るものはない。
そう思えるくらいに自然で素敵な笑顔だった。
「そう言ってもらえて安心したよ」
そうじゃなきゃ、メルシアのために用意した意味がないからな。
数々のブドウを食べた彼女が、心の底から美味しいと言えるものが作れて良かった。
本当はもっとたくさんのブドウを用意してあげたかったが、今の俺の技量ではそれが限界だ。もっと技量が上がったら、最上の味を追求しつつ、大量生産できるようにしたいや。
「イサギ様がやってこられるまでは、日常的に豊かな食事はできませんでした。こんな風に楽しく食事ができるのはイサギ様のお陰です」
俺はこの村にやってきて、すぐに品種改良した作物を育てたから実感がないが、貧しい状態をよく知っているメルシアだからこそ深く思うところがあったのだろう。
確かにこの村の食生活は変わったと思う。
品種改良された作物と、良質な肥料のお陰で誰もが農業ができるようになった。
俺が大農園を作り上げたことによって、食料の供給が滞ることはなくなった。
生きるための食事ではなく、美味しいものを食べる余裕が生まれた。
だけど、それは決して俺一人の力じゃない。
「品種改良にはメルシアも手伝ってくれたし、俺が研究に専念できるように農園の管理をしているのはメルシアじゃないか。決して俺だけの力じゃないよ。メルシアも胸を張って」
「そう言っていただけると私も頑張った甲斐がある気がします」
この村にやってきてメルシアだけでなく、ケルシー、シエナ、ネーアをはじめとする従業員にコニア、自分を慕って認めてくれる人がたくさんできた。それがとても嬉しい。
錬金術で皆の役に立てることはとても楽しく、やり甲斐がある。
少なくとも帝城で宮廷錬金術師として生活していた時の俺よりも紛れもなく幸せだと言い張れるだろう。
「これからも色々と迷惑をかけるかもしれないけど、よろしく頼めるかな、メルシア?」
「はい、イサギ様。どこまでもお供いたします」