帝城内の荷物をすべて引き上げた俺は、帝都の南門広場でやってきていた。
周囲にはあちこちの馬車が並んでおり、多くの旅人や冒険者といった人たちが乗り込んでいる。俺やメルシアもこれらの旅馬車を利用して、獣王国に向かうつもりだ。
周囲には旅人向けの店や露店が開いており、とても賑やかだ。
鬱屈した帝城にずっといたので、こういった雰囲気がとても眩しい。
もうちょっと気分転換に外にでも出ればよかったかな。
そんなところを他の宮廷錬金術師やガリウスが見ようものなら嫌みは言われることは必須だったが、それでも精神の平和を保つために気分転換を優先するべきだったかもしれない。
「イサギ様、お待たせいたしました! 遅くなってしまい申し訳ありません!」
なんて考えながら周囲を観察していると、メルシアがやってきた。
服装は先ほどと変わらずメイド服姿だが、背中に背負っているリュックはかなり大きかった。こうして見ていても重量感を感じるが、彼女は平気みたいだ。
獣人は人間に比べて総じて身体能力が高い。
細い身体をしているが、メルシアも獣人ということだろう。
「旅に必要な食料や道具を買っていたから、むしろ助かったくらいだよ。それより、仕事は無事に辞めることができたかい?」
「メイド長にかなり引き留められたせいで、手続きに時間がかかってしまいましたが問題なく辞めることができました」
「なら、良かった」
メルシアは引き留めてくれる人がいたんだ。俺には一人もいなかったよ。
お世話になった同僚に挨拶をしても皆、それぞれの仕事で忙しいのか無関心って感じだった。なんだか思い出すと泣けてきたのでこれ以上はやめておこう。
「そろそろ出発しようと思うけど、必要なものはないかい?」
「……強いていえば、水や食料の量が少しだけ不安です」
「それなら俺のマジックバッグにたくさん入っているから問題ないよ」
自分の方に下げたショルダー式のマジックバッグをポンと叩きながら言う。
これは錬金術で作り出した魔道具で、見た目以上に多くの物を収納することができるのだ。
容量に制限があったり、生き物を入れることはできないなどの制約はあるが、これ一つでどこにでも遠出できるので非常に便利だ。
錬金素材、研究道具、資材、食料、日用品と幅広い物を収納している。
たとえ、もしものことがあってもマジックバッグさえあれば、余裕で生きていけるだろう。
「ありがとうございます! でしたら、問題ないです! いつでも行けます!」
「じゃあ、馬車に乗ろうか」
互いに荷物に問題ないことがわかると、俺たちは馬車へ移動。
御者に話しかけて行き先を確かめた上で交渉し、お金を払って乗せてもらった。
「獣王国までどのくらいなんだい?」
「約一か月といったところです」
メルシアの説明を聞くと、大きな街や村を経由しながら馬車を乗り換えて進むようだ。
当然、辺境に進むにつれて乗り合い馬車は少なくなり、最後には行商人などの馬車に乗せてもらったり、いなかったら徒歩で進むこともあるみたい。
スムーズに乗り換えができるかどうかで、道中の日数は大きく変わるようだ。
「こんなに長い旅は初めてだよ」
帝都の孤児院で育ち、いくつかの錬金術師の工房で修業を経て、宮廷錬金術師となった。
素材の採取で帝都の近くに赴くことはあったが、ここまで遠出するのは生まれて初めてだ。
「故郷まで私がしっかりと案内しますので、イサギ様は思う存分旅を楽しんでくださいね」
「ありがとう。頼りにしているよ」
「はい!」
生憎と帝都近辺以外のことは俺にはわからない。
獣王国までの道順、安くて安全な宿の手配などは、メルシアに任せることになってしまうだろうが、その分彼女の故郷に着いた時は精一杯頑張らせてもらおう。
やがて、幾人かの旅人が俺たちと同じように乗り込んできて、荷車がある程度の密度に達すると馬車は出発した。
「帝都の外にはどんな景色が広がっているのか楽しみだな」
馬車は南門を出ると、グングンと速度を上げていく。
帝都のシンボルともいえる、帝城レムルスがドンドンと小さくなっていく。
まさか、仕事を辞めることになった当日に獣王国になるとは思わなかったな。
色々と不安はあるけど、今はそれよりもまだ見ぬ場所への期待感が勝っていた。
●
「イサギ様、起きてください」
メルシアの涼やかな声で俺は目を覚ました。
「もうすぐ私の故郷に着きます」
「おお!」
ややボーッとしていた頭がメルシアの一言で一気に覚醒した。
現在は運よくメルシアの故郷に向かうという行商人の馬車に乗せてもらって進んでいる最中。あまりの退屈さに、つい寝てしまった。
帝都を出て馬車を乗り継ぐこと一か月。
見知らぬ土地を経由しての旅に序盤はワクワクしていたが、さすがにそれが長く続くと疲れてしまうものだ。
目的地が見えてきたとあっては嬉しくないはずがない。
慌てて窓に張り付くと、周囲はすっかりと緑に覆われていた。
近くには森が広がっており、遠くでは雄大な山が連なっている。
「ここがメルシアの故郷……」
「はい、プルメニア村といいます」
馬車の向かう先には民家がぽつりぽつりと建っており、そこで生活を営む獣人たちの姿が見えた。
「獣人がいっぱいだ!」
「辺境とはいえ、獣王国ですから」
当たり前の俺の感想にメルシアが苦笑しながら言う。
帝都では獣人は蔑視する風潮があるせいか、獣人の割合はとても少ない。
なので、こうやってたくさんの獣人が生活している姿を見るのはとても新鮮だ。
土地が痩せていて農業が盛んではないと聞いたが、確かにこれだけ自然が豊かであれば、狩りや採取だけでも暮らしていくことはできるだろうな。
――でも、それだけじゃ未来はない。
人口が僅かとはいえ、住民たちずっと採取や狩りばかりしていれば、やがて恵みは尽きてしまう。
メルシアが言っていたここ最近の食料事情の落ち込みはそれが原因だろう。
それを何とかするのが俺の仕事だ。
景色を眺めながら決意していると、馬車が停車した。
行商人の方は馴染みの卸し先に向かうようだが、俺たちの向かう先は村の中心地だ。
メルシアの家まで徒歩で十分向かえる距離とのことなので、ここで下車をすることに。
お金は前払いだったので、ここまで乗せてくれたお礼を告げると行商人とは別れた。
「それでは私の家に行きましょう」
凝り固まってしまった筋肉をほぐすと、メルシアが大きなリュックサックを軽々と背負いながら言った。
「その前に村長さんの家に挨拶とか行かなくて大丈夫?」
人口の大半が獣人という村だ。
突然、よそから人間がやってきたら驚くのではないだろうか? 事前に村長に一声をかけておく方が、何かと問題にならない気がする。
「それについては問題ありません。ここの村長は私の父なので」
そんな心配を抱く中、前を歩いていたメルシアがシレッと言った。
「えっ? じゃあ、メルシアって村長の娘さんなの?」
「実はそうなのです」
「それならそうと事前に言ってよ」
「すみません。イサギ様を驚かせたくて黙っていました」
驚く俺の反応を見て、メルシアがクスリと笑った。
帝城にいた時は、こんな風にからかってくるようなことはなかった。
長い旅を経て親しみを抱いてくれるようになったのかな。
それがちょっと嬉しい。
「あれ? ってことは、いきなり村長のお宅に上がるってことになる?」
「そうなりますね」
「……どうしよう緊張してきた。錬金術師なんていらないなんて言われたらどうしよう」
「イサギ様ならきっと大丈夫です。仮に父がそのようなことをおっしゃれば、私が叩きのめし――説得します」
今、叩きのめすって言おうとしなかった?
「う、うん。とりあえず、反対されないように頑張ってみるよ」
メルシアの父さんの身の安全のためにも、しっかりと俺が村に貢献できることをプレゼンしなくては。
「ニャー! もしかして、そこにいるのはメルシア!?」
錬金術師の必要性を脳内で考えていると、不意に甲高い声が聞こえた。
視線を向けると、猫系獣人の女性がいた。
年齢は俺やメルシアと同じ十六歳くらいだろうか?
亜麻色の髪を肩まで伸ばしており、アーモンドのようなクリッとした瞳をしている。
耳や尻尾の色も髪色と同じ亜麻色で、ところどころに濃い斑点色になっている。
クールな印象を抱くメルシアとは対照的に可愛らしいと言えるタイプだ。
「お久しぶりです、ネーア」
「ニャー! やっぱり、メルシアだ!」
返事をすると、ネーアと呼ばれた女性は勢いよくメルシアに抱き着いた。
「でも、どうして? 帝国で働いているはずでしょ? 長期休暇とか?」
「いいえ、仕事を辞めて戻ってきたんです」
「えっ! 辞めたんだ! でも、急にどうして?」
メルシアの返答を聞いて、驚いていたネーアだったが俺を見るとにんまりとした顔になる。
「わかった! 旦那を連れて帰ってきたんだ! 手紙では全然出会いなんてないとか言っておきながらやるじゃん!」
「ち、ちち、違いますから! 私とイサギ様はそういう関係じゃ……」
ネーアに小突かれたメルシアが顔を真っ赤にして否定する。
メルシアはなんでもそつなくこなすので、こうやって誰かにからかわれている姿は非常に珍しい。
「えー? 仕事を辞めて男を連れて戻ってきたら、それ以外に理由なんてなくない?」
確かに第三者から見れば、そう見えるのかもしれない。
「本当に違うんです」
「んえー? じゃあ、この人は誰なの?」
ネーアの問いにメルシアが答える前に俺が口を開いた。
「はじめまして、錬金術師のイサギと申します」
「あたしはネーア! メルシアの幼馴染みだよ。イサギさんはどうしてここに?」
「メルシアさんと同じ職場で働いていたのですが職を失ってしまい、彼女のお誘いでこちらにやってきました」
「錬金術師!? それはまた珍しい人がきたね! 来たところで夢を壊すようで悪いけど、ここはそんなに豊かな土地じゃないよ? メルシアから聞いてるよね?」
「はい、承知しています。食料問題については俺たちで解決できればと思っています」
「へー、面白いこと言うね。本当に問題が解決してくれれば万々歳だよ。景色は綺麗だし、山や森の恵みは豊富でいい場所なんだけど、土が悪くて作物が育ちにくいのが大きな欠点だからさ」
「まだ着いたところですが、それは実感しています」
プルメニア村ととても自然が豊かで空気が綺麗な場所だ。
住んでいる住民たちものんびりとしている。毎日が喧騒のような帝都とは大違いだ。
こちらの方が余計な人間関係に縛られずに、自由に錬金術の研究ができそうだ。
「まあ、悪い人じゃなさそうだし、あたしは歓迎するよ。何か困ったことがあったら遠慮なく言ってね」
「ありがとうございます。無事に住むことができたら仲良くしてください」
ネーアがにっこりと笑いながら手を差し出してきたので、俺も手を出して握りしめた。
「にしても、メルシアが誘ったんだー?」
「そ、そうですがなにか?」
握手が終わると、ネーアはメルシアの方に寄って喋り出す。
小声で喋っているらしく会話のすべては聞き取れないが、ネーアと話しているメルシアの表情はコロコロと変わっているように見えた。
一か月の旅でそれなりに彼女と打ち解けたつもりだったが、やっぱり幼馴染は別格みたいだな。
俺もこっちではあんな風に仲のいい友人ができるといいなあ。
「じゃ、落ち着いたら色々詳しい話を聞かせてねー!」
一応は帰ってきたばかりのメルシアに気を遣ったのだろう。
会話がひと段落つくと、ネーアは俺たちに手を振って去っていった。
「すみません。騒がしい友人で」
ネーアの後ろ姿が見えなくなると、メルシアがおずおずと言った。
「いや、人間族なのに怪しがることなく話しかけてくれたから嬉しかったよ」
獣王国では人間族の俺は異端の存在だ。
それなのに臆する様子なく、話しかけてくれたのは素直に嬉しかった。