「メルシアちゃん、イサギさん! よく無事で戻ってきたよ!」

農園に戻ってくると俺とメルシアを見て、ネーアが叫んだ。

その声に反応してリカルドとラグムントもやってくる。

いつもの従業員服ではなく、革鎧などの防具や剣を腰に佩いていて武装状態だ。

もしもの際に備えて、ずっと警戒してくれていたのだろう。

「予想よりも大分遅かったから心配したぜ」

「ごめんね。ゴーレム馬が壊れちゃったせいで帰ってくるのが遅くなった」

シャドーウルフと取り引きをしていたこともあるが、単純に足であるゴーレム馬を壊されたせいで俺たちは徒歩で帰ることになってしまった。それが遅くなった最大の原因だ。

「お怪我はありませんか?」

「うん、幸いなことになんともないよ」

「軽い擦り傷程度で怪我と言えるレベルではありません」

ラグムントの問いに俺とメルシアが答えると、三人ともホッとしたように息を吐いた。

「よかった。無事に帰ってきたってことは、ブラックウルフたちは討伐できたってことだよね?」

胸を撫で下ろしながら尋ねてくるネーア。

安堵しているところに物騒な事実を告げるのが申し訳ないな。

「……えーっと、そのことなんだけど、慌てずに聞いてほしいことがあって……」

「おい、もういいか?」

「よくない! 今から説明するところだってば……っ!」

どう説明したものかと迷っていると、俺の影からシャドーウルフがぬっと顔を出した。

「にゃー! イサギさんの影に魔物がいる!」

これにはネーアが驚き、ラグムントとリカルドがすぐに剣を抜いて臨戦態勢に入った。

「二人とも落ち着いて。きちんと説明するから」

冷静な声音で言うと、二人は呼吸を整えて構えを解いてくれた。ただし、強力な魔物を前にしているからか剣から手を離すことがないが、目の前に突然魔物が現れては仕方がないことだろう。

少し落ち着いたところで俺は森での出来事を三人に説明する。

「まさか、村の近くに上位個体がいるとは……」

「こんなおっかねえ魔物によく取り引きを持ち掛けるなんて案外やるな!」

「シャドーウルフだっけ? とにかく、二人が無事でよかったよ」

一連の流れを話すと、三人は納得したのか警戒心を解いてくれた。

「あれ? すんなりと受け入れるんだね?」

魔物を農園に連れてきているんだ。

もっと強い拒否感のようなものを抱かれると思っていたのだが。

帝都だと絶対に受け入れられない事案だと思う。

「んん? 別に動物や魔物を強い奴が従えるのは当然のことだろ?」

「村人の中にも何人か魔物を連れている人もいるしね」

おそるおそる尋ねると、リカルドとネーアがなんでもないことのように言う。

どうやら獣人たちの間では、屈服させた魔物を従えるのはよくあることらしい。

身体能力が高く、野性味が強い獣人だからこその文化なのかもしれない。

この様子を見る限り、従業員たちが特別な感性をしているわけでもなさそうだ。

最大の懸念事項が問題なかったようで心底ホッとした。

「訂正しろ。我はこの者たちに屈服して従っているわけではない。あくまで利害の一致で協力してやっているだけだ。そこを履き違えるな」

ただリカルドの言い分に我慢ならないのがシャドーウルフだ。

唸り声を上げてすごんでいるが、影から頭しか出ていないためにいまいち迫力が欠けている。

「ごめんね。そういうわけだから訂正してくれる?」

「すまん。あくまで利害の一致での取り引きだな」

「フン、気をつけろ」

リカルドが謝罪し訂正の言葉を述べると、シャドーウルフはつまらなさそうに鼻を鳴らした。

とりあえず、許してもらえたようだが、まだ同じことを繰り返せば怒りそうだな。

この関係についてはしっかりと周知させておこう。

「とりあえず、ブラックウルフたちが襲撃してくる心配はなくなったからロドスやノーラにも伝えて、いつもの仕事に戻ってくれる?」

「わかった!」

ブラックウルフたちがパートナーになったので厳戒態勢を維持する必要はない。

そのように伝えると、三人はそれぞれの持ち場に戻っていく。

ついでに近くにいるゴーレムを呼び寄せると、こちらも厳戒態勢は解いていつもの農作業に戻るように伝えた。

武装していた従業員やゴーレムがいなくなり、物々しい雰囲気に包まれていた農園がいつも通りのものとなる。

やっぱり俺の農園はこうでないとな。

「いい加減外に出るぞ?」

「いいよ」

こくりと頷くと、シャドーウルフは影から飛び出した。

軽やかに着地をするとブルりと全身を震わせる。

おっかない見た目と大きさをしているが、こうした仕草を見ると犬みたいだなと思ってしまう。言うと、絶対に怒るから言わないけど。

「さて、改めて役割の整理をしようか。シャドーウルフたちの役割はこの農園を守ること。昼間は従業員やゴーレムもいるから大人数で守る必要はなくて、どっちかというと俺たちの目が届きにくい夜の警備に力を入れてほしいかな」

「問題ない」

「じゃあ、次はそっちの要望だね。どのくらいの頻度で作物の提供を望んでいるんだい?」



「一週間……と言いたいところだが、さすがにその頻度では無理があるだろう?」

「可能か不可能かでいったら可能だね」

「なに? 人間共がやっている農業とやらは時間をかけて作物を育てるのではないのか?」

「普通はそうなんだけど、うちの農園は特別だからね」

コニアの商会に卸すことを考えても、作物にかなり余裕がある状態だ。

ブラックウルフたちの数も三十体程度。そのくらいの数の腹を満たすくらいであれば毎日でも問題ない。

「ならば、逆に問おう。どの頻度であれば貴様が枯れることなく提供することができる?」

無茶を突き付けてこない辺り、このシャドーウルフも冷静だな。

堅実に長く供給を受けようという狙いがあるのだろうけど、こちらとしては大変有難い。

毎日、群れ全体のお腹を満たし続けることは可能だが、さすがに今の従業員数では日々の業務内容を大きく圧迫してしまう。それが大きな問題だ。

「メルシア、どの程度の期間なら日々の業務を圧迫せずに提供できる?」

「五日に一度くらいの頻度であれば負担なく業務を回せるかと」

「農園を警備してくれた個体には毎日お腹が膨れるほどの作物を提供。そして、五日ごとに群れ全体の腹が満たされる量を渡すっていうのはどうかな?」

「悪くない。そうしろ」

シャドーウルフの反応はかなり良い。

想像上に早い作物の提供体制に素直に喜んでいるようだ。

「それぞれの役割が定まったところで、次は大まかなルールを決めようか」

「ルール?」

「うん。互いが心地よく過ごすための決め事さ」

「……言ってみろ」

胡乱な反応を見せていたシャドーウルフであるが、話を聞くつもりになったのかお尻をペタンと地面につけた。

とはいっても、ルールとは簡単なものだ。

初歩的な部分をきちんと守ってくれればいい。

人を襲わないこと。物を壊さないこと。

勝手に農園に作物に手をつけないこと、汚さないこと。

他の魔物に従業員が襲われれば助けること。

「我らの役割は農園を守ることだ。そこにいる人間たちを守ることは役割に入っていない」

「従業員がいなければ、作物を作ることはできないんだ。従業員がいなくなれば結果として大きな損失となってしまう。従業員たちも農園の一部だと思ってほしいな」

「ぐぬぬ、なんだかいいように言いくるめられている気がするぞ」

「そんなことはないよ」

「言い分に一理あることは認めてやろう。だが、必ず全員守ることは約束できない」

「それで十分だよ」

あくまで重要なのは従業員を尊重し、大切に思ってもらうことだ。

俺の言うことしか耳を傾けず、農園で好き勝手に振舞われたりしたら後の問題になるからね。

「ルールはそんなものか?」

「うん。判断が付かないことや困ったことがあったら適宜話し合う感じで」

「お前たち、そういうわけだ。ルールを順守した上で役割をこなせ」

シャドーウルフの影が大きく広がると、そこからブラックウルフたちが十体ほど出てきて散開した。それぞれの区画に移動して、警備にあたってくれるのだろう。

これだけの数のブラックウルフがいれば、実に心強い。

「その影ってブラックウルフたちも入ることができるんだ」

「それだけじゃなく、我と居場所を入れ替わることもできる」

「便利な能力だね」

「まあな」

まさか居場所を入れ替わることもできるとは驚きだ。

もし、あのままメルシアと一緒に戦うことを選択していたら、間違いなく苦戦させられたことは間違いないだろうな。

「イサギ様、私は父をはじめとする村人たちに状況を説明してこようかと思います」

「そうだね。悪いけどお願いするよ」

説明も無しにブラックウルフがいると、村人たちが驚いてしまう。

メルシアに迅速な情報伝達を頼むことにした。

「……おい、我が農園に出向いているということは、取り決め通りに作物が支給されると考えていいのだな?」

意訳すると、これは早くスイカを食べさせろということだろう。

「そうだね。早速、スイカ畑に案内するよ」

催促してくるシャドーウルフに微笑ましさを感じながら、俺はスイカ畑へと案内する。

今朝はブラックウルフに荒らされてしまったスイカ畑だが、ネーアがきちんと処理をしてくれたのかある程度綺麗になっていた。

「食べていいのはどれだ?」

わざわざ聞いてくるのは勝手に作物に手をつけないというルールを順守してくれているからだろう。

スイカの表面の縞模様がはっきりとしたものを手に取って、軽く手で叩いて音を聞く。

ツルの付け根もしっかりと盛り上がっており、おへその部分も大きい。

これが一番の食べごろだろう。

「これが美味しいよ」

ツルをナイフで切り取ると、シャドーウルフの前に持ってくる。

「待ってて。今、切り分けてあげるから」

「そんなものは不要だ」

包丁で切り分けてあげようと思ったが、シャドーウルフは強靭な爪を振るってスイカは綺麗に真っ二つにした。そして、ぱっくりと割れたスイカに勢いよく顔を突っ込む。

「おお、これだ! 鮮やかな果肉と心地のいいシャリシャリ感! すっきりとした甘みがいつまでも口の中を飽きさせない! 美味い!」

がつがつとスイカを食べながら歓喜の声を上げるシャドーウルフ。

よっぽどスイカが気に入っているようだ。

肉食の魔物なのにスイカを気に入るなんて不思議だな。

美味しそうに食べているシャドーウルフを見ていたら、俺もスイカを食べたくなってきた。

「せっかくだし、俺も少し食べようかな」

手短に美味しそうなスイカを見つけると、同じように収穫する。

「ねえ、これを半分の半分くらいに切り分けてくれない?」

「なぜ我がそのようなことを……」

「俺が食べる分以外はあげるから」

「よこせ。切り分けてやろう」

渋っていたシャドウウルフだが、対価を用意するとすんなりと引き受けてくれた。

鋭い爪が振るわれて、綺麗な四分の一サイズのスイカが出来上がる。

「残りは貰うぞ」

「どうぞ」

さすがに一人で全部食べるには多いからね。自分が食べる部分だけ四分の一だけを手に取ると、残りはすべてシャドウウルフに渡した。

切り分けてもらったスイカを口にする。

爽やかなスイカの味がとても気持ちがいい。

品種改良で糖度を引き上げているお陰か実にいい甘みを出していた。

夏の到来を前にしてこの美味しさだ。本格的な夏がやってきたら、もっと美味しく感じるだろう。

「そういえば、まだ名前を名乗っていないことに気付いたんだけど」

「今更だな」

「俺の名前はイサギ。君は?」

「……我に名前などない」

「じゃあ、名前を付けてもいい?」

群れの中でも会話ができるのは、このシャドウウルフだけだ。意思の疎通を行う上で名前がないのは不便だと感じた。

「……言ってみろ」

その言葉から察するに名前を付けられることに拒否感は抱いていないらしい。

「コクロウっていうのはどう?」

名前の由来はシャドーウルフの見た目を体現した、漆黒の狼という意味だ。

厳密には体毛は黒というより少し紫がかったものであるが、わかりやすさと呼びやすさで決めさせてもらった。

カゲロウっていう呼び名の案もあったけど、通称の名前として通っているシャドーウルフと似通っていたので面白味がないと感じた。

「コクロウか……まあ悪くはないだろう」

ネーミングセンスに自信があるわけではないが、反応を見る限りまんざらでもない様子だった。