「イサギ様、あの魔物は?」
「……シャドーウルフだと思う。影を操ることのできる危険な魔物さ」
帝城で魔物の文献を読み漁っていた時に見た覚えがある。
影の中から出てきた能力を見る限り間違いない。
「冒険者ギルドによって定められた討伐ランクはA。騎士団を動員し、大勢の被害を出しながらも討伐できるようなレベルだよ」
「そのような魔物が村の傍にいたとは……」
さすがにこのレベルの魔物が出現するのは珍しいのか、メルシアも戸惑っている様子だった。
しまったな。最悪の事態を想定して入念の準備を整え、大勢の仲間を連れてくるべきだった。
とはいえ、上位個体がいるとは思わなかった。おいそれと出現するものではないからな。
「なんだこれは? 馬ではないのか?」
自らの影を触手のように伸ばし、ゴーレム馬を小突くシャドーウルフ。
群がっているブラックウルフも不満そうな唸り声をあげている。
馬であったなら彼らの食料になったかもしれないが、残念ながら銅を中心に作られたゴーレムだ。魔石ぐらいしか食べるところはないだろうな。
なんて考えている場合じゃない、相手は言葉を話すほどの知性を持っている。これは上位個体の中でも相当の実力を持っているかもしれない。
「メルシアならシャドーウルフを倒すことはできる?」
「……良くて五分五分といったところでしょう」
本気になれば、討伐ランクAの魔物とも単身で渡り合えること時点ですごい。
でも、そんな彼女でも半分の確立で負けるという。
俺が助太刀に入って少しでも勝率を上げる作戦もあるが、周囲にいるブラックウルフの存在を考えるとそうはさせてくれないだろうな。
「私が時間を稼ぎます。イサギ様はその隙にお逃げください」
「ダメだ。メルシアを置いて逃げるなんてできない」
どちらかの生存を考えれば、それが最適なのかもしれないがそんなことはしたくない。
「ですが……っ!」
「メルシアは、俺が帝城から追放されても支えてくれた。自分が窮地に陥ったからといって見捨てるなんてことは断固としてできないね」
「……イサギ様」
非論理的だとはわかっている。だけど、男として――それ以前に一人の人間としてメルシアを見捨てるという選択肢だけは選べない。たとえ、それで俺が死ぬことになっても。
「クククッ、こんな時に仲間割れとはな」
俺たちの会話を聞いて、シャドーウルフが低い声で笑う。
矮小な生き物がもがき苦しむ様を楽しんで見ているようだ。趣味が悪い。
だけど、見たところ相手はこちらをすぐに襲うつもりはない様子。
嬲り殺しにするためか一種の娯楽と感じているのかは知らないが、襲い掛かってこないのであれば交渉の余地がある。
なにせ相手は上位個体であり、しっかりと知性があるのだ。こちらの言葉を十分に理解できているのであれば、交渉する余地はある。
「……取り引きをしよう」
「イサギ様?」
「ほお? 人間が魔物である我らと取り引きをしようというのか?」
「そういうことさ。話が早くて助かる」
「面白い。言ってみろ。つまらなければ殺して食う」
正直、今にも襲われそうで怖いが、俺たちの命や今度のことを考えると、ここが度胸の見せどころだ。
「昨夜、うちの農園にあるスイカが荒らされてしまった。これを食べたのは君たちで間違いないかい?」
マジックバッグから回収した一部のスイカを取り出すと、周囲にいたブラックウルフの何体かがピクリと身体を震わせた。
赤い舌を出し、物欲しそうな視線が突き刺さるのを感じる。
「ほう、それはスイカというのか。甘い香りが漂っていたので取りに行かせて食べてみたら非常に美味かった。今夜は俺自身も降りて食べにいくつもりだ」
やっぱり、メルシアの言った通り、味をしめてしまったようだ。
しかも、今度はブラックウルフだけでなくシャドーウルフ自身も向かうと言っている。
そんなことになれば、うちの農園の作物だけで被害が済むとはとても思えない。
「そうしたらスイカがなくなってしまうぞ?」
「無くなったらまた次を探すまでだ」
「残念ながらあのスイカはあそこでしか育たない上に、俺たちしか育てられない。お前たちが食べ尽くし、俺たちを殺せば二度と食べることはできない」
「なに?」
余裕の笑みを浮かべていたシャドーウルフだが、俺の言葉を聞いた瞬間に笑みを引っ込めた。
まさか、この村でしか食べられないとは思っていなかったのだろう。シャドーウルフは想定外といった様子で考え込んでいる。
周囲にいたブラックウルフも、何となく言葉の意味が理解できたのかあからさまに動揺し始めた。
うちのスイカが相当お気に召したようだ。
嬉しいっちゃ嬉しいが、無茶苦茶に食い荒らされた現状を考えると素直に喜べない。
しばらく考え込んだ末に、シャドーウルフは口を開いた。
「……それで貴様は何を要求するつもりだ? 食べたら無くなるから我らに退けとでも?」
それが出来たら最善なのだが、あのスイカの美味しさを知ったシャドーウルフたちが素直にそれを呑むはずがない。相手には一ミリもメリットがないのだから。
「いや、違う。君たちにはうちの農園の作物を守ってほしい。その代わり、俺たちは育てたスイカをはじめとする作物を君たちに提供する」
「我らを番犬扱いするつもりか?」
シャドーウルフの毛が逆立ち、憤怒を露わにした。
その気迫にメルシアが臨戦態勢を取ろうとするが静止させた。
臆するな。ここが正念場だ。
「それは捉え方次第だよ。君たちからすれば、俺たちは美味しい食材を出し続ける家畜のような存在とも考えられる」
「確かにそれもそうだ」
「互いにメリットがあると思うんだけど、どうだろう? うちの農園にはスイカ以外にも美味しい食べ物がたくさんあるよ」
「……しばし待て」
ダメ押しとばかりに美味しい食べ物がまだまだあることを告げると、シャドーウルフとブラックウルフたちは一か所に集まり始めた。
そして、俺たちにはわからない鳴き声を上げて何やら話し合っている様子。
群れのリーダーとはいえ、ちゃんと話し合ったりするんだな。興味深い。
しばらく様子を窺っていると、話し合いが終わったのかシャドーウルフたちが元の位置に戻った。そして、大仰な声音で言う。
「人間よ。取り引きに乗ってやろう」
「本当かい?」
「ただし、我らの腹を満たし満足させることができねば、即座に取り引きは破棄だ」
「問題ないよ。うちの農園の生産力も美味しさもどこにも負けないから」
こうして俺はシャドーウルフとブラックウルフの群れを農園の頼もしいパートナーとして迎え入れることにした。